第二回 幕僚会議(前半)
半分以上、これまでのおさらいになります。
ご了承ください。
◇◇
慶長12年(1607年)7月10日 京の学府――
徳川家康が京を去り、駿府に拠点を移してから早七日が経過したこの日、およそ一年ぶりとなる『幕僚会議』を開催する為、俺、豊臣秀頼は学府に幕僚を集めた。
なお豊臣家の幕僚の面々は以下の通りだ。
真田幸村、
甲斐姫、
石田宗應、
加藤清正、
堀内氏善、
大谷吉治、
明石全登、
桂広繁、
大崎玄蕃。
このうち大崎玄蕃だけはまだ京に戻っておらず、引き続き金堀衆集めに全国を回っているとのこと。
その代わりと言っては本人に悪いのだろうが、江戸城の普請を終えた加藤清正が今回の会議には参加出来る事となった。
――京の学府に加藤清正が入る!
この一件は京の町民だけならず、板倉勝重をはじめとする幕府の関係者たち、さらには家康の側近である本多正純らからも大きな注目を浴びたのは言うまでもない。
それほどに加藤清正という大名の持つ影響力は計りしれないほどに大きい。
しかし当の本人はそんな周囲の喧噪など物ともせずに、堂々と正面から学府へと足を踏み入れてきたのだから、大した肝っ玉の持ち主だ。
俺などは霧隠才蔵ら真田十勇士に連れられて、こっそりと忍び込むようにして入ったというのに……
さて、このように人それぞれに京に入った幕僚たちであったが、会議が開かれる予定の刻限には全員が顔を揃え、いよいよ俺の発言を待つばかりとなった。
そして例のごとく大きなテーブルの、いわゆる「お誕生日席」についた俺は、大きな声で告げたのだった。
「では、早速幕僚会議を始める!! 」
………
……
まずは前回の会議で決めた内容のおさらいと、進捗の確認から始めることにした。
一つ目は、鉄砲の調達について。
本件は堀内氏善の主導の元、畿内各地の寺社に各部品と硝石の生産拠点を設けることとしている。
「おう! 親父殿!! その件は順風満帆じゃ!! 重成、治徳それに我が倅も存分に働いておるでのう! がはは! 」
堀内氏善が上機嫌で大笑いしている様子からも分かる通り、どうやらかなり順調に進んでいるようだ。
そして同時に設計図の作成と、資材の調達の目途についても、石田宗應、安田道頓、津田宗凡らを中心に進められているとのこと。
「この調子なら早くて年内、遅くとも来年早々には鉄砲の生産が開始出来そうですね」
石田宗應が静かに口を開くと、皆安心したように胸をなでおろした。
しかし……
一人だけこの動きに納得していない者がいた。
それは前回の会議に参加しなかった加藤清正であった。
彼は怒りにうち震えながら、突然立ち上がった。
――ガタンッ!!
「ふんっ!! なぜ秀頼公が徳川の目を気にして、こそこそ隠れるように鉄砲を作らねばなんねえんだ!?
天下は太閤殿下の忘れ形見、ここにおられる豊臣秀頼公のものであろう!! 」
あまりの大声に目を丸くする者が多い中、石田宗應は涼やかな調子で清正をなだめる。
「これ、虎之助。そういきり立つでない。
世間の目から見れば、誰がどう考えても、今や徳川の天下は揺るぎないもの。
その意向に反した行いをすれば、世間は『豊臣が反旗を翻した』と思うであろう。
悲しいかな、既に順逆の理はなく、道理が逆転してしまっている事をゆめゆめ忘れてはならぬ」
「けっ! 前々から佐吉は屁理屈ばかり並べやがって…… まあ、分からねえでもねえけどよ……」
宗應の言葉を受け入れた清正は、しゅんとなって椅子に腰をかける。
二人の様子はまるで長年連れ添った夫婦のように息が合っているもので、傍目から見れば非常に微笑ましいものだ。
俺は思わず笑みが漏れてしまったのだが、それは俺だけではなかったようで、皆が肩の力を抜いて表情を緩くしていた。
一体感のある非常に居心地のよい雰囲気が、夏の暑さを忘れさせる。
――この者たちとなら、もしかしたら大きな事を成し遂げられるかもしれない……!
