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弟よ!幸あれ!㉜長浜決戦(12)

◇◇

 高坂甚内の根城であり、猿飛佐助らが囚われている場所へと一人乗り込んだ霧隠才蔵だったが、次取るべき行動に頭を巡らせていた。

 それは「三つある小屋のうち、どの小屋へと侵入するか」ということだった。


 今彼が潜んでいる物影がある小屋もそのうちの一つである。


 ちらりと見上げると、高い場所に窓があり、その小屋の中の様子をうかがい知ることは出来ない。そこで壁に耳を当てて中の様子を探ったのだが、これといった足音もしなければ、話し声も聞こえてこなかった。


――この小屋ではなさそうだな。あの音を聞いて、やつらが黙っていられる質とは思えん


 あの音とは、先ほど才蔵が放った「雷遁の術」で出た爆竹の強烈な破裂音のことだ。

 あれほどの音を耳にしてもなお、誰も一言も発さないというのはありえない。例え猿ぐつわを口にされていても、喉からの唸り声くらいは発してもおかしくないからだ。


――となると、残りは二つに一つ…


 あらためて才蔵は物影からその二つの小屋を見つめる。その小屋は幕の入口と最も離れた場所にあり、向い合うようにして東と西の対極にある。

 仮に一つへと侵入しそれが、「外れ」であった場合、もう片方の小屋へと忍び込むことが果たして出来るだろうか。

 そもそも遮るものが全くないこの幕の中で、しかも熟練した忍びたちが血眼になって才蔵の動きをとらえようとしているにも関わらず、入口から最も離れた小屋まで無事にたどり着けることすら怪しいと言わざるを得ないのだ。

 そう考えるだけで自然と汗が額から流れ落ちるのを止めることは出来なかった。なぜならそれは、彼の緊張をそのまま表していたからであった。


――これは難儀だぞ。一人で来たのはやはり無謀であったか…


 そのように心の内では後悔したような言葉が漏れる。しかしその言葉とは裏腹に、彼の目はまるで少年のように爛々と輝いていたのであった。



………

……

「ねえ!ねえ!聞いた!?今の」



 霧隠才蔵が幕の中へと忍び込んだその頃、とある場所では、両手を縛られたまま囚われの身となっている由利鎌之介が、目を輝かせてその場にいる人々に声をかけた。

 その場にいるのは、猿飛佐助をはじめとする八人だ。どうやら鳶沢甚内や庄司甚内ら、風魔の者たちは別の場所に囚われているようで、そこには見当たらない。つまりその場には、真田十勇士の面々が、手を縄で繋がれたままに囚われているのであった。


 そして、その鎌之介の問いに反応する者は誰一人としていなかった。


 むしろ海野六郎などは険しいものを顔に浮かべているのだ。その様子を怪訝に思った鎌之介は小さな頬を膨らませて、口を尖らせた。



「ねえってば!なんで誰も何も言ってくれないのさ!?今の音は、才蔵の雷遁だよ!

へへん!火薬の音で見極めるなんて、すごいでしょ!」


「やいっ!鎌之介!ちとは黙らんか!それにお主の才蔵自慢はもう飽き飽きだ!」


「むむぅ!甚八!なんでだよ!仲間が助けに来てくれたのを、喜べないなんてひねくれ者のすることだぞ!」



 そう色の白い頬を赤く染めながら根津甚八に噛みつく鎌之介に対して、どこまでものんびりした口調で、巨体の三好青海が声をかけた。



「鎌之介。逆にお主はもう少しひねって物を考えた方がよいと思うぞ」



 普段から鎌之介をからかうのは、根津甚八か穴山小助と決まっている。しかしこの時は清海から声がかけられたことに、鎌之介は眉をしかめた。そして彼が何か口にする前に、海野六郎がその理由を口にしたのだった。



「騙し打ちにされたとは言え、武器を持った俺たちが九人集まってでも、このように縄にかかってしまったのだぞ。いかに才蔵と言えども、一人で乗り込むなど…飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのことだ」



 はっとした表情を浮かべる鎌之介は、しゅんとなってうなだれた。そんな彼に追い討ちをかけるように、端にいる望月六郎がぼそりと言ったのだった。



「それに…あの化け物にはかなわない…」



 その「化け物」という響きの瞬間に、その場の全員の顔が青ざめる。

 そして悔しそうに歯ぎしりをした穴山小助が吐き捨てるようにして言った。



「これは賭けてもいい…才蔵はあの化け物には絶対にかなわねえ。

あの、根岸兎角(ねぎしとかく)とかいう化け物にはな…」



 彼の言う「根岸兎角」とは、後世「微塵流」と呼ばれる剣術の流派の始祖とされている人だ。これより少し前に、弟弟子に一騎打ちで敗れ、その後は諸国を放浪していると噂は流れていたものの、その彼がまさか高坂甚内の手の内にいようとは、誰も想像だにしていなかったのである。

 三好青海に負けずとも劣らないほどの巨体の持ち主で、愛用する武器は剣というよりは、金砕棒と呼ばれる鉄製の棍棒に近いものだった。


 佐助は目をつむりながら黙って皆の様子を聞いていたが、その足はいら立ちを抑えきれないように、小刻みに震え「タン、タン」と足音を立てている。


 ところがしばらくした後、佐助は何かに気付いたように、かっと目を見開いた。そして、顔を真っ赤にさせて、歯ぎしりをしたのだった。



「あの大馬鹿め…たまには俺の言う事を聞かんか!」



………

……

 一方、高坂甚内は自室のある小屋の前で、幕の内の様子をうかがっていた。もちろん彼も幕の外からこだましてきた「雷遁の術」の爆音にも、入口付近で上がった煙の存在にも気付いていたのだが、この時点で才蔵がどこにいるのかまでは見極められないでいた。


