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弟よ!幸あれ!㉔長浜決戦(4)

◇◇

 霧隠才蔵と筧十蔵の二人が、結城秀康の暗殺を企んでいるのではないかと思われる旅芸人の一座の幕の中に潜入してからしばらく経過したその時、ようやくその幕の中では、女歌舞伎の演舞が始まろうとしていた。そして、一人の中年の男が、舞台の最前列に立って、満面の笑みを観客たちに見せて、大声でその開幕を宣言したのである。



「やあやあ、皆さま!よくぞお集まりいただきました!これから存分に踊りをお楽しみくだされ!」



 その男のことを才蔵は目を細めて見つめた。


 男の周囲の細部にまで気を配るその視線に、いかにも統率力の高そうな張りのある声。そして鍛えられた体つきに、らんらんと野望の炎で輝く瞳…

 この男が、忍びとして並みの男ではないことは才蔵の目でなければ分からぬことであるにせよ、一座の座長であることは一目見れば誰もが分かることであった。

 それでも才蔵は注意深く彼を見つめていたのは、一つの違和感に、とまどっていたからである。


 その違和感とは…



――あやつは風魔ではない…となれば何者だ…



 ということであった。


 なぜ才蔵がそのように感じたのかと問われれば、それは端的に言ってしまえば「伊賀と風魔の共通点」に起因しているからということになろう。それは彼らが共に「単独行動」を是としており、集団を統率する能力に長けている者は、ほとんどいなかったからである。

 こと風魔においては、「風魔小太郎」という棟梁を、言ってみれば「神」として崇め、彼の指示や発言に対して絶対的な忠誠を持って行動するきらいがあると、才蔵は認識していた。

 では、今目の前で観客たちに愛想を振舞っている男が、その風魔小太郎を継いだ者なのかと問われれば、「それだけは絶対にありえない」と才蔵は断言出来る。なぜなら才蔵は、今は亡き者ではあるが、風魔の忍者たちが陶酔してやまない「風魔小太郎」という彼らの象徴の事をよく知っているからだ。


 なぜなら…


 ほんの一時の間ではあったが、霧隠才蔵もまた、風魔小太郎に魅せられた忍びの一人であったからだった…



 それは、彼がまだ真田幸村のもとで働くことになる前、つまりまだ幼く、忍びとしての鍛錬に勤しんでいたその頃のこと。野山を駆け巡っているその間に、彼は誤って風魔の縄張りとする場所に迷い込んでしまったことがあった。

 たちまち周囲を十人以上の風魔忍者に囲まれた彼は、成す術もなく捕縛されてしまったのである。そこで連れられたとある廃屋の中で対面した人物…それが風魔小太郎その人であった。

 結果として、才蔵は「害なき者」として、あっさりとその場で解放されたのだが、その時目にした風魔小太郎のその姿は、まさに焼印のように才蔵の脳裏に今もしっかりと刻まれている。


 その姿は『恐怖』の体現。

 いや、むしろ『慈愛』の象徴か…

 その両極が、さながら陰陽太極図のように、才蔵の瞼の裏に焼き付いたのだ。

 

 そしてそれは「風魔小太郎から離れたくない」という、踏み出してはならない考えまでをもよぎらせるほどに強烈な吸引力を持っていたのである。


 実はこの時、才蔵は自分の郷里に帰還した時の事を全く覚えていない。

 それもそのはずで、彼は風魔の里に関する記憶を全て消すような催眠術にかけられており、才蔵の師がその術を解いた後には、彼の頭の中には何も残っていなかったのである。


 それでも彼は「風魔小太郎」の事だけは、この先も忘れる事はないであろう。

 それほどまでに烈烈たる印象を彼は抱き続けていたのであった。

 


 その姿と今目の前の男とを比べれば、まさに月とすっぽん。あの時、才蔵少年が目にした、心を吸い寄せるような魔性の魅力とは、似ても似つかぬような卑しい笑みは、「小物」としか言いようのない。その男に、才蔵はある種の落胆すら覚えた。



――俺は何を期待していたのか…



 才蔵は自分の心の内に芽生えたわずかな動揺に、戸惑いを覚えていたのだが、それはここに来た「旅芸人の一座を探る」という本来の目的とは大きくかけ離れたことであり、むしろ危うさを伴う、絶対に口外できないことだったのだ。


 その動揺の源とは…



――風魔小太郎を再びこの目で見る事が出来るのではないか…



 という願望であった。


 ところがその事に気を取られているあまりに、肝心なことを完全に見落としていたことに、彼はその時ようやく気付いた。それは、その男の視線が才蔵の一点に向けられ続けていることだった。



――しまった!俺としたことが…



 と才蔵は自責の念にとらわれたが、それも後には立たないことであることを示すように、男はその視線を才蔵からそらさない。それはまるで蝶が蜘蛛の巣にとらわれたかのような、粘着質を伴った視線の糸にからめとられていた。

