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【幕間】秋月のまじない⑤ 休松の戦い

………

……

 永禄10年(1567年)9月3日ーー

 この日のうちに大友軍は豊後国へと続く道へと行くものと、秋月種実だけではなく、大友軍の兵たちもみな思っていた。しかし、戸次鑑連(べっきあきつら)だけは、そうするつもりはなかった。


ーーここで完膚なきまで叩かねば、また反旗を翻すだろう…秋月は決して諦めぬ見上げた根性の持ち主ばかりだからな…


 それは鑑連が秋月と筑前の兵たちの何度も立ち上がる魂を脅威に思っていたからこその考えであった。


 すなわちこの日の出立は単なる『振り』。

 秋月種実をおびき寄せる為の罠であった。


 彼は『立花双翼』と呼ばれることになる彼の片腕の二人、小野鎮幸(おのしげゆき)由布惟信(ゆふこれのぶ)らと共に付近の茂みに兵を伏せた。そして吉弘鎮理らの諸将には、事前の手はず通りに日田街道へと兵を進めるように指示したのであった。


「では我らはこれより日田街道より帰路につく!皆のもの!周囲に警戒を怠ることなく、急ぎ軍を進めよ!」


 行軍の指揮は常に吉弘鎮理がとっており、この時も彼が号令をかける。この時点で大友軍の中には『雷神』の姿はなかったのだが、その事に気を留める者だと誰一人としていなかったのであった。


 まだ日が明けてから間もない。既に秋の訪れを感じさせるように、冷んやりとした空気に包まれる中、大友軍は静かに行軍を開始した。


 …と、その時だった。


 彼らが背中を見せるその隙を待っていたかのように、「ワァッッ!!」と喚声が休松の地を震わせたのである。


 それは…


 秋月種実が率いる四千の軍勢であった。


「今ぞ好機!! 積年の恨み!!今こそ果たして見せる!!いけぇぇぇぇ!!!」


ーーウオオオオオ!!!


 猛獣の雄叫びが吉弘鎮理の背中を襲う。

 ドドドドッ!という突撃の地響き。

 それに対して吉弘鎮理は素早く全軍に指示した。


「行けっ!!とにかく前へ進むのだ!!」


 それは迎撃ではなく撤退。

 とにかく逃げることを選択したのだった。


 猛烈な勢いで追う秋月軍。

 必死の形相で逃げる大友軍。


 しかしこの場合、背中を追う方が速いというのは、古来からの決まりのようなものだ。秋月軍は見る見るうちに大友軍の背中に迫っていった。


 そしてもうあと一歩でその槍の先が届こうかというその時であった…



「それっ!かかったぞ!!囲めぇぇ!!囲って殲滅せよ!!えいとうっ!!」


ーーえいとうっ!!


 なんと周囲の茂みの中から戸次鑑連の軍団が突如として急襲してきたのである。


「なんだとっ!?」


 流石の種実と言えどもこの奇襲は全くの想定外であった。


ーーうわぁぁぁ!!なんじゃぁぁぁ!?

ーーひぃぃぃ!『雷神』だ!!『雷神』がおるぞ!


 古処山籠城戦では動じることすらなかった秋月兵であったが、あまりに突然降って湧いた恐怖に、腰を抜かす者が続出した。


 一方の戸次鑑連は、かつて雷に打たれたことで足が不都合にも関わらず、愛刀の『雷切』を振るって、ばったばったと秋月兵を刀の錆に変えていった。


 大混乱に陥る秋月軍。そんな彼らにさらなる追い討ちが降りかかった。


「今だ!!反転せよ!!全軍!!突然!!」


 なんと計ったかのように、吉弘鎮理が大友軍を率いて秋月軍へと反転攻勢してきたのだ。

 ここに大友軍約二万が、混乱の極みの最中にある秋月軍約四千を完全に包囲した。


 昨日から降り出した雨は、少しずつ強くなる。


 雨がしたたるその音は、秋月兵たちの断末魔の叫び声と、槍や刀がぶつかり合うその音にかき消される。


 もはや言葉など出ない。


 とにかく襲いかかる敵をなぎ倒すことに秋月種実は、全神経を集中させていた。そんな彼を守る兵たちは、一人また一人とその数を減らしていく。

 ここまで窮地に追い込まれれば、いかに猛虎の如き種実も『死』を覚悟していた。

 もう『雷神』戸次鑑連がどこにいるのかということさえも興味はない。…いや、正確に言えば、もう何も考えられる状況ではないのだ。生存本能だけが彼の手足を動かしていた。


「そこにいるは秋月種実とお見受けいたす!!われは小野鎮幸!!いざ!尋常に!勝負!」


 彼は種実とわずか二歳しか歳の離れていないが、後に太閤秀吉をして『日本七本槍』の一人と賞賛したほどの猛将。既に虫の息といった状況の種実がかなうはずもない相手なはず。それでも彼は死力を尽くして鎮幸に刀を振りかざしていった。その直線的過ぎる動きは、鎮幸に対して「槍で突いてください」と言っているようなもの。

 

「うらぁぁぁぁぁ!!」


 鎮幸は雄たけびを上げると、種実の喉元に向けて必殺の一撃を繰り出さんと、槍を構えた。

 

 種実の目が大きく見開かれる。ようやく自分が死地に立っていることに気付いたが、その時にはもう遅かった。疲労困憊の彼の体は、もはや彼の思い通りにはならないのである。

 

――もはや、ここまで…


 そう種実は諦めた。

 

 所詮は『雷神』と自分とではその格が違いすぎたのだ…

 

 一筋の涙が雨とともに筑前の土を濡らす。

 

 それでも、後悔はない。

 

 決して幸多き人生とは言えぬが、それでも不幸とは思えぬ人生であった…

 

 

 しかし…

 

 

 筑前の不屈の魂は、彼が斃れることを許さなかった――

 

 

――負けるなぁぁ!! 這い上がれぇぇぇ!!!



