人である事を捨てる時……
◇◇
慶長12年(1607年)7月3日――
ついに徳川家康が、京を離れる時が来た。
家康が京を拠点に置いたのは、文禄4年(1595年)に勃発してからのこと。
未だ関東の統治もままならぬうちに、太閤秀吉によって半ば強制的に招集されたのが始まりだ。
それから実に十二年の歳月が経つ。
今思えば、あの時に京に上っていなければ、今の自分の立場はなかったのではないか、家康はそう思わざるを得ない。
それほどに、ここ京から見えるものは、三河や江戸にいた時と比べると段違いに広かった。
各国の情勢、大名たち、そして自分たち、すなわち徳川家……
色々な物が実に客観的に、そして手に取るようにして見えていた事は、次に自分がどんな手を打つべきか、的確な判断を下すのに最適であったのだ。
それは彼が江戸に政庁の拠点、すなわち幕府を置いてからも同じであった。
彼は冷静に自分の実力を推し測り、決して無理をせずに江戸幕府の基礎固めを、他人のような目で見つめ続けてきた。
その結果、わずか数年のうちには息子に家督を譲ることが出来るようになるまで、強固な地盤を固めるに至ったと言えよう。
しかし……
それは同時に「見たくない物も見えてしまう」という事実も、同時について回ってくる事を忘れてはならない。
人の生き死にや、醜い愛憎劇などがその類に入るのだろうが、徳川家康という男は、その手の事には幼少の頃から慣れっこであった。
なぜなら物ごころついた頃から人質として扱われ、自分の長男や正室を死に追いやった事、そして結果として愛する次男さえも陰謀のうちに葬り去られるなど、通常の人間であれば心を打ち砕かれるような現実を、類稀なる包容力と忍耐力で包みこんできたからだ。
そしてそんな数々の辛い経験が彼の神経を千年経た樹齢の巨木のように太くし、感情に揺さぶられることなく、淡々と天下取りへの一本道を歩む力となった事は言うまでもないだろう。
ところが今彼は、ついにとある感情を切り離す為に、住み慣れた京の街を出る。
その感情とは……
愛――
そしてその向け先は……
豊臣秀頼と千姫の二人。
つまり簡単に言ってしまえば、彼は必要以上に豊臣秀頼と千姫の二人に愛を感じてしまったと、自覚していたのだ。
無論、人が人を愛する事が『悪』かと問われれば、それは断じて『否』と誰もが答えよう。
しかしそれが万が一、不倶戴天の者であれば別のこと。
愛する相手を敵として討ち果たすことなど、例え鬼であっても出来まい。
すなわち近い将来における豊臣家のお取り潰しは、徳川家にとっては避けられぬ道であり、永遠に続く徳川の世を作るには、もはや家康の持つ『愛』の感情は、後の世の禍根以外に成りえない、彼も周囲の人々もそう確信していたのであった。
頭の中ではそんな事は百も承知。
しかし心と体というものは、時に頭の支配を強く否定するもの。
今の彼はまさにその状態であった。
なぜなら……
別れを惜しみ、涙を流しながら抱きついてきている小さな少女、千姫をこんなにも愛おしく思えて仕方がないのだから。
そしてそんな彼女を優しく見つめる豊臣秀頼という少年の頭を撫でるこの手が、慈しみに満ちていることもまた嘘ではないのだから……
恐らくここ十年のうちに、自分の体は言う事を聞かなくなってしまうであろうことは、自分が一番良く分かっている。
だからこそ目の前にいる若々しさに溢れた少年が羨ましく、そして彼の行く末が楽しみでならない。
それは人が生物として繁栄を遂げる為に必要な一種の本能だ。
しかしその若い芽を、自分の体の自由が効くうちに潰さねばならぬという現実。
だが、今こうして自分との別れを健気に惜しむ幼い二人の前だけでは、その現実を忘れたい。
徳川家康はそのように願ってやまなかった。
ところが彼を見送りにきた徳川家の人々の視線は実に冷めていた。
