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【幕間】秋月のまじない① 黒法師とお付きの少年

この幕間の物語の舞台は、今回の災害においても最も被害の大きかった地域の一つでございます、福岡県朝倉市になります。


全ての災害に遭われた方々に送る、勇気の物語をつづりたく筆をとりました。


心を込めてつづっていきたいと思います。


本編をお楽しみにされておられる皆さまにとっては、大変申し訳ないと思っております。

どうかご容赦いただきますようお願い申し上げます。



 慶長12年(1607年)秋――

 

 とある男がこの日も自分の屋敷に植えられた梅の手入れにいそしんでいた。

 そこに一人の女性が彼のことを訪ねてきたのだが、彼女は音を立てずにそっと彼の背中を見守ることにしたようだ。彼女は近くの大きな石に腰をかけると、穏やかな表情でその男がせっせと木々を手入れしている様子を見つめている。

 

 ふと、その男が女性の視線に気づいたのか、その方へ目をやると、女はニコリと微笑んで男に頭を下げた。

 

「お久しぶりにございます。惣右衛門殿」


「これはこれは、マセンシア殿! こんな山奥までよう来られましたなぁ!」


 男はそう明るい声で女性の挨拶に答えると、その手を止めて彼女の方へと近寄っていった。

 この男の名は黒田惣右衛門直之。彼はかの『天下の名軍師』黒田如水の実弟であり、『黒田八虎』にも数えられた如水の側近の一人だ。そんな彼も兄である如水の死後は、如水の息子であり福岡藩藩主の黒田長政のもとに身を寄せた。

 そして今は大きな梅園のある屋敷で、半隠居生活を送っているのであった。

 

 一方、女性の方は、毛利マセンシア。かの九州三傑の一人、大友宗麟の娘であり、かつて久留米城城主であった小早川秀包の妻だ。

 

 彼らが昵懇の仲となったのは、今から七年前。すなわち遠い東の地で徳川家康と石田三成の一大決戦が行われたその年、久留米城にて夫の留守を預かった彼女の危機を、惣右衛門が救ったことから始まった。

 それまでの間も、同じキリシタンとして互いにその名を聞いた事はあったが、こうして顔を合わせて挨拶をかわす程の間柄ではなかったといえよう。

 一時期彼女は黒田如水の指示に従って、惣右衛門に彼女の子供たちとともに預けられていたが、夫の秀包亡き後は、その遠戚を頼って長州萩城の毛利輝元のもとに身を寄せているのであった。

 

 そんな彼女はこの日、長州から遠く離れた惣右衛門の住むこの屋敷を訪ねてきたのである。

 

 数年ぶりに顔を合わせた懐かしさもあるが、彼女がわざわざ彼の住む場所を訪ねてくれたことに惣右衛門は驚きを隠せなかった。

 そんな彼にマセンシアは、変わらぬ微笑みをもって答えたのだった。

 

「ふふ、『こんな山奥』とおっしゃられても、ここは博多よりさほど離れておられませんではありませんか」


「それでもおなごの足なら博多から三日はかかりましたでしょうに… お疲れでしょうから、茶でもいれましょう。 ささ、それがしについてきてくだされ」


 そう惣右衛門は促すと、彼女を連れて少し離れた屋敷の方へと足を進める。

 その道すがらも、マセンシアは惣右衛門に声をかけた。

 

「ここらは今も昔もさほど変わりませんね」


 その言葉に惣右衛門は、目を丸くする。その様子にマセンシアは、何かに気付いたように目を細めて微笑んだ。

 

「ふふ、そうですか惣右衛門殿はご存じではございませんでしたのね。 ここらはかつて、亡き夫の養父でございます筑前宰相様(小早川隆景のこと)が治められていた頃、一度夫とともに訪れたことがあったのですよ」


「さようでございましたか…」


「だって惣右衛門殿もご存じでしょう。 ここらは紅葉の季節が特にお美しいと有名なのですよ。それを見に来たことがあったのです」


「では、こたびも紅葉をご覧になられに来られたのでしょうか?」


 そう惣右衛門が尋ねると、マセンシアは、静かに首を横に振った。

 

「いえ、こたびは惣右衛門殿を訪ねてやってきたのです」


「ほう… これまたどうして急に?」


「ふふ、この命がこうしてこの世にあるのも、全て惣右衛門殿のおかげ。 その礼をあらためて申し上げたく、こうして参ったのです」


「これはこれは… しかしまた急なことで…」


「ふふ、神のお告げ… とでもしていただければ…」


 そう彼女ははぐらかしたのだが、勘の良い彼女のことだ… きっと何か感じることがあって自分を訪ねてくれたのだろう。その理由を惣右衛門は追及するつもりはなかった。これっきりは互いに特に口を開くこともなく、無言のまま再会の喜びにひたっていたのだった。

 

 

 しばらく道を行く二人。少しずつ色づき始めた木々は、この日の青空によく映えている。ここらが紅葉の名所であることを示すように、どこか誇らしく木々は風になびいていた。

 

