弟よ!幸あれ! 【幕間】 秀頼の冬休み(2)
慶長11年(1606年)12月22日――
まだ太陽が昇りきらない冬の晴天が広がるその頃…
大坂城の自室で、俺、豊臣秀頼は「冬休み」を満喫すべく、まずはふかふかのベッドの上で怠惰に過ごそうとしていた。
しかし…
「ぐぬぬっ!!暇だ!!暇過ぎる!!」
それはベッドに横たわってから、わずか四半刻もしないうちのことだ。
目をつむったはいいものの、全くまどろむ気配がない。それどころか、ますます頭の長くは冴える一方で、胸の内をじゃじゃ馬のような何かが、ドンドンと地団駄を踏むように暴れ出す始末…
そう…俺はいつの間にか暇に耐えきれない体になってしまったようなのだ。
余りある体の内から湧き上がる活力は、俺の意思とは反して俺の身をベッドから引き離す。
そうして理性では怠惰を渇望しているにも関わらず、いつの間にか俺は自室を出て、城内の一点を目指して足を進めていたのだった。
………
……
「堀内氏久殿も大野治徳殿も近頃は堀内氏善殿とともに、領内の寺社修繕に飛び回っております。
それに木村重成殿は大野治房殿とともに街づくりに精を出しておりますゆえ…
もう年明けまでは城には戻らぬようでございますぞ」
そう困り顔で答えたのは、片桐且元。相変わらず顔色が悪そうなのは、恐らく彼は彼で様々な気苦労を抱えているからであろう。
しかしそんな彼の事を気遣う余裕がなかったのは、堀内氏久、大野治徳、木村重成の三人の行方について聞いたところ、その答えはひどく落胆させるものだったからだ。
「そうか…残念であるのう…」
俺はがくりと肩を落として、そう言葉を吐き出した。
そんな俺の様子に、何やら自分が悪い事をしたのではないか、という且元の困惑の視線を感じるが、彼に対して取り繕う事もなく、「もう聞きたいことはない」とひらひらと手を振って、その場を後にした。
なぜここまで俺が肩を落としていたのか。
それはこの時、既に俺は「怠惰に過ごす」という野望をかなぐり捨て、もう一つの『夢』の成就に向けて一歩踏み出そうとしていたから。しかし、その最初の一歩も、出鼻からくじかれた格好となった訳だ。
もっとも、それは『夢』といっても大層なものでも何でもない。単に「友人と街に繰り出そう」という、年頃の少年であれば誰もが抱く、当たり前過ぎる欲求だ。しかしそんな言わば「日常」とも言えることが、近頃の俺にとっては手の届かぬものになっていたのは、この身が置かれている状況を鑑みれば仕方ないことなのかもしれない。
だが、今は冬休みだ!
ーー友達と日が暮れるまで、泥んこになって遊ぶんだ!!
これはこの五日の中で、是が非でも叶えたい『夢』の一つだったのである。
しかし…
事もあろうことか、肝心の友人たちが、俺の命じた仕事に没頭して、暇がないと言うではないか…!
自業自得、因果応報…
容赦のない言葉の数々が、俺の無防備な心を傷つけていく。
だが、いつまでもくよくよしても仕方のないこと!
今までだって、どんな窮地であろうとも、前向きに生きてきたではないか!
そんな壮大な半生の振り返りなどしながら、俺は自身を発奮させると、次なる『夢』に頭を切り替えたのだった。
………
……
「あら?秀頼様ではございませんか!?いかがしたのですか!?」
そう目を丸くして言ったのは、高梨内記の娘であった。彼女が驚くのも無理はない。こんな真昼間に豊臣秀頼が奥に顔を出すなんて、ここ最近ではあり得ないことだからだ。
なお、お腹の中に新たな命を宿した彼女は、今は千姫の侍女の立場を一旦離れ、奥に出入りする者を出迎える役割を担っている。言わば「受付」のような役なのだが、その役目に就く彼女を俺は今日初めて見た。
つまり、ここ数カ月もの間、俺は奥には顔すら出していなかったのだ。
そんな俺がひょっこり訪ねてきたのだから、彼女がびっくりするのも無理はないだろう。
俺はどことなくばつの悪さを感じながら、恐る恐る彼女に問いかけた。
「いや…特にこれといった用事もないのだが…」
そんな俺の様子に、勘の良い彼女の目がきらりと光った。そしてどこかいやらしい目つきになって問いかけてきたのだった。
「もしかして千姫様にお会いに来られたのではございませんか?」
その問いに、俺の胸が「ドキン」と音を立てると、思わず背筋が伸びた。
そう…まさに彼女の指摘の通りで、俺は千姫に会いに来たのだ。
ここ最近は、朝稽古の後と夕げで顔を合わせはするものの、それ以外の時間を彼女と過ごしていない。