 雨を切り裂く刃のような鋭い声が種実の脳に深く刻み込んできた。

 

 その声に弾かれるようにして、種実の体が息を吹き返す。


――ブォォォォン!!!


 とっさに体をひねると、彼の息の根を止めるべく放たれた鎮幸の渾身の一撃が、顔のすぐ横をかすめていった。

 とたんに溢れだす冷や汗。

 種実はとっさに鎮幸から距離を取った。

 

 そこに…

 

「とのぉぉぉ!!!」


 という叫び声が背後からこだましてきたのである。

 それはいつも聞きなれた声…

 

 ふとその声の方を見ると、なんとそこには、城で待機していたはずの惠利暢堯が一軍を率いて駆けつけてきたのが目に入ってきたのだ。

 それも束の間、暢堯の率いる軍勢は、放たれた弾丸のように小野鎮幸の率いる小隊へと突っ込んでいく。

 

「殿を守れぇぇ!! 負けるな!!」


 惠利隊の勢いすさまじく、猛将鎮幸を種実から一気に引き離す。その様子を種実は乱れた息を整えながら、目を丸くしてみつめるより他なかった。

 そして十分に鎮幸の隊が離れたと見るや、暢堯が一人引き返してきて種実のもとへと駆けつけてきたのである。

 

「殿!お怪我はございませぬか!?」


「ああ… しかし、お主はどうしてここに…?」


「申し訳ございませぬ! それがしもここに駆けつけた者たちも、どうしても戦場に立ち、殿の力となりたいとの思いが強すぎたがゆえ、こうして駆けつけた次第にございます!お叱りは後ほどお受けいたします!今はとにかくおひきくだされ!」

 

 その言葉に種実の目が丸くなった。無論それは驚きの表情であることは間違いないが、その感情がもたらされた事は、恵利暢尭がこの場に駆けつけた理由によるものではなかった。


 そう…


「…引くだと… 目の前に戸次鑑連がいるというのにか…?」


 彼はこの後に及んでまだ戸次鑑連を討ち果たすことのみを考えていたのである。

 しかし恵利暢尭は冷静に、残酷な事実を告げたのであった。


「殿、今は泥をすすっても、いかに無様であっても一度引くべきにございます。もはや勝負は決しております」


「勝負が決しただと…」


「はい、我が軍はもはや殲滅寸前。これ以上被害が大きくなるその前に一度引き、再び挑むその時を待ちましょう!必ずやその時はきます!殿!ご決断を!」


 恵利暢尭は非情な選択を種実に突きつける。しかしそれは秋月の未来、いや何よりも秋月種実という主君であり無二の親友の身を想ってこその進言であったのだ。


 長い付き合いの二人。


 種実に恵利暢尭のこの痛切な思いが分からない訳があるまい。


 種実の頬に涙が滂沱として流れ落ちる。


 それでも彼は言葉を発することをしなかった。


 目の前に仇敵を討つという宿願が彼の人生の全てであったからだ。


 すると恵利暢尭は、周囲の種実の護衛たちに大声で指示した。


「皆のもの!!殿をお守りしながら引くのだ!!しんがりはこの恵利暢尭がお引き受けいたす!さあ、早くするのだ!!」


「ま、待て俺は…」


 なおも食い下がろうとする種実。しかし恵利暢尭は一歩も引くことなく、種実の両肩をがしっと掴みながら言ったのだった。


「殿! 殿は負けるおつもりですか!!?」


「負ける…? 俺が…?」


「例えここで命尽きるまで戦おうとも、戸次鑑連に一太刀浴びせるどころか、かすり傷一つ負わせることはかなわないでしょう!それを負けと言わずして、なんと申しましょうや!」


 気づけば恵利暢尭も頬が涙に濡れている。

 彼もまた断腸の思いなのだ。

 その熱い思いが種実の心を震わせる。

 恵利暢尭はなおも続けた。


「殿! 殿は負けてはなりませぬ!!ここで言う負けとは、無駄に命を落とすこと!生きていれば、また屈辱の汚名を晴らせる日が必ずや来ましょう!その時まで負けてはなりませぬ!そして這い上がるのです!!」


 今この時、恵利暢尭は一つの『夢』を叶えていた。


 それはいつも岩山に登る時に胸に秘め続けてきたのと。

 すなわち、いつも秋月種実から差し伸べられていたあの手を、いつかは自分が差し伸べてあげたい、ということだ。


 そう…


 今は恵利暢尭が秋月種実に手を差し伸べていた。


 その手を種実は…



 恐る恐る取ったーー


 

「よしっ!殿がお引きになられる!皆のものよろしく頼んだぞ!!」


 その瞬間に恵利暢尭は大きな声で周囲に指示すると、自分は迫り来る大友軍の中へと身を投じていったのだった。


 こうして秋月種実は、戸次鑑連によって完膚なきまでに叩きのめされた。

 種実が大友軍の追撃を振り払って逃げ延びたその時には、もはや動ける兵は千にも満たなかった。

 そして恵利暢尭も全身に傷をつけながら、命からがら秋月館まで戻ってきたのだった…


 一方の大友軍はほぼ無傷。しかしこの日は軍を動かさなかった。


 こうして激戦となった休松の戦いは、大友軍の圧勝で幕を下ろしたのだった…





 訳ではなかった。



 秋月種実の目は…


 まだ死んでいなかった。


 それは『雷神』戸次鑑連の考えさえも超越したもの。


 筑前の不屈の魂ーー



あと一話か二話だけ続けます。


よろしくお願いします。

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