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【幕間】秋月のまじない 終幕 十石山に願う

◇◇

ーー恵利暢尭、自刃!



 その報せは秋月館を震撼させた。


 なかには「豊臣とつながっていることが露見されて、罪滅ぼしの為に自ら命を絶ったのだろう」という穿った見方をする者もいたのは確かだ。


 しかし、大抵の人は秋月きっての忠臣の死を大いに嘆き哀しんだのである。


 その中でも最も大きな衝撃を受けていたのは秋月種実であったのは言うまでもないだろう。

 いっとき感情的になり暢尭のことを遠ざけてしまったとは言え、まさか自害するだなんて思ってもいなかったのである。

 彼は自室にこもると他人を寄せ付けなかった。



「死んでしまったら、もう負けではないか… 負けるな、這い上がれ、といつも口にしていたではないか…」



 食事は喉を通らず、夜も寝つけない。


 そんな日が三日以上も続いた。


 …と、そんな折であった。



「殿! 殿宛の書状をお届けにまいりました」



 それは彼の小姓の声。

 しかし種実は力なく答えた。



「…今はよい。お主の方でよしなに頼む」


「しかし…」



 普段なら種実の命じたことに抵抗することもないその小姓が口ごもる。

 ふと疑問に思った種実は「その書状は誰からのものか?」と何気なくたずねた。


 すると小姓は震える声で答えたのである。



「恵利暢尭殿になります…」



 と…


ーーガバッ!!


 種実は急に体を起こしたかと思うと、這いずるようにして部屋から出てきた。そして小姓の手から奪うようにして、一通の血まみれの書状を手にしたのである。

 そしてすぐさまそれを開いた。


 そこには…


 確かに恵利暢尭の字ーー


 昔から変わらない。繊細で美しいその字。


 しかしそんな細い字からは考えられぬほどに、その内容は情熱的なものであった。



ーー殿は覚えておられるでしょうか。あの石から見た秋月の景色を。秋月の民を。幾度となく戦に見舞われ、壊され、奪われても、這い上がってきたその景色を。その秋月の地を守り抜くことを固く決意したあの時の輝きに満ち溢れた日々を。

