【幕間】秋月のまじない③ 無双の進撃
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永禄4年(1561年) 秋ーー
「負けるな! 這い上がれ!! なんとしても城を奪うのだぁぁぁ!!」
獅子のような咆哮とともに秋月種実は、自ら陣頭に立って古処山城奪還へと突き進んでいく。
一気に山城を駆け上っていくその様子は、まさに龍が天に昇っていく様そのもの。
父と兄、それに多くの家族を討たれ、敗走の屈辱にまみれた四年。その間片時も忘れることのなかったまじないは…
ーー負けるな! 這い上がれ!!
それだけを胸に、毛利元就のもとで必死に働き、そして学んできた。
そしてこの日、養父と言っても過言ではない毛利元就より、兵三千を借り受け、故郷を奪還しようと戦神となって舞い降りたのであった。
それは遠い昔の明…当時は漢王朝末期において、父孫堅を討たれて江東の国を追われた孫策が、兵を借り受けてその地に戻ってきたに似たもの。そしてその孫策の隣には常に周瑜という軍師がいたように、秋月種実の隣には恵利暢堯の姿があったのである。
もちろんこの時はまだ十二歳の彼は、秋月家で重きを成す家柄であっても、兵を率いる将としての参戦はかなわなかった。それでも彼は、種実の側を離れずに従軍していたのであった。
なぜなら彼もあの日から「負けるな! 這い上がれ!!」という言葉を胸に臥薪嘗胆の日々を送ってきたからだ。
彼らの勢いは凄まじく、城を守る大友軍はなすすべもなく三の丸から二の丸、そして本丸へと後退を余儀なくされていく。
この頃の大友家はその勢力を一度に拡大し過ぎたせいもあってか、各地方に万全な兵を配備しきれていなかった。それはここ秋月の地も同じで、古処山城が難攻不落の城ということもあってか、時の大友家当主、大友宗麟は完全に油断していたのである。
しかし今無敵の進軍を続けているのは、この秋月の地を知り尽くした秋月種実。もはやこの時点で勝負は決したと言えよう。
「坂田越後!!本丸一番乗りぃ!!」
種実の重臣の一人からそう大声が上がると、「ワァッ!!」と周囲は秋月兵たちの大歓声に包まれた。
種実の顔にも笑みがもれる。
しかしそれもつかの間、彼はキュッと表情を引き締めると、大きな声で告げた。
「皆のもの!!勝ち鬨を上げよ!!」
ーーエイッ!エイッ!
ーーオオオオオッ!!
古処山を震わせるような声が秋月の美しい空にこだます。
それはまるで天で優しく見守る種実の父や兄、それにこの地で犠牲となった全ての人々に捧げる鎮魂の叫びーー
………
……
翌日――
新たな秋月家当主として見事に古処山城に舞い戻ってきた秋月種実の姿は、戦後の処理に大慌てな城の中にはなかった。
「やっぱりここでしたか! 殿!皆が探しております!早く城に戻られてくだされ!」
そんな彼の事を見つけたのは、いつも通り恵利暢堯であった。彼は頭上を見上げながらそう声をかけると、空からひょこりと種実の顔が現れる。それは小高い岩山の上の大きな石。そこから種実は暢堯の顔を覗き込むと、屈託のない笑顔で答えた。その顔は年頃の少年そのもので、とても前日の戦神の生き写しのような若武者と同一人物とは思えないものだ。
「よお、暢堯! お主もここまで登ってこい!」
そう声をかけられた暢堯の顔がさっと青ざめる。なぜなら彼は未だにこの岩山を一人で登り切る自信がないからだ。その事に気付いてか、種実は続けた。
「はははっ! 俺が手伝ってやるから登ってみよ! 負けるな! 這い上がれ!!」
種実がぐいっと身を乗り出して目いっぱいに手を伸ばす。暢堯はその手を見つめた。
その手を見て暢堯は大きく目を見開いた。なぜならわずか数年前と違って、その手が大きく見えたからだ。実際に種実が年齢を重ねて体が大きくなったから、というのもあろうが、それ以上に暢堯の目には大きく映ったのである。
彼はその手を目がけて、一歩また一歩と岩山を登り始める。すぐに息が上がる。自分の体重を支える手も痺れる。
それでも彼の頭上には彼を包みこむくらいに大きな手が待っている。
そして…
――負けるな! 這い上がれ!!
