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弟よ!幸あれ!【終幕】天空舞う鷹は気高く笑う(4)

心を込めて書き上げました。


乱文ではございますが、どうぞ一読いただけますと、幸いにございます。

◇◇

 慶長12年(1607年)2月13日――

 

 その日の事を、俺、豊臣秀頼は生涯忘れることはないだろう。

 

 しかし、「生涯忘れることがない」という表現はありふれたものであり、俺の記憶に一生涯に渡って頭の中に焼き付く出来ごとは、この日の事以外にも多くあるはずだ。

 それでもその表現以外に、しっくりくるものはないのだから、仕方のないこと。

 

 なぜならその日は俺がこの時代にやってくる前にも味わうことのなかった、「家族との永遠の別れの日」だったのだから…

 

 

………

……

 越前屋敷――

 

 

 俺の『兄』である結城秀康が主人のこの屋敷に足を踏み入れたのは、恥ずかしいことにこれが初めてであった。もしかしたら俺がこの時代にやってくる前に、誰かに連れられてきたことがあったかもしれない。しかし、少なくとも自分の意志で、ここに訪れるのはこの日が初めてであることは明白であった。

 そして屋敷が近づくにつれて、ますます俺の口数は多くなり、喜びに満ちた前向きな言葉の数々が周囲を明るくしていく。

 

 

――越前卿が病魔を克服した!



 この一報が俺の耳に入ってきたのは、これよりわずか三日前の事だった。

 それを聞いて、思わず歓喜の声を上げて飛び跳ねたのは俺だけではない。淀殿も千姫も、そして真田幸村までもが喜びの感情に身を委ねて、小躍りをしていたほどで、まさに大坂城全体が喜びの色に包まれたのである。

 

 そして間髪入れずに俺のもとに届いた一通の書状。それは昨日、大坂城に届けられたもの。

 その内容は、俺を越前屋敷に招きたいというものだったのだ。この書状に俺はさらに喜びを爆発させたのは言うまでもないだろう。

 

 その指定日は書状が届けられた日の翌日… すなわち今日。

 

 今思えばあまりに急であることを不審に思っても良かったのかもしれない。しかし俺は「元気になった兄に会える」というだけで、有頂天となり脇目も振らずに出立の準備を始めたのであった。

 

 そしてあっという間に今日を迎えた。

 

 俺は朝一番に大坂城を出ると、真田幸村や木村重成らをお供に、淀川から京へと入っていった。

 

 この日も春のような陽気。

 


――もうすぐ!もうすぐ兄上に会える!



 興奮のあまりに一睡も出来なかったが、身も心も軽い。

 俺はまるで宙に浮くような心持ちのままに、京の街を歩いていったのだった。

 

 

 しかし…

 

 俺の心の片隅には確かにその芽は出ていたのだ。

 


――歴史は変わっていないとするならば、結城秀康はあと三ヶ月後にはこの世の人ではなくなっているはず…



 という残酷な事実の芽が…

 

 それを自分自身で覆い隠すように、無意識のうちにいつも以上に明るく振舞っていたのだった。



………

……

 周囲と談笑しながら、意気揚々と越前屋敷までやってきた俺を出迎えてくれたのは、結城秀康の息子である仙千代だった。

 しかしその様子は明らかに変であった。いつもの彼なら少年らしく、元気な声で俺の元まで駆け寄ってきてもおかしくないのだが、口を真一文字に結んだ固い表情のまま、まるで迎賓するようなかしこまった態度で俺に頭を下げているのだ。

 そんな彼に対して俺は眉をしかめた。



「やいっ!仙千代!なぜそのような辛気臭い顔をしているのだ!?笑う門には福来るという言葉を知らんのか!?はははっ!」



 本当はもうこの時点で俺は気付いていたんだ。


 結城秀康の体調が芳しくないということに…


 それでも俺をここに呼んだことの意味に…


 なぜなら仙千代のその瞳は哀しみにあふれ、今にもこぼれそうな程に涙が溜まっていたのだから。


 それでも俺は笑った。


 明るく振る舞えば、笑顔を見せ続ければ、きっと全てが上手くいく、そんなすがるような思いだった。


 仙千代は俺にその顔を見せまいと、くるりと背を向けて「ついてきてくだされ」と言い、前に進み出す。


 それでも俺は彼の背中に向けて言葉を発し続けた。


ーー近頃旨い菓子が異国から届いてのう!今度越前にも届けさせるゆえ、一口食ってみよ!ほっぺが落ちるから!


ーー鷹狩りとはなかなか楽しいひと時であった!今度仙千代も共にしよう!



