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弟よ!幸あれ!㉘長浜決戦(8)

◇◇

 少し時は戻る――


 それは霧隠才蔵と筧十蔵の二人が仲間たちから離れ、残った真田十勇士の面々が、高坂甚内の根城への夜襲に向けて着々と進めていたその頃のことだ。

 「(かわや)へ行く」と言い残して席を外したあかねは、その言葉に偽りなく、茶屋の廁へと足を進めた。しかしそれは本来その場所で足すべき用を行うわけではないことは、彼女の狐のように鋭い目と上がった口角を見れば明らかであった。


 熱気のこもった室内と比べると外の空気はしんまで冷えるほどに寒い。

 そんな中、彼女は足早に廁の前までやってくると、「リン」と腰の鈴を一つ鳴らす。それと同時に、素早く帯の中から一枚の紙と矢立(やたて)(携帯する墨と筆のこと)を取り出して、立ったまますらすらと何やら記した。

 そして彼女が書き終えた頃を見計らったかのように、一つの影が彼女の背後に、ぬっとあらわれる。それは一人の忍びであった。額に大きな傷があるのが特徴的なその忍びは、あかねの前でひざまずいている。



「来ましたね。ではこれを…」



 突然の忍びの出現にも全く動じることなく、紙を彼に差しだすあかね。忍びの男はそれを受け取ると同時に手早く懐の中にそれをしまった。そして今度は忍びの方からあかねに、小さな包みを手渡したのである。

 嬉しそうに顔をほころばせたあかねが、その包みを開くと、そこには数枚の銀が月の薄い明かりに照らされて、黒く光ったのだった。



「確かに…銀五枚。では残りの半分は、全てが片付いてから…ということでよろしいですね」



 忍びの男は無言のまま、こくりとうなずいた。その様子に目を細めたあかねは、「では、高坂殿によろしゅうお伝えくだされ」と言い残すと、再び元いた部屋の方へと足を向けたのだった。


 この姿こそが、彼女の本当の姿であったことに、この時真田十勇士の誰もが気付くはずもなかった。それもそのはずだ。まさか彼女が高坂甚内とつながっているなど、不幸な生き様を身体中に纏っている彼女からどうして想像出来ようか。


 しかし一つ明らかにして置かねばならぬことは、「彼女が彼の手下ではない」ということだ。さらに言うなら、彼女にとって彼は数いる「お得意様」の一人に過ぎないのである。

 つまり、あかねは今までも高坂甚内から様々な『闇』の仕事を請け負って、その成功のあかつきに報酬を得ていたわけだ。

 仕事が終われば手切れとなり、互いの仕事にも生活にも全く干渉しない。そしてまた新たな依頼事が出来れば、高坂甚内の方からあかねに近づくということを繰り返してきたのだった。

 無論今回もその仕事のうちの一つという括りを超えるものではない。

 鳶沢甚内と庄司甚内を利用して、高坂甚内の企みを妨げる者をあぶり出し、上手く彼らの根城へと誘導する仕事で、その条件は…


――俺に邪魔立てする者をあぶり出した時点で、銀五枚。そしてその全員を俺がとらえた時に残り銀五枚を支払おう


 というものであった。



「フフ…二人ほど抜けてしまいましたが…まあ、いかようにもなるでしょう。これでまたしばらく楽に暮らせるというものです」



 そう高をくくって、内心では大きな笑みを浮かべながらも、その顔は「薄幸な佳人」を装って部屋の中へと戻っていったのだった。



………

……

 そしてそのあかねが、筧十蔵と三好伊三が過ごしている宿の一室へともぐり込んだその頃――


 長浜の街外れでは、二つの人の肉体から命の灯が無情にも消え去っていった。


 その中央に立つ男は、血に染まった忍び刀を右手に、まるで陽炎のようにゆらゆらと体を揺らしている。

 それは仲間を窮地にさらされたことで、理性の半分を失い、今や冷酷な死神を体現した霧隠才蔵であった。

 彼は三好伊三の追手である三人の忍びのうち、既に二人に対して情け容赦なく、急所を一突きにして、物言わぬ亡きがらへと変えている。

 そしてその才蔵の前に立つ者の心のうちでは、二人の仲間を無惨に害されながらも、その復讐心より恐怖心が勝っているようだ。その事を示すように、「ここからいかに逃げ出すか」と、目の前よりも背中にその意識を集中させていたのである。

