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初めての好敵手⑭ 石田宗應の策

◇◇

 蘭、伊茶、青柳は、学府に到着すると、織田頼長の案内によって、とある研究棟に入っていった。


 そこで彼女らの目の前に現れたのは……


 なんと石田宗應だった。



「おや……貴女は確か……源二郎の……」



「こ、これは石田様! まさか石田様がおられるとは……」



 そこは、医療の研究棟。


 国吉はここには優秀な医者が集まっている事を知っていた。

 その為、「ここなら光の足の具合を良く出来るのではないか」と思い立ち、ここまで彼女を背負ってやってきたのである。


 もちろんその事は石田宗應の耳にもすぐに届けられた。


 何せ豊臣秀頼の側室となる人が運びこまれたのだ。


 何か粗相があっては一大事と、考え得る最高の面々を揃えて、宗應自身もその場へ急行したのだった。


 なお、いかに知恵が働く蘭と言えども、宗應を目の前にすると思わず萎縮してしまうのだ。


 彼女と宗應は直接の交流はほとんどないものの、真田幸村を通じて互いを知っている。


 幸村が常々口にする『石田宗應像』は、それは天下一の切れ者で、全く隙のない完璧な人であり、蘭は「この人だけは口先でどうになるものではない」と、以前から畏怖の念を抱いていた訳だ。



