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初めての好敵手④ 真田 対 真田

◇◇

「鷹司家のご息女、みつ殿の秘密を教えてくれだと?」



 織田頼長はその精悍な顔つきを、しかめ面に変えて問い返した。



「お願いっ! 京のかぶき者と言えば、今や頼長様か、猪熊教利いのくまのりとし様のお二人しかおりません! 二人とも天下無双の美男子でならしているでしょう? そんなお方なら京の女事情にもお詳しいのじゃありません? もう頼れる人が頼長様しかいないのです! ささ、伊茶に青柳も! 頭をお下げなさい!」



 まるで急流のような早口で高梨内記の娘、蘭が言えば、伊茶と青柳は彼女の言われるがままに頭を下げる。


 蘭の圧倒するような眼光、それに年頃の女性が二人して頭を下げる様子に、頼長は「降参だ…」と言わんばかりに肩をすくめた。


 頼長はようやく重い口を開いたのだが、それは彼女たちの期待に応えるようなものではなかった。



「正直なところ、俺は何も知らないんだ。すまんな」


「そうですか… お手間を取らせてごめんなさい…」



 伊茶はがくりと肩を落としてそう言った。

 残念そうにその場を後にしようとする三人。

 そんな彼女たちのことがいたたまれなくなったのか、頼長は声を小さくして続けたのだった。



「ただな…光殿は本来ならばとうにどこぞのお家に、正室として嫁いでもおかしくないお方。そんなお方がなかなか嫁がなかった理由について、妙な噂があるのは確かだ」



 その頼長の言葉に、先ほどまでの暗い表情を一変させた蘭は、鋭く目を光らせながら、ぐいぐいっと前のめりになった。



「へぇ〜、いいネタ持ってるじゃありませんか! んで? 続きは?」


「ちょっと! 近い、近い!」


「いいから、勿体ぶらずに早く教えてくださいな!」



 蘭をグイッと押し返した頼長。

 彼は頭の後ろを掻きながら、周囲に声が漏れないように、さらに声の調子を落とした。



「実は縁談を全部断っていたようなんだ。もちろん表向きは当主の口から断りを入れているのだが、その裏では光殿自身が頑なに拒んでいるんじゃねえか、って噂でよ…」



 その頼長の言葉に伊茶と青柳が目を丸くする。

 一方の蘭は逆に目を細めて頼長に問いかけた。



「ちなみに頼長様はその理由をどのようにお考えなのですか?」



 頼長はその問いに視線を落とす。

 そしてボソリと呟くように答えた。



「さあな…ただ一つ言えるのは、光殿自身が縁談を断る理由を持っているということだ。こたびの事も、天皇陛下の弟君であられる八条宮智仁親王はちじょうのみやとしひとしんのう殿下の強いご要請がなければどうなっていたことやら…」


「まあ、八条宮智仁親王はちじょうのみやとしひとしんのう殿下までもが動かれたのですね…」



 この八条宮智仁親王はちじょうのみやとしひとしんのうとは、時の天皇、後陽成天皇ごようぜいてんのうの弟にあたる人だ。

 かつて豊臣秀吉の猶子となっていた経歴もあり、豊臣家に近い皇族ということで知られている。


 そんな大物が動いているとは…


 さすがの蘭でも、唾をゴクリと飲み込んで身震いするほどの大ごとであることは確かだった。


 頼長は続けた。



「そうだ。こたびの件は八条宮殿下も絡んでおられるのだ。お主たちが何を企んでおるかは知らんが、余計な手出しをしてみろ…八条宮殿下の顔に泥を塗ることになるのだぞ。その事をよく肝に銘じておくがよい」



