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弟よ!幸あれ!㉗長浜決戦(7)

◇◇

 既に日付は変わって慶長11年(1606年)12月20日丑刻(約午前二時)――


 音も立てずに、闇夜を切り裂く風となって駆け抜けていく霧隠才蔵と筧十蔵の二人。


 共に声一つ上げずに、無言のままにその足を動かしているのだが、こと才蔵については、心の中で己の考えの整理を続けていたのであった。



――俺が感じた矛盾…もしそれが導く答えが正しければ、佐助たちは罠にはめられた恐れが高い!



 そして彼は今一度、己の感じた「矛盾」について考えを巡らせる。

 それは本当に正しいものなのか、今一度確かめるように。


 その矛盾とは…



――俺があの舞台で見た奏者たち…すなわち忍びたちは『性別も年齢もばらばらであった』はず…



 しかし…



――鳶沢甚内の話しでは『腕に覚えのある風魔の男ばかりで、皆一様によい歳』と言っていた…



 そう…これこそ才蔵が感じた「矛盾」の正体であったのだ。



――これが示す意味…それはただ一つしかない



 つまり、才蔵たちが見た『舞台の奏者たち』と、鳶沢甚内が話した『一座に身を置く者たち』は、全くの別人であるということだ。


 そのことが示すのは…



――高坂甚内は二つの部隊を引き連れている!



 ということだった。


 もしその事に鳶沢甚内すら気付いていないというならば、彼の知る内部の事情に従って夜襲をかけても、それは言わば罠の手前に置かれた餌に食らいつくようなものであることは一目瞭然だ。


 そもそも大御所、徳川家康の息子である結城秀康の暗殺という極秘の企てを知る者を、そう易々と逃がすなどあり得ないことだ。しかし鳶沢甚内の話しに偽りがあったようには思えない。そうなると、鳶沢甚内ら三人は最初から逃げるように仕向けられていたに違いない。

 つまり高坂甚内の企てを邪魔立てする者たちをあぶり出す為に、放たれた『鼠』だった訳だ。

 仮にその邪魔立てする者が誰一人として長浜にはいないと分かれば、その時点で鳶沢甚内と庄司甚内、それにあかねの三人は消し去られていたことだろう。

 しかし、その『鼠』にまんまと食いついたのが、猿飛佐助をはじめとする真田十勇士の面々であった。



――くっ…やはりあの時に気付くべきであったか!



 鳶沢甚内の心打たれる独白にすっかり目が曇ってしまっていたのだが、そのような後悔は後には立たない。今考えるべきは「これからの事」だと、才蔵はぐっと腹に力を込めた。



――しかし、一体全体なぜ高坂甚内は、わざわざ部隊を二つに分けたのだろうか。そしてその部隊の一つである『風魔』を囮にして、佐助らをおびき寄せたのはなぜなのだろうか…



 ふとその事が頭をよぎる。そしてその事に考えを巡らせようとしたその時だった。



「…才蔵。あれを…」



 突然、才蔵の背後にいた十蔵が低い声をかけてきた。その声の指す方へと目を向けると、そこには言われなけば見落としてしまいそうな、小さな縄が、道の端に捨てられるように置かれていたのだ。



「結い縄か!?」



 思わず才蔵はそう叫ぶと、そこで足をピタリと止めた。そしてその縄を手に取ると、目を見開いた。

 これは「結い縄」という忍びの仲間同士の伝達手段の一つだ。縄の結い方によって様々な意味を持たせるものであり、それを目にした十蔵が小さくつぶやいた。



「この結び目…『行くな』…そう言っている…」



 才蔵は辺りを見回す。既に街中からは外れ、明かりのない周囲は漆黒の闇に覆われている。

 しかしその闇の中に、この結い縄を置いた誰かが潜んでいるのではないか。そう直感した才蔵は、低い声を出した。



「オン マリシエイ ソワカ…」



 これは摩利支天の真言にあたる言葉だ。その摩利支天とは、陽炎の象徴であり、実態のない隠形を体現した忍びたちの間では、よく信仰の対象とされている。才蔵もその摩利支天の信仰者の一人であることは、仲間内では知られたことであり、この真言はよく口にしていた。つまりそれは仲間うちでは一種の合言葉のようなもので、霧隠才蔵が近くにいることを表していたのだった。



ーーガサリッ…



 才蔵の言葉に呼応するように、近くの藪から音がしたかと思うと、闇の中に一人の男の影が浮かんできた。



「伊三か!!?」



 思わず才蔵はそう叫び、ふらつきながら近づいてくるその影に向かって駆け出す。そしてその影の体を支えた。

 薄い月の光からでも、ここまで近づけばその顔ははっきりと誰のものであるか区別がつく。

 それは才蔵がその名を呼んだ通りに、三好兄弟の弟の方である三好伊三その人であった。


 彼の背中を支えた際に、ぬるっとした感覚に思わず才蔵の表情が険しくなる。その才蔵を見つめた伊三は、にやりと口角を上げると、「心配するでない。死にたくとも、なかなか死ぬ事が出来んのが三好の体というものだ」と強がる。しかし、その額に浮かんだ脂汗からして予断を許せぬほどに重体であることは明らかであった。



「とにかく…この先に行ってはならん」



 そう言い残した伊三は、がくりと首の力が抜き、その意識を飛ばしたのだった。



「才蔵、どうする…?」


「ひとまず伊三の手当てが先だ。引き返すぞ」



 才蔵は迷いなくそう口にはしたものの、悔しそうに目的の方向を睨みつける。光のないその先には、仲間たちがどのような目にあっているのかうかがい知ることはかなわない。そのことがもどかしくてならなかった。

