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初めての好敵手① 天下を継ぐ条件

◇◇

慶長12年(1607年)5月7日ーー


 和歌山城での会談を終えた俺、豊臣秀頼ら一行は、既に大坂城に戻ってきた。


 なおこの年は閏月が四月にあった為、五月だというのに既に蒸し暑い。

 しかしそんな暑さなど吹き飛ばすほど大きな声で俺を迎えたのは千姫であった。



「秀頼さまぁぁぁ!! お待ち申し上げておりましたぁぁ!」



ーーガシッ!!



 俺が城内に現れるやいなや、突進してきた彼女はそのまま俺の胸に飛び込んできた。


 いつの間にか彼女も十歳になる。出会った頃が三歳だったのだから随分とその体も大きくなったもんだ。

 それでも俺に対する愛情というか、甘えというか、そういった感情は全く変わらないのは、この突進からもよく分かった。



「おっと!」



 俺はその勢いに思わずよろける。少し前までの彼女であればいとも簡単に受け止められたであろうが、俺の足と腰にかかる圧は、彼女が確かに歳を重ねている証だろう。


 そして…


 瞳を輝かせて俺を見上げるその顔。


 もちろん未だに少女のあどけなさが大半を占める。

 しかしそれでもこの頃はその大きな瞳に見つめられると、思わず胸が高鳴ってしまうのもまた彼女が立派な美しい女性へと変化を遂げようとしている証なように思えてならないのであった。



「ただいま、お千や」



 俺は優しく彼女を引き離すと笑顔で言った。

 すると彼女もありったけの笑顔で「おかえりなさいませ、秀頼さま!」と答える。


 その笑顔が眩しくてしばらく見つめると、千姫も顔を赤らめて俺のことを見つめてきた。



 しばらく見つめ合う二人。



 と、その時だった。



ーーゴッホン!



 というわざとらしい咳払いで、俺たちははっと我に返った。


 そしてその様子を白い目で見ていた咳払いをした者が大きな声で俺に声をかけてきたのであった。



「秀頼殿。かようなところでのんびりとしている場合ではないのではないか? そこにいる幸村が何か用事がありそうな顔をして控えているではないか」



 それは甲斐姫であった。その彼女に指名された真田幸村は、はじめびっくりしたように目を丸くしたが、すぐに表情を引き締めると俺に頭を下げてきた。



「秀頼様、一つよろしいでしょうか」



 その雰囲気があまりにも畏まっている為、俺も硬い表情で「うむ、どうした?」と返す。

 すると彼は甲斐姫とその後ろに控えている淀殿、そして大蔵卿らの方へと顔を向けて言ったのだった。



「皆様にもこれからの天下の行方を占う上で必ずや避けて通れぬお話をしなくてはなりませぬ。つきましては淀様、それに奥方様(ここでは千姫のこと)も含め、評定衆の皆様にお集まりいただきたく存じます」



ーー天下の行方を占う…


 急にそのような重い話が耳に飛び込んできたのだから、これまでのほのぼのとした雰囲気がピリッと引き締まったのも無理はない話だろう。

 そしてその場にいる多くの者たちが顔を見合わせて「何事であろうか…」と戸惑っている。


 俺はそんな人々を鎮めるために、目の前にいる幸村に対して大きな声で答えた。



「よかろう! ではこれより半刻の後、評定を開く。母上とお千もご参加くだされ」



 こうして突如として評定を開くことにしたのだが、その内容は俺が想像すらしていなかったことであった。


 そしてこの評定によって『天下の行方』よりも、『豊臣秀頼の人生』が大きく動くことになるのだが…


 そんなことを今の俺が知る由もなかったのであった。



………

……

 その日の昼過ぎーー


 大坂城の評定の間には、評定衆たちが一同に介した。しかし流石に急な招集ということもあって全員は揃わないのは仕方のないことだろう。


 集まった評定衆は…


 俺、真田幸村、甲斐姫、大蔵卿、大野治長、織田有楽斎、織田老犬斎の七人。


 それに淀殿と千姫の二人も加わった。


 もし淀殿と千姫を除く評定衆たちだけの多数決で何かを決めるとなった場合、俺の息のかかっているのは幸村と甲斐姫の二人だけだ。つまり大蔵卿と有楽斎が結託して反対したなら否決となる訳だ。


 その恐れがあるというのに幸村は飄然と背筋を伸ばしていることに俺は思わず目を丸くした。


 それほどにこれから彼が話すことに、彼は反対されぬ自信があるというのだろうか…

 そういぶかしく思っているうちに、彼は堂々とした口調で話し始めた。


 そしてその発言がこの場を混沌へと陥らせるのだった…



「皆様もご存知の通り、今は徳川将軍家が天下の舵をとられております。しかし亡き太閤殿下の御遺言によれば、ここにおられる豊臣秀頼公が『立派』になられたあかつきには、その天下を秀頼公にお譲りいただくことになっております!」



