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弟よ!幸あれ!㊵主役を食う人々

◇◇

 慶長11年(1606年)12月24日ーー


 信濃国川中島には、続々と各地から人が集まってきていた。城には入りきれないほどの人が長蛇をなし、街の宿という宿は数日前から満室となっている。


 なぜこれほどまでにこの地に人が溢れているのか、と問われれば、答えられぬ者など誰一人としていないだろう。

 それは言うまでもなく、信濃国川中島藩主にして、大御所徳川家康の実子である松平忠輝の婚儀が盛大に執り行われる日だからである。


 江戸からも京からも離れたこの野山に囲まれた不便な場所がここまで盛り上がることなど、後にも先にもないことだろう、街の人々はそんな風に感じていたに違いない。まさに正月と盆が同時にやってきたほどに、城も城下町も物凄い熱気に包まれていたのだった。


 そんな中…


 もはやこの日の主役をも凌駕するほどの圧倒的な存在感を放った二人が、なんと同時に東西別々の道からこの地に降り立ったのである。


 それは…


 西からは、『越前卿』と渾名された大御所、徳川家康の実の息子であり、時の将軍、徳川秀忠、そして今回の主役の一人である松平忠輝の兄でもある、結城秀康。およそ百人のお供を引き連れて、威風堂々と大手門前まで栗毛の駒を進めてきた。


 そして東からは…


 後世になり『独眼竜』と渾名された、大御所でさえも一目置く東北の龍にして六十二万石の仙台藩藩主、今回のもう一人の主役、五郎八姫(いろはひめ)の父親でもある伊達政宗。こちらはお供はわずかながら、いずれも豪の者としか言えない者たちばかりだ。その中には、政宗の側近で仙台藩の軍務と政務の両方に絶大なる影響力を持つ片倉景綱の息子であり、後に「鬼の小十郎」と渾名されることになる片倉重綱の姿もある。政宗は屈強な男たちを引き連れて、肩をいからせて青毛の駒を進めてきたのだった。



「これはこれは越前卿。かようなところで顔を合わせることになろうとは、思いもよりませんでした」


「うむ、お主は伊達少将か」



 互いに馬から降りることなく、顔を合わせる。


 結城秀康の方が七つ歳下ではあるが、官位と格の上では圧倒的に上。本来ならば、伊達政宗の方から馬を降りるべきところであろうが、彼はそうしようとしない。


 もちろん結城秀康率いる越前兵たちがそんなふてぶてしい政宗の態度を面白いと感じるはずもない。しかし、一方の伊達男たちは、そんな越前兵たちの刺すような視線など物ともせずに平然としている。


 結城秀康と伊達政宗。微笑を浮かべながら互いに目を合わせる二人と、その背後にいるそれぞれのお供たち。短い挨拶の後は、互いに口を開かないその空間は、近寄りがたく、さながら戦場を思わせる緊張感に包まれていた。