 その彼に手下の忍びのうちの一人が報告に来た。



「幕の外で一人やられました」


「ふむ。ではその者の代わりに一人、紛れ込んだ者がおるのだな」


「恐らくは…しかし、その行方はまだつかめておりません」


「そうか… しかし、これ以上もてあそばれるのも面白くねえな。

各自、持ち場の小屋を固め、そこに侵入者があれば捕えよ。無理してこちらが追わずとも、そのうち尻尾を出すであろう」


「はっ!ではそのように伝えます」



 返事をした忍びはどこともなく消えていく。それを見届けた高坂甚内は、元いた小屋の中へと消えた。その小屋にあるもう一つの部屋で寝泊まりをしている人を呼びに行く為であった。

 その部屋は高坂甚内の部屋よりも大きく、その人は毎晩違う女性を連れ込んでは、大酒を食らって大騒ぎして、昼まで寝ている。その人こそ、剣豪根岸兎角であった。

 この日も兎角は両腕に若い女性を抱えて、大きないびきをかいている。そんな彼の肩を高坂甚内が「旦那!起きてくだせえ!」と揺らすと、彼は眠い目をこすりながら、不機嫌そうに甚内の事を睨みつけた。



「おい…なんだ?気持ち良く夢見ている最中に」


「旦那。出番でございます」


「ああ? そんなもん、俺が決めることであろう。なぜてめえに命じられなければならんのだ?」



 面倒くさそうに大きなあくびをした兎角は、再び女の一人の胸の中に顔をうずめようとしているが、その様子に高坂甚内は、慌てて懐から銀を一枚取り出し、それを兎角の視界に入るように差し出したのである。

 それをひったくるようにして甚内の手から奪った兎角は、苦々しい顔で言った。

 


「ふん… 仕方ねえな。俺がおらんでは、何も出来ぬのか? お主らは…

このへぼ忍者め」


「へい。どうかこのへぼ忍者にその偉大なお力をお貸しくだされ」



 媚びることをまるでいとわず、そこに何の感情も抱かないのは、高坂甚内が同じような橋を何度も渡ってきたからだ。彼は壁に立てかけてあった金砕棒を兎角にうやうやしく差し出した。ようやく目が覚めるとともに、機嫌を良くした兎角は、鼻を鳴らして高坂甚内を見下ろした。



「まあ、今回だけはお主の顔に免じて手を貸してやろう。して、どこに向かえばよい」


「へい。それがしがお連れいたしますので、どうぞついてきてくださいませ」



 高坂甚内はそう言うと、兎角を伴って小屋から「とある場所」へと足を進めていったのだった。



………

……

 さて、入口から最も近い場所にある小屋の物影に身を潜めている霧隠才蔵であったが、未だにそこから動けないでいた。

 いや、正確に言えば「動かないでいた」となろう。

 彼はその神経を耳に集中させて、地面にそれを当てていたのである。


 暗夜敵歩察知の術――


 地面から響いてくる足音によって、敵の数や動向を知るその術で、彼は敵がどの場所に集まっていくのかをつかみ、そこから佐助たちが囚われている場所を割り出そうと考えていたのであった。


 しかしそこに一つの誤算が生じた。


 それは幕の中にいるおよそ二十人の忍びたちが、ほぼ三分割されるように、同じ人数がそれぞれの小屋へと散っていったのである。

 もちろん才蔵が潜んでいる小屋の方へも数名の忍びたちが近づいてきたが、観音隠れの術によって、完全に周囲と同化した彼は、視界だけを頼りにしたならそう易々と見つかることはないだろう。しかしそれも時間の問題だ。いかに気配を消そうとも、熟練の忍びが本気になって彼の事を探知しようとすれば、すぐに見つかってしまうことは明らかなのだからだ。


――うむ…これは困ったぞ。これではどの小屋に囚われているのか、全く区別がつかん…


 一度耳を地面から離して、そう顔をしかめた才蔵。


――しかし、かと言って、この目で見極めることなど出来るはずもない!


 そう腹を決めた彼は、再び耳を地面に当てたのだった。



 …と、その時であった…



――トン… トン、トン…



 と、高い足音が地面から響いてきたのだ。


 すり足で走る忍びたちにあって、この足音だけは異常なほどに目立っている。


 それはまるで、誰かに聞いて欲しいと言わんばかりではないか…


 そして、才蔵はその足音を耳にしたその瞬間…



 ニヤリと口角を上げた。



 なぜなら彼は、はっきりとその足音の持ち主が分かったからである。


 それは…忘れるはずもない。


 彼が最も嫌いで、最も慣れ親しんだその足音のことを…



 猿飛佐助ーー



 そしてその不自然に刻まれた足音には、明らかな才蔵に向けた言葉が隠されていたのだ。



ーーこっちへ来るな!



 というものだった。



「来るな…というのは、『来てくれ』という裏返しってことだよな?佐助」



 その足音のする方角に目を向ける。


 そこには…


 なんと小屋はなかった…


 一瞬だけ才蔵は目を丸くしたが、すぐに元の不敵な笑みにその表情を変える。



「なるほどね…小屋は全て『囮』というわけかい…」



 そう…彼はここで気づいたのだ。


 佐助たちは「小屋の中に囚われているわけではない」ということを。


 もちろんそれは幕の中であることに違いはない。

 しかしそれは「目に見える場所」ではなかったのである。


 才蔵はすぐさまその両手で地面を叩いた。


 すり足だけが響くその地面に、不自然に聞こえるように…



ーーペタン、ペタン…



 そこには佐助の顔を真っ赤にさせるに十分な意味が込められていたのだ。



ーー今から行くぞ!



 と…



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