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【おさらい】九州編終了時点の動き ※挿絵あり

【年表】

※慶長5年は西暦1600年になります


慶長5年8月21日

豊臣秀頼が3通の書状を発行。


慶長5年8月25日

周防(現在の山口県)の上関港にて大友義統が秀頼からの書状を受け取る。

大友は西軍から東軍に翻意し、九州を目指す。


慶長5年8月26日

肥後(現在の熊本県)の隈本城にて加藤清正が秀頼からの書状を受け取る。

山陽道を通り大坂城を目指す準備を進める。


同日

豊前(現在の大分県)の中津城にて黒田如水が秀頼からの書状を受け取る。


慶長5年8月28日

大友義統が九州上陸。豊前にて軍備を進める。


慶長5年8月29日

加藤清正が隈本城を出発する。


同日

大友義統が臼杵城に客人として入城。


慶長5年8月30日

加藤清正が柳川城の牽制の為に兵500を置き、同城を通過。


慶長5年9月1日

加藤清正が久留米城に到着。開城の勧告をするも、断られる。


同日

黒田如水が兵5000を率いて、中津城を出立。

同時に栗山善助、井上九郎右衛門の軍勢も出立する。


慶長5年9月2日

加藤清正が久留米城の攻撃を開始。(久留米城の戦い)


慶長5年9月3日

黒田如水が久留米城に到着。

如水の勧告により、久留米城は開城。


慶長5年9月4日

臼杵城の変が勃発。

太田一吉が大友義統の手にかかり殺され、城ごと乗っ取られる


慶長5年9月10日

加藤・黒田の連合軍が九州から本州の周防に到着


慶長5年9月

黒田如水の家臣、栗山善助が富来城、安岐城を攻略。

黒田如水の家臣、井上九郎右衛門が、角牟礼城、隅城を攻略。


【勢力図(北九州地方)】

挿絵(By みてみん)

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