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弟よ!幸あれ!㉕長浜決戦(5)

◇◇

 慶長11年(1606年)12月19日 酉刻(およそ午後五時)――


 あたりは冬の闇に覆われて、賑やかであった長浜の街も酒場を残してすっかり静まったその頃。とある茶屋の一室に、後世「真田十勇士」と呼ばれる面々が顔を揃えていた。

 わずかな灯りから浮かぶその表情は、一様にきりっと引き締まり、これから始まる話し合いの内容が深刻であることを暗に表しているようだ。

 そこに彼らが待っていた最後の二人が入ってきた。

 その二人とは、霧隠才蔵と筧十蔵であった。



「揃ったな…では、始めるとするか」



 二人が席に着くなり、彼らのまとめ役である猿飛佐助が、全員を見回しながら低い声で切り出すと、みなコクリと首を縦に振った。



「まずは皆に会わせたい者たちがおる」



 その佐助の言葉に、目をつむっていた才蔵は、思わず薄目を開けて彼を見つめた。



「他人をこの場に…?」



 才蔵の鋭く斬り込むような問いにも、佐助は落ち着きを払ったまま答える。



「ああ、信頼出来る者たちだからな」


「なぜ、そう言い切れる」


「俺の勘だ」


「勘…だと…?」



 才蔵の鋭い口調よりも、驚きに薄く開いていた目を丸くしたその様子の方が、佐助の癪に障ったようで、彼は不機嫌さをあらわにして問い返した。



「何か言いたげだな?才蔵」



 こんな二人の調子はいつも通りのことであり、周囲はさして驚くことはなかったのだが、この時ばかりは横から口を挟んだ者がいた。それは巨体を揺らした三好青海であった。



「喧嘩している暇など、ないのではないか?」


「兄じゃの言う通りじゃ!のう、才蔵。ここは一つ、佐助の『勘』とやらを信じて、一度ここに通してみようではないか。そこで、もし怪しきところがあれば…」



 兄の三好青海に同調した弟の三好伊三は、その言葉を途中で切ると、意味ありげに才蔵の顔を覗き込んだ。

 伊三の言葉に同意したかのような周囲の視線を集めた才蔵は、ようやく観念したのか、はぁとため息をつくと、佐助に向けて首を一つ縦に振った。すると佐助は、由利鎌之介をちらりと見て、今度は彼が首を縦に振る。鎌之介はそれを受けて、スッと襖を開いた。


 そこには…


 深紅の着物の若い女性と、その背後に二人の男がかしこまりながら、軽く頭を下げていた。



「こちらへ入れ」



 佐助がそう命じると、三人は静かに部屋に入ってきた。

 その様子をじっと見つめる才蔵。その視線はまさに刺すようなもので、三人のうち一番前にいた若い女性の顔は明らかに怯えている。

 それを見た穴山小助が、才蔵に向かって口を尖らせた。



「おい!才蔵!うら若きおなごに、かような顔をするもんじゃねえ!てめえはいつもそんな調子だから、おなごとは縁がないのだ!」


「ははっ!小助が言うか!?年頃のおなごと知れば、いつも鼻の下を伸ばして、尻ばかりを見ているから、小助もおなごとは縁がないのだよ!」


「こら!鎌之介のくせして、うるせえ!」


「確かに『鎌之介のくせして』という部分は、俺にもよく分かる」


「むむぅ!甚八のくせしてぇ!」



 この三人の調子もいつも通りだが、場が場なだけに、この時ばかりは周囲も囃したてることもなく、その場のかじ取りを佐助に託したのだった。



「では…まずは名を」



 なおもいがみ合う三人には目もくれず、あらためて部屋に入ってきた三人に、佐助は短い言葉をかける。すると、女性の背後に控えていた男の一人が、すっと前に膝を進めて口を開いた。その声は思いの外、甲高く、男性としては背が小さな彼の姿に合っているように思えた。



