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発想を逆転させて……

◇◇

慶長一二年(一六〇七年)九月――


 大坂、堺、そして京の街が一斉に震撼した。

 無論、実際に大地震が起こった訳ではない。

 しかし町民たちにしてみれば、天変地異が起こったのではないかと思える程に驚愕したのである。

 それは豊臣家によるとある発表が引き金となったのは言うまでもない。

 その発表とは……

 

――豊臣は資金調達を行う。その額、一〇〇〇万両とする。


 一〇〇〇万両と言えば、後世の日本円に換算して、およそ一兆円。

 この頃の商人や大名たちにとってみれば、まさに天文学的とも言える金額だ。

 そしてそれは無利子の借金として、大量の債券を発行した。

 すると儲けが生じないにも関わらず、発表がなされた直後から畿内のみならず伊勢の越後屋(後の三井)など全国各地の商人たちが、こぞって債券を求めたのである。

 

 無利子にも関わらず、有力な商人たちが豊臣家にこぞって金を貸したのは一体なぜであろうか。

 

 それはこの時代の商人たちの資産運用に、「とある特徴」があったことがゆえんと言えよう。

 

 商家にとっての資産の中心は米や銭であったが、彼らは全財産を米や銭として手元に置いていた訳ではない。

 なぜなら米はその年のうちにはけねば悪くなるし、銭は幕府公認の貨幣ですら、その価値は金の価格によって変動する状況だからだ。

 つまり米や銭は「安定資産」ではなかったのである。

 では安定資産は一体なんであったのか。

 それが「債券」、つまり借金の証文だったのではないかと、俺は考えた。

 

 そこで「豊臣家の債券」を発行したという訳である。

 

 果たして俺の思惑通り、豊臣家の債券が飛ぶように買われていった。

 その要因として、天下における豊臣家への信頼が大きかったのは言うまでもない。

 豊臣家が天下取りについて、徳川家の後塵を拝しているという事は、もはや田舎に住む百姓ですら知るところだ。

 しかし「大名家」としての豊臣家は、魅力的な投資先であると、俺は自負していた。

 学府による研究の成果によって農作物の収穫量は増加の一途をたどっているし、医療発達による働き手の健康維持で、生産力は確保されている為、継続的な返済能力は十分に備えている。

 その上、山椒や上布などを「豊臣ブランド化」し、異国との貿易で莫大な利益を得始めていることも、既に一部の豪商たちの知るところであり、借金の踏み倒しは考えにくい。

 さらに、当主の豊臣秀頼は領民たちの保護にも積極的である為、領地経営が安定している上、徳川家と遠戚関係にあり、早々お家が潰れる心配もない。

 ここまで『買い』の材料が揃えば、その債券を求めない理由がない。

 たちまち債券の価格は跳ね上がっていき、わずか一カ月のうちに、豊臣家の得た一〇〇〇万両の五倍まで債券の価値は高騰していったのだから、町民たちが驚愕の中にあったのも頷けるというものだった。

 

 

 俺、豊臣秀頼は、大坂城の財政担当である津田宗凡、そして彼を補佐する安田道頓の二人から、その様子を聞くと、思わず笑みが漏れた。

 

 

「われら豊臣もまだまだ捨てたものではない、ということかのう?」


「ええ、おっしゃる通りにございます」



 津田宗凡が穏やかな口調で答えると、横にいた安田道頓が大笑いをしながら続いた。

 

 

「がはは! しかし、大御所もまさか豊臣が借財するとは思わなかっただろうなぁ! 金銀の蓄えは幕府よりも大きいのではないかと噂されていたのに!」



 彼の言う事はもっともだ。

 実際のところ、豊臣家の財政は実に健全で、借金をする必要などまるでない。

 ではなぜ借金をしたのか……

 それは、安田道頓の次の言葉に如実に表れていたのだった。

 

 

「これで万が一、豊臣家が取り潰しにでもなれば、畿内のみならず日の本の経済はたちまち大混乱となりますな」


「つまりもし徳川が豊臣を潰そうとすれば、全国の商人たちが黙っていない……それを秀頼様は狙われたのですね」



 俺は宗凡の言葉に、口角を上げたままコクリと頷いた。

 まさに彼の言う通りだ。

 今や豊臣家の債券は、安全資産として商人たちの財政基盤となりつつある。

 もし豊臣家に何かがあり、債券の価値がゼロとなれば、多くの商家が潰れ、人々は路頭に迷う事になるだろう。

 その衝撃たるや、想像しただけで地獄絵図の様相を呈することは目に見えている。

 

 つまり徳川と豊臣が戦となった場合、物資調達の面で畿内の商人たちは豊臣に加担せざるを得ない状況が作り出せたという訳だ。

 

 

「ところで秀頼様。手にした銭は一体何に使うおつもりでしょうか」



 俺の隣に座っている真田幸村が問いかけてくると、俺は考える間もなく即答した。

 