 そんな折、一人の色黒の男が、こちらもずらりとお供を引き連れて、ゆっくりと大手門から徒歩で現れた。


 その男は、大久保長安。言わずと知れた徳川家康の老中にして、江戸幕府の勘定奉行であり、幕府の財政のほとんどを取り仕切るほどの、こちらも超がつくほどの大物だ。


 しかしそんな彼だけは、徒歩のまま、二人を見上げるように腰を低くすると、丁寧にお辞儀をした。



「越前卿に伊達少将様。ようこそいらっしゃいました。忠輝様がお待ちになっておられますゆえ、どうぞこちらにお越しくださいませ」



 彼の清流のような言葉は、結城秀康と伊達政宗の間に流れる微妙に熱を帯びた空気を洗い流すようだ。

 二人とも「うむ、よろしく頼む」とうなずくと、馬を並べたままに、大手門をくぐったのだった。



………

……

 結城秀康と伊達政宗の到着から遅れることわずか四半刻。


 再び東西の道からほぼ時を同じくして、二つの大物の大名家の代表が到着した。


 西からは、豊臣家を代表して、大坂評定衆の一人、織田老犬斎と、今や豊臣秀頼の側近、後世『ひのもといちのつわもの』と渾名されることになる真田幸村。

 そして東からは、米沢藩を代表して当主の上杉景勝の側近中の側近、直江兼続の姿。


 それは豊臣家の一団の先頭を行く真田幸村が、前方から来た上杉家の一団を見つけた時であった。



「ややっ!あれはもしや上杉家の人々…では、直江山城様もおられるのか!?」



 そうハッとした顔をした幸村は、反射的に馬を降りて、大手門の手前で一団を制止させると、前から来る上杉家の一団を軽く頭を下げて待った。

 すると直江兼続の目にもその様子が映ったのだろう。中団あたりにいた彼は馬を飛ばして先頭まで躍り出てくると、彼もまた馬を下りて、上杉の一団を手で制したのであった。



「源二郎!!そこにおるのは源二郎であるか!!」


「はいっ!源二郎にございます!いやはや、ここで奇遇にも旦那様にお目にかかることは出来るとは、これほど幸先のよいものはございません」


「はははっ!それはこちらも同様である。元気そうで何よりだな」



 つい先ほどまで結城秀康と伊達政宗の二人が醸し出していた糸を張り詰めたような空気と打って変わって、暖かな緩みのある空気に包まれていることに、門番の兵などは目をぱちくりさせている。


 実はこの二人、遠い昔に面識があったのだ。それは、まだ真田家が信州の一国衆に過ぎなかった頃、当時「源二郎」と呼ばれていた真田幸村が、上杉家へ真田家の人質として送られていた頃のことである。

 その時から若くして上杉家の重鎮にその名を連ねていた直江兼続は、真田幸村の中に光るものを感じて何かと目をかけていたのだ。一方の幸村もそんな直江兼続によくなついていた。

 豊臣秀吉が天下統一を果たした後は、幸村は上杉家を離れて、秀吉の下で大坂城にて奉公するようになったのだが、しっかりと顔を合わせて話しをするのは、それ以来ということになる。

 そう考えると二人が再会を懐かしむのも無理はないだろう。さながら水魚の交わりのように、二人はにこやかに言葉を交わし合った。

 その後直江兼続は、今度は豊臣家の一団の後方に控えている織田老犬斎の元へ幸村の案内の元で足を運ぶと、彼に向けて丁寧に挨拶をする。一方の老犬斎も、兼続が近づいてきたのを見るやいなや、すぐに馬を下りて頭を下げた。


 互いに礼を尽くす気持ちの良い雰囲気は、豊臣家と上杉家の両家のお供たちにも伝播しているようで、さながら旧知の友のような一体感を醸し出すのだから不思議なものである。


 そんな中、再び大久保長安が大手門までやって来きた。そして両家の和やかな雰囲気に気分を良くしたのか、先ほどとは異なる質の笑顔で「ようこそいらっしゃいました。早速城内へご案内差し上げます」と頭を下げると、両家の代表たちを先導していったのだった。



………

……

 婚儀の準備をする家中の人や、ここぞとばかりに松平と伊達の両家に取り入ろうと婚儀の祝い品を持ち込んだ有力商人や町人たちで城内がごった返す中、豊臣家と上杉家の代表たちは、大久保長安の小姓に連れられて、婚儀が執り行われる大広間へと足を進めていた。

 その間も直江兼続の雪解け水を含んだ春の激流のような言葉は止まることなく真田幸村に向けられ、幸村はそれを嫌な顔一つせずに、嬉しそうに「うんうん」とうなずき話しを聞いている。

 その話しの内容は、ほぼ全てが上杉景勝や米沢の領民たちに関することなのだが、いずれも気持ちよいくらいに自慢話ばかり。しかし、直江兼続の彼らへの純粋な愛情が込められたその言葉の数々は、聞く者にいやらしさを与えず、むしろうらやましさが沸くのだから不思議なものである。

 弁の立つ人とは、時として腹の内を明かすことなく、その口先で相手を騙そうとする者もいるが、直江兼続のそれは、むしろ正反対の質を感じさせるものだった。すなわち、彼は胸の内を完全にさらけ出し、自分の考えや思いを素直に口に出し続けている。もちろん、上杉家の重鎮としてお家の不利益につながるような言動をするはずもない為、いわゆる「余計な事」は一切口に出さないのだからたいしたものだ。

 真田幸村はあらためてそう感心すると、とどまることを知らない兼続の心地よい言葉の流れに耳を傾けていたのだった。

 

 さて、そうこうしているうちにすぐに目的の大広間へと到着した。

 

