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始まりの日

◇◇

 こちらの時代の九月は、前月に比べるとぐっと涼しくなる。もちろん旧暦なため、西暦に直せば十月であるからという、単純な月日によるものもあるだろう。

 しかし俺が前にいた時代の十月より明らかに涼しいように感じるのは、気のせいだろうか…


 しかし今この場は違っていた。


――暑い…


 いや、「熱い」と表現する方が、しっくりとくるだろうか。

 とにかく九月とは思えないほどの熱気が、俺の体温を引き上げている。


 しかしその場に大勢の男がいて、彼らの体温で熱くなっている訳ではない。

 そこにいるのはたった四人、うち一人は女性だ。


 毛利輝元、

 片桐且元、

 淀殿、

 そして俺、豊臣秀頼である。


 初対面の毛利輝元の印象は、「気弱そう」というものだった。良い言い方をすれば「人間が大きそう」となるのか、逆に悪い言い方をすれば「周囲からの押しに弱そう」といったところだろうか…

 もっとも身も心も少年である俺が言えたようなことではないのは重々承知の上である。

 しかし俺は「今のところは」最も立場が上の人間だ。

 ある程度相手を厳しく評価して臨まないと、その雰囲気に呑まれてしまいそうな危うさは常にあるから、気持ちだけでも大きく持とうという俺なりの努力なのだ。

 まあ、俺がのまれないように傍らの淀殿が、能面のように睨みをきかせているのだろうが…


 さて俺の体温を上げているのは、歴史の教科書に出てくる毛利輝元本人を前にしたからではない。

 彼の懇願が、まさに俺の描いていた思惑通りだったからである。


「どうか内府殿との和睦の仲立ちを殿下にお願いしたい」


 というものだ。

 半ば諦めかけていたところに、この展開!

 これで胸が熱くならないような男は男ではない!

 そんな風に勝手に興奮しながら、なんとかそれを表に出さないように自分を抑えつけるのに必死だった。


 和睦の書状…


 大きな条件は二つだけだった。


 まず、毛利輝元が大坂城を出て、徳川家康に西の丸の防衛を譲るというもの。それはすなわち、西軍の降伏を意味していると言ってもよいだろう。


 そしてもう一つは、その後の賞罰については、大老同士の話し合いの末、秀頼の許可の元に行う、という条件だ。

 もっとも実質は「勝者」である徳川家康の独断で賞罰を決める事にはなるだろう。しかし「秀頼のお墨付き」が含まれるところがミソなのだ。

 こうすればあくまで立場としては、秀頼の方が家康よりも上であることを保てるのである。


 非常に素晴らしい内容に、俺の興奮は最高潮に達していた。もちろんこんな内容を俺が考えられるはずもなく、目の前にいる輝元から出されたものだ。

 しかしこの穏やかな顔をしている輝元が、本当にこの内容を自身で考えたのだろうか…

 俺はその点については懐疑的であった。

 それは「負けを認めながらも、一矢を報いてやる」という気概のようなものを感じられたからだ。

この戦において、そんな気概を持つであろう人…俺には一人しか思い付かなかった。


 そう、石田三成である。


 しかし彼は和睦などあり得ないとする強硬な姿勢を最後まで崩していなかったはずだ。その彼がなんでこのような、「負けを認める」ような条件を用意していたのだろう…

 それは最後の最後まで「豊臣秀頼の立場を守る」という忠義の心ゆえに、もし自分の身に何かあった時のとこを予め用意しておいたのだろうか。

 彼が近くにいない今、その心までは分からない。

 そもそも彼が考えたものかも、確信ではないし…


 そんな風に逡巡している間に、片桐且元が輝元の発言を書状にしたためていく。すらすらと流れるように字を書く様子に、彼の優秀さがうかがい知れる。秀吉の頃からこういった仕事をこなしてきたのかな…と彼の半生の苦労が、書いている手の深い皺から伝わってくるようだ。

