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弟よ!幸あれ! 【幕間】 秀頼の冬休み(1)

◇◇

 慶長11年(1606年)12月22日――

 

 この日、大坂城から真田幸村と織田老犬斎の二人が、信濃国川中島へと発つことになっている。

 無論その目的は、俺、豊臣秀頼の名代として、松平忠輝の婚儀に参加する為だ。しかし俺は「とある事」の為に、その時を首を長くして待ちわびていたのである。


 そしてその時がついに、目の前まで迫ってきているのだから、高鳴る胸の鼓動を抑えきれないでいるのは、仕方のないことだと思っている。それでも表向きではなんとか平静を保って、出立の前の彼らを大坂城の城主の間に呼び出したのだ。


「くれぐれもよろしく頼む」


 と形式ばった口調で念を押す俺に対して、二人は声を揃えて「ははーっ」と、頭を下げた後、素早く部屋を退出していった。

 

 この瞬間…


 ついに…


 ついにこの時がやって来たのだ!!


 

 俺は一段高くなっている上座からぴょんと飛び下りた!


「はははっ!いえーーい!!」


 まるで羽が生えたかのように体が軽く宙に舞う感覚が、最高に心地よい。

 

 そして、誰もいない広い部屋の中央で飛び上がりながら、弾んだ声で叫んだのだった。

 

 

「冬休みだぜぇぇぇ!!」



 そう…この瞬間から、俺はついに「冬休み」に突入したのだ!

 そしてこの時をどれほど待ちわびていたことか…

 それを思うだけでも、目じりに光るものが滲んでしまうのは仕方のないことだと痛感している。

 と言うのも、俺が本格的に大坂城の公務を取り仕切るようになって以来、休みという休みは皆無だった言っても過言ではないからだ。

 

 太陽が地平線から顔を出したその時から、常に俺の隣には真田幸村の姿。彼とともに籠る部屋には、俺の決裁を待つ書状の山…

 領土を大きく減らされ、畿内の政治だけに集中すればよくなった豊臣家ではあったが、かつて「五奉行」と呼ばれた政務の達人たちの姿はもうない。よって、彼らの担ってきた職務は、大坂城に今いる面々で分担しなくてはならなくなったのだが…

 その量たるや…

 俺の想像をはるかに超えたものだったのだ。

 やはり太閤秀吉が恃んだ「五奉行」の能力の偉大さを、あらためて身に沁みて理解出来ただけでも「良し」とすべきかもしれない。

 

 各政策に関する実施や予算の決裁、民たちの陳情、寺社仏閣の運営、他国や公家との交流…

 

 文字通りに朝から晩まで、書状の山と向き合う日々が繰り返されていった訳だ。

 しかも、当主としての仕事はそれだけにとどまる訳にもいかないのは当たり前のこと…

 

 時折訪問に来る貴族たちとの会食、有力商人や町人たちとの茶会、寺社の催す神事への参加…

 

 ようやく「一息つこうか」という時を見計らかったかのように、それらが片桐且元の口から舞い込んでくるのだから、たまったものではない!

 彼は常に俺の様子を遠目にちらちらと伺っているに違いない。そして、俺が「ふぅ」とため息をついたその瞬間こそ、声をかける絶好の機会と思い込んでいることだろう。

 しかし俺にしてみれば、それはまるで、ようやく海面から顔を出して必死に口を開けた相手に対して、その瞬間を見計らって水を顔面に注ぐようなもので、「陰険である」と感じていたのは、単に俺が疲れ過ぎて卑屈になっていたからだろうか。

 

 とにかく「休息」を心の底から求めていたのである。

 

 そして今、俺の側近である真田幸村が大坂城を離れた瞬間から、晴れて俺は公務からしばし離れることにしたのだ。

 その期間は松平忠輝の婚儀が終わり、幸村が大坂城に戻ってくる、12月26日までのわずか5日間。さらに言えば、その5日間が終われば、年末から年始にかけて、より一層の激務が俺を待っているのは、火を見るよりも明らかだろう。

 それでも俺は、思わず「豊国踊り」をたった一人で踊ってしまう程に狂喜乱舞したのであった。

 

 

