欲張りな男の系譜
◇◇
少しだけ時を戻し、慶長5年(1600年)8月29日――
その夜、黒田如水は夢を見ていた。
それは彼がまだ若い頃、一人の英雄と一緒に戦場を駆け抜けた夢…
「のう、官兵衛!わしはわしの欲しいものぜーんぶ手に入れるぞ!」
「左様でございますか」
英雄の放言とも言える夢に、傍らにいる彼は否定も肯定もせずに、穏やかに返事をする。
そんな彼に面白くないと言わんばかりに顔をしかめた英雄は、
「なんだつまらんのう。『この欲張りな、お猿め!』とか突っ込んでくれもしないのか?」
「そう突っ込んで欲しいなら、そういたしますが?」
「カカカ!相変わらずお主は冷めておるのう!でなければ、こんなわしの軍師など勤まらぬか!カカカ!」
本当に愉快そうに笑う英雄を見ると、見ている側まで心が躍ってくる。
これがその英雄の魅力なのであろう。
そして英雄は彼と向かいあうと、表情を引き締めた。
「のう、官兵衛。いいか、お前はお前が欲しいもの、全部手に入れろ。その為には努力を惜しむな。そうやって生きている奴に、お天道様は微笑んでくれるものぞ」
彼は目を見開いて、穴があくほど英雄の顔を見つめる。
英雄もそれに応えるように、どこまでも透き通った瞳で彼を真っすぐ見つめ返すのであった…
そんな夢を見ている時だ…「加藤清正、北上す」の一報が彼の寝床まで届けられたのは…
彼は早速、栗山善助、母里太兵衛、井上九郎右衛門の三人を前にして、今後の方針を定める為の軍議を始めた。
そして一つの大きな決断を下したのである。
「太兵衛、善助、九郎右衛門!わしは決めたぞ!」
深夜にも関わらず、如水はその瞳を爛々(らんらん)と輝かせて、三人にそう呼びかけた。
その表情を見ているだけで、部屋に呼ばれた3人の気持ちも高鳴る、そんな若々しさにあふれた良い表情である。
思わずにやけてしまうのを抑えきれない善助は、三人を代表して如水に問いかけることにした。
「殿、これからどうされるとお決めになったのですか?」
その問いににんまりと笑顔を浮かべた如水は、
「俺は俺がしたい事を全部叶えるぞ!」
と、周囲が仰天するような答えを出したのだ。
そんな驚きの宣言した如水は、周囲の顔色など確認するいとまもなく、
「天下をひっくり返す!その夢は捨てない!
しかし、豊臣秀頼殿のもとへも駆けつけたい!
わしは何でも手に入れたいのじゃ!」
と、なんとも欲張りな願望をぶちまけたのである。
それはまるで、欲しいものを何でも手に入れる努力を惜しまなかった、亡き豊臣秀吉の嬉々とした仕草と全く同じものだったのであったのだ。
「しかし殿、二兎追うもの一兎をも得ず、とも言います。
どちらも中途半端になりはしませんでしょうか?」
と、九郎右衛門が問いかける。
「かかか!そうだのう!その可能性、大いにあるのう!だが、わしは出来ることはなんでもするぞ!そういう人間にお天道様は微笑むと昔教わったからな!」
一同唖然とした。
しかし如水は続ける。
「まずこの目で見てみたい、秀頼殿とその配下の者がどれだけの器量か。
そしてもう一つ。
わしは自分でこの手で天下を治めてみたい!
だから博打をうつ!」
そう力強く宣言すると、如水は各自に指示をしていった。
「まず、善助!」
「はっ!」
「お主には兵2000を預ける。は富来、安岐を攻め落とせ。
その後、大友の動きを目定めよ。
大友が本当にこちらにくみするなら、そのまま日向(今の宮崎県)へと進め」
「御意!」
「次に九郎右衛門!お主には兵2000を預ける!ここより西の角牟礼、隅を落とし、そのまま西へ抜けよ!
機会があれば肥後の宇土を抜け!
そしてそのまま南に睨みをきかせよ!」
「はっ!」
「太兵衛は俺とともに来い!
その後、久留米から小倉まで、虎之助とともに一気に進むぞ!
その後、わしは中国へ渡る。お主には兵2000をもってそのまま反転し、佐賀にて鍋島、宇土にて九郎右衛門と合流せよ!」
「お任せあれ!」
そして最後に如水は三人の顔を交互に見やる。
「仕上げは島津じゃ!3人で呼応するように、一気に攻め立てよ!」
「ははっ!!」
中津城のその一室は、深夜とは思えないほどに、明るい活気に溢れていた。
三人とも老齢と表現してもおかしくない年齢だ。しかしその声だけを聞いた者があれば、青い野望と淡い希望に満ちた若者たちの語り合いにしか思えないだろう。
こうして中津城の熱い夜は過ぎていったのであった。
◇◇
慶長5年8月30日――
三軍に分けた黒田の軍は一斉に中津城から出陣した。
井上九郎右衛門は南西、栗山善助は東へ、黒田如水と母里太兵衛は西へとそれぞれ進路をとった。
その後、九郎右衛門は難なく角牟礼城、隅城を落城させると、そのまま西へと抜けていく。
一方の善助は途中竹中勢を加勢に加え、富来城と安岐城を落とす。
こちらも順調に豊後に入ると、その行く手に一人の武将が石垣原付近で、数名の兵とともに、善助の軍勢を待ち構えていた。
「やあ、お義父上!お久しぶりにございます」
善助はそう目の前の武将に声をかけると、馬をおりて礼をとった。
その武将は吉弘統幸。その娘は栗山善助の妻である。
「いつぶりであろか、久しいのう」
そう笑顔で善助を迎えると、今後の大友の動きについて語り出した。
彼曰く、豊後については、自分たち大友勢ゆかりの地であり、その攻略は任せて欲しいとのことだ。
そして豊後攻略の後は、使いを送るので、共に島津を攻め立てようと提案してきた。
善助はそれをのむと、踵を返して安岐城へと戻っていったのだった。
◇◇
久留米城を出た加藤と黒田の軍団は破竹の勢いで九州を北上していった。
そして最後の難関とも言える小倉城も
「黒田如水が将、母里太兵衛!小倉城に一番乗りなり!」
と、軍団の勢いそのままに、あっさりと攻略したのだった。
慶長5年9月9日――
とうとう加藤清正と黒田如水の合わせて約5000人の軍勢は、周防の国に上陸した。
「さあ!中国大返しの再現じゃ!遅れるなよ!虎之助!」
「なんの!それはこっちの台詞だ!軍師殿!」
二人は呼吸を合わせるように、前を向く。
いよいよ歴史は大きく変わった。
毛利の間者が数人、その様子を見て慌てるように大阪へと向かっていくのだった。
すみません。もう1話だけ九州を舞台にいたします。
次回は「大友の動き」になります。