 もしこのまま歴史が変わらなかったら、この先さらに彼は苦労することになるのだ。

 俺は思わずため息を漏らさずにはいられなかった。


「且元どの…苦労をかけるのう」


「は、はあ?よく分かりませぬが、ありがたきお言葉」


 言われた本人も周囲も不思議そうな顔をして俺を見ている。


――しまった…またつい余計な事を口走ってしまった。


「…と、亡き父上がいつも口にしておりました!」


 なんて言って取りつくろってはみたものの、微妙な空気の中、書状はついに2通完成した。言うまでもなく、1通は石田冶部へ、1通は徳川家康に届けられるものだ。


 西の総大将の毛利輝元の花押の隣に、俺の花押を書く。恐らく俺がこの時代にやって来る前に何度も練習させられたのだろう…作業記憶というもので、勝手に筆が走っていく。


 そして…


「出来たぞ!」


 ついに完成したのだ。心待ちにした東西和睦の書状が。あとはこれを届けるべき相手に届かせればよいだけだ。

 あと3日…もう後戻りは出来ない。ここが勝負どころという思いを込めて、俺は意気揚々と片桐且元に向けて命じた。


「よし!且元どの!これを石田冶部と徳川内府の所へ持っていっておくれ!」


 その熱のこもった命令に、ただでさえ真面目一色の表情をさらに引き締めた且元が、俺に向けて頭を下げて力強く告げた。


「かしこまりました。この且元、命にかえてでもこの大命を果たしまする。つきましては、三日後にはお二人の手元に届くかと思われますゆえ、吉報をお待ちくだされ」



――ん…?待てよ…



――三日かかるだと…?


――いや、いや、いや、いや!ちょっと待て!それでは関ヶ原の戦いが始まってしまうだろ!


 俺は思わず書状を持ってすぐにでも席を立とうとする且元を呼びとめた。


「やや!且元どの!待たれよ!お主今『三日』と言ったが、それを『二日』で成し遂げよ!これは秀頼からの命令じゃ!」


 俺の切羽詰まったような命令に、いぶかしげに顔をしかめる且元。


「しかし…今日はもう遅いゆえ、明日朝一番に出立したとして、馬の速さなどを考えると、到底無理にございます」


「ぐぬぬ…」


「秀頼ちゃん…別に二日かかろうと三日かかろうとも、大きくは変わらないと思うのだけど」


 淀殿が俺の「わがまま」をいさめるように、口を挟んできた。

 それに対して「その一日で大きく違うのです!なぜなら戦が始まってしまうからです!!」と声を大にして反論したいところだ。


 しかし今の俺は「未来」を口にすることは出来ない。

 以前に信繁に対して行った時のように、声が出なくなってしまうだろうし、もちろんそれだけではない。そんな事をしたら俺の正体を暴露するようなものだ。それだけは避けなくてはならないからだ。