 さて… 一通り小躍りも終えたところで、俺はまずこの部屋を出ることにした。

 うっすらと額に汗が滲んでいるのは、小躍りによるものなのか、それとも興奮に胸が踊っていることによるものなのか区別はつかない。

 しかし今、胸がドクドクと脈打っていることと、近頃では味わったことのない興奮に包まれているのは確かなことなのであった。

 

 城主の間を出ると、すぐに中庭が見える。そこに差しこむ冬の朝の陽射しがまぶしい。

 昨日までの俺なら、もう既に書類の山の前に腰をおろしている頃合いだ。

 

 それが今はどうだろう。

 

――二本の足で立って、まぶしい太陽の下にいる!

 

 たったそれだけのことが、これほど嬉しいことだなんて…

 

 後世になって伝わっていることで、何人かの藩主は「精神疾患を起こした」というものがあるが、その気持ちが今なら十分に分かる。

 かく言う俺自身も、わずかこの半年足らずの間だけで、かなり疲弊しているのだから。

 特に幼くして藩主となった者であれば、「誰に何を任せるべきか」といった人を使う術もなければ、「誰がどんな事に長けているのか」という人材の把握すらままならなかったはずだ。

 そんな中で首が回らないほどの政務に追われたとなれば、その心労たるや計り知れないものがあるだろう。

 俺のいた元の世界の「歴史シミュレーションゲーム」では、クリック一つで街が出来たわけだが、それを現実で行うとなると、予算管理、人材配置、資材の調達、日程調整…様々な事に頭を悩ませねばならない。

 もちろんそれらの多くは、優秀な部下に任せてしまえば良い訳だが、人材の能力がゲームのように「数値化」されていない現実においては、それを誰に任せてよいのかすら分からない。

 幼くして藩主となった者の多くは先代藩主の元で働いていた体制を踏襲する形で政治を行っていたこともうなずけることだ。

 

 しかし今の俺はどうであろうか。

 

 先代…すなわち豊臣秀吉の時代に、彼の元であくせくと政務に励んでいた者たちのほとんどは、大坂城に残っていないのだ。

 そして豊臣秀頼は、十歳にも満たないうちに藩主となり、畿内の政治を取り仕切る重責を担っていた訳である。

 後世に伝わる話しでは、そのほとんどを母である淀殿が行っていたとされているが、彼女が果たしてどこまで的確に「政治」を行うことが出来たであろうか…

 今だから言えることなのかもしれないが、はっきり言って「適切な政治を行うなど不可能!」としか言いようがない。

 

 つまりこの状況の帰結するところは…

 

 

――豊臣家は破滅すべくして破滅する



 俺が目にしてきた歴史小説には書かれることのなかった、面白くもなんともない「現実感」が、俺にとっては…いや、豊臣家にとってはひどく重い。

 こればかりは例え「未来を知っている」という利点があってもいかんともしがたい部分と言えよう。

 なぜなら未来のことなど何の役にも立たないからだ。すなわち、それは既に目の前に抱えてしまい、結局のところ解決を見ないままに終わってしまう運命をたどる課題と言えるのだ。

 

 

――せめて一人…

 

 

 たった一人だけでも大坂城の政治を取りまわす事の出来る「剛腕」が側にいてくれたなら…

 城内の台所事情や人材の把握をし、的確な予算や人材の配置、政治判断が出来る人間がいてくれたなら、どれほど助かることだろう。

 もっと言えば、その者の存在は、豊臣家が表舞台に再浮上するきっかけすら作ってくれるかもしれない。

 

 その事に頭を巡らせると、一人の人物の顔がふっと浮かびあがってきた。

 

 その人物とは…

 

 

――石田宗應…



「それは無理だろぉ!!」



 思わず自分の考えに対して大きな声を上げてしまったのだが、「しまった!」と反省した頃にはもう遅すぎだったようだ。俺が声を上げたと同時に、城内の人々がびっくりしたように、俺の事を見つめている。

 

 

「すまぬ!すまぬ!何でもないのだ!ははは…」



 俺は恥ずかしさのあまりに、顔が赤くなっているのを自分でも感じながら、早足で自室へと戻っていった。そして迷うことなく部屋に入ると、急いで襖を閉めると「ふぅ」と大きく息を吐きだしたのだった。