その変わらぬまじないが、彼の心と体を強くした。
そしてどれほど手足を動かしたか分からなくなったそのうちに「ガシッ」と強く種実の手を握った。
その瞬間に暢堯の体は強い力によって一気に岩山の頂上にある大きな石への上へと引き上げられたのであった。
「なあ、暢堯。 見てみろ! これが秋月の景色だ!」
まだ息が荒い暢堯に対して、種実は眼下に広がる景色に指を差して、そう促す。
暢堯はその指につられるようにしてその方へ目線を向けた。
すると…
そこには見慣れた景色があった。
透き通った清流の野鳥川。その川岸に積まれた石垣。そしてそこにかかる野鳥橋。少し先には町に凱旋してきた時も通った杉の馬場道。その奥には彼らの住む秋月の館、そしてそこへ続く瓦坂――
数年前までは当たり前だったその景色は、何ら変わったところはない。それでも暢堯には今はその景色が、愛おしくて仕方なかった。
ここに帰ってきたのだという実感が自然と胸のうちを熱くともす。
それは種実も同じだった。彼は声にその熱を移して言った。
「暢堯。俺たち戻ってきたんだな」
「ええ、殿。確かに戻ってきました」
「ここからまた始まるんだな… 俺たちの新たな日々が」
「ええ、これからまた始まります」
そんな当たり前のことだけを暢堯に問いかけてくる種実。しかしはっきりと言わなくても暢堯には十分に彼の心が伝わっていた。
――この地を愛しているのだ
ということ。そしてもう二度とこの景色を手放さないことを心に誓い、『夢』に描いていたのだ。
しばらく言葉もなくその景色を見つめていると、乾いた秋風が彼らの頬をなでた。暢堯の体から汗がすっと引いていくと、思わずぶるっと身震いが出る。
その様子を見て、種実がにこりと笑う。しかし次の瞬間には、彼の顔つきはみるみるうちに変わってきた。
その顔はまさに鬼。
前日に彼が戦場で見せたものと全く同じであることに、暢堯は先ほどとは違う意味で身が震えた。
そして種実は、一層声の調子を落として告げたのだった。
「次は… 戸次鑑連… あやつの首をこの手にしてみせる…!」
そう…彼の念願は二つ。一つは今この石の上にいることでかなう事が出来た。しかし、もう一つはまだ遥か先にあるように、暢堯には思えてならない。
なぜなら戸次鑑連(後の立花道雪)といえば『雷神』として九州はおろかその名を天下に知らしめた、戦の天才。しかも今や九州の覇権を掌握している大友家における唯一無二の大黒柱なのだ。
未だにわずか三千の兵しか動かすことがかなわない秋月家など、歯牙にもかけない小さな存在でしかないはず。
しかし種実の目はそんなことなどまるで意に介している様子はなかった。
彼は本気で思っているのだ。
――必ずや、父上と兄上、そして死んでいった多くの者の仇をこの手で討つ…!
と…
それまでは絶対に負けないし、蹴落とされても泥水をすすってでも這い上がり続けるつもりなのだろう。
今までの彼がそうしてきたように…
自分はその背中を支える存在になろう。
そしていつか自分も種実に対して手を伸ばせる存在になりたい。
そう暢堯は心に強い思いを秘めて、種実の横顔を見つめ続けたのであった。
そして…
秋月種実の念願をかなえる千載一遇の機会は、この六年の後に訪れることになるのであった。
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……
秋月種実が古処山城を奪還したその年には、足利将軍家による仲立ちのおかげもあってか、北九州を巡る血みどろの争いを続けていた毛利軍と大友軍の和睦が成立した。それからは、秋月の地を含む筑前国はしばらく平穏な日々が続いたのである。
しかしこの時、時勢をわずかでも知る者であれば、その平穏は仮初めのものであることは、火を見るより明らかなものだった。
秋月種実もその時勢を見誤ることなく、古処山城の支城として、邑城や休松城を整備した。特に休松城には、秋月家の中でも忠義に篤く、猛将として知られた坂田越後を城主にそえて、その防備を固めた。
動かせる兵力も三千から一万二千程度まで増強し、この先に確実に訪れるであろう決戦の日に備えていたのであった。
そして…
永禄9年(1566年)12月――
ついに状況は大きく動いた。
それは、大友家の重臣である高橋鑑種が、なんと毛利元就へと寝返ったのである。
この事実は、まるで水桶をひっくり返したかのように、大友家に大混乱をもたらしたのは言うまでもない。そして、機を見るに右に出る者などいない毛利元就が、そのことにつけいらない訳がない。彼はこの時を待っていたとばかりに、神速の動きをもって行動を開始した。
――毛利の九州への進軍の動きあり!
その一報が風雲急を告げる。
そして、九州北部の大名たちにとっては、それまでくすぶっていた大友支配への不満を爆発させるきっかけにもなったのだった。
永禄10年(1566年)4月――
それは秋月家が最初に古処山城を追われたあの時から実に十年の月日を重ねていたその年であった。
「狙うは大友宗麟、そして戸次鑑連の首!! みなのもの!今こそ立ち上がる時!!」
――オオオオッ!!
