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忍びよる影! 秀頼の危機!!② 無駄

◇◇

 慶長一二年(一六〇七年)一一月一日――


 一人の男がとある屋敷の部屋の壁にもたれかかるように静かに座っていた。

 その部屋には不自然な程に『物』がない。

 本当にここで人間としての生活をしているのか疑ってしまう程に、不要な物は全て排除されていた。

 そしてその部屋の主である男も、その部屋と同じように無駄なものは一切ない。

 整った顔立ちに、引き締まった体……

 肌の色も透き通るほどに白い。少年と言われればそのように見えるし、壮年と言われればそう見えなくもない。もっと言えば男か女かすら一見すると区別が怪しい。

 一切の無駄がないゆえに掴めぬ事が多いのは、皮肉と言えなくもない。

 

 しかし、唯一彼の意図に反したものがある。

 それは彼の体に巣食った『病』だ。

 垂らした前髪で隠してはいるが、彼の額は疱瘡によって生じた赤い泡で覆われていた。

 この頃『死病』とも言えた流行り病である疱瘡。

 彼が羅漢してから半月が経つ。その間、治療などは一切受けず、ろくに物も食べる事がかなわなかった。

 そのせいもあってか、彼の命は儚くも散り際だったのだ。

 

 もはや息をするのも苦しいはずだが、ふいに彼の口元にかすかな笑みがこぼれる。

 それは彼の求める『物』がすぐ側まで近寄っている事が分かっていたからであった。

 

 その直後のことだった。

 部屋の襖の外から涼やかな声が聞こえてきたのだ。

 

 

「一つ頼まれてはくれないか」



 既に彼の病は、喉から先へ言葉を通す事を許さない。

 静かな沈黙が屋敷の中に広がったまま、しばらく時が経った。

 するともう一度、鈴の音のような声が部屋に断りもなく入ってきた。

 

 

「二日後、京。相手は……」



 一呼吸置く声の主。

 その間、男は静かに目を瞑り、耳に流れてくるその声を微塵も漏らすまいと、集中していた。

 そして…… 弦を弾くような声が響いてきた。

 

 

「豊臣秀頼」



 声の主もまたどうやら無駄のない男のようだ。その言葉を最後に彼の気配が消える。

 

 結局一言も発する事は叶わなかった。

 それでも彼はわずかに頬を紅く染め、余韻に浸っていた。

 

 一筋の涙が伝う。

 

 しかし涙すら無駄がない。その為、彼の涙をもたらしたのは、哀しみなのか、喜びなのか、感動なのか、それすら掴めない。

 

 そもそも彼の生き様もまた同じ。

 何を目的に生き、どんな『夢』を見ているのか。

 

 そんな男だからこそ、名前すら無駄なものと言えよう。

 だから彼は生涯を通じて名乗った事はほとんどない。

 その為彼が「風魔小太郎」という名を持っている事を知る者は、この世でごくわずかであった――

 

◇◇


 慶長一二年(一六〇七年)一一月三日――

 

 俺、豊臣秀頼は今、京にいる。

 もっと言えば、豊国学校のとある研究棟にいるのだ。

 そこで一つの実験の成果を見に行ったのである。

 


「秀頼様! もう少し御離れください!」


「ここがよいのじゃ! 早う! 早う!」



 俺は側にいる真田幸村の言葉に耳を貸す事もなく、その場に座り込んで目を輝かせていた。

 既に時は夕暮れ。

 紫色に染まった空に一番星が輝いている。

 俺はそんな空を見上げながら、その実験が始まるのを、今か今かと心待ちにしていたのであった。

 

 そして……

 

――ヒュゥゥゥゥゥ……


 と、高い音が辺りに響いたかと思うと、

 

――ドカァァァァン!!