 

「各大名の債券を集める。無論、それらの担保である各地の特産品を毎年接収する権利も含めてじゃ」


「では、各地の特産品を一手に大坂に集めるおつもりでしょうか」



 俺は幸村に対して一つ頷くと、安田道頓に指示を出した。

 

 

「大坂に天下一の取引市場を整備いたせ。今回集めた銭をいくら使っても構わん。期限は今年いっぱい。来年からはそこで全国の特産品の売買を行う。その一部は加工して『豊臣』の名を持って異国に売ろうではないか」


「がはは! そりゃあ、面白れえや!! よしっ! 早速取りかかるといたしますか!! わしはここで失礼いたしましょう!」


「うむ、頼んだぞ! 」



 俺の言葉に道頓はにやりと笑って頷くと、跳ねるようにして部屋を後にしていったのだった。

 続けて俺は宗凡の方に目をやった。

 

 

「集めた債券については、各大名が毎年どれほどの利子を支払っているのかをまとめておいておくれ」


「ほう……これはまたどうしてでしょう?」


「利子を全て失くすつもりだからだ」


「な、なんと……それでは当家に儲けが出ませんが……」


「宗凡よ。今回集めた銭は、儲けに使うつもりはない。各大名が豊臣に借りを作る事が目的。それにこれが格好の宣伝となろう」


「どういう事でしょう……?」



 俺は一呼吸おくと、今回の策の肝心な事を告げた。

 


「豊臣からは無利子で借財が出来るということじゃ」



 宗凡と幸村の目が大きくなったのも無理はないだろう。

 俺はさらにその真意について続けた。

 

 

「豊臣はこれから大名たちの借財の受け皿となる。しかし与えるのは銭ではない」


「では一体何を……?」


「豊臣の債券じゃ。いつしか大名たちの資産の多くを豊臣の債券としてしまおうではないか! あははっ!!」



 もはや「豊臣家の債券」は「金」と同じような価値があるのは先の通りだ。

 もしその債券が大名たちにとっての資産の一部となれば、債券の価値をなんとしても保つように働きかけていくことになろう。

 

 つまり……

 

 

「豊臣から借財をした大名たちと当家は一蓮托生の運命……ならば徳川との争いにお味方する言い分にも成りえる、ということでしょうか」



 幸村が目を細めながら俺に問いかける。

 俺もまた彼と同じような表情をして答えた。

 


「ああ……しかし幕府は黙ってばかりはいないであろう。各大名が豊臣から借財をし始める前に、何か手を打ってくるに違いあるまい」



 今度は幸村が大きく息を吸い込む。

 そしてぐっと言葉に力を入れて告げた。

 

 

「つまり、秀頼様は徳川を動かすきっかけを作った。未だ当家を攻め込む大義名分が固まらぬうちに」



 そう……それはまさに彼の言う通り。

 

 俺は『あの時』から既に考えていたのだ。

 

 黒田如水が九州の地で命を散らしたあの時から。

 

 もはや歴史は変わらない。

 俺がどれだけ未来の知識を有していたとしても。

 

 絶対に『後ろ倒し』には出来ないのだ。

 

 ならばどうするか。

 

 俺は発想を『逆転』させた。

 

 押して駄目なら、引いてみるしかない。

 

 つまり……

 

 

 大坂の陣を早める――

 

 

 徳川が豊臣を攻めるにあたって、盤石の体制を築き上げる前に攻め込ませる。

 そうすれば多少なりとも徳川軍に隙が生じるのではないか。

 

 もちろん今すぐに攻め込まれたら、こちら側も困る。

 いや、それでも加藤清正や浅野幸長、そして福島正則といった豊臣恩顧の大名たちが未だ強大な力を有しているうちなら、良い勝負が出来るのではないか。

 彼らの動きを封じ切れていない今、徳川としても安易に動く事は出来ないだろう。

 

 それでも五年以内、もっと言えば三年後には徳川は動いてくる事は明らか。

 そして今すぐ出来る事は、『前倒し』して行ってくるはずだ。

 例えば、徳川軍の主力となる大名を畿内近くに持ってくる……

 

 

 それはまさに俺の読み通りとなった。

 

 

 つまり、外様大名の中でも「別格」とされ、譜代大名と同じように扱われている藤堂高虎が、四国から伊勢へ移されたのである。それは史実より一年も早い出来ごとだ。

 さらに未だ伏見に多く残っていた大名屋敷を、年内中に全て江戸に移させた事も、史実より二年も早く行われた。

 

 

 急加速する歴史の歯車。

 

 

 その歯車がわずかに狂い始めたのは、変わり始めた歴史を見れば明らかだ。

 しかし重要な事は歴史を早める事ではない。

 あくまでその終着点を変える事。

 

 すなわち徳川に勝利して終える……

 

 そんな夢のような終着点を現実のものとすべく、俺の賭けはまだ始まったばかりだった――

 

 

 




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