「それがしの名は鳶沢(とびさわ)甚内と申します。そしてそこの男は、庄司甚内。さらにここにいるおなごは、あかねにございます」



 その鳶沢甚内の紹介に、残りの二人が深々と頭を下げた。

 鳶沢甚内が背の低い小男なら、庄司甚内は座りながらもそれと分かるほどの背の高い男だ。そんな大小対照的な様子は、さながら三好青海と伊三の兄弟と同じようにも思えるが、彼ら兄弟と決定的に異なるところが、鳶沢甚内が丸々と小太りで、庄司甚内はひょろっとした痩せ形のところだ。その点、三好兄弟は背丈が大きい方が、その腹回りも太い。しかし様々な面で「対照的」という点においては、通ずるところがあるのは確かであり、皆それだけでどこか安堵するものを覚えていた。

 一方の女性の方は、中肉中背。張りのある艶やかな肌は健康的でありながらも色は白く、暗がりの中でも眩しさを覚えるほどに美しい横顔の持ち主だ。

 しかし才蔵はその輝きに目をくらますことなく、冷たい言葉を投げかけた。



「その着物…お主…あの一座の踊り手か?」



 その問いかけの瞬間、三人の顔はさっと青ざめ、一様に驚きに口が半開きとなった。

 そんな中、才蔵に問いかけたのは佐助であった。その口調には明らかに怒りがこもっていたのである。



「お主…勝手にあの幕の中に入ったのか?」


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、というものだ」


「お主の役目は、街での聞き込みであったはずだ…」



 集団行動における規律を重んじる佐助にとって、才蔵のその行動は許せるものではなかったようで、怒り心頭のその顔は真っ赤に染まっている。しかし元からその枠組みに収まるつもりもない才蔵は、佐助の怒りなどどこ吹く風とばかりに、冷たいものを顔に浮かべたまま、今度は男二人に声をかけた。



「それにお主ら…風魔の手の者であろう」



 その才蔵の水面に大きな波紋を呼ぶ投石のような投げやりな言葉は、周囲に戦慄を走らせた。



「な…なんだとっ!?」



 血の気の早い穴山小助などは早くも中腰となり、壁際でじっと様子をうかがっている、冷静沈着な望月六郎ですら、その腰の短刀に手を伸ばそうとしていた。


 その様子に慌てたのは由利鎌之介。彼は場の中央に出てくると、両手を広げて周囲を落ち着かせようと必死に高い声を上げた。



「待て!待て!みなのもの!静まっておくれ!

こらっ!才蔵!不用意にそのような事を言ってくれるな!みなが勘違いしているではないか!」


「勘違い?では、この者たちは風魔ではない…というのか?」


「いやっ!それは違う!」


「では、風魔ということは確かなのだな?となれば『敵』と言ってもよいではないか」


「だから!それも違う!」



 ますます冷たい顔つきになる才蔵に対して、鎌之介は額に球のような汗を浮かばせて、必死に弁明しようとしている。だが、必死になればなるほどに、「違う」という言葉しか出てこない。いよいよ涙目となった鎌之介に代わるようにして、今度は根津甚八が口を開いたのだった。



「確かにこの者たちは風魔の手の者たちであった。しかし今は違う」


「ほう…どういう事であろうか」



「この者たちは…」



 甚八は言葉を切って、場に静寂をもたらす。そして全員の視線が彼に集まりきったのを見計らったと同時に、低い声で告げたのだった。




「あの一座から逃げてきた者たちだ」




 猿飛佐助と海野六郎の二人は既に事情を知っているようで、その表情に変化はない。そのことに才蔵は少し面白くないものを感じたが、甚八の言葉の続きには興味があった。

 その為、才蔵は特に言葉を発することなく、甚八をちらりと見た。すると甚八はそれに応えるように、再び口を開いたのだった。

 