その為、この冬休みを利用して、一日くらいは彼女と夫婦水入らずの時間を過ごそうと考えていたわけだ。
当初の予定では冬休みの後半で行おうと思っていた事だったのだが、暇を持て余している今、それを前倒しするのもやぶさかではない。
しかし…
「とても残念なお話しではございますが、このところ千姫様におかれましては、日中は城にはおられませんよ」
「な…なに…!?」
さらりとさも当たり前かのように告げた彼女に対して、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべる俺。
そんな俺に対して、まるで追い討ちをかけるように彼女は続けたのだった。
「いやぁ、こんな事を秀頼様に申し上げるのもなんなのですが、近頃の千姫様は、それはもう気が抜けたように、日中ぼけっとなさっておられましてね。
あっ!でも、安心して下さいね!特に何か悪いところがあるという訳ではないんですよ!単にお好きなだけなのですよ。ぼけっとされることが…
そこで私が申し上げた訳です!『千姫様!このままぼけっとばかりされていては、秀頼様に愛想をつかされてしまいますよ!おなごとしての魅力を磨かなくてはなりませぬ!』とね。
そりゃあ、最初は渋い顔をされておりましたよ。それでも私がお腹をさすりながら申し上げたのです。
『おなごとしての魅力を磨けば、いつかは千姫様にも…』と。
すると千姫様はとたんに鼻息を荒くさせて、『千もおなごを磨く!』と意気込まれて、その日から様々なお稽古ごとに出られるようになったという訳ですよ」
とにかく話しが長いが、要約すれば「千姫は稽古ごとに毎日精を出しているらしい」ということだ。
つまりこの日も城にはいないようだ。
「では、その習い事の様子でも見に行こうかのう。今はどこにおるのじゃ?」
しかしその問いに内記の娘は、苦い顔をして手を振った。
「それはなりませぬ!」
「どうしてじゃ?」
「だって、今習われているのは、料理なのですから。何でも美味しいものを作れるようになって、秀頼様に喜んでいただきたいのだとか。それもね、私が申し上げたのですよ。
『私は幸村様の胃袋をつかんだところ、上手く事が運んだのです』と。
あっ!でもこの事は口外無用でお願いしますね!
秀頼様には『絶対に内緒!』と、きつく口止めされているのですから」
なんという女だ…この女には「秘密」という言葉の概念が、人とは大きく異なっているようだ。
俺は、げんなりしながらその場を後にして、次なる目的の人物の元へと動こうとした。
しかし…
「あっ!ちなみに淀様も千姫様と共におられます!なんでも『わらわも胃袋をつかまねばなりません』とおっしゃっておりましたが、果たしてどなたの胃袋をおつかみになるおつもりなのでしょうかね?」
「なんと…母上まで…」
その目当ての人物までもが、城にはいないというではないか…
これによって、俺の冬休みの過ごし方は完全に暗礁に乗り上げてしまったことになる。
俺は目眩を覚えながらその場を後にすると、行くあてもなく城内をふらふらとし始めたのであった。
………
……
孤独ーー
思えば俺の周囲には常に誰かしらの顔があるのが当たり前であった。その為だろうか。今こうして誰も相手をしてくれる者が誰一人としていなくなった途端に、そのありがたみが身にしみるというものだ。
政務に没頭する毎日の中で、少しずつ周囲との距離が広がっていき、こうしていざ暇を持て余してみれば、いつの間にか一人取り残されていることにようやく気付く。
もちろん斜陽の豊臣家当主として、脇見も振らずに来るべき時に向けての準備を着々と進めなくてはならないのは、重々承知なことだ。しかし、本当にそれだけでよいのだろうか…
ーーあらゆる人を笑顔にしたい!
その中に自分を含んだら、それは堕落という烙印を押されてしまうのか…
そんな事を、ぶつぶつと呟きながら歩いていくと、いつの間にか城外に出ていた。
つい先ほどは、春を思わせるような陽気を感じたのに、今はその寒い風が身を縮こませる。
俺は少しだけ早歩きとなって、行くあてもなくぶらぶらと周囲を散策していた。
その時だった…
「むむっ!?あれはなんだ?」
そこは大手門とはちょうど裏側に当たる場所。恥ずかしながら初めて訪れたのだが、ひっそりと佇むその小さな建物からは、どこか哀愁のようなものが漂っている。
俺はどことなく自分の境遇と似通ったものを感じて、吸い寄せられるようにその中へと入っていったのだった。
………
……
「なんと!!右府様自らかような場所にお見えになるとは…!