秋月種実の天を裂くような号令とともに、秋月の地が揺れた。
ついに彼は古処山城から出撃し、筑前国からの大友軍の排除、そしてその勢いをもって大友軍の本拠まで攻め入ることを宣言したのだ。
そして種実の挙兵がきっかけとなり、一気に戦況は動く。
まずは、肥前国を統一した「九州三傑」の一人、龍造寺隆信も呼応し、大軍を挙兵。そして高橋鑑種も宝満城と岩屋城という筑前国では最重要の軍事拠点をその手中に収めて挙兵をしたのだ。
それまでは秋月らの小大名が騒ぎたてようとも、意にも介さなかった大友宗麟であったが、こうも状況が悪化すると黙っていられるはずもない。
しかし虎視眈眈と隙をうかがう毛利元就に対しての警戒を怠る訳にもいかない。そこで大友宗麟は、自ら毛利軍の動きを睨みつけ、筑前の蜂起に対しては、彼の右腕と恃む者を送ることに決めた。
その人物こそ…
『雷神』戸次鑑連――
その軍勢は、種実の父と兄の命を奪い、秋月家を完膚無きまで破壊しつくしたあの時と同じ二万…
しかもその隣には、大友軍のもう一人の無双、高橋紹運(この時はまだ吉弘鎮理と名乗っていた)の姿。
確実に十年前よりも強くなったその軍を秋月軍は迎え撃つことになったのである。
それはまさに『雷神』が率いるに相応しい強さであった。
仮にも大友家の重臣で、勇猛で知れた高橋鑑種のこもる宝満城そして岩屋城を、さながら赤子の手をひねるかのように、あっという間に攻略した。
電光石火――
その強さと速さはその一言に凝縮できるもの。
そしてその軍勢は二つの堅固な城を破ったにも関わらず、ほぼ無傷なまま、筑前国のさらに奥、すなわち秋月の地へと進撃を開始した。
再び秋月家が倒されてしまうのではないか…
人々は迫りくる戸次軍に対して戦々恐々としている。
しかしそんな人々を見下ろす城の中にあって、秋月種実は不敵な笑みを浮かべながら、その時を待っていた。
――負けるな! 這い上がれ!!
胸の内で何度もそのまじないを唱える種実。彼だって一人の人間だ。百戦無敗の『雷神』が大軍を率いて迫って来るその絶望的な状況に、恐怖を感じないわけはない。
再びあの辛酸をなめることになるのではないか。今度は自分が敵に凶刃にかかってしまうのではないか。
悪い考えは次々と浮かんでは消えを繰り返している。
手の汗が止まらない。見れば膝も震えだしている。
そんな中にあっても彼はその笑みだけは口元に浮かべ続けた。
――負けるな! 這い上がれ!!
たとえこの身が滅びようとも、秋月の人々は守ってみせる。そして、戸次鑑連に一撃を加えるまでは死んでも死にきれない。
その二つの使命だけが彼の心を強くしていたのだった。
ただそんな状況にあっても、彼に勝算が全くないわけではなかった。
城内の兵の整備や、女子供たちの避難など、城に関する一切のことは、若き彼の側近、惠利暢堯が全て取り仕切っているので、何も心配することはない。
それに領地の最前線である休松城には、秋月家の中では勇猛な坂田越後がいる。
ここまで準備が整っていれば、そうそう負けることはないと、種実は信じていたのだ。
そして、もしここを持ちこたえることが出来れば、西からは龍造寺、東からは毛利が一斉に大友に向かって牙をむくことだろう。
そうなれば大友軍の主力ともいえる戸次鑑連は大友家の本拠地である豊後国に退かざるを得ないはずだ。
その時こそ、彼が待ち望んでいた絶好機。
――鑑連の背中を急襲し、その首を取るのみ…
それが種実の勝算。その時までは、絶対に負けるわけにはいかぬと、彼は心に強く決意をして大友軍の動向を見守り続けたのであった。
そしてそれは、永禄10年(1566年)8月14日のことだった。
――大友軍が現れました!! その数、およそ二万!! 瓜生野にて、我が軍と交戦を開始!!
いよいよその一報が種実の耳に届いたのである。
この時点で種実は一つの読みを働かせていた。
それは…
――九月まで守り抜けば、必ずや毛利は動くはずだ!
というものだった。
そしてその期日まで、既に残り二十日をきっている。
堅牢な休松城であれば少なくとも十日は持ちこたえてくれることだろう。もしかしたら期日いっぱいまで持つかもしれない。
――この勝負、わが方に利あり!!
にわかに沸き上がる興奮に、種実はいてもたってもいられずにその場でうろうろと歩きまわった。
そして惠利暢堯を呼び、こう指示した。
「いつでも出撃する準備を整えておけ!」
「しかし殿! 大友軍はすさまじい勢いで迫ってきているのですぞ! ここは城にて迎撃をした方が…」
「そのような事は言われなくても分かっておる! しかし戸次は必ずや、俺に背を向ける時が来る! その機を逃さぬように、今から準備をしておくのだ!よいな!!」
「はっ!」
しかし…
『雷神』の強さは、彼の想像を遥かに超えたものだった――
それは交戦開始の一報が入った翌日のこと…
――邑城、陥落!!
という言わば「想定内」な一報から、わずか数刻のこと…
――休松城陥落!! 坂田越後殿、無念の自刃を遂げました!!
という一報が秋月種実の肝を凍らせたのであった――
 