俺は何の根拠もなく、心が躍るのを抑えられなかった。
そしてそれも皆同じようで、全員の目が輝いている。
滅多に感情を表に出さない甲斐姫さえも、頬をほのかに紅く染めていたのが、とても印象的であった。
清正と宗應のやり取りによって場の緊張がゆるむと、会議は一気に加速していった。
続いて話題に上がったのは、硝石の生産。
こちらも整備は順調のようであるが、いかんせん時間がかかる。
恐らく本格的な生産が可能となるのは、三年後くらいからであろう。
しかしこの件については、俺に一つの考えがあった。
現時点での公表は避けたが、もし俺の考えの通りに進めば、爆発的に硝石調達量が増加する。
昨年末に起こった幸運な出会い……
すなわち近衛前久との関係を利用出来れば……
………
……
次は新たな武器の開発について。
具体的にはグレネードランチャーと銃剣の開発であるが、これはなかなか上手くは進んでいないようだ。
まずグレネードランチャーについて。
投擲する仕掛けとなる、ボウガンやスリングの開発は進んでいるとのことだ。
どうやら欧州で利用されているものに、若干の工夫を加えるだけで問題なさそうであると、宗應は淡々と説明してくれた。
ちなみに学府での研究についての責任は一手に石田宗應が負っている。
彼は自ら研究棟に足しげく通い、各研究の成果を細かく確認しているそうだ。
そのせいもあってか、いつの間にか彼はスペイン語、イタリア語、中国語そして英語など、様々な言語を専門用語も含めて使いこなせるらしい。
あらためて石田宗應という男の秘めた潜在能力と、真っすぐな性格には頭が下がる。
関ヶ原の戦いで命を散らすはずの彼を救った事は、やはりとてつもなく巨大な財産であると、彼の流れるような発言を耳にしながら、俺は痛感していたのだった。
さて、話をグレネードランチャーの研究に戻すと、肝心の榴弾の開発が進んでいないと言う。
やはり的確に榴弾を爆発させる技術開発が難しいそうだ。
そこで俺は一つの考えを宗應へ投げかけた。
「われも技術開発にはあまり詳しくないのだが、要は『花火』みたいなものではないのか? 」
宗應の細い目がわずかに大きくなる。
「花火…… でございますか。ふむ、では明より花火の生産に詳しい者が招聘出来るか検討してみましょう」
何ともあっさりと素人である俺の意見を聞き入れる宗應。
あまりに手詰まりな状況に、藁をも掴みたい気持ちなのかも知れない。
しかし、取り合えず物は試しだ。
なんだか随分と安易な気がしないまでもないが、俺は宗應の提案を了承することにした。
「そうじゃな! よしっ! 招聘の件は全登! お主に頼む! 」
「……御意にございます。ついでに明では『火車』なる武器があると聞きました。その開発に携わっている者も集めてまいりましょう」
「おお! さすがはグローバルな全登じゃ!! 頼もしいのう!! 」
「……ぐろーばる…… とは、Global humanのことでらっしゃいますか? 」
「ぐろーばるひゅーまん? よう分からんがまあ、そういう事じゃ! はははっ! 」
「……ありがたいお言葉にございます」
いつも通りの無表情な顔に、わずかに笑みがこぼれている。
最近になってようやく分かったのだが、この表情が全登にとっては最も喜んでいるものらしいのだ。
新たな役割を与えられた事と「グローバル」という評価が嬉しかったのだろう。
相手が喜ぶ様子を見るというのは、非常に気分が良いものだ。
そう言えば、彼の娘である明石レジーナも時折俺に向けて、同じような表情をする時があるのだが、彼女は果たして何がそんなに嬉しかったのだろうか……
そして、銃剣の開発。
こちらは銃の強度の整備が難航しているようだが、どうやら年内を目途に開発は進みそうとのことで、ひとまずその結果を見ることにしたのだった。
………
……
