黒い火だね
◇◇
それは大友義統が上関の港を出航する寸前の事であった。
いつの間に現れた、いかにも奇妙な老人が義統にしゃがれた声で話しかけた。
「のう…お主。お家を再興したいらしいのう…」
未だに失意の中にある義統は無言で頷く。その様子に満足したように不気味な笑みを浮かべた老人は、義統の耳元でささやいた。
「そなたの願い…わしが叶えてしんぜようか?」
その言葉に義統の顔色が変わった。
驚愕の表情で、老人をみつめる。
「その代わり…約束せい」
「何をだ…?」
老人に対して初めて口を開く義統。その言葉には潜んでいた野望の炎がこもっているのが、側で聞く老人には手に取るように分かった。
そして老人はさらに声を落として「約束」を話した。
「時が来たら…豊臣秀頼を殺せ」
◇◇
慶長5年(1600年)9月4日ーー
臼杵城の城主である太田一吉は、一人の客人を城内に迎え入れていた。
その客人の名は、大友義統。言わずとしれた、豊後の名家の大友氏の直系の士である。
秀吉の頃にこの地を追い出されてからは、浪人にも近い状態だった彼であった。
しかし彼曰く、この度毛利大納言(毛利輝元のこと)の命を帯びて、徳川方に加担する勢力の城を制圧しに、九州に戻ってきたらしい。
豊前に流れついた彼は、元々居城であったこの臼杵城を頼り、家臣と兵力を蓄えた後に、各城へと攻め込む算段を立てたいので協力して欲しいというのだ。
太田一吉はその言葉を信じて、彼を城内に迎えた。そしてそれから既に7日ほどになる。
流石は腐っても大友氏といったところであろうか…
徳川方に加担した竹田城の中川秀成から、田原親賢などの旧臣に加え、続々と雑兵たちも集結しはじめている。
その影響力たるや、言わば「外様」である一吉では考えられないものであった。
そしていよいよ明日、徳川方である細川忠興が管轄する豊前の杵築城へと出陣するとの事で、その晩は景気づけにちょっとした酒宴が催された。
謁見の間で行われたのだが、その酒宴に参加している家臣の数からしても、もはや大友義統の方が上回っており、周囲の警戒にも彼の兵があてがわれていた。
酒宴が始まってから既に数刻…
すっかり夜は更けており、中にはうつらうつらし始めた者もいる。
「ああ…今は亡き秀吉様がおられたら、どんなに嘆かれるだろうか…」
そんな中、一吉はすっかり酔って時勢などを嘆いていた。
もともと石田三成と親交が深かった彼は、その考え方もまた似かよっている。その為に、豊臣家の今後が心配でならないようだ。
しかしそんな彼の悲嘆など、そ知らぬ顔をして義統はこんこんと酒を飲み続けている。その様子に少し苛つきを覚えた一吉は、
「義統殿は先ほどから黙っておられるようだが、この有り様をどうお考えなのか!?お聞かせ願いたい!」
と、赤い顔を義統に近づけて、詰め寄った。
「どう…と言われても、何も考えてなどおらん」
と、義統はとりつく島もなく、突き放すように答えた。
それに対して、あまりに端的な答えに一吉は面を食らいながらも、すぐに反論した。
「何も考えておられない、ですと!?では、なぜ兵を集めて杵築城を攻めるのですか!?徳川の思い上がりをいさめる為ではないのか!?」
顔を真っ赤にして抗議する一吉に、義統は一瞥をくれると、
「いや、俺は金をもらい命じられたから、攻撃するだけだ。
世直しだとか、徳川憎しだとか…そんなことはどうでもよい」
と、再びばっさりと切り捨てるように断言した。
そのあまりにも薄情な言い草に、三成譲りの熱血な一吉は、堪忍袋の緒が切れた。
「おのれ!義統!こんなに薄情な人間だとは思わなかった!今すぐこの城を出ていけ!」
と、立ち上がってどなり散らしたのだ。
義統は一瞬だけ「かかったな」という不気味な笑顔を浮かべたが、すぐに怒りの表情に変えて、
「客人であり、豊後の名家でもあるこの俺に、出ていけとは無礼千万!」
と、大きな声でどなり返した。さも酒が入りすぎて、理性が利かないような感じだが、それは彼の演技に過ぎない。今の彼は「その時」の機会を冷静に見極めていた。
そしてそんな彼の思惑通りに一吉は、罠にはまっていく。
「ええい!城主であるこの俺の言うことが聞けぬのか!?」
「うるさい!後からやってきた新入りのくせに大きな口をたたくな!