本多正純や阿茶の局をはじめとした、彼に近しい人々は、今の彼と秀頼や千姫との別れの情景を見て、こう思っていることだろう。
――大御所様は演技が実に御上手だ
と……
彼らの無色透明な視線を背中で受ける家康の胸の内に、さながら機械仕掛けの人形のように、天下取りの覇業へと突き進むもう一人の自分……すなわち後世に『神君』と渾名された、絶対的な君主、徳川家康が顔を覗かせてくる。
――これは演技なのだ。豊臣を油断させる為の、大芝居にすぎないのだ
そんな悪魔のような囁きが、自身の頭の中に直接響いてくると、彼は自分の体温が崩れ落ちるように下がっていくのが分かった。
途端に目の前にいる少年と少女が、単なる置物のように無機質にしか映らなくなっていく。
――忘れるな。お主はもはや『人』ではない。天下泰平を日の本にもたらす『神』なのだ
自分はもはや『人』ではない……
その痛烈な一言は、彼の色を完全に消していく。
それは……
人が人である以上は、最も失いたくないもの……
彼は心の中で歯を食いしばり、必死に『人』であろうと、歴史の歯車に抗う。
しかし、秀頼と千姫の元から、一歩また一歩と離れていくに従って、彼は『人』ではなくなっていった。
――もうこうすると決意したではないか……
諦めよ! 諦めよ! 諦めよ!
見送る徳川家の人々の視線は彼の心を容赦なく踏みにじっていった。
しかしそれは、大御所として駿府へ旅立つ家康への憧れや尊敬の眼差しであり、決して害意のあるものではない。
そんな事はとうに分かっているからこそ、家康にとっては苦しいのだ。
引きつった笑みを顔に浮かべ、見送る人々に馬上で手を振る。
駕籠ではなく馬を所望したのも、彼を武家の棟梁として箔を付ける為の飾りに過ぎない。
もう徳川家康という存在は、完全に浮世からは離れた場所にある、それは周囲の人々の期待であり、言わば公然とした事実なのであった。
そして……
周囲の歓声ではなく、馬の蹄が地面を蹴る音だけが、彼の耳の中に届くようになったその時……
一片の『人』の心を持った、もう一人の自分が、最期の叫び声を上げた……
――徳川家康!! お主の『夢』はなんだ!?
この叫び声が頭の中に、鐘のように鳴り響いたその直後……
――ヒヒィン!!
彼は無意識のうちに、馬の首を取って返した。
そして馬の腹を蹴ると、一直線に来た道を戻っていったのである。
周囲の人々は唖然とし、誰も手だしが出来ない。
それは彼が目指している相手……つまり豊臣秀頼もまた同じだった。
秀頼の目の前で馬を止めた家康は、まるで青年のような身軽い動作で馬を下りると、秀頼の元にぐっと詰め寄る。
驚きに目を丸くした秀頼は、家康の気迫に押されたかのように、一歩後ろへ下がる。
しかし家康は彼を逃がす事はなかった。
――ガシッ!!
秀頼の両肩に手を乗せると、とても老いた身とは思えぬほどの怪力で、指を食いこませる。
そして、仁王のような鋭い眼光で秀頼の目を見つめながら、告げたのだった。
「秀頼! 一度しか頼まんぞ! 秀忠の息子となれ!! さすれば上総と下総、合わせて三十万石くれてやる!!
お主と千は江戸の本丸御殿で暮らす事も許そう!!
もうそれでよいではないか!! 大坂を……豊臣を捨てよ!! 」
雷鳴のごとき家康の言葉に、それまでの柔らかな雰囲気が一変する。
まさに凍りつくと言うに相応しい寒気に、人々の顔は真っ青となった。
それは家康の言葉の向け先である秀頼も同じ事。
言葉を失い、ただ家康の顔を穴が開く程に見つめている。
しばらくの間、家康と秀頼の二人が互いに目を合わせる時間が続いた。
――頼む! わしの言う通りにしてくれ! そうすればお主の命を助ける事が出来る!
という懇願の色と、
――この機会を逃せば、もはや容赦はせぬぞ!