――ままならぬ… 何をやってもままならぬ…


 そんな虚しい思いと、自分の置かれた立場へのいら立ちが、俺の心の中に小さな渦を巻き始めた。


 結局は変わらないのだ。

 いくら未来を知っていようとも、中身だけは17歳であろうとも…

 周囲の大人を上手い事扱えばどうにかなる、と考えていた自分が恥ずかしい。


 おそらくこのまま歴史は変わらないだろう。なぜなら俺は無力なのだから…

 そしていつかはこの優しい母も、唯一の「友人」の真田信繁も、この大坂城とともに死んでいくのだ。

 それこそ決められた運命であり、俺が愛してやまない歴史書の登場人物の略歴通りになるだけだ。

そして俺、豊臣秀頼も…


 自分の運命を受け入れるしかない…それは既に決められたものなのだから…

 ままならぬものは、ままならぬものであるしかないのだ…


「いやだ…そんなのいやだ…」


 思わず口について気持ちが漏れ出る。


「秀頼ちゃん…?」


 周囲は不思議を通り越して、もはや心配そうに俺を見つめていることだろう。

 しかしそんな目を気にしていられるほどに俺は冷静ではなかった。


「俺は俺の運命を自分の手で変えてみせる!!」


 そう叫ぶと俺は考えもなしに2つの書状を持って、その場を駆け出した


「秀頼ちゃん!!誰か!!殿下を行かせてはなりませぬ!且元!何をぼけっとしているのです!早く秀頼ちゃんを捕まえなさい!!」


 背中から豹変したような淀殿の甲高い叫び声が聞こえてくる。

 俺はとにかく大坂城の広い廊下を走りだした。

 どこが出入り口なのかも分からない。そして仮に出入り口を見つけても、そこを守る七手組の連中に捕まってしまうかもしれない。


 しかしそんな事を頭で考える前に、俺の心の中の感情の渦は抑えきれないほどに大きくなり、溢れんばかりの荒れた濁流となって、俺の全身に巡っていった。


 とめどなく涙が流れる。鼻水やよだれだって垂れているかもしれない。

 しかしこの足を止めるわけにはいかない。


 なぜならもう俺は決めたのだ。


――自分の運命は自分で動かす…


 …と。


 ふとその時だった。

 俺の目の前に一人の背の低い老人が、音もなく現れたのは…


 その老人はしわくちゃの顔に、太陽のような笑顔を浮かべて、俺を手招きしている。


(ひろい)(秀頼の幼名)や。こっちじゃ、こっちへ来い!」


 死に装束のような真っ白な着物を着ている。その風変わりな姿を見て、先ほどまでの高ぶる感情は冷水を浴びせられたように、冷めていく。


「おじいちゃんは誰?」


 その問いかけに老人は明らかに不機嫌な色を顔に浮かべた。


「ばかもの!父に向かってなんだ、その物言いは!!」


「父上…まさか…」


 俺の驚く様を見て、満足したように再び満面の笑顔になる老人。


「カカカ!驚いたか!?そう、わしは太閤秀吉じゃ!」


 これは夢なのか…?亡霊なのか?

 あまりの出来事に言葉を失い、体が動かない。

 しかしそんな俺を見て、今度はせかすように真剣な顔つきで老人は続けた。


「もう時間がないのであろう?いいからこっちへ来い」


 そうだ…足を止めて考えている時間なんてないのだ。

 俺は、老人の言われるがままにその小さな背中を追った。


 そしてとある一室の壁の前でその足が止まる。

 老人は俺の方を向くと、内緒話をするように声をひそめる。


「ここはな、秘密の通路になっていて、外に出られるのじゃ。

わしも何度も、かか様(秀吉の正室の寧々のこと)や佐吉(石田三成のこと)の目を盗んでは、ここから大坂の街へ繰り出していたのじゃ。ささ!早く行け!」


 俺は戸惑い、足がすくんでしまった。

 本当にこの言葉を信じていいのだろうか?そもそもこの老人は、本当に豊臣秀吉その人なのか?

 そんな混乱が俺の思考を完全に停止させていたのである。

 すると老人は、今度は怒りの表情を浮かべて、俺の背中を押すように怒鳴り出した。


「ええい!お主は男らしくないのう!いいから進むのじゃ!とにかく一生懸命に走るのじゃ!そんなお前の頑張りは、必ずお天道様が見ていてくれる」


 そうだ、もう迷っている暇なんてない。

 俺は俺の運命を変える為に、一生懸命走るしかないんだ。


 俺は意を決してその壁を押した。ズリズリ…と鈍い音ともに、壁が押し込まれると、その先に奥へと続く通路が見えたのだ。俺は一気にその通路へと駆けだした。

 振返ることはしなかったが、すでに先ほどの老人の気配はない。

 あれは本当に豊臣秀吉その人だったのだろうか…俺は走りながらもそんな事を考えていた。しかしすぐに「そんな事はどうでもいいか」と気持ちが切り替わる。なぜなら前から外であることを証明する、明るい光が飛び込んできたからだ。


 そして…


「お待ちしておりました。秀頼様。さあ参りましょう」


 その先に待っていたのは、霧隠才蔵だった。


「才蔵…なぜ?」


「さあ?私もなぜかは分からないのです。ただ、奇妙な老人が、馬を持ってここで秀頼様を待つようにと告げたものでしたから…」


 俺はその時確信した。

 やはりあの老人は俺の父、豊臣秀吉その人だったに違いない。


 遠い空の向こうからも俺を心配して出てきてくれたのだろうか…俺は何気なく夕暮れに染まった空を見上げる。

 その時、一陣の風が俺の背中から拭きぬけた。


「何をしておるか!早く城を出ろ!」


 と、言わんばかりの強くて優しい風だ。


――分かっているよ、お父上…

 

 声には出さないが、俺は心の中で返事をする。


 そして俺は才蔵の方を見て頷くと、


「よし!すぐに行くぞ!目指すは石田冶部がおる大垣城じゃ!」


 と、力強く命じた。

 傾きかけた秋の夕陽は、どこまでも優しく俺たちの向かう方へと長い影を伸ばしていたのだった。




 慶長5年(1600年)9月12日――

 こうしてその日は、俺と定められた運命との長い戦いの始まりを告げる日となったのだった。

 そしてこの日に現れた豊臣秀吉の幻影は、覚悟を決めた俺の前に二度と姿を現すことはなかったのである。




とんでもない展開にしてしまいました…

今後の展開を現場の目線で書くにはどうしても必要な要素でしたので、このようにいたしました。


フィクションですので、「そんなわけないだろ!!」とお怒りの方もいらっしゃるかと思いますが、ご堪忍くださいませ!


次回からはいよいよ関ヶ原の合戦の現場になります。

秀頼は無事書状を届け、合戦を止めることが出来るのでしょうか!?

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