 だが、佐助たちは全員でその場を脱出する事を観念した為、せめて闇夜に紛れやすい小さな体の三好伊三だけを逃がしたであろうことは、容易に想像がついた。そして彼に託した言葉こそ「ここに来てはならない」というものだったのだ。

 つまり、ここで感情に任せて踏み込めば、佐助たちの決死の覚悟を無駄にすることになる。

 それだけは絶対に避けねばならぬことだった。


 ひょいと背中に体の軽い伊三を背負いこむと、今度は十蔵を先頭にして、来た道を戻っていく。

 今宵の寒さは、素肌であれば突き刺さるような痛さを伴うものだ。しかし二人はそれを感じる事もなく、ただ足早に前に進んでいったのであった。



 しかしそれは長浜の街中に入る寸前のことである…


 突然才蔵が道の途中で足を止めた。



「才蔵…どうした…?」



 前を行っていた十蔵もまた立ち止り、才蔵の方を振り返る。すると才蔵は、ゆっくりと十蔵に近づき、伊三の身を彼に預けたのだ。

 まさか「重いので代われ」という訳ではないだろうことを、十蔵は十分に分かっている。それでも驚きに目を丸くしている彼に対して、才蔵は何か覚悟を決めたような低い声で言ったのだった。



「先に行ってくれ。俺はやり残したことがある」



 その短い言葉だけで十蔵は、彼の意図を正確にくみ取ったようだ。静かにうなずくと、伊三を背負って足早に闇の中へと消えていった。


 冬の闇の中、一人ただずむ才蔵。


 静かな闘気を身にまとい、大きく深呼吸をすると、突き刺すような眼光を闇の先へと向けた。そして乾いた空気に耳を澄ます。



「一…二…三… 三人か…」



 そしてもう一度息を大きく吐きだすと、彼は腹の内側にありったけの力を込めた。

 実はこの時、才蔵はとあることに目ざとく気付いていた。

 それは手負いの伊三を追ってきた高坂甚内の一味の者の存在である。そして、その伊三を十蔵に預けて、彼は一人でその追手を相手しようと待ち構えたのだ。



「オン マリシエイ ソワカ… 蠅どもめ…この霧隠才蔵が、叩き落としてくれよう」



 そうつぶやくと、彼はニヤリと口元を緩め、闇の先から向かってくる相手を静かに待ったのだった。




………

……

 元いた宿に戻ってきた筧十蔵は、すぐに伊三をうつ伏せに寝かせると、すぐに忍び装束を脱がせ、背中につけられた刀傷を診る。幸いにもその傷は浅く、しかも毒が塗られている様子もない。流れる血さえ止めてしまえば、命に別条はないであろう。

 医術の心得のある穴山小助から手ほどきを受けていた十蔵は、素早く荷物から止血の為の薬草や、失った体力を戻す為の漢方薬を取り出して、彼の出来うる範囲での治療を施したのだった。


 既に時刻は寅刻(およそ午前四時)を回り、あと一刻もすれば夜が明ける。


 もし佐助らが囚われの身になっていたならば、この日のうちに助けにいくことになることは明白だ。その為にも、今は少しでも体を休ませておかねばならない…そう心の中で言い聞かせた十蔵は、伊三の様子に気を配りながらも、壁にもたれかかって、うつらうつらとその意識を濁していった。



 そうして四半刻ほどした頃だろうか…



 突如として十蔵は、目をかっと見開くと、床に置いていた刀に手をかけた。



「…何者…」



 それは襖の外に人の気配に向けられた言葉だ。夜明け前のこの時間に訪れる者など、明らかに怪しむべき相手と言えよう。

 するとそんな十蔵の殺気のこもった声に驚いたのか、慌てたような調子で、外の人が声を上げたのである。



「かような時分に申し訳ございません。あかねにございます。

佐助様よりここにおられるとうかがっており、わが身の心配ゆえに、ここまで来てしまいました。どうかお許しくだされ」


「あかね…逃げてきたおなごか…」



 今回の作戦にあたり、鳶沢甚内と庄司甚内の二人は佐助らと行動を共にしているが、忍びではないあかねは見つかりにくい場所に身を潜めるように指示されていた。

 その一方で、佐助は「何か身に危険を感じれば、ここを訪れるとよい」と、才蔵と十蔵のいる宿の一室の場所を、あかねに含ませていたのである。

 一人で隠れ続けることに不安を感じた彼女は、迷惑なのを承知でその宿までやって来たのだという。



「どうか、かくまってくださいまし」



 そう必死な声で襖の外から声を出すあかねに対して、十蔵は短い声で「入れ…」と言った。



「ありがたき幸せにございます」



 すっと開けられる襖。その先には、一人不安で眠れぬ夜を過ごし、すっかり憔悴しきった顔のあかねの姿があった。それでも漂う気品の良さや、心を誘うような甘美な香りは変わらない。普通の男ならば、彼女を目の前にしただけで魅了されるに十分なものだ。しかし忍びとして心身共に鍛え抜かれた十蔵はそれらに惑わされることもなく、彼女に淡々とした口調で言ったのだった。



「少しは寝た方がよい…そこで横になるといい」



 うつぶせになって未だに意識を失っている伊三から少し離れたところで、素直に横になったあかねは、よほど安心したのか、十蔵に背を向けたままに小さな寝息を立て始めた。

 それを確認した十蔵も、その警戒の網は周囲に張り巡らせたままに、壁にもたれかかって目を閉じたのだった。



 一時の静寂が部屋を支配すると、そこにはわずかな安息の時間がもたらされる。



 しかし…



 誰にも気づかれぬことが一つだけあった…



 それは…



 小さな寝息を立てて、その意識は夢の中へといるはずの女のこと。



 その誰に見られることもないと分かっているその顔にニタリと不気味な笑みを浮かべ、その目は大きく見開かれているということを…





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