殿、忘れてはなりませぬ。

殿が真に守るべきは、あの時見た景色とあの日の決意にございます。

それがしはこの身を持ってその決意に偽りなきことを示しましょう。しかし、この魂は滅ぶことなく、必ずや秋月の空を守ります。

どうか、殿。殿は秋月の大地と民を戦火からお守りくだされーー



 それはどこまでも秋月のことだけを想ったもの。

 雪解け水のようにまじりけのない澄んだ想い。


 その想いに触れた種実。


 しばらく動けずにいた彼の胸のうちに秘めた悲しみと苦しみはいかばかりか。



 そして…


 彼は静かに立ち上がった。


 その瞳には燃えるような輝き。


 恵利暢尭に譲れぬ想いがあるように、彼にもまた譲れぬ想いはある。


 父と兄を失い、『雷神』と死闘を繰り広げてきた。それでも諦めることなく、屈することなく守り抜いてきた秋月の地。


 彼はたとえ無二の親友を失ったとしてもその想いを譲るつもりはなかった。



「暢尭、俺はこの手で守ると決めたのだ。その気持ちはあの頃と全く変わってなどおらぬ。だから、空から見ていてくれ。俺の魂の輝きを!」



 こうして秋月種実は挑んでいったのである。



 関白豊臣秀吉が率いる二十万の軍勢にーー



◇◇

「まあ… それは無謀なことにございますね」



 惣右衛門の話は途中であったが、マセンシアは思わずそう漏らしてしまった。


 そんな彼女に対して惣右衛門は口元を緩めた。



「ええ、それは無謀としか言えぬものでございました」



 そしてマセンシアは不思議そうにたずねた。



「ではどうして秋月種実殿は関白殿下にお挑みになられたのでしょう。わらわにはそれがどうしても分かりませぬ」


「それは『恐れ』だったのだと、それがしは思うのです」


「恐れ…?」


「ええ、種実殿は父、兄、そして親友を失ってしもうた。その上、この秋月の地を失うことを恐れたのではないかと思うのです」


「しかしその『恐れ』で自身の命を投げ捨てるような…あっ…」



 そう言いかけてマセンシアは何かに気づいたように言葉を切った。

 そして惣右衛門はうつむくと、彼女の言葉の続きを言った。



「その通りでございます。彼は恐れていたのです。全てを失ってもなお生き長らえることを…」


「つまり秋月種実殿は死に場所を探していた…と…」



 惣右衛門はマセンシアの言葉にコクリとうなずくと、顔を上げて続けた。



「しかし太閤殿下は『死に場所』を与えるお人ではございませぬ」


「ええ…殿下は…」



 マセンシアは再び言葉を切る。

 その続きを再度惣右衛門が引き取った。



「『生き場所』を与えるお方」



 と。


 そして彼は続けたのであった。



◇◇

 その戦はあまりにもあっけなく終わった。

 否、戦など起こらなかった、とするのが正しいだろう。


 なぜなら関白秀吉はただ座っていただけだった。

 秋月にある広い石の上に。


 それは古処山城に篭った秋月種実が、籠城戦の前に降伏したからであった。


 その理由は一言で表すならあまりにもあっさりとし過ぎるだろう。

 と言うのも、その場所にあるはずもない城が一晩のうちに突如として現れたからだ。


 いわゆる『一夜城』であった。


 そのあまりの威容に腰を抜かした秋月軍の兵たちの混乱は、もはや種実が制することの出来ぬものとなっていたのだった。



「カカカ! 見たか、佐吉に虎之助! かの『雷神』ですら落とせなかった古処山を、わしは一兵も失うことなくこの手に収めたのだ! 比類なき戦上手とうたわれてもおかしくあるまい!」



 石の上で秀吉はそうはしゃぎながら小躍りした。

 そして彼は頭を丸めて降伏してきた秋月種実を前にして非情とも言える宣告をしたのであった。


 それは…



「そもそも霊峰の古処山に城を築くなど罰当たりもいいところじゃ! よって城は取り壊しといたす! ただし大人しくわしの元にやってきたことは褒めてつかわそう。その命は別の場所でくれてやるから、これからは天下泰平の為に大いに役立てるがよい」



 というもの。

 その言葉に種実は涙ながらに「城だけは! それがしの命はいかにしても構いませぬゆえ、城だけはどうか!」と訴えたが、秀吉が聞くはずもあるまい。

 秀吉は頭を地面に擦り付けている種実のもとまでやって来ると、その肩に手をのせて言った。



「種実よ。何事も命あっての物種よ。命失くして守れるものが守れようか。這い上がることが出来ようか。この身が滅びようとも魂は…などと言うのは詭弁じゃ!命あるから這い上がれるのじゃ!違うか!」



 慟哭する種実は顔すらあげることもかなわない。

 そんな彼に秀吉は優しく諭した。



「秋月の地を守ると心に決めたのであろう。ならば生きよ! 生きてこの秋月の地の行く末をしっかりとその目で見届けよ! お主にはこの先、この地を離れてもらうが、これだけは約束しよう」



 その言葉に種実の顔が上がる。

 そして彼の目に飛び込んできたのは…



 関白秀吉の屈託のない笑顔ーー



 その顔からは『夢』だけしか感じることの出来ぬもの。


 そして秀吉は続けたのだった。



「お主が諦めぬ限り、這い上がり続ける限り、この秋月の地は、この豊臣が守り抜いてみせよう。だから負けるな!這い上がってこい!秋月の誇りよ!」



 この言葉に…



 秋月種実は頭を下げた。



 しかし、その瞳は再び輝き始めたのである。



ーー負けるな! 這い上がれ!!