 ゆうに百人以上は入るのではないかと思われるほどに広い間だが、既にその半分は人で埋まっている。

 なお、婚儀の参加者については、大名が自らの参加しているのはごく一部の石高が1万石程度の小大名たちばかりで、前田や島津といった有力な外様大名、伊勢本多や井伊といった譜代大名らは皆、名代として陪臣を出席させている。それでも参加を許されたのは限られた者たちばかりで、城に訪問した多くはこの大広間には入れず、別に用意された控えの間で時を過ごすことになっているようだ。

 そんな中、豊臣家の代表である真田幸村と織田老犬斎は、上杉家と比べれば上座の方へと通された。その序列は徳川宗家に次いで二番目。その事から鑑みても、信州松平家が豊臣家をいかに重視しているかが分かるというものだ。無論、新郎新婦の親族である結城秀康と伊達政宗の二人は別格の扱いとして、主役となる両者の両隣に座席が設けられていた。

 

 まだ婚儀が始まるまでには、半刻ほどの時間がある。


 しかし準備に追われている松平家の家中たちと同様…いやそれ以上に列席者たちも暇などなかったのである。


 それは『顔売り』であった。

 

 特に結城秀康と伊達政宗の二人の前には我先に挨拶をせんとする者たちによる長蛇の列が作られているのだから、この二人がいかに今の世に影響力を持っているかうかがい知れよう。

 そこには婚儀では大広間に座席を与えられていない、つまり控えの間で過ごす者たちも何食わぬ顔をして列に加わっているのである。

 

 そう…

 

 この場は、陪臣たちにとっては「結婚を祝福する場」ではない。

 

 いかにして自分の主人である大名家を売り込むか…

 それは、主人の安泰を確かにする為の「顔売りの場」より他なかったのである。

 

 つまりこの場での主役の座はもはや、この日に夫婦になる初々しい若者たちではなく、世の中の「重鎮」とも言える歴戦の壮年たちであったのだった。

 

 これが大名同士となると、彼らは形式的な挨拶程度しか行っていないように幸村には思えていた。それは互いに「大名格」という意味においては並列であり、石高や官位、官職によって上下はあるものの、あからさまな「ごますり」はお家の威信にかけて滅多に行うものではないからだ。

 しかし今ここにいるのは皆「陪臣」だ。彼らは言うまでもなく大名よりも格下であり、あからさまな媚び売りをしてもお家の威信に関わるものではない。

 つまりある意味において繋がれた鎖を外された猛獣のように、お家の生存という限りなく本能に近い欲求のおもむくままに、彼らは強者にその顔を売っている。そこに婚儀を祝う気持ちなど皆無であったのは言うまでもないだろう。

 

 言い換えれば、彼らは新しい世においてお家が永劫に安泰となる未来を作る為に、槍から口にその武器を変えて戦っているのだ。

 

 徳川家康の厳しい監視のもと、大名家が近寄ることをはばかっている大坂城にあって、このような飢えた野心を包み隠さない人々と接することのなかった真田幸村は背筋の凍る思いを覚えたのだった。

 

 そして、そう考えた時に一つの悲しくも厳しい現実がある。

 

 それは、豊臣家という大木に群がる人が「皆無」である点…

 

 幸村はおろか、織田一族としてもその名を馳せた織田老犬斎の周囲にすら、人が誰一人として集まっていない。それどころか老犬斎自身が結城秀康の周囲に群がる人の中に紛れている始末なのだ。

 

 

 つまり…

 

 

 豊臣家はもはや媚を売る対象ではない…

 

 

 言わば世の中の「主役」ではなく、「端役」であるという現実であった…

 

 

「あわれよのう… それがしは、どんなに落ちぶれようとも、ああまでして生き残ることは望まぬ。それは我が殿においても同じことであろう」



 幸村の横からふと声がしたかと思うと、人々に冷たい視線を向ける直江兼続の姿があった。

 その言葉に幸村はいつもと変わらぬ穏やかな微笑のままに言った。

 

 

「皆必死なのではないでしょうか。生き残る為に」


「では、源二郎もあの一員に加わりたいと申すか? それが本当に豊臣家の奉公と考えるのか」



 その兼続の問いかけに、幸村はゆっくりと首を横に振る。

 

 そして…

 

 その微笑からは考えられないほどに低く、わずかに震えた声で言ったのだった…

 

 

 

「豊臣は… 売る方ではございませんゆえ…」




 直江兼続はその幸村の言葉に、にやりと口角を上げる。

 