 そう脅しをかけるように釘を刺して、彼は「これ以上は関わらせないでくれ!」と言わんばかりに、そそくさとその場を後にしていったのだった。


 彼が去った後、大きな鉛の塊をドスンと背中にのっけられたような重い沈黙が三人の間に流れる。


 あまりこの時代のことが分からない伊茶と言えども、「天皇陛下の弟が関与している」という言葉だけで事の重大さは十分に理解していた。

 その為、白い顔をさらに白くして青柳の方を見ると、一方の青柳も口を半開きにして伊茶と顔を見合わせた。


 そして伊茶は、もう一度肩を落として漏らしたのだった。



「こたびの事はお断りいたしましょう…大蔵卿も八条宮様が絡んでおられると聞けば分かってくださるに違いありません」


「そうね…それがいいわ…」



 青柳もその伊茶の言葉に同調する。


 しかし…


 蘭は違った。


 彼女はむしろ瞳をさらに燃え上がらせて拳を強く握ったのだ。



「なんだか燃えてきたぁ! 逆境に強い真田の血がたぎるわ!!」


「ちょっと! 蘭! 今回はまずいわよ!」



 青柳が顔をさらに青ざめさせて蘭の肩をつかむ。

 しかし蘭は熱い手を青柳の冷たくなった手の上に置いて、高らかと宣言したのだった。



「真田の名にかけて、光殿の秘密を解き明かしてみせましょう!」



 と…



………

……

「はあ!? かような事、無理に決まっておろう! 何を考えておるのだ!?」



 普段は感情的になることのない真田幸村だが、この時ばかりは目を見開いて大声を上げた。

 それもそのはずで、今三人の女性たちが頭を下げて、とある願い出をしてきたからである。

 

 それは…

 

――光殿の好き嫌いや生活習慣を予め知ってきたいので、鷹司家に入って光殿の世話係に加わらせていただきたい!


 というものだった。

 言わずもがなこの三人の女性とは、伊茶、青柳、そして蘭だ。

 三人を代表して幸村の側室でもある蘭が膝を進めて彼に詰め寄った。



「そこをなんとかお願い! 今や豊臣家の全てを取り仕切ってらっしゃると言っても過言ではない源二郎様ならどうにか出来るでしょう?」


「馬鹿も休み休み言え! それがしが公家の奥のことまで口出し出来るはずもなかろう! それにかような事を奥方様や淀殿に知られたら、ただでは済まされんぞ!」



 その幸村の言葉に、きらりと蘭の目が光る。

 その鷹のような眼光に幸村は悪い予感がしてピクリと眉を動かした。


 こやつ…

 それがしに挑むつもりであるな…


 その直感通りに蘭は鋭い声で驚くべきことを言い放ったのだ。



「そのことなら心配いりません! ここに奥方様と淀様の連名にて紹介状がございますゆえ」


「な、なんだと…!?」



 さながら幸村の言葉を先回りしたかのような蘭の行動に彼は目を丸くした。

 

 現に蘭はこの幸村のこの言葉を想定していた。

 その為、伊茶そして青柳とともに淀殿のもとへと足を運び、この件を自ら申し出たのである。

 もちろんその際は、これまでの一切のことは伊茶から話を聞いたということを暴露した上でのことだ。

 淀殿、大蔵卿、千姫の三人は始めこそ驚いていたが、それでも彼女の助力は大きいと判断し、光の世話係の件についても一筆したためたという訳である。

 

 もちろん幸村がそんな事など知る由もない。

 彼は蘭の瞳の奥をじっと覗き込んだ。

 彼女の真意を図る為に…


 すると一つの直感が頭をよぎったのである。

 


――こやつ… 何か企んでおるな…

 

 

 確たる証はない。

 しかし幸村の第六感がそう訴えかけている。

 その訴えを彼は信じることとした。


 となれば答えはただ一つ。

 

 いかにこの件を淀殿や千姫の面目をつぶさずに断るか…

 

 しかし蘭は幸村に考えさせる隙を与えるものかと言わんばかりに、畳みかけてきた。

 

 

「あら? 源二郎様が難しい顔をされるようでしたら、もう結構です。この件は織田有楽斎様に委ねましょう」


 

 淀殿からの書状をぶらぶらと振りながら蘭は幸村に微笑みかけている。



「お主… その意味が分かっているのだろうな…?」


「あら? 何のことかしら? 織田有楽斎様なら公卿とのつながりも、源二郎様よりおありでしょうし。かえって好都合かと思うのですけれど」

 