………

……

 この日の朝のこと。由利鎌之介と根津甚八の二人は、その一座が根城としている、周辺を大きな陣幕で囲った小屋の付近に身を潜めていた。まだ一座が、仮舞台のある淡海のほとりに移動を始める前のことだ。彼らは根城への人の出入りから、怪しいところがないか探るように佐助から命じられていたのである。

 しかしこれといった動きもなく、甚八などは大きなあくびまで始めたその頃。鎌之介の目に、何やら人影が飛び込んできた。



「ややっ…甚八。あれを見てみろ。人が出てきたぞ」



 鎌之介は小声で横にいる甚八に話しかけると、甚八はすぐにその方へ視線を向けた。

 その視線の先には、赤い着物を着た若い女性をかばうようにしながら、男二人がその幕の中から逃げるように出てきたのだ。言わずもがな彼らこそ、鳶沢甚内らだった訳だが、事情を知る由もない甚八は、「もう少し様子を見てみよう」と、近くの木陰からその様子を注意深く観察していたのである。


 するとしばらくした後、三人の後を追いかけるように、複数の男たちが幕の内から出てきたのだ。その雰囲気からして、三人を捕えようとしているのは明らかであり、また彼らの足の運びは、彼らが熟練の忍びであることを如実に表していた。



「これは追いつかれるのも時間の問題だね」



 そう鎌之介がつぶやいた通りに、鳶沢甚内らはあかねにその足を合わせるように逃げていた為、みるみるうちに追跡してきた者たちとの距離が縮まっていったのである。



「くっ…ここまでか」


「かくなる上は、斬りぬけるより他あるまい」


「それしかないか…あかね、お主はここで身を潜めておれ」



 そう覚悟を決めた鳶沢甚内と庄司甚内の二人は、道の外れの背の高い草むらの中にあかねを潜ませて、短刀を右手に持って追跡者たちを待ちかまえた。


 すると次の瞬間…


――シュッ!!


 という空気を切り裂く音とともに、薄くて小さな鉄板が鳶沢甚内の額に吸い込まれるようにして飛んできたのだ。



「ぐぬっ!!」


――キンッ!!


 寸でのところで、手にした刀で鉄板を振り払うと、高い金属音が冬の空にこだました。その勢いを完全に殺して地面に落ちたその鉄板は、「手裏剣」と呼ばれる、忍びがよく使う飛び道具のようだ。それを高速かつ正確に飛ばしてくるあたり、追跡者の忍びとしての完成度の高さがうかがいしれる。


 そしてその直後には、三人の追跡者が鳶沢甚内と庄司甚内の二人の前に姿を現したのだった。

 


 一方、甚内らとは離れた木陰で身を潜めている鎌之介と甚八の二人は、その緊迫した様子を遠目に見つめている。そんな中、鎌之介が落ちついた声でつぶやいた。



「仲間割れだろうか…」


「さあ、どうだろうな。しかし若いおなごをあだなすのは、面白くねえなぁ」



 そう腰を浮かせた甚八に対して、鎌之介は白い目を向けながら口を尖らせた。



「まったく…小助にしても甚八にしても、若いおなごを見れば、すぐこれだもんなぁ」


「妬くな、妬くな。さあ、ぼさっとしていないで、人助けと行こうではないか!」


「誰が妬いてなんかいるもんか!もう…おおごとになって、佐助から雷落とされるのは御免だからね!」


「ははっ!その時は、その時!とにかく今はか弱きおなごを助けにいくぞ!」


「ちょっと!待ってよ!」



 先に飛びだした甚八の背中を追いかけるように鎌之介も木陰から離れると、次の瞬間には二人とも疾風のように、忍びたちが対峙している場所に向けて駆け抜けていったのだった。



 一方、あかねをかばいながら、しかも数的に不利な状況に追い込まれた鳶沢甚内と庄司甚内の二人。どうにかしてこの場を切り抜ける手立てはないものかと、必死になって頭を回転させていたが、無情にも何も浮かんでくるものはなかった。