 

「はて…? それがしの知る真田はもっと器用で、狡猾。『ひきょうもの』だと思っていたのだがな」


「旦那様。ここにいる真田左衛門佐幸村はは今、真田ではございません。豊臣でございます」


「ははは!これは、したり!そうであった!ここにいる源二郎は豊臣右府様の代わりであったことを忘れておった!ははは!」



 そう豪快に笑い飛ばした直江兼続であったが、すぐに表情を引き締めると、部屋中に聞こえるような大きな声で言ったのだった。

 それは彼特有の「空気の全く読めない気質」を如実に表したものであった。

 

 

「源二郎よ!忘れるでないぞ!

時勢を誤り、高飛車かつ傲慢に振舞えば、それは即没落へとつながる乱世にあって、時には屈辱にまみれようとも、膝を曲げねばならぬ事もあろうことを!

いかに無念であっても、強者に頭を下げ、媚びを売らねばならぬ時もあるということを!

なぜなら『義』を通すべきは、目先のつまらぬ意地ではなく、主君の安泰であり、それが強いては民の安泰につながるからである!

しかし、もう一つ忘れてはならぬこともある!

それは『人としての筋』である!!

ほれ!目の前で繰り広げられている光景を見てみるがよい!!

実に醜い!汚い!吐き気さえももよおす下賤な背中ばかりではないか!!」



 その痛烈な言葉は、人々の目を彼に集めるに十分なものだ。そしてその全ての目に、憤怒の色が込められているのは当たり前のことであることは言うまでもないだろう。

 ここまで侮辱の言葉を浴びせられてもなお平然と出来るほどの肝の据わった者なら、今ここで媚びを売るような立場にはないはずだ。

 

 しかしそんな突き刺すような視線は、「空気の読めない」直江兼続にとってはむしろ気持ちのいいものらしく、彼は自分の言葉に酔いながら、ますます饒舌に続けた。



「そして何よりも見ていてめでたい連中であると反吐が出るのは、自分たちがいかに愚かであるかに気付かぬ点にある!

では、源二郎!なぜあやつらが武士の風上にもおけぬ愚か者たちであり、あやつらの見せるその姿が醜いものであるか、その理由が分かるであろうか!?

それは簡単な事だ!そう、『人としての筋』をわきまえぬ者たちだからだ!

では、なぜあやつらが『人としての筋』をわきまえぬ者たちと断じる事が出来るのか、それはただ一つの理由にある!!」



 始めは侮辱に理性を失いかけていた人々も、ここまで気持ち良く断罪されると、むしろその先が気になるのだから不思議なものだ。

 いつの間にかその場の全員が直江兼続の言葉に耳を傾け、その姿をじっと見つめていた。

 

 その兼続が言葉を切ると、一瞬の静寂がいつの間にか満員の人であふれかえった部屋の中を支配する。

 

 そして…

 

 兼続は斬り捨てるように言ったのだった。

 

 

「今日この日は、松平上総介殿と五郎八姫のめでたき婚儀の日である!!

上総介殿の輝かしい門出の日を、心の底からお祝いしようという『人としての筋』を通しているものが、果たしてどれほどいるであろうか!!

それがしは断言しよう!

それをわきまえているのは、源二郎!!この場にはお主と、この直江山城のただ二人だけである!!

たたえるべき相手をたたえる心も持たせぬほどに、強者へ媚びを売らねば生き残れぬ腐った世の中であるなら、上杉は死んだ方がまだましというもの!

もしそのような世を徳川将軍家が望むのであれば、日の本は不幸な未来を選んだことになるのう!

少なくとも太閤殿下の世では、祭りがあれば皆で楽しみ、不幸があれば皆で悲しんだものだ!

どちらの世が『人としての筋』の通った世であるか、それすら分からぬほどに目が曇った者たちばかりというのか!!」



 兼続の強烈な断罪に、しんと静まりかえる。

 

 その場の全員の胸に彼の言葉が突き刺さり、自分の行動を恥ずかしく思っているのだろう。

 彼らは一様にうつむいている。

 

 直江兼続は、さながら大将首でも取ったかのように、勝ち誇った顔をしてその場に着座した。


 そして、一人また一人と、結城秀康と伊達政宗の前に群がっていた人々が離れていく。

 

 真田幸村はその様子をぽかんと口を半開きにしながら見つめていたのだった…

 

 

 

 しかし――

 

 

 

「話しが長げえよ!己の浅知恵に自惚れる愚か者ほど、口が達者でならねえなぁ!まったく…声を聞いているだけで肩がこるわい!!