 きっぱりとそう言い切った幸村に対して、徳川家康と裏で繋がっている織田有楽斎の睨みつける視線がさらに鋭くなる。

 しかし幸村はそんな視線などものともせずに続けた。



「ではここで言う『立派』とは何でしょうか。何をもってすれば徳川将軍家は秀頼公のことを天下人たる資質の持ち主とお認めになられるでしょう」



 そこで言葉を切ると幸村は周囲を見回す。

 すると彼と目の合った甲斐姫が答えた。



「周囲に流されることなく自分の意見を持てるようになること…ではないのか?」


「ええ、それもあるでしょう。しかしそれだけでは足りませぬ」



 幸村の視線は有楽斎へと移る。

 すると有楽斎は興味なさそうに抑揚のない声で答えた。



「礼儀作法、剣術、読み書き…天下の棟梁に相応しい器量を身につけることであろう」


「ええ、もちろんそれは大事でございます。しかし、それでも足りませぬ」



 なんと有楽斎の言葉でも足りないと言うのだ。

 皆「どうしたものか」と顔を見合わせて困惑してしまった。

 

 そうした中、幸村はいよいよ投じたのである。

 

 この場の空気を粉々に破壊するほどの大きな爆弾を…

 

 

「お世継ぎにございます! 天下安泰を後の世にも継ぐ事が出来る力が豊家にあることを示すには、秀頼公のお世継ぎとなるべきお方が必要でございます!」



 嵐の前の静けさとは、こういうことを指すのだろう。

 

 しばらくの間、誰も何も言葉を発さないどころか身じろぎ一つしなかった為、研ぎ澄まされた静寂が評定の間を支配した。

 

 そんな静寂を破ったのは甲斐姫であった。

 そして彼女の一言が、まさに放り込まれた爆弾の導火線に火をつけることになったのであった。



「つまり…秀頼殿に『側室』をとっていただくと…」



 その言葉に力強く頷く幸村。

 

 だが…


 そんなことを千姫が許すはずもなかった――



「いけませぬ! ぜぇぇったいに千がかような事は許しませぬ!!」



 と、彼女は俺に抱きつきながら大声で叫んだ。

 その顔は烈火のごとく赤く、大きな瞳からは涙が光っている。

 

 彼女の甲高い悲鳴に近い声はその場にいる全員の脳をぐらりと揺らしたようで、みな目をぱちくりさせてこちらを見ている。特に彼女のすぐ横にいた俺などはその声だけで意識が飛んでしまいそうなほどであった。それほどに彼女の感情は大爆発を起こしたのであった。

 

 そして千姫の怒りはもう一人の女性に飛び火した。

 

 それは…

 

 

「源二郎! かような大事をわらわに事前に相談なくして皆に言うなど、ありえませぬ! しかも秀頼ちゃんに子供だなんて… わらわも反対にございます! わきまえなさい!! 源二郎!」



 俺の母、淀殿であった。

 いつも穏やかな表情の彼女が激昂して幸村をまくし立てている。こちらも千姫に負けず劣らずの大爆発であった。

 しかし俺の妻である千姫が反対するならまだしも、母である淀殿が猛反対する意味がよく分からなかった。もっともその問いかけをすることなど今の淀殿にすることなどもっての他だ。それほどまでに彼女もその感情を「源二郎! 取り消しなさい!」と、幸村に向けてぶつけ続けていた。

 

 しかし幸村の方はこの反応を予想していたからだろうか。


 もし普段淀殿からこのように叱責されれば、慌てて頭を地面にこすりつけるように下げるところだろうが、今は軽く下げたのみで、自分の意見を頑としても曲げぬように口を真一文字に結んでいる。

 

 そんな幸村の様子を見た千姫と淀殿は、まるで火に油が注がれたかのように大声を上げ続けた。

 

 

「絶対に千は許しませぬ!」


「わらわも反対にございます!」



 二人に触発されるように大蔵卿は隣に座っている彼女の息子の大野治長と何やら話し始め、織田有楽斎と織田老犬斎の二人も耳元でささやき合うように密談をしている。

 それは評定衆の間でもそれぞれの思惑が飛び交い始めた事を示していた。

 

 さて彼らはどのような選択をするのだろうか…

 

 このまま波風立てずに徳川の世を固めるのであれば、俺に側室などない方がよいだろう。

 もっとも史実においては俺にはこの後、国松という男子と後の天秀尼てんしゅうにという女子など複数の子が出来る。しかしそのことで徳川が豊臣に天下を譲る結果にはならなかったのは確かなことだ。しかし既に史実とは異なり、大坂城には一皮むけた智将、真田幸村がいるのだ。もし俺に子が出来れば、徳川との交渉を有利に進めるようにその知力の限りを尽くしてくれるに違いない。

 

 さて、どうなることやら…

 

 俺はどこか他人事のようにその場を傍観していたのだが、いよいよ手がつけられない程に場が混沌としていった。

 

 

