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慧眼の持ち主

◇◇

 あの黒魔術師が死に際の太閤秀吉に会った日からちょうど2年が経過した。

 慶長5年(西暦1600年)8月18日――

 信州(今の長野県)の上田城は喧噪に包まれていた。

 なぜなら


「徳川動く」


 この一報がわずか十日ほど前の8月4日に届いたのだ。

 その軍勢を迎え撃つために、城内の兵たち、女たち、それに城下町の町民たちまでもが、大戦(おおいくさ)の準備に追われ、右に左に駆けまわっていたのである。


 そんな中、城内のとある一室で、初老の男性が苦々しい顔をして、どっしりと胡坐(あぐら)をかいて座っている。彼の眼前には大きな日本地図。そこに黒と白の石を並べ、親指の爪を噛んでいた。

 その男の頭は禿げあがり、細い体に着物、それに腕の辺りに家紋である「六文銭」をあしらった布地をはおっている。

 彼こそがこの上田の城主で、信州を治める大名の真田昌幸(さなだまさゆき)その人であった。


 昌幸が待機しているその間には、旅の僧やら芸人やら様々な格好に扮した忍者たちが、次から次へと報告へと訪れている。彼の顔を不機嫌にしているのは、それらの報告であった。


「ええい…三成め…身丈にそぐわない喧嘩をふっかけるから、こうなるのだ…」


 誰にともなく、愚痴が口をつく。それほどまでに、彼のくみする毛利輝元を総大将とした軍勢の旗色は、彼にとってみればあやしかったのである。

 言うまでもないが、毛利輝元は大義名分の為に立てられた「飾りの」総大将であり、実質は石田三成が全軍の指揮を取っている。


「この賭け…どうやら見誤ったかのう…」


 彼の嘆く姿に、すぐ横にいた高梨内記は不思議そうに昌幸にたずねた。


「殿…伏見の制圧の後、岐阜中納言殿(織田秀信のこと)も我が方にくみしました。私にはさほど悪い情勢とは思えないのですが…」


 家臣でありながら、良き話し相手、碁の好敵手でもある内記の言葉に、昌幸は気だるそうなため息をつく。その「説明するのはめんどくさいのう」と言わんばかりの姿に、何やら余計な事を言ってしまったらしいと、内記は思い、口元を引き締めた。


 夏の太陽がさんさんと輝く信州の空とは違って、上田城の隠し扉の奥にあるこの部屋はどこか重苦しい空気に包まれていた。

 そんな空気を爽やかにするような好青年が、音もなく部屋に入り、静かに昌幸の前に腰をかける。


「ふむふむ…これは、なかなか楽しいことになりそうですね」


 その青年はそんな逆境を楽しむかのようににこやかに昌幸に向かって話かけている。

 誰しもが心の平穏を願うこの時世にあって、「逆境を楽しむ」…昌幸にはそんな大バカ野郎は二人しか知らない。

 一人は今は亡き、彼の最初の主である武田信玄公。

 そしてもう一人は…


「何がそんなに楽しいのだ?源二郎」


 昌幸が源二郎と呼んだこの男だ。それは彼の次男坊である真田信繁(真田幸村のこと)、その人であった。そんな父の不機嫌な問いに、信繁は軽やかなリズムで続けた。


「伏見を落とした後、摂津・丹波と畿内をあっさりと抑え、その後は北陸・伊勢へと各軍を進める。そして本隊は東へ駒を進める足掛かりとなる、岐阜を抑えた。

その手はずは『流石、冶部殿!鮮やかなり!』としか言いようがありませぬ」


 すらすらと流れるように西軍――すなわち石田三成率いる軍勢の手柄を褒め称える信繁。昌幸は「お前もか…」と、表面的な戦功にしか目がいかない我が子の物言いに、肩を落とした。