という脅迫の色が一つの視線の中に太極印のように混じり合う。
その瞳を秀頼は茫然と頭の中を真っ白にさせたまま見つめるより他なかったのだった。
誰も音を立てず、ひたすら沈黙が支配する中……
一人の男が声を響かせた。
「大御所殿。その件は大事ならば、今この場でお返事をする事はかないませぬ」
神をも畏れぬ発言とはまさにこの事。
家康の行いに水を差せる人間がこの世にいたものか……
人々の目はその男の顔へ集まった。
その男の名は……
真田幸村――
しかし家康の意志は鉄のように固く、幸村の浴びせた冷水に一瞥をくれることもなかった。
それでもその凛とした響きは、秀頼の心を元の場所に戻すには十分であった。
秀頼は静かに家康の手に自分の手を重ねる。
血の通った人間らしい暖かみが、家康の固くなった手をほぐすと、秀頼は一歩だけ家康の側から離れた。
そして……
小さな微笑みを携えると、深々と頭を下げたのであった。
「大変ありがたいお言葉なれど、ご辞退申し上げます」
その言葉に家康の目が見開かれる。
「どうしてじゃ…… どうして断る!? 」
顔を上げた秀頼は、春の海のように穏やかな調子で続けた。
「わが身可愛さに大坂と豊臣を捨てたとなれば、哀しむ人が多くでますゆえ…… 今のお話をすんなりとお受けする事は出来かねます」
「ならば! ならばどうすれば受けてくれるのじゃ!? 領地か!? 五十万あれば受けてくれるのか!? 」
なおも必死に食らいつく家康。
しかし秀頼は穏やかな表情のまま、ゆっくりと首を横に振った。
「何があっても『人としての誇り』を捨てる事は出来ませぬ」
「人としての誇り……じゃと……」
「さようでございます。豊臣を捨てるという事は、すなわち人としての誇りを捨てるも同じ事。
天にいる父上に、大坂におられる母上、それに京にいる高台院様も哀しみましょう」
「お主は…… お主は『人』である事を諦めん…… そう申すか? 」
秀頼はコクリと頷く。
そして透き通った声で、真っすぐに告げたのだった。
「人であるから『夢』を見る事が出来ます。われは父上の…… 太閤の見た夢をかなえとう存じます」
「太閤殿下の見た夢…… なんなのだ……? それは……」
秀頼はその問いかけに答える事はなかった。
家康に背を向けて千姫の手を取ると、ゆっくりと彼の元から離れていく。
そして最後に家康に深々とお辞儀すると、わずかなお供とともにその場を去っていったのだった。
この瞬間……
徳川家康は人を捨てた。
すなわち彼は『夢』を見る事を辞めた。
否、天下泰平の元、徳川の世がこの先何百年と続いていく事を彼の『夢』とするならば、それを「捨てた」と表現するには語弊があろう。
なぜなら彼はその為の総仕上げとして、拠点を京から駿府に移したのだから。
しかし『夢』とは何ぞや、と問われれば、それは『景色』の事を指すのではないか。
心から幸せを感じ、愛する者たちが笑顔でいる、そんな色鮮やかな景色。
人はその景色に憧れ、手に入れんと努力を積み重ねるものなのではないか。
そう考えるならば、家康の脳裏に『夢』とすべき、色鮮やかな景色が映る事はなくなったのだから、やはり彼は『夢』を捨てたと表現するに相応しいだろう。
つまり彼にとって、徳川の世を作ることは、もはや作業であり、義務でしかない。
その為に排除すべきものは排除する。
そこにもはや一点の曇りなどなく、言わば必然として処理する事を固く決意したのだった。
では、なぜ彼は『夢』を捨てたのか。
その問いの答えは実に単純である。
彼の『夢』となる景色には……
豊臣秀頼と千姫の笑顔が含まれてしまったのだから――
◇◇
こうして徳川家康による天下総仕上げは幕を上げた。
その序幕として、彼が行ったこと。
それは「鉄砲生産の独占」であり、各地域の鍛冶場にて鉄砲の生産を固く禁じたのである。
そしてその触れの対象には、当然のように大坂や京も含まれていたのだった。