 これは完全に幸村への揺さぶりに他ならなかった。

 なぜならこの頃既に真田幸村と織田有楽斎は評定衆の間でもその意見が分かれることが多くなり始めている、言わば政敵に近い立場だからである。

 もしここで幸村が断ったものを、有楽斎が受けたならば、淀殿をはじめとする奥方は有楽斎の方へとなびくことにつながるかもしれない。

 

 ただでさえ今回の秀頼の側室取りについては、淀殿や千姫をはじめとする奥の間からの反対意見が根強いのだ。

 

 これ以上波風を立てたくない、というのが幸村の本音であった。

 そこを蘭は見事についてきたのである。


 こいつ…

 さすがは真田のおなごという訳か…

 

 これには流石の真田幸村と言えども、無碍にすることはかなわなかった。

 しかし簡単に首を縦に振ることも出来ない。

 そこで彼は蘭の企みについて探ってみることとした。

 

 

「待て… それには及ばぬ。鷹司家と豊臣家の件については、それがしに全て委ねられている。よってこたびの件もそれがしが吟味の上でその判断をくだそう」

 

「そうですか、それは手間が省けるというものです。では源二郎様、早速この場で吟味くださいますか?」


「元よりそのつもりだ。聞きたいことはただ一つ」


「ええ、何でもどうぞ」



 どこまでも澄まし顔の蘭。

 一方の幸村はぐっと眼光を鋭くする。

 

 真田幸村と蘭。

 この二人の真田同士の対決はいよいよ佳境を迎えた。

 

 

 そして、幸村は低い声で問いかけたのだった。

 

 

「こたびの件、淀殿より何を指示されているのだ?」



 どんなに小さな感情の動きをも漏らさぬという幸村の目を、じっと見つめ返す蘭。

 彼女は先ほどと全く変わらぬ口調で流れるように答えた。

 

 

「鷹司家に迷惑をかけぬように、そして光殿が大坂城に入っても何一つ困ることがないように、しっかりと情報を集めてくるように、と」



 この言葉に嘘はない…

 

 幸村は蘭の様子を見て、そう判断した。

 

 しかし…

 

 

「違う。それがしが言っているのは、お主らが光殿の世話係をする件のことではない」


「はて? では何のことでしょう」



 わずかに声の調子が狂ったような気がした。

 

 やはり…

 

 何か重大なことを隠している…

 

 そのように幸村は直感して斬り込んでいった。

 

 

「こたびの秀頼様の側室取りの件である。その件について、何か指示されているのではないか、ということだ」



 その言葉が発せられるとともに空気が張り詰める。

 

 伊茶と青柳は頭を低くしてその表情を絶対に幸村に気取られまいと必死だ。

 もちろん幸村とて彼女らから何か引き出そうとは微塵も考えていなかった。

 

 今はこの目の前にいる、自分の父親、真田安房守の家臣、高梨内記の娘との勝負。

 そのことは蘭もよく分かっていた。

 

 彼女は心を無にして澄んだ瞳で幸村を見つめ返した。

 そしてその心持ちのまま告げたのであった。

 

 

「いえ、何も指示などされてはおりません」



 と…

 

 

 しばらく続く沈黙。



 幸村はまばたき一つせずに、蘭を見つめれば、彼女の方も幸村の目をじっと見つめていた。

 

 

 そして…

 

 幸村はふぅと一つ大きく息を吐くと、一つの決断を下したのだった。

 

 

「…よいだろう。光殿の世話係の件、ご当主の鷹司信房たかつかさのぶふさ殿にかけ合ってみよう」



 その決断に蘭の顔がみるみるうちに明るくなっていった。


 勝った!

 とうとう真田幸村に勝利したのだ!