 そんな父の様子に目を細めた信繁は、


「しかし、父上。この戦、どうやら我が方に不利なようです」


 と、彼の期待にそうような一言をそえ、場の空気に熱を投じた。


「む?」


 と、昌幸は顔を上げて信繁を見つめる。その瞳には、先ほどまでにはなかった炎を宿しているのが、近くの内記にすら伝わった。

 信繁はいかにも作ったような困り顔に、その表情を変えて続けた。


「我が友の冶部殿は、どうも利害で人を動かすきらいがあるようで困ります」


「ほう…その心は?」


 昌幸は息子を試すように問いただした。しかしその口調は先ほどまでとはうって変わって軽い。


「この戦…より多くの大名の心を掴んだ方が勝利しましょう、ということです」


 昌幸は「我が意を射たり」と言わんばかりに、パンっと、自分の右太ももを叩いた。

確かに自分がくみする西軍は圧倒的に不利な情勢だ。しかし、それ以上に自分の息子の慧眼が嬉しかったのだから、親バカと言われても仕方がない。


「よく言った!源二郎!答え合わせじゃ!続きを申してみよ!」


 昌幸の先をせくような言い様にも、ゆったりとした口調で信繁は答える。


「冶部殿は、各大名をお味方につける為に『官位』『領地』を餌にし、時には『人質』をとり、『脅迫』もし、挙句の果てには『城攻め』まで辞さない構えです。

一方の内府殿は、『泰平を脅かす反乱分子を抑え、世の中に平和をもたらす』という大義名分のもと、その『誠意』でお味方を増やしております。

その証として、山内一豊をはじめとする東海道の大名たちは、城ごと明け渡していると言うではありませんか。

戦は何より士気や団結が肝要。

心でつながった内府殿の軍勢と理でのみ動かされている冶部殿の軍勢…

どちらが強いかなど、火を見るより明らかかと」


 大きく頷く昌幸。まさに信繁の言った事は、彼の考えていたことと寸分たがわずに一致していた。しかし信繁の言には続きがあるようだ。


「しかし父上、ご安心なされませ。こちらにはまだ切り札が残っております」


 昌幸は謎かけのような息子の言葉に、目を細めた。


「ほう…その心は?」


 その答えは想像に難しくなかったが、それを自分では言わずに信繁に求める。

 信繁もそんな父の求めに嫌がることなく応えた。


「秀頼様でございます。秀頼様は東西のどちらのお立場か、はっきりとさせておりません。

もし仮に秀頼様が『西にくみする』と宣言なさったならば、大名たちの心は大きく揺らぎましょう」


「うぅむ」


 確かに言われてみればその通りだ、と息子の意見に同調した昌幸はうなった。

 石田三成は「家康に秀頼様に対する謀反の疑いあり」との名分で挙兵した一方で、徳川家康が掲げているのは「上杉景勝に秀頼様に対する謀反の動きあり」との名分である。

 どちらも「秀頼様の為」としているのだからたちが悪い。


 当の豊臣秀頼は弱冠7歳の少年だ。

 大局を理解した上での英断など出来るはずもない。

 彼の執政とも言える、母親の淀殿でさえも、その心は三成側であろう。しかし勘の良い彼女のことだ。家康有利の情報に、その立場を逡巡しているに違いない。


 言うに易し…昌幸は息子の正論に頭を悩ますのであった。

 しかし、その息子の方は、あまり悩んでいる様子などない。

 その瞳からはどこまでも状況を楽観視するような希望に満ちていた。


 この「確信」に近い観測はどこからくるのだろうか…

 そんな事を頭では考えつつも、信繁の前向きさは、重苦しかった部屋の空気を香をたいたような爽やかなものに変えた。


 共に戦うものを勇気づける――

 信繁にはそんな不思議な力が持って生まれてそなわっているのだろう、と昌幸は息子をどこまでも誇りに思っていた。


「して、源二郎。戸石城を離れてここにやってきたのには訳があるのだろう?申してみよ」


 昌幸は話題を変えるように信繁にたずねた。

 この時、信繁は上田城から東に7kmほど離れた戸石城の守りを言い渡されていたのだ。徳川襲来に向けて準備に追われているのは、ここも戸石も変わらないはずである。

 しかし優秀な息子は、いとも簡単にそれに答えた。


「戸石の準備はすでに整いましてございます。つきましては、3日ほどお(いとま)を頂戴いたしたく、参りました」


「ふむ…何があるかは知らんが、無茶だけはするな。

それに…3日だけだ。徳川が迫ってきておるのだ。一刻の無駄もあってはならん。それを忘れるなよ」


「はっ!ありがたき幸せ!では、ごめん」


 そう言い残すと、信繁はその場を風のように去っていったのであった。



◇◇

 上田城の本丸を出た彼は、次の瞬間にはすでに馬上の人となっていた。

 その隣には彼の側近の一人である筧十蔵(かけい じゅうぞう)が馬で並走している。


「殿!この火急の時に大坂に何の御用で?」


 信繁は十蔵の顔をちらりと見ると、すぐに目の前の中山道の坂道に目を移して答えた。


「秀頼様にお会いする。確認したいことがあるからのう」


 それっきり二人に会話はなかった。

 十蔵はそれ以上深入りする必要はないと思ったからだ。

 なぜならこの主人は全て深い思慮のもとに行動をするからであり、秀頼様との謁見についても、彼の考えには遠くおよばないような、大きな意味があると信じていたからである。


 一方の信繁は、あの怪しい魔術師がかけた秀頼への「呪い」が本当であったのか、それを確かめるつもりであった。

 もし仮にそれが本当なら…

 いや、そんなことなどないだろうと、頭では理解しつつも、心のざわめきは握りしめる手綱に伝わり、彼の乗る馬の脚を早めたのであった。


真田幸村と言えば「勇猛果敢な万夫不当のつわもの」というイメージが先行しますが、実は冷静沈着で物静かな人柄であったとの話もあるようです。


とあるゲームのイメージで「熱血漢」の彼も素敵ですが、こうした「冷静」な彼もなかなかカッコいいと私は思っております。

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