 という轟音とともに、橙色の光が京の空を鮮やかに染めたのである。

 

 それは……

 

 『花火』であった。

 俺が近藤太一であった頃の花火に比べれば素っ気ない物である事は確かだ。

 それでも俺は空輝く一輪の華を見た瞬間に、興奮が頂点に達した。

 

 

「たぁまやぁぁぁぁぁ!!」



 思わず腹の底から大声で叫ぶ。

 もちろんこの時代に『玉屋』もなければ『鍵屋』もない。

 幸村の眉がへの字に曲がったのが横目に見えたが、この興奮を止める事は出来なかった。

 

 

「次じゃ! 次!」



 俺が大声でそう促すと、そこに現れたのは巨大な車輪のついた台車、江戸時代では『大八車だいはちぐるま』と呼ばれるものだ。

 その上には、これまた巨大なクロスボウが三つ並べられている。

 既に巨大な弾が取りつけられており、あとは発射を待つばかりだ。

 

 そして、

――ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!

 という鋭い三連音と共に、弾が高々と打ち上げられた。

 

――ドカン! ドカン! ドカン! 


 空高く舞った弾は爆音と共に弾け飛ぶと、先ほどと同じように光を撒き散らして京の夜空を明るく染めたのだった。

 

――オオオオオオ!!


 今度は学府の外からも町民たちの歓声が聞こえてくる。

 

 光は一瞬の輝きで姿を消し、その後に残るのは火薬の焦げ臭さと、白い煙。

 俺はそれらの余韻に浸っていた。

 

 しばらくぼーっと空を眺めていると、穏やかな微笑みを携えた石田宗應が、ゆっくりと俺に近づいてきた。

 

 

「実験は成功でございます。これで榴弾、すなわちグレネードランチャーの実用化はかなり近づいたと言えましょう」



 俺はなおも空を見上げたまま問いかける。

 

 

「射程はいかほどじゃ?」


「一〇〇間(約180m)は問題ないかと」


「ふむ。より射程を伸ばせるように、精進しておくれ」


「御意」



 やはりクロスボウではこの距離が限界か。

 となるとやはり水軍で陸上の城を狙うのは無理がある。

 当たるも八卦当たらぬも八卦といった感じでよければ、この時代の大砲でも一〇〇〇間(1.8km)程は弾丸を飛ばせるかも知れない。もっとも、威力も精度もあてにはならないだろうが……揺れる船の上から打つならなおさらだ。


 それでも威嚇には十分だ。

――海から駿府城が狙われている!

 という事実だけで、家康は肝を冷やすだろう事は想像に難くない。


 となれば、やはり船に大砲を積む、という選択肢がいよいよ現実味を帯びてくる。

 かつて九鬼水軍が大鉄砲を積んでいたと何かで読んだ記憶があるが、一撃の衝撃が大きい大砲を積むとなると、和船の強度では無理があるだろう。

 今隈本で加藤清正と堀内氏善を中心に開発させている西洋式の帆船の強度をどれだけ上げられるか、九州へ行った折にはそれも確認しておかねばならないな。


 とにかく武器や装備の開発は急がねばならない。

 なぜなら開発の次は量産が待っているし、同時に扱い方の習熟も必要だからだ。

 それら全ての工程を、開発が終わった時点で一から作り上げねばならないのだから、それなりの時間が取られる事になろう。だがもうその時間はほとんど残されていないのだ。

 あと三年後にはそれなりに戦えるだけの整備を済ませてしまいたい。

 なぜなら、もしこのまま史実が変わらないとするなら四年後に『徳川家康との会談』が待っているからに他ならない。それまでに『徳川との一戦が起ころうともそれなりの準備は整っている』という事を内外に見せつければ、その会談の意義や内容に変化が生じるのではないか、と考えている為だ。


 加速していく歴史の歯車。高速で回転する音が耳元で大きくなる。

 焦るなと心に言い聞かせてはいるが、それでも自然と気持ちは前のめりになっていく。


「では、大坂城へ帰るぞ」

 少し前の俺であれば、そのまま一夜を豊国学校で過ごすとしていた事だろう。

 しかし最初からそうするつもりはなかった。

――一時でさえも無駄に出来ないのだ!