 その宗應が、細い目をさらに細くして蘭を見つめている。


 この時点で蘭はもう言い逃れは出来ないと直感していた。


 そして……


 ついに宗應の口からもっとも聞きたくない言葉が発せられたのであったーー



「一体、何があったのです? 」




………

……

「ふむ……なるほど……淀殿と千姫様が反対されておられるということですか……」



 人払いをした後、これまでの事を全て打ち明けた蘭たち。


 当然「余計な事をするでない! 」と大目玉を食うとばかり思っていたのだが、宗應の反応は意外なものだった。


 そしてさらに度肝を抜く一言を発したのだった……



「それがしもとってつけたような側室取りには、少々疑問がない訳ではありません」



「宗應様……それってつまり……」



 驚きに目を丸くする蘭たち。


 それもそのはずだろう。


 なぜなら石田宗應が豊臣秀頼の側室取りと子作りに反対しているとも取れない発言をしたのだから……


 そして宗應は、言葉を選ぶようにゆっくりと続けたのだった。



「確かに秀頼公に一日でも早く嫡男が出来るにこした事はありません。

しかし、それが正室の千姫様ではなく、側室からというのは果たしていかがなものでしょうか。

もし数年後に千姫との間に男子が生まれたなら、どちらを後継とするか、それこそお家騒動の火種となりましょう。

そして徳川はそこを確実に突いてくる。

もちろん千姫様とのお子の方を後継とするように、威圧をかけてくるでしょう。

今から男子が側室から生まれたからといって、嫡男としてしまうことは危う過ぎる」



「な……なるほど……」



 石田宗應の先を見通す力は、真田幸村よりも数段上のように、蘭には思えてならなかった。


 そして宗應は一つ大きなため息をついた。



「ふぅ……源二郎は何を焦っているのだ……

表面だけを取り繕ったとしても、化けの皮などあの狸にすぐに剥がされてしまうというのに……」



「宗應様……では……」



 蘭の一言に、宗應は穏やかな表情を浮かべた。


 そして、伊茶の方へ顔を向けて告げたのだった。


 どこまでも優しい口調で……



「伊茶、と言いましたね。

申し訳ないのですが、泥をかぶっていただけませんでしょうか。

その代わりに、そなたの願いを一つ叶えてみせますので……」


「私の願い……」


「聞いてますよ。秀頼公に何としても目通り願いたい侍女がいると。

それがそなたでしょう? 」



 伊茶の目が驚きのあまりに見開かれる。



「な、なぜ!? なぜその事を宗應様が!? 」



 すると宗應はニコリと微笑んで答えた。



「高台院様の元で奉公していると色々と奥の事も耳に入るのですよ。

それにそれがしは大坂の事は、表に裏に全てを知っておきたいのです」



 半ば監禁されるように京の学府を離れる事がかなわぬ石田宗應。

 しかしその情報網は、さながら蜘蛛の巣のように畿内を張り巡らされているのだ。


 蘭なぞは寒気が止まらずに、思わず両腕で自分の体を抱きしめている。


 そして宗應は最後に締めくくったのだった。



「伊茶。これからそれがしの言う通りに動いてくれたなら、秀頼公との目通りを叶えてみせましょう」



………

……

 雨の日は夜が来るのが早い。

 いつもならまだ夕焼けに空が橙色に染まるその頃、辺りはすっかり暗くなっていた。


 わずかな灯りがともる部屋の中、伊茶は光をたずねた。どうやら今夜は学府の中の一室で過ごすとのことなったらしい。


 光は部屋に入ってきた伊茶にちらりと鋭い視線を向けると、すぐに目を逸らした。



「なんだ……伊茶か。何をしにきたのじゃ? 恋に破れたわらわを笑いにでも来たか? 」



 伊茶は静かに首を横に振ると、穏やかな声をかけた。



「お足の加減はいかがですか? 」



 その言葉に光は伊茶の方へ顔を向けると、怒気をこめた口調で答えた。



「ふん! 元を正せば、そなたらが要らぬ事を企んだから、かような事になったのだ! どうしてくれるのだ!? もう二度と動けぬ足となったら! 」



 その言葉に伊茶は、穏やかな微笑みを浮かべると、さらりと告げた。



「その時は、私が光様のお足となりましょう」



 意外な伊茶の覚悟に、光の顔が驚きに変わる。


 そして伊茶は頭を深々と下げながら、噛みしめるようにゆっくりと言ったのだった。



「国吉殿からおうかがいしました。

国吉殿の夢は、光様……貴女様が幸せに暮らすことだと。

その幸せは大坂城にて、武家の棟梁たる豊臣秀頼様と共に叶えて欲しいともおっしゃっておりました。

そのお手伝いを、武家の娘である私が生涯をかけていたします」



 国吉の夢は、かけがえのない幼馴染の光が幸せに暮らすこと……



 その幸せが大坂城で待っている……



 光は静かに目を閉じると、ごろりと横になって伊茶に背を向けた。


 そして一言告げたのだった。



「今宵はもう横になります。早く下がりなさい」



 とーー



 そして伊茶は丁寧に頭を下げて、その部屋を後にした。

 その間、彼女は不思議でならなかった。



ーーこれで本当に良かったのかしら……?



 全ては石田宗應の言葉に従った訳だが、これだけの短いやり取りによって、一体何が光の中で起こるというのか……


 その事が伊茶にはどうしても分からなかったのである。




 そして翌日の早朝ーー



 学府で一夜を明かした伊茶たちの耳に衝撃的な事が飛び込んできたのである。


 それは……



「光様がどこにもおられません!! 」



 というもの。



 しかし右に左に大騒ぎになる人々をよそに、石田宗應だけは至って冷静だった。


 彼はいつもと変わらぬ、静かな湖面のような波のない口調で告げたのだった。



「宝鏡寺でしょう」




………

……

 石田宗應の言葉に従って宝鏡寺へと急いだ伊茶たち。

 既に昨晩のうちに若狭屋に戻った国吉も、いつの間にかその中に加わっている。


 そして寺門をくぐったその場に……



 光が仁王立ちとなっていたーー



「光様! いかがしたのですか!? 」



 伊茶が大きな声で話しかける。


 すると光はスラリと短刀を突きつけてきた。



「それ以上近寄らないで!! 」


「光様!? そんな物騒なものをどちらで? 」


「どこだっていいでしょ!! それよりもあんたたちに言いたいことがあるのじゃ!! 」


「分かりましたから! だからその刀をしまってください!! 」



 必死に刃物をしまうように説得する伊茶。

 もちろん国吉をはじめ、その場の全員が声を上げて彼女を諌めている。


 しかし光は彼女らの言葉に耳を貸そうとはしなかった。


 そして叫ぶように続けたのだった。



「わらわは貴族!! 武家やまして商人の言いなりになるとは思うでない!!

大坂城に入って幸せになれじゃと!?

はん! 寝言も休み休み言いなさい!!

自分が幸せにする度胸もないくせに、他人に幸せになって欲しいじゃと!?

偽善者の言葉は反吐が出るわ!!

みなよってたかって、わらわの気持ちなど考えずに好き勝手言いおって!!

わらわはわらわじゃ!!

誰のものでもないっ!! 」



 そう言い放った瞬間だったーー



ーーザンッ!!



 と、光の手にした刀が横に走った……



 唖然とする伊茶たち……



 達成感に満たされた表情の光……



 全てがゆっくりと流れる。



 それは……



 光の一閃によって彼女の身から切り離された、艶やかな黒髪も同じこと……


 はらはらと……


 舞い落ちるーー



ーーパサ……



 そして光の足元に黒髪が散らばったその時……


 彼女は言い放ったのだった。


 高笑いしながらーー



「ふはははっ! これでわらわは誰のものでもなく、ただ御仏のもの!!

ざまを見るのじゃ!! 」



 と……



 この瞬間に、光は宝鏡寺の尼、理光となった。



 それは豊臣秀頼との婚約破棄、を意味していたのだったーー




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