なんのおもてなしも用意出来ず、大変に申し訳ございません!」
俺がその建物に入るや否や、そう大きな声をかけてきたのは、ここを監督している者であるようだ。年齢は初老に差し掛かっていそうだが、そのたくましい体格から普段の彼の鍛錬が見て取れる。
しかしそんな彼の腕には何やら白い布がぐるぐると巻かれており、それを見た俺は目を丸くして尋ねた。
「よいのだ。よいのだ。顔を上げておくれ。
ところでその腕はいかがしたのだ?怪我でもしたのか?」
すると顔を上げた彼は、豪快な笑い声とともに、それを否定したのである。
「はははっ!右府様!それは違います!それがしはどこも怪我などしておりませんぞ!」
「むむっ!?では、その腕に大仰に巻かれたものはなんであろうか?」
「ああ、これですか。これは、あやつらの為にございます」
「あやつら?」
 
俺がその答えに眉をしかめたのも無理はないだろう。キョロキョロとあたりを見回しても、彼以外に人はいない。では「あやつら」とは、一体誰のことを指しているのだろうか。
すると彼は「来いっ!」と、突然大きな声を上げたのだ。
その次の瞬間…
ーーバサバサッ!!
と、何かが力強く羽ばたく音が聞こえたかと思うと、男の腕に巻かれた布の上に、鋭い爪を食い込ませて降り立った。
それは…
「鷹であるか!?」
そう驚きの声を上げた俺に対して、彼はニコニコと笑顔のまま、コクリとうなずいたのであった。
………
……
この建物は、鷹を飼育している場所だそうで、彼の名は中村。中村は鷹匠で、ここで飼われている数羽の鷹の面倒を見ているそうだ。
「右府様。なんなら鷹を腕に乗せてみますか?」
「なにっ!?よいのか!?」
「ええ、もちろんでございます。かつてこの子は太閤殿下お気に入りの鷹だったのですよ」
「父上が…」
そう目を丸くした俺に対して、一旦鷹を近くに止まらせた中村は、自分が巻いていた白い布を俺の左腕に巻きつける。思いの外、ずしりとした重量感があることに、再び俺は驚きを隠せなかった。
そんな俺に笑顔を向けていた中村は、今度は細い綱に繋げてある鷹を、止めてあった木の枝から動かす。そして、いとも簡単に鷹を操り、そのまま俺の腕へと鷹を止まらせたのだった。
「おおっ!」
思わず驚嘆の言葉が漏れると、中村の口から穏やか声が発せられる。
「右府様。鷹の側で大声を出されますと、鷹がびっくりしてしまいます」
「おお。さようであったか。すまぬ、すまぬ」
「いえいえ、しかし今日はこの子もどこか喜んでいふようです。久しぶりに自分の主人となるお方の腕に収まることが出来て」
そうしみじみとした中村の言葉に、俺はハッとさせられる。
「そうか…元は父上になついていたということか…」
俺も湿り気のある言葉をかけると、中村は一抹の寂しさをその瞳に宿らせながら、続けたのだった。
「その通りでございます。太閤殿下がお亡くなりになってからは、城の外に出ることも、ほとんどなくなりましたのですよ」
「そうであったか…」
俺はあらためて鷹の横顔を見つめる。
もちろん鷹が何を考えているのかなんて、全く分からない。しかしその鋭い目つきからは、やはり収まるべきところに収まった喜びに満ちているような気がしてならない。
その時、俺の脳裏に一つの例の言葉が浮かんできた。
ーー全ての者を笑顔にしたい!
それはこの鷹は含まれないのだろうか…
その答えは…
ーー否!!この鷹の笑顔も見たい!
そう導き出した時、一つの考えが閃光のように走った。
「よしっ!決めた!決めたぞ!」
そう思わずまた叫んでしまうと、鷹は驚いて俺から近くの止まり木に飛び移る。そして、俺は腕に巻かれた布を剥がして中村に預けると、元来た道を駆け足で戻っていったのだった。
もちろんこの時、中村がポカンと口を開けながら漏らした言葉を俺が知る由もない。
「まさか『鷹狩り』をする、なんてことにならなければよいが…そんなことになったら、大坂城は大変なことになるぞ…」
ということを…
………
……
「おっ!いたいた!且元!!ちとお願いしたいことがある!」
城内に戻った俺は、様々な調整役である片桐且元を見つけると、嬉々として声をかけた。
且元は既にこの時何かを予感していたのであろうか、ギクリとしたものを顔に浮かべながら、俺に問いかけてきた。
「秀頼様!?一体何でございますか!?」
そして俺は弾くような声で宣言したのだった。
「俺は鷹狩りを行うぞ!!その仕度をいたせ!」
その事を耳にした瞬間、且元の顔色が青く変わる…
「ひ、秀頼様…ちなみにいつ…?」
「本当は今日、と言いたいところだが、お主も色々と忙しかろう。
ついては、明日!!明日行うことにする!
はははっ!楽しみだのう!!」
ようやく冬休みの行事らしいことが出来た!
そんな前向きな気持ちが、俺の心を軽くすると、自然と部屋に戻る足も軽くしたのだった。
もちろん俺は気づくこともない…
あまりのことに言葉を失った片桐且元が、燃え尽きたかのように灰色になって、立ち尽くしていたことを…
しばらく週二回程度の更新にいたしたいと思います。
何卒ご了承願います。
 