 その一心で大坂城にて夜更けまで政務を続ける予定でいたのだった。



………

……

 学府から夜道へ出る。元いた時代と違って眩しく街を照らす街灯もなければ、開いている店もわずかな酒場程度だ。

 天下の京と言えども、晩秋の夜道は寂寥感を漂わせていた。


「いやぁ、やはり花火はいいものじゃぁ! 今度はお千や伊茶、母上にも見せてあげたいものじゃ!」


 俺はどこかしんみりとした雰囲気を打ち消すように、底抜けに明るい声をあげる。


「さようですね。しかしもう少し離れてご覧になられなくては、危のうございます」


 と、幸村が気を利かせて普段よりも明るい声で返していた。

 なお今回の上洛では、俺と幸村の他に、俺を護衛する霧隠才蔵や猿飛佐助をはじめとする真田十勇士の面々が前後左右を固めている。少し物々しすぎるような気もするが、彼らに言わせればそれでも足りないと言うのだから、この時代はどれだけ物騒なのだ……


 旧暦で一一月と言えば、前の時代では一二月にあたると考えてよいだろう。

 時折吹き付ける北風は、もう冬の到来を予感させるものであった。


 そして……


 それは一陣の風が吹き抜けた後の事だった……


「ん? あれは……」


 一人の少年が道の端でぐったりと座り込んでいるのが目に入ってきたのだ。


「秀頼様、物乞いでございましょう。今追い返してきますゆえ、こちらでお待ちください」


 才蔵が耳元で囁くと、由利鎌之助と穴山小助の二人が少年の側へ寄ろうとする。

 しかし、俺は彼らを制した。


「いや、われが自ら行こう。少しばかりの銭でも与えてあげねば、明日にも死んでしまいそうではないか」


 俺は自分でも不思議だった。


 普段なら得体の知れない相手に近づく事など絶対しない。


 しかしなぜだろう……


 目の前に座り込んでいる少年の事が放っておけない衝動に駆られるのは……


――タタッ!


 俺は軽い足取りで少年に近づいていく。

 つられるように才蔵らも並走する。


 近づくとよく分かる。何もかもが白い少年だった。


 肌の色、そして着ている和服も……


 だが……


 次の瞬間に感じたのは……


 違和感――




 もし本当に物乞いならば……

 


 

 なぜこんなにも『白い』服なのだ……?

 汚れ一つもないのだ……?




「秀頼様ぁぁぁ!! 危ない!!」



 それは一瞬の事だった。



――ザシュッ!!



 鈍い音と共に俺の目の前を飛んでいったのは……



 二本の白くてか細い腕――



 その手には一本の竹筒――



 ふと横を見ると鬼の形相で刀を一閃させた霧隠才蔵の姿。


 そして正面を見ると……


 いつの間にか立ち上がっていた白い少年。



「小太郎ぉぉぉぉぉ!!!」



 才蔵が天に声を響かせると、一斉に真田十勇士の面々が少年に襲いかかった。


 しかし少年は微動だにしない。


 次の瞬間だった。


――ブゥゥゥゥゥ!!


 突然少年の口から霧が吹きかけられる。

 血の混じった液体が俺の全身を濡らした。


 そしてニタリと俺に笑いかけると、ささやくような声で告げたのだった。



「死んじゃえ」



 その言葉と共に少年の姿は夢幻のように消えた……


 俺は何が起こったのか全く分からず、顔を濡らしたまま立ち尽くす。

 しかし次の瞬間、三好清海が手にした手ぬぐいで俺の顔をゴシゴシと拭き出すと、ようやく我に返った。

 五感も戻ってくると、才蔵の叫び声が聞こえてくる。


「十蔵!! 追うぞ!! 佐助!! 秀頼様を頼む!!」


 コクリと頷いた佐助は、俺の側に来ると才蔵に声をかけた。


「才蔵! 無理するんじゃねえぞ!!」


 才蔵は背中を向けたまま右手を振ると、少年のものと思われる血の跡をたどって消えていったのだった。



 



 



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