 そしてそれはもうすぐ惣右衛門の屋敷に到着する、というその時だった。

 

 惣右衛門は、とある場所でぴたりと足を止めると、その場でひざまずき、黙とうを捧げ始めたのである。

 その場がどのような場所なのか、マセンシアは知らなかったが、それでも彼にならって、彼女も黙とうを捧げる。

 

 そしてしばらくした後、顔を上げた惣右衛門は、顔をかきながら恥ずかしそうに言った。

 

「やや、突然のことでぴっくりなされたでしょう」


「ええ、少し… でも、この場所は何か特別なものを感じます」


 勘の鋭い彼女は何か感じるものがあるようだ。しげしげと辺りを見回している。するとその視線に、人が五人はゆうに乗ることが出来そうな大きな石が入ってきたのである。

 その視線に気づいた惣右衛門は、少ししんみりした声で、彼が黙とうを捧げたその理由を話したのだった。

 

「この大きな石には、とある武士の『夢』が眠っているのです」


「とある武士の『夢』…」


 そこで話しを切った惣右衛門は、ふと視線を彼の屋敷の方へと移した。

 いや、正確に言えばその屋敷の先にある城… いや、『城のあった場所』とするのが正確であろう。

 

 

 その城とは…

 

 

 古処山城――

 

 

 そして彼はその城を見つめながら、つぶやくように言ったのだった。

 

 

「この城と城下町は、かつて二人の親友が『夢』を語りあった場所なのでございます」



 すると勘の鋭いマセンシアは、噛みしめるようにゆっくりと問いかけた。


「その『夢』を守る為に… つまり御取り壊しになるはずのその屋敷を守る為に、『黒田八虎』にも数えられた黒田惣右衛門直之殿が、わざわざこの秋月の地を、わずかな所領でもらいうけた…と…」


 惣右衛門は、無言でこくりとうなずく。そんな彼の横顔を見て、マセンシアは彼にとあるお願いをした。

 

「その『夢』のお話し… この毛利マセンシアにも聞かせてくださいませ」


 それを聞いた惣右衛門は刹那的に目を丸くしたが、すぐに元の穏やかな表情に戻すと「では、屋敷の中で続きをお話しいたしましょう」と、彼女に促したのだった。

 

 

◇◇

弘治2年(1556年)――


「黒法師さまぁぁ!! お待ちくだされぇ!!」


「はははっ! 追いつけるものなら追いついてみよ! はははっ!」


 古くは天台宗の祖、最澄がその山中で薬師如来像を彫ったとされる霊峰、古処山の麓にあって、少年の元気な声が響き渡った。

 それは「黒法師」と呼ばれた輝く太陽のような笑顔を見せる少年と、同年代の顔を青ざめさせている少年の二人の姿。

 そんな対照的な二人が街を駆け抜けていった。

 

 町の人々は、皆穏やかな笑みを浮かべながら二人の様子を見守っている。

 

――また黒法師様がいたずらでもされたのかねぇ


――まだ小さいのに、黒法師様のお付きの方も大変だねぇ


 そんな声があちこちから聞こえる中、黒法師と呼ばれた少年は、そんなものには耳も貸さずに、町の中を風となって巡っていく。

 ここらは古くから「筑前の小京都」と呼ばれるほどに栄えた町。それでも遠い京の地に比べれば、自然も豊かでのどかな街並みが続いている。

 春になれば桜が咲き誇り、秋になれば紅葉に燃える… そんな風光明媚な景色と、人々の営みが絶妙に織り成す光景は、この地ならではのものと言えるかもしれない。

 

 しかしこの地で生まれ育った黒法師にしてみれば、そんなことは別にありがたくもなんともない、「当たり前」のことだ。

 

 今彼の目は、その街並みではなくただ一点のみに注がれている。

 

 そして…

 

 いよいよその目的の場所へととどりついたのであった。

 

「へへへ! 今日こそ登ってやるからな!!」


 一つ舌なめずりをした彼は、その場でぐいっと頭を持ち上げて見上げた。

 その彼の視線にあったものは、小高い岩山その頂上には大きな石が悠然と構えている。ゆうに彼の小さな体がすっぽりとおさまってしまうほどのその岩山を見上げながら彼は、そう決意を固めたのであった。

 

 しかしそんな彼の決意を鈍らせようと、ようやく彼に追いついたお付きの少年が半べそをかきながら声をかけてきた。

 

「黒法師さまぁ! もう止めにしましょうよぉ! 殿に怒られてしまいます…!」


「ええい!うるさい!! さように臆しているなら、俺に構わずにどこぞにでも行っておればよい!」


 小さな手を石のくぼみにかけながら黒法師は振り払うようにして怒鳴り散らす。

 そして彼はなおも諌めようとするお供のことなど見向きもせずに、その岩山へと『勝負』を挑んだのである。

 

 幼少の彼にとってそれはまさに『壁』。一つ二つと手を伸ばすが、その先がまだある。

 手は痺れ、力を込める為に止めていた息が行き場を失って、胸の内が破裂しそうになるのが苦しい。

 