 しかし才蔵は、その忍びを逃がすつもりも、生かすつもりもなかったのであった。



「お主には申し訳ないのだが、俺の前に立った時点でその命はなかったのだ。

かくなる上は、お主の知ること全てを洗いざらい話してその首を大人しく落としていくか、さんざんいたぶられて苦痛に泣き叫びながら全てを話したところでようやくその首を落としてもらうか…

俺にしてみればどちらでもよいが、手間と時をかけぬという意味では、出来れば大人しく話して欲しいものだ」



 そう宣告しながら、ゆらりゆらりと忍びとの距離を縮める才蔵に対して、その言葉に偽りがないと悟ったのか、その忍びは一つの決意を固めていた。


 それは… 『自害』…


 しかし…



ーーガッ!!



 目にも止まらぬ速さでその手を伸ばしてきた才蔵は、彼の悲壮な決意をも許さなかった。



「ぐっ…」



 思わず呻き声が喉から漏れる忍び。その口には…


 才蔵の右の拳が深々とねじ込まれていたのである。



「舌など噛ませんぞ…これ以上、余計な事を考えるのであれば、痛い目にあってもらわねばならぬが、いかがするつもりであろうか」



 淡々と凍りつくような口調で、最後の通告をする才蔵に、忍びは涙を浮かべ、首を縦に振ったのであった。



………

……

 慶長11年(1606年)12月20日 卯刻(およそ午前六時)ーー


 その宿の一室に才蔵が戻った頃は、既に空は白み始めている。この日は前日の曇りとは打って変わって晴天に恵まれそうなことは、黒から紫に色を変えた空を見れば明らかだ。

 そんな中、音も立てず気配も消して部屋の中に入ってきた彼であったが、筧十蔵だけはその目だけを彼に向けて、コクリと頷いた。それは十蔵なりの出迎えであり、才蔵もまた頷き返して、十蔵の隣に腰を下ろしたのだった。


 彼らの目の前には、未だに昏睡から目を覚まさぬ三好伊三の痛々しい姿と、安心しきって背を向けて熟睡しているあかねの二人がある。


 才蔵は彼らを起こさぬように囁くような声で、十蔵に話した。



「今日…未刻(およそ午後二時)。あやつらの多くは舞台に行くそうだ。その隙に根城に忍び込む」


「…しかし佐助たちはもう既に…」



 十蔵は言いづらそうに言葉を切った。しかし才蔵は間髪入れずに続けた。



「まだ生かされているはずだ」


「…なぜ分かる?」



 その問いに才蔵は、先の伊三の追っ手から聞き出した事を話し始めた。


 それは、高坂甚内の手の内のことだった。


 そしてその出だしは、普段あまり感情を面に出さない筧十蔵ですら、驚愕に声が漏れてしまうほどのことだったのである。



「高坂は、越前卿殺害の濡れ衣を『風魔』と『佐助たち』に着せるつもりなのだからな!」



「な、なんだと…?」



 細い目を丸くしている十蔵に対して、才蔵は引き続き低い声で続ける。



「高坂甚内の狙いは越前卿を害することだけではない。

そもそも街から離れているとは言え、真っ昼間に堂々と凶行に及ぶというのは、危険が大きすぎるとは思わんか。どうにも最初から違和感があったのだ」


「そう言われればそうかもしれん…」


「佐助らと風魔たちには、縄に繋がれたままで、高坂の一味が越前卿を害する様子を目の前に見せる。その後、高坂はさも下手人を幕の中で捕縛したかのように、佐助らを縄で繋いだまま出てくる。そして幕の外に予め呼んでおいた奉行に引き渡し…」


「そのまま江戸へ…ということか…」


「ああ、恐らくそこには高坂と繋がりのある重臣とやらが待ち受けているのだろうな。佐助らが何を言っても聞く耳など持たぬ。そして佐助らが風魔を率いて、越前卿を暗殺したとして、ついには皆そこで処刑される…」


「しかし、才蔵…なぜ高坂はかように面倒なことを…?」



 その十蔵の問いはもっともだ。わざわざこのように面倒をかけずとも、結城秀康の暗殺の機会はもっと楽な方法で作れるように思えてならない。

 そこには「別の意図」があるとしか言いようがなかったのである。しかし才蔵は既にその答えをも用意していた。そして、彼はより一層声をひそめて答えた。



「高坂甚内は…甲賀だ」


「甲賀…」


「甲賀の復権… それが、やつの狙いだ」

 


 静かな部屋の中に才蔵の声がまるでさざ波のように響ていたのだった。




 


 






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