 しかしそれらの言葉に仙千代は答えない。それどころか徐々に早足になっていき、まるで俺がその背後についてきていることすらからも気を逸らそうとしているように思える。


 その小さな背中は小刻みに震えていた。


 きっと滂沱として流れる涙に視界は濁っているに違いない。そして、俺の「空回りの気遣い」が、鋭い刃となって突き刺さっていることだろう。


 それでも俺は笑い続けた。


 そうしなくては、俺自身が壊れてしまいそうな気がしてならなったから…


 そして…


 とある豪勢な襖の前で、仙千代は足を止めると、その涙で濡れているであろう顔を隠すように頭を下げて、大声で中の人に告げた。



「豊臣右大臣様がご到着されました!!」



 気丈にも声を震わせずに透き通った声を出した仙千代。すると中から大きな声が返ってきた。



「お通しいたせ!!」


「はっ!!」



 仙千代は短く返事をすると、襖に手をかけた。


 そして、それを一息に引く。


 その次の瞬間…


 俺の目に飛び込んできたのは…


 その人の神々しい姿ーー


 顔中を白い布で覆い尽くし、その背中を二人の小姓が支えていなければ、座ることすらままならない。


 それは既に死期を覚った兄、結城秀康。


 そんな痛々しい姿に対して俺は…



 満面の笑みを見せたーー



「兄上!秀頼にございます!!こたびはお招きいただき、誠にありがとうございます!はははっ!!」



 結城秀康の表情は変わらない。


 いや、正確には、その目と鼻と口しか表に出ておらず、その表情を読み取ることはできないのだ。もしかしたら既にその目には光が映っていないのかもしれない。


 それでも気高く…


 凛と背筋を伸ばし…


 俺の方へと慈愛に満ちた視線を送っている。



 俺はそのまま「どしっ!どしっ!」とわざと大きな音を立てながら、大股で結城秀康の目の前まで足を進める。


ーー兄上!!秀頼はここにおります!


 と言わんばかりに。


 すると頃合いを見計らって、結城秀康の隣に座っていた彼の側近と思われる人が口を開いた。



「豊臣右府様におかれましては、大坂よりわざわざお越しいただき…」



 しかし…



「兄上!!もうすぐ桜の季節ですな!今年はわれも醍醐の桜を見とうございます!是非連れていってくだされ!!」



 立ったままの俺は最後まで言わせない。



 なぜならもうこの時点で気付いていたのだ。

 兄…結城秀康は、その喉が病によって潰されているということに。

 そして彼の側近が、彼に代わって形式ばった挨拶を行おうとしていることに。

 

 しかし今はそんなものは必要ない。

 

 部屋中をビリビリと震わせるような俺の大きな声。

 

 その声にその側近も、小姓たちも思わず顔を上げて目を丸くしたが、すぐに俺の頑として譲らぬ強い意志に気付いたのだろう。彼らはすぐに元の固い表情に戻してうつむいた。


 一方の結城秀康はというと、その優しい目の色も、苦しそうに半開きになっている口元も、気力だけで佇んでいるその座り姿も、全く変わらない。

 

 俺は続けた。

 

 兄とともに過ごす未来を。

 


「兄上!!夏になったら海にまいりましょう!!兄上は西瓜という食べ物はご存じでしょうか!?それがみずみずしくて旨いのです!それを熱い砂浜で共に召しあがりましょう!」


 

 心の底から沸き上がる感情を、ありったけの大きな声に乗せて叫ぶ。

 

 

「兄上!!秋になったら紅葉を見にまいりましょう!!紅く染まった山々を見渡すような場所まで、共に汗をかきながら歩くのです!きっと気持ち良いものですぞ!はははっ!!」



 少しだけ、ほんの少しだけ未来の、小さな小さな『夢』を叫ぶ。

 

 そんな『夢』なら叶うはずだと信じていた。

 

 大きな『夢』でなければ、神様だって許してくれるんじゃないかと信じていた。

 

 だから…

 

 だから、どうか俺から奪わないで欲しい。

 

 

 俺の兄きを!!

 

 

 俺の『夢』の話しは少しずつ前に進んでいく。

 

 

 冬がきて、春になり、そして夏、秋が過ぎて、また冬に戻る…

 

 

 ほんの少しずつ、俺の語る未来は進んでいき、そこにはいつも兄がいた。

 

 

 豊臣だとか、徳川だとか、そんなつまらぬしがらみは一切ない。

 

 

 そこには兄がいて、母がいて、そして妻がいて、従弟がいて…

 

 そう、ただ単に「家族」がいる。

 

 そんなどこにでもありふれた未来の話しだ。

 

 そんな未来が楽しくないはずがない。

 

 おのずと声が弾む。それは毬のように部屋の中を踊った。

 

 しかし…

 

 俺の足元の床は涙で濡れていた…

 

 気付けば、結城秀康の側近も小姓もみな嗚咽にうつ伏せとなり、部屋の外からは仙千代や木村重成らのすすり泣く声が聞こえてくる。

 

 それでも俺は笑顔を見せた。

 

 目から出る涙は濁流になろうとも。

 

 それこそが俺の一分だった。そうすれば必ずかなうと信じていた。

 

 きら星のように部屋の中に輝く『夢』たちが――

 

 

「その次の春は… 兄上!!異国に行きましょう!!異国に行って色んなものを共に見てみましょう!!約束ですぞ!!ははは!!楽しみじゃ!!」



 いつの間にか果てしない『夢』が俺の口から飛び出したその時だった。

 

 

――ガシッ…!!