 それでも彼は諦めることなく震える手を伸ばし続けた。

 

「負けるな! 這い上がれ!!」


 その言葉こそ、彼が自分に唱え続けたまじない。それは幼い彼が、事あるごとに父から聞かされていた言葉だ。それを口にすることで、彼は誰にも負けない力が沸き上がるような気がしてならなかった。

 

 どんなに苦しい時も、このまじないさえあれば何だって出来る気がしていたのである。

 

 そしてそれはこの小さな岩山に挑んでいる今も同じであった。

 

 なぜ彼がこの岩山の上に立とうとしているのか、そんな事は彼自身にすら分かるはずもない。

 なぜならそこに確固たる理由などないからだ。

 それでも彼が一種の使命感を持ってその岩山に挑んでいるのは、戦国乱世にあって彼なりに自分の力を示す機会であると信じてやまなかったからであった。

 

 いつのまにか止めていた息が上がっている。

 

 力が抜けそうになるのが分かる。

 

 それでも彼の小さな左手は、つかんだ石を離さない。

 

――負けるな! 這い上がれ!!


 その言葉を今度は心に唱えると、彼は残った右手を天をつかむ気持ちで目いっぱいに伸ばした。

 

 そしてついに――

 

「よっしゃぁぁぁ!! やったぞ!!はははっ!!」


 彼は岩山の頂上にある石の上に立ったのだった。

 

 すると下からうめき声が聞こえてきた。その声に思わず登ってきた石の下を覗きこむと、なんと彼のお付きの少年が、懸命に彼の後を追うように登ってこようとしているではないか。

 しかし黒法師と呼ばれた少年に対して、少し体付きの小さいその少年は、もはや虫の息といった感じで、とても岩山の頂上まで登れそうにない。

 それでも少年は諦めず、苦しみのあまりに涙を流しながら主人である黒法師にどうにか追いつこうと必死に食らいついているのである。

 

「負けるな! 這い上がれ!!」


 黒法師は、少年に大きな声をかけて励ました。

 そして体の半分を乗り出して、右手を大きく伸ばした。

 

「この手をつかむまで負けるな!! お主も秋月の一員なら、なんとしても這い上がってこい!!」


 本来なら少しでも体を動かそうものなら、その瞬間に少年は岩山の下の地面へとその体をうちつけられているところだろう。

 しかし少年のその涙でかすんだ目には確かに、黒法師の小さな手が映っていたのである。

 

――負けるな! 這い上がれ!!


 少年もそのまじないを心に唱える。

 

 そして…

 

「うあぁぁぁぁぁぁ!!!」


 という腹の底から湧き出た叫び声とともに、黒法師の右手に向けて、左手を伸ばしたのだった。

 

――ガシッ…!


 力強く握られた二人の少年の手。

 

 黒法師の体に一気に少年の体重がのしかかると、思わず全身が投げ出されそうになる。

 それをどうにかして抑えると、全身全霊の力を込めて少年を引きずり上げたのであった。

 

「はぁはぁ…」


 しばらく息が上がって呼吸すらままならない二人の少年は、その石の上で大の字になって寝転がった。

 

 そして…

 

「ふ…ふははははっ!!」


 と黒法師が大笑いを始めると、少年もまた

 

「ははははは!!」


 と、先ほどのべそなどどこかに吹き飛ばして大声で笑った。

 

「どうだ!? 俺たちに出来ぬことなどないっ!! 何だって成し遂げてみせるさ! はははっ!」


 そう黒法師が笑い飛ばせば、

 

「はいっ! どこまでもお供いたします! ははは!」


 と、少年もそれに同調する。

 

 わずか五つしか歳が離れていないこの主従は、この時から同じ『夢』を見ていた。

 それは決して「天下統一」だとか「上洛」などといった大それたものではない。

 ただ単に「壁があれば乗り越えてみせる!」という、これから先に訪れるであろう見えぬ障害に向かっての決意に他ならなかった。

 

 この二人の少年…

 

 黒法師と呼ばれた少年は、時の秋月家の次男にして、後にかの『雷神』立花道雪すら好敵手として一目置いた、秋月種実(あきづきたねざね)

 そして彼のお付きの少年は、種実の側近にして親友でもある、恵利暢尭(えりのぶたか)

 

 この二人は家名から取った地名である秋月の地において、象徴ともいえる大きな石の上に立って、その景色を眺めていた。

 

 しかし景色といってもなんのことはない。見えるのはいつも通りの野鳥川と石垣、それに秋月の街並みだけだ。

 それでも彼らは言葉にならぬ充実感にひたり、この先の未来に想いを馳せていたのであった。

 

 その未来にどんな事があろうとも「負けるな! 這い上がれ!」このおまじないがあれば、乗り越えられる。

 

 そう信じてやまなかったのである。

 

 ところが歴史の歯車は、容赦なく彼らに無情な未来をつきつけることになる。

 

 そしてそれはわずか一年後の後にやってくるのであった――

 

 

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