 

 大きな西洋のベッドの上に「ボフッ」と座りこむと、そのまま体を後ろに倒して仰向けになる。

 柔らかな感触に包まれると、赤面した顔が元に戻っていく。それと同時に、自然と頭の中では、先ほど自分で否定した事が描かれていったのだった。

 

 そもそも石田宗應は「罪人」として蟄居を命じられている身だ。

 その配流地がたまたま京の都であるから、高野山に配流されている真田昌幸などと比べれば、気軽に顔を合わせやすいというだけであり、本来ならば声をかけることすらはばかるべき相手と言えよう。

 それでもそれが許されているのは、今は豊臣秀頼という人物が、徳川家康や秀忠と同じような格付けであり、なおかつ幼少の身であるからに他ならない。

 ところが今でこそ宗應と接近しようとも目をつむられているが、いよいよ豊臣家が徳川家にとって「邪魔な存在」となれば、むしろ宗應に近づくことは、徳川家にとって格好の「改易の大義」を与えかねない。

 つまり一歩間違えれば、大坂の陣が勃発する前に牙をむかれる可能性も秘めていると考えてもおかしくはないのである。

 

 しかしその事を承知しながらも、彼の持つ類稀なる政治の素質は、今の大坂城の中を考えれば、俺の知る限りにおいて、群を抜いて輝いていると言わざるを得ないのは、疑いの余地など微塵もない。

 そして頭を悩ませている通り、このままであれば「未来を知る」という利点を活かす場もなく、豊臣家は破たんの道をまっしぐらに進む事は目に見えているのだ。

 

 それは俺の片腕に真田幸村という英雄をもってしても変わらないだろう。むしろ、彼には政治や軍事の経験が浅すぎており、大計を立てたり、人材整備をしたりする事は困難だということに、本人も俺も勘付いている。

 

 どうにかして石田宗應を大坂城に戻すことは出来ないものか…

 

 それとも石田宗應に代わる、彼と同等の人物がこの世にまだ眠っていないものか…

 

 頭の中をフル回転させて、その事に想いを巡らせるが、何も浮かばない…

 

 

 …と、その時だった。



 俺の中で電撃の様なものが全身を駆け廻ると、

 

 

「はっ! 俺は馬鹿か!!」



 と、再び大きな声を上げてしまったのだ。


 

 なぜなら気付いたのである。

 

 

「今日から冬休み!!それなのに政治の事で頭を疲れさせてどうするのだ!!」



 ということに…

 

 

 そこで俺は念願だった休息を取ることに決めた。


 いずれにせよ一人で頭を悩ませても仕方ないことなのだ。幸村が帰ってきたら、彼に相談してみよう。

 そうあっさりと頭を切り替えて、俺はとある事を実践し始めた。



 それは…



ーー朝から寝る!



 という事だ。


 なんという怠惰… 否っ!なんと言う贅沢なのだろう!


 元の世界では、日曜日などは夕方までゴロゴロしていても、なんの罪悪感もありがたみも感じなかったが、今のこの豊臣秀頼という身で、何をすることもなくふかふかなベッドの上で寝転がるというのは、一種の背徳感すら覚える。


 それでも許される「冬休み」という響き…!



「はははっ!素晴らしい!素晴らし過ぎるぞ!冬休み!」



 俺はベッドの上で足をバタバタとさせて、そのまま静かに眼をつむったのだった。






リアリティがあり過ぎてつまらないと言われてしまえば、それまでなのですが、現実的に考えて、たとえ現代の知識があっても、一つの政策を実施するだけでも、途方もないほどの労力が必要だったと思うのです。


ましてや大坂城には豊臣秀吉からの言わば「人材の遺産」は皆無…


こうした中で、畿内という当時の日本の中心の政治を担うことがいかほどなことか。

想像しただけでもゾッとします。


さて、次回は秀頼の冬休みの続きです。


少しだけストーリーの踊り場のようなお話しが続きますが、肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いでございます。


どうも秀頼の話しとなると、こういった展開が多いような…


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