初めての好敵手⑬ 光と国吉の夢
◇◇
蘭や伊茶たちが光と国吉の捜索に乗り出したその頃ーー
当の二人はまだ京の街の中にいた。
雷光の如く突き進んでいたにも関わらず、まだ街を出ることが出来ていないのには理由があったのだ。
それは、足を挫いた光を背負って進んでいる国吉の姿を見れば一目瞭然であった。
「大丈夫ですか? 光様」
「ええ……しかし情けない限りです」
つい先ほどまでの鼻息はすっかり影を潜め、すっかり彼女は沈んでいた。
その右足は道につまづいた時に痛めた為に、赤く腫れてしまっている。
「とにかくどこか一休み出来る場所を探しましょう」
「うん……」
すっかりしおらしくなってしまった彼女は、素直に国吉の言葉に従った。
ふと空を見上げれば、長雨の季節に相応しい灰色の雲に、いつの間にか覆われている。
そしてついに……
ーーポツリ…… ポツリ……
冷たい雨の雫が落ち始めてきたのである。
「これはいけません」
自然と国吉の足が早まる。
光を背負ったままに……
線の細い国吉。
自然と背中も狭い。
しかし光には淡海のように広く感じられていた。
暖かい……
国吉が休める場所を探しながら京の街を行く間、彼女は『夢』を見ていた。
今この瞬間に起こっている事が、彼女にとっての『夢』ーー
だからもう死んでもよいと思っていたのだ。
なぜなら彼女は知っていたのだから……
国吉のついた優しい嘘を……
でも……
でもこの瞬間だけは……
儚くも醒める夢と分かっているからこそ……
今だけはこの暖かくて広い背中に、この身も心も委ねていたいーー
しかし……
その夢は……
長く続かなかった……
「ここなら雨はしのげます。さあ、ゆっくりとお座りになられてください」
それは賀茂川沿いにある橋桁の下。
橋の影に覆われた周囲は暗い。
その黒色が彼女の夢を現実へと塗り替えていく。
抗う事は無意味と知りながらも、彼女は心の中で何かを守ろうと必死であった。
そんな中、国吉が優しい声をかけてきたのだった。
「何か暖かいものでも頂いてきますので、しばらくここでお待ちください」
しかし光は首を横に振った。
そして……
一言だけ口にしたのだった……
「もうよいのです、国吉。そなただけ若狭屋に戻りなさい」
と……
「えっ……」
国吉から思わず驚きに満ちた言葉が漏れる。
二人の間に沈黙が支配すると、賀茂川の川の流れる音だけが耳についた。
そして、光は『夢』を手放した……
「わらわが気付かないとでも思いましたか? そなたのついた嘘に……」
光の顔はその口調と同じく冷めたまま。
それを聞いた国吉は、苦い顔をしてうつむく。
光はその顔を見て、ニコリと微笑んだ。
「大方、武家の娘共にたぶらかされたのでしょう」
「たぶらかされた……という訳では……」
国吉は蘭たちを擁護しようと言葉を探すが、光はそれを遮った。
「でも、もうよいのですよ。わらわの『夢』は叶ったのですから」
「夢……」
そこまで言葉が続いた時だった。
光の両目から大粒の涙が溢れてきたのは。
「国吉と……そなたと二人で……二人きりで……共に過ごす……そんな馬鹿げた夢です……」
彼女は懸命にそう言い切った。
それを口にする事は苦しかった。
しかし彼女は言い切ることで、決着をつけたかったのだ。
自分の夢の終わりをーー
どうしてよいか分からぬ国吉は、ただ彼女の事を口を真一文字に結んで見つめている。
そんな彼に向けて光は叫んだ。
自分の夢を砕くように……
「さあ早く行きなさい!! わらわのことを置いて!!
国吉は国吉の夢を叶えるのです!! 」
「夢……」
国吉の口からもう一度同じ言葉が漏れてきた。
同時に彼の心に火が灯る……
その火は彼の手足を無意識のうちに動かしたのだった……
ーーガシッ!!
「ちょっ……!? 国吉!? 」
光は仰天のあまり、溢れる涙が止まる。
それもそうだろう。
なぜなら突然……
国吉が光を背中に担いだのだからーー
そして再び雨の京の街へと戻る。
こうして二人はまた一つになって動き出したのだった。
当然のように湧く疑問。
「国吉、どこへ向かっているのですか!? 」
彼は迷わず答える。
「私の夢を叶える場所です! 」
「そんなの答えになっておりません! 一体どこへ行くというのですか!? 」
「光様が、新しい一歩を踏み出せるように……それが叶う場所です! 」
「わらわは新しい一歩を踏み出せるように……」
「私の夢は……光様!! あなたというかけがえのない幼馴染が幸せに暮らすことなのです!!
たとえ離れてしまっても、それは生涯変わることはありません!! 」
その言葉に嘘はない。
光の止まっていた涙が再び溢れ出すと、国吉の背中を濡らす。
優しさと、残酷さ……
嬉しくて、哀しい……
光の涙は二つの色に染まっていたのだったーー
◇◇
国吉と光が再び京の街を動き出したその頃ーー
若狭屋の中には三人の女性の姿があった。
無論、蘭、伊茶、青柳の三人である。
しかし商店にいるにも関わらず、彼女らが買い物にやって来た訳でないのは、店の奥の座敷でこの店の主人とともに熱いお茶をすすっている事からも明らかであろう。
この状況に納得のいかない青柳は、眉をひそめて、幸せそうにお茶を飲む蘭にたずねた。
「ねえ、蘭! こんなところでのんびりしていていいの!?
こうしている間にもあの二人は京を出て……」
言葉の最後を濁した青柳。
心配そうにうつむく彼女を、ちらりと横目で見た蘭は淡々とした口調で告げた。
「外は雨。行き先も分からぬ者たちを、土地勘のない私たちが探し回ったところで、濡れるだけに決まっております。
それよりは、こうして果報をお茶をすすって待つ方が賢いというものです」
「でもぉ……」
そう青柳が食い下がろうとしたその時だった。
「蘭! ここに蘭はいるかね!? 」
と、店先から織田頼長の大きな声が響いてきたのである。
その声を耳にした蘭は、青柳の方へ顔を向けると、
「ほらね」
と、一言漏らして、ニヤリと口角を上げる。
そしてそのまま織田頼長の方へと飛び跳ねるようにして向かっていった。
「おっ! やっぱりここにいたか! 」
「あら、頼長様ではありませんか! いかがしたのです? 」
どこかわざとらしい蘭の口調。
しかし頼長はそんな事を気にすることもなく、勢い良く告げたのだった。
「光殿と国吉が見つかったぞ!! 」
「あらっ! どこにいらっしゃるのかしら!? 」
そして頼長は彼女たちがいる場所を告げた。
それは意外とも言える場所だったのである。
「宗應殿のところ……すなわち学府だ!! 」