 その色褪せぬまじないが、今もなお胸に刻まれていることを知ったのだから…

 



 こうして古処山城から出て秋月の地を離れていく秋月種実。


 ふと彼はとある場所で立ち止まった。


 それは幼い頃から変わらぬあの岩山。

 そしてそこは恵利暢尭が命を散らしたその場所でもあった。


 彼はその壁にそっと手をつく。


 そして溢れ出した涙を拭くこともなく大きな声で叫んだのだった。



「暢尭! さらばだ! 俺は生きる! そして負けぬ! また這い上がってみせる! それを天から見届けよ!」



 とーー


 後世になってのことだが、この岩山の上にあった大きな石は『腹切石』と呼ばれ、秋月の民の誰もがその熱烈な忠臣を偲んだと言う。



 再び歩き出した一行。


 徐々に秋月の地から離れていく。


 そして目の前の山を越えれば、もうその大地と民の姿は目に入らなくなるだろう。


 その山の麓で種実は虚空を仰ぎこう漏らしたと言う。



「ああ…わが所領など十石でよい。十石でよいから秋月の地にとどまらせてはもらえぬものか…」



 と。

 そしてその決して叶わぬ願いをこめた山は、後に『十石山』と呼ばれるようになった。



 こうして秋月の不屈の男たちの『夢』は、春の終わりとともに散っていったのだったーー




◇◇

「なるほど…かように強い想いが、この美しい地に眠っているのですね」



 惣右衛門の話が終わると、マセンシアは大きなため息とともに言った。

 その言葉に笑顔で頷いた惣右衛門はそっとお茶のお代わりを彼女に差し出す。

 しかし彼女はそれに手を出すこともなく続けた。



「では惣右衛門殿は、亡き太閤殿下に代わってこの地を守ろうと…」



 その言葉に惣右衛門ははにかみながらコクリと頷いた。

 


「ふふ、惣右衛門殿らしいですね」



 マセンシアは目を細めて微笑む。

 惣右衛門にはその姿が聖母マリアのように美しく、輝いて見えた。

 そして彼女のことを見とれている惣右衛門に対して、マセンシアは凛とした声で告げたのだった。



「ではわらわもこの地に安寧と永遠の平和が訪れんことを天にお祈りいたしましょう」


「ありがたいことにございます。マセンシア殿にそうしていただけると、この地に眠る御霊も喜ぶに違いありませぬ」



 そうしてしばらく二人で手を合わせて祈りを捧げた。


 そしてこの時、マセンシアには分かっていたのである。


 これが惣右衛門…黒田直之との最後の時間になることを。




 これよりわずか一年半後。


 惣右衛門こと、黒田直之はこの世を去った。


 その為、秋月の地は領主を失うことになったのだ。


 しかし、もしこの世界が史実の通りに進んでいったならば、惣右衛門とマセンシアの祈りは天に通じることになる。


 すなわちこれより数年の後、福岡藩主黒田長政は、息子の長興に秋月に所領を与えるのである。


 そして黒田長興は、惣右衛門が丹精を込めて世話をしていた梅園を中心として大きな屋敷を整備する。

 それは秋月の館を城とする為。


 すなわち、後の秋月城であった。


 こうして秋月の地は、黒田家によって、秋月藩が築かれて後世まで守られることなったのである。



 しかし…



 秋月種実の不屈の魂は、それでも負けることはなかった。


 それは種実が秋月の地を離れてからおよそ二百年のこと。


 長月黒田藩に跡継ぎが絶えたのである。


 そしてその藩主を継いだ者こそ…



 秋月藩第八代藩主、黒田長舒くろだながのぶ



 その血筋は秋月種実の直系のもの。



 つまり秋月の魂は、およそ二百年の歳月を経て、秋月の地に舞い戻ってきたのだった。



 秋月の地に綿々と続く不屈の魂。


 どんな困難にも負けぬその心は、二人の男たちの『夢』の証。


 その『夢』は永遠に続いていくことだろう。

 そこに人々の営みがある限りーー

 



ーー負けるな! 這い上がれ!!



 〜秋月のまじない 完〜

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