 蘭は本来の目的を忘れ、喜びにうち震えた。

 それもそのはずだ。

 彼女はこれまでの人生、幾度となく幸村に完膚なきまで叩きのめされ続けてきたのだから。

 その喜びようは、自分のお腹に幸村の子を宿したその時以上のものであったに違いない。

  

 しかし…


 幸村はあくまで冷静に彼女の様子を見極めていた。

 そして今、蘭にこれまでにない程の大きな隙が生じていることを逃さなかった。


 

「恩に着るわ! 源二郎様!」


「ではその淀殿と奥方様からの書はそれがしが預かろう」



 蘭は嬉々として手にした書状を幸村に手渡す。

 幸村はその中を見て、淀殿からの書状であることを確かめた。

 

 間違いない…

 淀殿の直筆だ…

 

 幸村は何か得体のしれないものが秘密裏に動いていることを感じて肝を冷やした。

 

 そして、

 やはりこのまま蘭たちの思惑通りに動かれる訳にはいかないな…

 と、あらためて思いなおしたのである。

 

 そこで幸村は一つ条件を出したのだった。

 

 

「ただし… 一人だけだ。そこにいる伊茶。お主だけを光殿の世話係として京に向かうことを許すとしよう」



 喜んだのも束の間、さっと蘭の顔が青ざめた。


 しまった!

 まさか、最初からこれを狙って…!?

 

 

「お待ちください! ここにいる伊茶は読み書きが苦手でございますゆえ、一人では心もとないかと…」



 蘭は必死に幸村に訴えた。

 しかし幸村はその訴えにいかなる反応も示さなかった。


 既に淀殿からの書状は幸村の手にあり、この時点で織田有楽斎の元へ行くという揺さぶりは出来ない。

 

 つまり蘭にはもう打つ手がなくなってしまったのだ。


 くっ… してやられたか…

 

 油断をして最後まで話を聞かずに切り札となる書状を手渡してしまった事を悔やんだ。

 しかし後悔先に立たずとはまさしく今の彼女の状況を表していた。

 

 幸村は淡々とした口調で続けた。

 

 

「ならば読み書き以外のことで奉公すればよかろう。それに読み書きが苦手なら、『余計な事』が出来ぬゆえ、むしろ好都合というものだ」



 ここで言う『余計な事』とは、伊茶と蘭が密書でやり取りをする事を指していることは明白。

 つまり幸村は読み書きに不都合のある伊茶ならば、何も企むことは出来ないであろうと踏んだのだった。



「ひどい! 源二郎様は蘭を疑っているというのですか!?」


「当たり前だ! 『常に敵は内にある。ゆめゆめ忘れるな』とお主もわが父上、真田安房守から何度も聞かされてきたであろう! これぞまさに真田のいしずえではないか!」


「ぐぬぬ… 源二郎様め…」



 悔しそうに歯ぎしりをする蘭。



 ここに完全に勝負は決した。



 手痛い敗北に悔しがる蘭を横目に、幸村は勝ち誇ることもなく表情を引き締めたまま、伊茶の前までやってきた。そして丁寧に頭を下げたのだった。

 

 

「光殿の世話係の件、お主に委ねることとなろう。ついてはくれぐれも粗相のないよう、よろしく頼む」



 伊茶は慌てて頭を地面にこするようにして下げると「かしこまりました!」と大きな声で返事をする。

 そして幸村は念を押すように言葉を付け加えた。

 

 

「こたびの秀頼様と光殿の件は後陽成天皇陛下にも伝わっている大事なのだ。もしこれが上手くいかねば、朝廷と豊臣家の関係にも悪い影を落としてしまうかもしれぬ。その事をよく肝に銘じて任に当たるがよい」



 それは時の天皇の名まで持ち出した、さながら脅迫のような言葉であった。

 

 とてつもなく大きな杭を、ガツンと打ち込まれたかのような重みが伊茶の小さな背中にのしかかった。

 伊茶はその重みに耐えかねたのか、小さく震えて頭を上げることも、返事をすることすら出来ない。

 

 その様子に幸村は、弱い者いじめをしたかのような、心に鋭い痛みを覚える。

 しかし彼はそんな伊茶に手を差し伸べることなく、静かにその場を後にしたのだった。

 

 


 そしてその数日後――

 

 伊茶は鷹司家に奉公する為、ただ一人で京へと向かっていった。

 これから何かとんでもないことが起こるのではないか…

 そんな大きな不安を胸に秘めながら――







しばらく週1回程度の更新になるかと思います。

ご了承ください。



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