おいっ!そこのお主!!肩をもんでおくれ!!

もし俺の凝り固まった肩をほぐしてくれたなら、来年はお主の主君を助けてやろう!!」



 と、直江兼続をばっさりと斬り捨てた上に、「自分に媚びを売れ」と、堂々と宣言した者がいたのである。

 

 

 それは…

 

 

 伊達政宗であった…

 

 

 直江兼続の顔色が、さっと青から赤に変わる。

 そして、政宗に指名された、とある陪臣は、そんな兼続の槍のような視線を感じながらも、恐る恐る政宗の背後に回り、彼の肩をもみはじめたのであった。

 

 政宗がニヤリと口角を上げたのは、肩がほぐれる心地が良かったのか、それとも敵意をむき出しにする直江兼続の視線が気持ち良かったのか…

 

 すると怒りに震える声を必死に抑えた直江兼続が口を開いた。

 

 

「誰かと思えば伊達少将か…

これは、したり!それがしは大きく勘違いをしていたようだ!

てっきり皆は『強者』に媚びを売っていたのかと思っておったが、それだけではなかったのだな!

上杉から逃げ回る背中しか記憶に残さない『弱者』のご尊顔を、よおく拝んでやろうと、そういうことか!

ははは!これは、したり!」



 そんな挑発的な兼続の言葉にも、政宗は耳の穴をほじりながら全く意に介する様子はない。

 そして兼続の言葉が終わるや否や、落ちついた声で言った。

 


「ああ…ようやく終わったか。馬鹿の一つ覚えのごとく話しの長い男だ。

そんなお主に一つ教えてやろう」


「なんだ? どうせろくな事ではないだろうが、一応聞いておいてやろう」



 兼続は政宗が何か言おうものなら、その理屈を木端微塵に打ち砕いてやろうと身構えた。

 しかし政宗は身構えることなく、淡々と続けたのであった。

 

 

「婚儀が始まるその前に、誰が何をしようがその者の勝手じゃねえか!

それをてめえの暑苦しい屁理屈に付き合わねばならぬ『筋』など、どこにもない!」

 

「なんだと…!?」


「媚びを売るのが何が悪い!

婚儀が始まれば、気持ちを切り替えて五郎八の晴れ姿を、目に焼き付けてくれればそれだけで、親としちゃあ本望だ!

それを半刻も前から、婚儀の場だからと言って、くどくどと心にもない祝いの言葉を並べられても、面白くもなんともねえ!

祝う時は祝う!遊ぶ時は遊ぶ!そして、媚びを売る時は媚びを売る!!

そんな風に生きて何が悪い!!てめえに侮辱されるいわれなんて、どこにもないのだ!!」



 その政宗の言葉は、完全に的を射たものであり、直江兼続は言葉を失ってしまった。

 もちろん先の兼続の言葉は、人々が本来のこの場にいる目的を思い起こさせるに十分であり、それを否定できる人はいないのは事実だ。

 その事を示すように、あれほど痛烈な言葉を重ねた兼続に対して、未だに憤怒の視線を向けている者は誰一人としていない。

 

 しかし一方で政宗の言葉もまた道理の通るもので、なおかつ兼続の思想を真っ向から叩きつぶすに十分なものであったのだった。

 

 

 再び場の空気が一変する…

 

 

 すると、哀れなものを見るような視線が兼続に集まっていった…

 

 その視線に悔しそうに唇を噛む兼続であったが、残念な事に返す言葉が見当たらない。

 そんな兼続を見て、今度は政宗が勝ち誇ったような顔を向けていた。

 

 声にならない政宗の高笑いが部屋に響くのを、心の中で全員が耳にしていた。

 

 

 

 その時だった…

 

 

 

「はははっ!!これは、参りましたな!旦那様!!」



 そう大声で直江兼続に笑いかけた人物が現れたのである。

 その人物に、伊達政宗の刺さるような視線が浴びせられる。並みの陪臣であればその政宗の眼光だけで、思わず平伏してしまうだろう。

 

 しかし彼は、平然として大声で笑い続けていたのだ。

 

 

 その人物とは…

 

 

 真田幸村であった…

 

 


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