「人間」であることの証
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毛利中納言輝元は、小さい頃から「人形のよう」という表現がぴたりとはまるような人生を送ってきていた。
その人生は、他人を攻撃することもなく、いつでもおおらかな彼の性格をも形成した。それは外国の将からも「良い人柄」と称されるほどであったのだ。
なぜ彼がそのような人生を送ってきたのか、その理由は周囲が稀有な存在ばかりであったからといえよう。
祖父に毛利元就という稀代の英雄を持ち、そんな英雄に後顧を託された吉川元春と小早川隆景。そして英雄の器をひく急逝した父の毛利隆元…
輝元からしてみれば、みな眩しいほどに輝きを放った、手の届かない空にある星であったのだ。
さらに彼は幼少の頃から養父である小早川隆景から厳しすぎるとも言える「躾」を受けてきた。幼心にその恐怖は深手となって心に刻まれ、いつしか彼は「周囲の言う通りに事を進めていけば万事うまくいく」と思うようになり、自分の殻に閉じこもるようになったのである。
しかし時は流れ、頼みの綱としてきた吉川元春、小早川隆景の「両川」が相次いで没すると、彼に置かれた状況は大きく変わっていく。それは皮肉な事に、政治においても軍事においても、より彼を表舞台へと押し上げていく力となっていったのである。
彼は大いに戸惑った。
彼を囲う「両川」という高い石垣はない。彼は時代と、徳川たちの大大名とも彼自身の力で対峙しなくてはならなくなったからである。
しかし彼は変わらなかった。
人間齢40を超えれば、そうそう変わることなど不可能なのであろうか…彼は相変わらず、自身の決断を下す事をしない「人形」であることに徹し続けたのである。
それはこの歴史を動かす大一番でも、一方の「総大将」へ周囲に担がれるがままに着任してしまったことにつながっているのだ。
そんな彼が今、大いに焦っている。
加藤清正と黒田如水の快進撃、大友義統の心変わり…
全てが彼の周囲の人間が説明してくれた「物語」とはかけ離れた結果になっているが、しかしそれらは彼の心にある種の影を落としたものの、「行動する」までには至らなかった。
ただ、状況は悪い方に進んでいき、ついには彼の心を大きく揺らす事態にまで発展する。
それは黒田と加藤が彼の居城である広島城へと近づいていることであった。
無論、彼はこの時大坂城の西の丸におり、万が一広島城が陥落したとしても、彼の身に危機が及ぶことはない。
しかし、彼は広島城が火の海になる事を大いに恐れていた。
それは…
愛する妻、「二の丸殿」と呼ばれたその人がいるからであったのだ。
「人形」である事を苦もせずに演じ続けてきた輝元が、人生の中で唯一、彼の意志と感情で行動したこと…
それが側室である二の丸殿との婚姻であった。
彼女との運命的な出会いで一目ぼれし、他の者と結婚が決まっていた彼女を強奪したのである。
その事件のせいで、多くの人間が「口封じ」のもと、養父の小早川隆景によって始末された。
表面上では彼女への熱烈で盲信的な愛ゆえの行動であったと映るであろう。
それは物凄く不器用で、強引でどうしようもない事だったかもしれない。
彼女や周囲の気持ちなどを顧みない、愚かな行為であったかもしれない。
確かにその一面は彼自身も自覚をしていた。
しかし一方で、彼が「人形ではない」ことの証を自身の手で示したことの方が、彼にとっては大きく心に刻まれたのである。
すなわち、彼にとっては彼女との結婚こそが自分が「人間」である事を示す象徴的な出来事だったのだ。
だから後悔などしていない。
そして…
二の丸殿も彼の愛と「人間」を受け入れてくれた。
だから、彼女の前だけは、「人形」である自分を捨て、「人間」に戻ることが出来たのだ。
それは彼にとってかけがえのない時間であったに違いない。
そしてそれはいつしか「二人の子供」という愛の形となって彼の腕に抱かれることになったのである。(なお1600年時点で子供は二人だが、1602年にもう一人子供を授かることになる)
そんな彼女の前に脅威が近づいている…
彼にとって、それは「戻る場所」の危機を意味していた。
「人形」である彼は、直臣で年下である吉川広家からの「内府殿にお味方できないのであるならば、せめて大坂城から一歩も出るな」というきつい達しの通りに、戦が終わるまでは日和見を決めるつもりであった。しかし、「人間」である彼はそれを許そうとしない。
ここに輝元の中で「人形」と「人間」の大一番が繰り広げられた。
しかし彼の心の中においては二の丸殿の愛に勝るものなど、一つもなかった。
そして彼は決断するのである。
「徳川家康と急ぎ和睦する」
それは彼が総大将として、初めて「人形」の殻を破る事を意味していた。
そしていざそのことを決断した後は、すごく爽快な気分であった。
彼は揚々と近くの者を呼び、一人の男をこの場に呼びつけるよう指示する。
そしてしばらく一人で爽快感にひたっていたのだが…
呼びつけた男が部屋に入ってきた瞬間、ある感情が夏の豪雨を生む入道雲のように、突然彼の心を覆ってきたのだ。
その正体は「恐怖」であった。
すごく怖い。
なんで自分がこんな目に合わねばならないのか…
人間なにかを決断をしようとした時、弱気の虫が暴れ出すものだ。
それは今まで決断をしたことのない、輝元にしてみれば苦痛そのものに過ぎなかった。
やはり止めてしまおうか…
そんな風に挫折の選択肢が頭をよぎる。
しかしそこに、二の丸殿の愛くるしい笑顔が彼の頭をよぎるのだ。
ああ…俺はなんと勇気がない人間なのだろう
二の丸殿の前だけは…彼女の事を考える時だけは、強い人間でありたい。
そう彼は心で願う。
そしてそれは半ば無意識に言葉となって発せられた。
「秀頼公にお会いしたい、取次ぎを頼む」
その言葉の相手は片桐且元。今や大坂城の全てを取り仕切る家老である。彼を通じて、秀頼との謁見を望んだ。
「かしこまりました。淀殿に頼み、謁見の間にお連れしましょう。中納言殿におかれましても、すぐに本丸へお足を運ぶように」
且元はいつも通りの真面目な顔で輝元の頼みを聞き入れ、その上で適切な指示を出す。
その指示に軽く頭を下げた輝元は、
「あい分かった」
と、即答し腰を上げた。
いつも腰が重い事で有名な輝元が、驚くほど機敏に動いていることに、且元は輝元が秀頼に会いたいという理由が重大であると理解した。
そして且元もそんな輝元の気持ちに応えるように、即座に西の丸をあとにして、淀殿のいる奥の方へと急いだのであった。
毛利輝元の人物像と背景の解釈について様々なお考えはあるかと思いますが、二の丸殿とのエピソードがあまりにも彼の半生の中では衝撃的でしたので、からめてみました。
二の丸殿が関ヶ原の戦いの時点で広島城にいたかどうかについては、文献を見つけることができずに、「広島城にいた」という設定にいたしました。
フィクションだと思っていただければ幸いです。
次回はようやく主人公(秀頼)に話が戻ってきます。