現に俺の方がこの地での人望は厚いではないか!」
一吉が一番突かれたくない場所を容赦なく突く義統。もちろんより激昂させるための挑発である。
しかしそんなことなど露とも知らぬ一吉は、完全に理性が飛んでしまい、義統が待ちに待った「その時」を自ら引き寄せてしまった。
「無礼者!もう許さん!この場で切り捨ててくれる!」
「うわ!何をするつもりだ!ええい!皆のもの!出会え!」
すると待ち構えていたかのように、大友の荒武者たちが大挙して部屋の中へと雪崩込んできた。
そのあまりの手際のよさに、さすがの一吉も感付いたところがあるようで、
「おのれ!貴様!計りおったな!?」
と、顔を青くして酔いを覚ました。
しかし義統の噛みついた牙は淡々とその毒を一吉の身へと流していく。
「いかに落ちぶれた俺とて、こけにされた挙げ句に切り捨てられるなんて御免だ。
それ!皆のもの!やってしまえ!」
と、その行為を正当化した上で、一吉とその家臣たちへの攻撃を指示した。
一吉たちの家臣はみな飲み過ぎて動きが鈍い。何がなんだか分からないうちに、次々と義統の兵の凶刃にかかって、その命を落としていった。
「貴様!こんなことをしてただですむと思うなよ!」
と、捨て台詞とともに、その場を何とか逃げ伏せようとする一吉。
しかし彼をみすみす逃がすほど、義統は甘くはない。
彼は腰に差した刀をすらりと抜くと、逃げ惑う一吉の背中から一突きした。
その刀は腹まで貫いている。
ぐっと密着した義統は、背中から一吉に声を落として話しかけた。
「己の利益を考えずに、時勢を嘆くようなおめでたい輩が生き残れるような世の中ではない。
その事に、気づけなかったお前は最初から『敗者』だったのだ」
「き…貴様…この下衆が…」
一吉は遠のく意識の中、精一杯の暴言を浴びせる。しかし今の義統にとっては、称賛にしか聞こえない。
そしてそれは、喜びの笑い声となって爆発した。
「ひゃっははは!下衆で結構!生き残った方が正しいのだ!これから死ぬ貴様は間違っていたんだよ!その考えも人生も!
自分の正義を貫きながら死ねるのだ、俺様に感謝しながら三途の川を渡るがいい!ひゃっははは!」
◇◇
翌朝ーー
城内はあちこちで大友の旗印が掲げられ、太田家のそれはことごとく焼き払われた。
このまま太田一吉の親族、さらに義統に従おうとしない一部の家臣はことごとく捕らえられ、処刑されたのである。
ついに、臼杵城は元の主、大友宗麟の息子である大友義統を城主として迎えることとなった。
「臼杵城の変」と称される、この悲惨な出来事によって、太田一吉を始め多くの者が命を落とした。
そしてそれは義統の悲願である「大友氏再興」が成立したことを意味した。
そしてこの事件が未来において秀頼の道を阻む大きな岩となっていくのだが…
それはまた別の話…
いよいよ次回から話を近畿にもどします。
毛利の動きはどうなる?そして主人公は関ヶ原の戦いを止められるのか!?
どうぞ肩の力を抜いて今後もお楽しみいただければ幸いでございます。