続いては調略の結果だ。
この件については、俺が自ら進めてきた結果と言えよう。
だが成果としては、百点を満点とすれば、残念なことに五十点といったところであった……
なぜなら「徳川一門からの調略」が今回の作戦であり、その中心人物ともいえる結城秀康を不幸にも失ってしまったからである。
彼の嫡男である松平忠直とは強い友誼を結んではいるが、彼は未だ十一歳の少年であり、越前七十五万石を治めるだけの器量を身につけているはずもない。
その為、越前松平家の実権は自ずと彼の家老たちが握っており、その家老も『旧秀康派』と『幕府派』とに分かれているようだ。
豊臣家に肩入れしているのは『旧秀康派』であることは間違いないのだが、越前松平家の家老同士の睨み合いには、かの本多正純が介入しているということもあり、近いうちに『幕府派』が『旧秀康派』を駆逐するという史実通りの結果になる事は目に見えている。
せめて忠直本人との関係は保っておきたいものだが、その関係が大坂の陣での彼の行動にどこまで影響を与えるかははなはだ疑問である。
せめて少しでも手を抜いてくれれば歴史は変わるのかもしれない。
俺はそれを心から願わざるを得なかった。
なぜなら松平忠直の軍が、大坂の陣で討ち果たすのは……
真田幸村の軍勢なのだから……
さて自己採点を五十点としたのは、無論評価出来る部分もあるからだ。
その中で最も大きいのは、徳川家康の実子、松平忠輝との強い絆を結んだことと言えよう。
そして松平忠輝と俺との関係から派生するように、彼の側近である大久保長安と、もはや豊臣家の心臓とも言える石田宗應の二人が裏で手を取り合うことが成ったのは、豊臣家の経済面において大きな利益を生み出している。
すなわち堺の港を利用しての他国との貿易が可能となり、特に香辛料である山椒がもたらす莫大な富が、大坂城の蔵を早くも満たし始めているのだ。
さらに鉄砲や輸出品となる上布の作り手となる予定の、食い扶持のない女性たちが、続々と畿内に集まってきているのも、大久保長安による斡旋の成果とも言えなくもない。
もちろんそれらによって彼自身の懐もかなり潤っているはずなのだが、果たして彼は何にそんな金を使うつもりなのだろうか。
まあ、あまり他人の台所事情に首を突っ込んでも良い事はないだろうから、彼が自分の金をどう使うかについての言及はしないことにしておこう。
その他にも東海道における各有力大名、井伊家、奥平家、大久保家と友好な関係を持つ事が出来た、という成果もある。
これら全てを加味して「五十点」とした訳だ。
もし……
もし『兄上』結城秀康が生きてさえいてくれれば……
今は大事な人を失った哀しみよりも、豊臣家当主として強い盟友を失った悔しさの方が勝っていたのだった。
………
……
さて、以上が前回の幕僚会議で決めた内容のおさらいと、それぞれの進捗である。
しかし、もちろん今回の会議はこれだけで終えるつもりはない。
徳川家康が京を離れ、駿府へと拠点を移した事の意味は、豊臣家当主であるこの身になった事で、ようやく理解出来た。
それは「天下の総仕上げ」の為であり、すなわち彼が亡き後の幕府にとっての障害を取り除く為の、言わば「天下の大掃除」を意味している。
そして豊臣家は徳川家にとって「粗大ごみ」である事は火を見るより明らかなのだ。
しかし……
そう易々と片付けられる訳にはいかない。
俺は必ず守るんだ。
多くの人々の笑顔を。
ぐっと腹に力を込めると、自然と眼光が鋭くなる。
俺の雰囲気が一変したことに、幕僚たちも気付いたのか、それまで緩んでいた空気もまた引き締まった。
そして俺は彼らの顔をぐるっと見回した後、大きな声で会議の続きとなる議題を挙げたのだった。
「次に、豊臣水軍の設立、そして来年に予定するわれの九州訪問について協議を始める!! 」