――こうなればせめて一太刀浴びせて、あかねだけでも逃がすしかあるまい


 と悲壮な覚悟を固めて刀を構えなおした鳶沢甚内に対して、三人の追跡者たちは、情け容赦なくじりじりとその差をつめる。


 そして飛び込めばその刃が喉元に突き立てることがかなう程に、双方の距離が縮まったその時であった。



「うっ…」



 突然、鳶沢甚内の目の前の忍びが、短い唸り声を上げたかと思うと、前のめりに倒れたのだ。思わず追跡者たちは、鳶沢甚内らから距離を取る。そして、いざとなれば彼らの相手も出来るように警戒を保ったまま、半身になって背に視線を向けた。


 そこには…



「ようよう!どんな事情があるかは知らんが、白昼堂々と街の近くで斬り合いなんざ、穏やかじゃないねぇ」



 と、吹き矢の筒を手にした根津甚八が、息一つ乱さずににやけ顔で近づいてきたのだ。その甚八の背後では、刀のつかに手を当てた由利鎌之介が、真剣な面持ちで追跡者たちを睨みつけている。


 この時点で追跡者たちにとっては完全に形勢が逆転しており、今度は彼らがこの場をどう切り抜けるのかを考え始めているようだ。甚八は「どんな戦場であっても、とにかく自分の命を惜しむ」という事を徹底する忍びたちの心根を完全につかんでおり、その戦意が完全に削がれたのを確認した後、手にした筒を懐にしまって言った。



「どうやらこれ以上、やる必要はなさそうじゃねえか。そこで倒れている者も、じきに目を覚ますであろう。俺らもこれ以上無駄なもめごとは避けたいんでな。そいつを連れて、とっととこの場をうせるがよい」



 そう両手を広げている甚八と、その背後にいる鎌之介の二人の殺気が完全に解かれていることを確認した追跡者たちは、倒れた一人を抱えながら、無言でその場を足早に去っていったのだった。


 その様子を見つめていた鳶沢甚内と庄司甚内の二人であったが、未だに警戒を解くこともなく、甚八と鎌之介に向けて短刀の先を向けている。



「安心せよ。俺たちはか弱きおなごをその命を懸けてまでして守ろうとするという心意気に打たれてこうして手助けしたのだ。

まあ、せっかく乗りかかった船だ。安全なところまで付き合ってやろうじゃねえか」



 そう甚八は笑いながら鳶沢甚内に近づくと、彼の肩を馴れ馴れしく叩いた。

 その様子に「もう…単に若いおなごに近づきたいだけだったくせにぃ」と、頬をぷくりと膨らませた鎌之介は、あっけに取られている庄司甚内の視線に気づいて、ぺこりと頭を下げた。



「あっ…申し遅れました。それがしは由利鎌之介と申します。よろしければお名前をお聞かせいただけませんでしょうか」



 こうして鳶沢甚内ら三人と、根津甚八と由利鎌之介は長浜の街中まで行動を共にすることになったのであった。



………

……

「なるほど…鎌之介と甚八が、この者たちと出会った経緯は良く分かった。

しかし、それだけで信頼に値するというには無理があろう。なぜ、一座から逃げ出してきたのか、その理由を聞かせてもらおうではないか」



 実のところ、才蔵にとって目の前の三人が「どのようにしてここへ連れてこられたのか」という経緯よりも、「なぜ風魔小太郎の元から離れたのか」という理由の方が大事であった。

 なぜならその理由いかんでは、この者たちがその一座の間者であることも十分に考えられるからだ。

 

 相変わらず冷たい視線を鳶沢甚内に向けたままの才蔵に対して、その甚内が自らの口で理由を語りだした。


 だが、その冒頭は…


 才蔵にとってあまりに衝撃的で、そして彼の抱いている感情を、まるで見透かしているかのように的確に射抜いていたのだった。




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