「ひでよりさまぁぁ!! お千を見捨てないでくださいませ! うわああああん!!」



 と、千姫は顔をぐしゃぐしゃにさせて泣きわめけば、

 

 

「秀頼ちゃんは誰にも渡さない。渡さない。渡さない。渡さない。渡さない…」



 と、淀殿は土気色した顔でつぶやいている…


 この件については俺が何か口を出す訳にもいかず、俺自身もどうしたものかと戸惑っていた。

 

 

 …と、そんな時だった――

 

 

「もうよい! 早く決着をつけようじゃないか!」



 と、凛とした声が部屋中に響き渡ったのである。

 まさに救世主のごとくその場の空気をまとめたのは、再び甲斐姫であった。彼女は厳しい表情のまま続けた。

 

 

「早速多数決でこたびのことも決めることとしようではないか。ここで皆がぐたぐたと好き勝手に話していては、いつまでたっても意見などまとまるものではなかろう!」



 それはまさに正論であった。その提案に評定衆はみな姿勢を正し、俺の方へと向き直る。

 淀殿も千姫もその雰囲気をくんでか、ようやく落ち着くと元通りに座りなおした。


 そして…


 その瞬間を『絶好機』と待っていた男がいたのである。

 

 それは真田幸村であった。

 彼は膝を進めて大きな声で言った。

 

 

「決を取る前に、最後一つ申し上げたいことがございます。秀頼様、よろしいでしょうか」



 形式的な質問に対して、俺も形式的に「うむ、申せ」と答える。

 すると幸村は座ったままにわずかに顔を紅潮させて続けたのだった。

 

 

「もし秀頼様に側室を設けていただくとなったあかつきには、その側室には摂家の縁者より得ることとします!」



 突如とした驚愕の宣言に再び場がざわめく。しかしそれを抑えるように幸村はさらに声を大にして続けた。



「これにより秀頼様は源氏長者である将軍家とも藤氏長者である摂家とも姻戚関係を結ぶことになりましょう!

その上で由緒正しき後継者が生まれたとなれば、将軍家といえどもその子を邪険にはあつかえませぬ。

すなわちこれは天下を豊家の手に戻すことだけではなく、豊家の存続にもかかわる大事でございます!

もしこたびのことが否決され、ここにおられる奥方様がご成人される前に将軍家が豊家の仕置きを決めたとなれば、豊家は正統な後継を遺す道が閉ざされ滅亡の一途をたどるより他なきこと、ゆめゆめお忘れにならぬようお願い申し上げます!」



 まさに立て板に水を流すように、すらすらと意見を述べる幸村。しかしその内容は『脅迫』とも言えるほどに苛烈なものであった。

 

 なぜなら極端に言ってしまえば『存続』か『滅亡』か、その二択を迫っているようなものだからだ。

 

 確かに史実においては国松をはじめとして豊臣秀頼の子供たちはみなその母が不明か、ないしは大坂城の侍女の子であったと記憶している。つまり秀頼の側室たちはみな、その血筋は決して由緒正しいとは言えないものだった可能性が高いのだ。

 大坂の陣の後、天秀尼をのぞく者たちは処刑か行方不明となったのも、彼らに「豊臣秀頼の子」であるという以外には何もなく、生かしておかねばならぬ理由がなかったからだったとも考えられる。

 もしそれが由緒正しい公家を母方に持つとなれば、もしかしたら何らかの形で『存続』の道は残されたかもしれない。もっとも戦国の倣いからすれば例え母方が高貴な身分であっても許されることはない。しかし私怨を廃し、和を尊ぶ徳川の世においては『存続』させる理由があれば、それが選ばれる可能性はゼロとは言えないはずだ。

 

 

 つまり俺が側室を持ち、その子を作ることは、言わば『保険』である訳か…

 

 

 万が一、豊臣が徳川によって害されたとしても、お家だけは残る可能性を探った『保険』ということ…

 

 

 すなわち…


 真田幸村は天下を徳川から奪い返す為だけに、この『側室』の件を持ちだした訳ではない。

 彼は「万が一、豊臣が徳川に敗れた場合」も想定して、この件を提案してきたのだ。


 さらに言えば、それを察することが出来ぬほどに評定衆の面々は落ちぶれていない。

 そのように幸村は確信していたからこそ迷いもなく言い出したのだろうことは明らかであった。

 

――全ては幸村の思惑通りということか…


 俺はあらためて幸村の顔を見る。

 すると彼は口元にいつもの微笑みを携えて一礼してきた。

 

 

――食えぬ男になってきたな… 真田左衛門佐幸村



 俺もまた微笑をもってそれに答えたのであった。

 

 

 そして…

 

 

 それは当然のように全会一致した。

 

 

 すなわち、俺、豊臣秀頼は側室を持つことになったのである。

 

 

 しかし…

 

 

 それが思わぬ方向へと俺の人生を進ませることになる。

 そして、真田幸村の思惑も大きく揺るがせることになるのだった――

 

 

 

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