 俺は突然、強い力を腰に感じた。

 

 誰かに抱きつかれているその感覚…

 

 それは…

 

 

 動けるはずもない、兄が小姓の手から離れて俺に抱きついていたのだった――

 

 

「兄上!!!!」



 俺は思わずしゃがみこみ、兄の体を支える。

 

 すると兄の顔が間近に迫ってきた。

 

 焦点の合わぬ瞳に、相変わらず苦しそうな口元は全く変わらない。

 もちろんその口から言葉が発せられることもない。

 

 それでも、その顔から、その体から伝わってくるその想いは、どんなに飾った言葉よりも、俺の胸に強く刻まれる。

 

 それは…「ありがとう」と「すまない」の二つ。

 

 俺は思わず首を横に振った。涙が飛び散り、秀康の着物を濡らす。

 

 

「いやじゃ!いやじゃ!!兄上!!どこにも行かないでおくれ!!これからも不肖のこの弟を支えておくれ!!」



 まるで駄々をこねるような俺。

 

 

 その時…

 

 

――ガッ…



 と、俺の両頬を兄は両手で抑えた。

 

 

 そして俺の顔をじっと見つめる兄。

 

 

 その気迫に押されたように俺の目からは涙が止まり、少しずつ鼓動が収まっていった。

 

 

 その間は誰も何も言葉を出さず、ただ静寂だけが部屋を支配した。

 

 

 しばらくして、ようやく俺の荒波のような感情が鎮まりを見せたその時であった…

 

 

 兄の口から…

 

 

 笑みがこぼれた――

 

 

 そして…

 

 

「さ… よ… な… ら… 」



 それはただ単に空気が漏れただけかもしれない。

 

 しかし、俺には確かに聞こえたのだ。

 

 どんなに俺が乱れようとも、どんなに周囲が悲嘆にくれようとも、一切涙を見せなかった気高い大鷹が、別れを告げたその声が――

 

 

 頭が白くなり、茫然と立ちつくす俺。

 

 兄はそんな俺から少しだけ離れた。

 

 慌ててその体を支えようと彼の側近と小姓が近寄る。

 しかし、兄はその手を借りずにその場に座りなおした。

 

 

 そして…

 

 

 俺に向けて深々と頭を下げたのだった。

 

 

 それは…

 

 

 『兄』が『結城秀康』に変わった瞬間であった。

 

 

 つまり…

 

 

 豊臣家当主に向けて臣下の礼をとった瞬間という意味…

 

 

 そこに秘められた兄の強い気持ちに…

 

 

 俺は応えた。

 

 

 天まで届くような声で。

 

 


「結城中納言よ!! これまでのそなたの天下への奉公、実に大儀であった!! これからはゆっくりと休まれよ!!」



 と…

 

 

 

………

……

 俺、豊臣秀頼と一行は、越前屋敷を出た後、その日のうちに大坂城に戻った。

 

 うつむいたままの俺の背中から、淀殿や千姫から声がかけられたが、俺は聞こえぬ振りをしたまま逃げるように自室に入ったのだった。



 一人になったことで訪れる静寂は、俺の抑え込んでいた感情を引き出す。


 溢れる涙と漏れる嗚咽に俺は身を任せ続けた。



 辺りはとうに暗くなり、夕げの頃などとっくに過ぎている。不思議なことに時が経てば少しずつ昂った感情は収まっていく。それに窓から入る月の明かりは、俺の哀しみを綺麗に洗い流そうとしているように感じられる。時の流れや、自然の現象は、どんなに人の世が哀しみに包まれようとも変わらないのだから、無情なものだ。


 その明かりを頼りに俺は一通の書を開いた。


 それは越前屋敷から帰りがけに、仙千代から手渡されたもの。


 なんでも兄が昨日のうちに書き上げたものらしい。


 泣き疲れた俺は、重い手つきで書をひらひらと広げる。


 そしてそこに書かれた字に目をやった。



 その瞬間…



 再び俺の頬は滂沱の涙に濡れた。



 その字は大きく曲がり、お世辞にも上手く書けてるとは言えない。


 しかしそこには渾身の想いが込められていた。


 その内容は…


 たったの一言…


 それは…





ーー弟よ 幸あれ





 それは『兄』として、最後の最後まで、弟を想う言霊ーー




◇◇

 慶長12年(1607年)閏4月8日ーー


 ここにまた一人、乱世に翻弄されながらもどこまでも気高く生き抜いた将星が、その輝きを放ったまま、越前の空に落ちていった。


 彼が見た最期の『夢』は、一体何だったのだろうか。


 それはもちろん本人より知ることはない。


 しかしきっとこんな『夢』を見ていたのではないか。



 『父』と『弟』、それに『兄』の三人が、笑顔で手を取り合っているそんな希望に満ちた未来をーー






 

 




全ての読者様に感謝を申し上げます。


皆様の支えあって長きに渡ったこのシリーズも終幕を迎えることができました。


近頃は感想を返すのも遅くなり、誠に申し訳なくおもいます。しかし、皆様の暖かいお言葉に力をいただいて前に進めているのだと思っております。

これからも応援のメッセージやご感想をいただけると幸いにございます。


どうぞこれからもよろしくお願いします。


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