 こうなれば、もし自分の方から視線をそらせば、より一層怪しまれるに違いない。彼はそのように直感し、動揺を必死に押し殺しながら、男から視線を離さなかったのである。


 しかし…


 そんな才蔵の必死の抵抗は、次の瞬間にはいとも簡単に崩れることになったのだった…


 それは男のいる舞台の左手とは、反対側の右手の方から、一人の色白の少年が、笛を持って舞台の隅の方で目立たぬように腰を下ろしたことから端を発した。


 その儚さを伴った少年の姿に…



 才蔵の目はくぎ付けとなってしまった。



――あ、あれは…まさか…



 明らかに驚愕の色を浮かべる才蔵。そんな彼を見て、ニタリと口角を上げる舞台の左手にいる男。


 そう…


 今才蔵に視線を向けて離さないこの男は…結城秀康暗殺の密命を帯びた高坂甚内。


 そして、その才蔵が視線を向け続けているその色白の少年こそ…



――風魔小太郎…



 その姿に才蔵の『時』は完全に止まってしまった。


 蘇るはずのない消された記憶が、さながら大波のように才蔵の頭の中を襲いかかる。あまりに唐突かつ激烈なその勢いに、才蔵は完全に飲まれてしまった。



――そんな馬鹿な…



 そう才蔵がいぶかしんだのも無理はない。


 既に五代目風魔小太郎、つまり才蔵少年が目にしたその人は、数年前にその命を江戸幕府によって終えられているのだ。しかし、その生き写しとも言える雰囲気を身にまとった人物が、舞台の中で隠れるようにして座っているではないか。

 才蔵の動悸はまるではちきれんばかりに早くなり、全ての思考が停止していた。

 もし彼が忍びとしての鍛錬を怠っていたならば、その場で失神してしまっていたかもしれない。それほどまでに、その少年が放つ独特な雰囲気は他を圧倒していた。



――逃げよ!逃げよ!逃げよ!



 才蔵の本能は、なおも混乱の最中にある彼の理性の頬を必死に張り飛ばしてそう叫んでいる。

 そして朦朧とした意識のままに、才蔵はふらふらと立ち上がろうと腰を浮かせたのであった。

 だが、その時…



――ガッ!!


 

 突如として才蔵の右手が力強く握られた。

 その鋭い痛みが、才蔵の意識を急速に呼び戻していった。その痛みの原因を作ったのは…



「…まだ踊りの最中にございます…」



 筧十蔵であった。


 その瞳はどこまで才蔵の心情を察しているかまでは読み取れない。しかし彼の身に何か重大な事が起こっているであろうことは理解しているようだ。

 しかしそれでも彼とともにこの場を立ち去ろうとしなかったのは、十蔵なりの「この場を不自然に離れてはならん」という直感に基づく判断であった。



「あ、ああ…そうであったな…すまん」



 わずかに回復した才蔵の理性の欠けらは、彼の口を動かし喉を震わせると、続いて浮いた腰を落ち着かせた。

 そして目をつむって深呼吸することで、五感の働きを本来のものへと取り戻していく。

 

 「うおぉぉぉ!!」という幕の中を震わせるような大歓声の中、踊り手を囃したてる楽器の鋭く尖った高い音が混じっている。その中にあって、繊細で折れてしまいそうなほどに細い笛の音は、恐らくあの少年から奏でられているに違いない。だが、その音から意識をそらそうとするほど、逆にその音が本人の断りとは無関係に耳の奥の鼓膜を容赦なく震わせてしまうのは、彼が忍びとして未熟であることとは何ら関係なく、単に人の悲しいとも言える性によるものであろうことは言い訳でも何でもない、ある意味において必然と呼んでもよいものだ。それでも、そのように冷静にそう考えられるようになっただけでも、才蔵は十蔵に感謝してやまなかった。


 寒空を蒸し暑く変える、踊りは続く――


 この時、ようやく目を開けてその踊りの様子を傍観するに至っていた才蔵であったが、彼はその妖艶な踊り手たちの魅力などにはとらわれることなく、次に自分が何をすべきか、そしてこれから仲間たちが取るべき行動に頭を巡らせていた。


 それは「結城秀康が長浜に到着する前に、この一座を葬るか」それとも「結城秀康のお供に潜り込んで、その命を守る事に専念するか」という、言わば「攻める」か「守る」かどちらを選択すべきかという、つい先ほどの考えに立ち戻ったのである。


 しかし才蔵にとってその答えは、もはや一つであった。


 なぜなら彼の目の前には、あの少年が澄まし顔で笛を吹き続けているのだから…



――あの少年が風魔小太郎だとすれば…まともに「攻め」ても勝ち目はない



 そう…彼は知っているのである。


 風魔小太郎が持つ魔性の力を間近にした風魔の一族は、甲賀忍以上に団結し、伊賀忍以上に個々の力を高めることを…


 専守防衛――


 おのずとこの選択より他はありえない。そう才蔵は確信した。


 そして彼がそう心に決めたその頃に、かぶき踊りは終焉を迎えた。


 一部の客が、踊り手たちの誘惑に負けて、いやらしい目つきで舞台に向けておひねりを投げている。そんな歓声と熱気が幕の中で沸き上がっている隙を縫うようにして、才蔵と十蔵の二人は、ひっそりとその外へと出ていく。その際に、意外と言ってもよいほどに誰からも呼びとめられず、そのまま街中へと姿をくらます事に成功したのであった。



………

……

 その日の夕暮――


 観客もはけ、すっかり静けさを取り戻した幕の中で、高坂甚内は客席に座ってじっと夕闇に輝く一番星を眺めている少年に声をかけた。



「おい、小太郎」



 小太郎と呼ばれた少年だが、まるで反応を示さず、口元に涼やかな微笑みを携えたまま、空を眺め続けている。

 その様子に高坂甚内は頭をかきながら苦笑いを浮かべた。



「そうか…まだ小太郎という名が慣れねえってことかい。

まあ、よい。ところで、なぜ今日舞台に姿を見せたのだ?

お主の姿を他人に見せたくはなかったんだがな…」



 どうやらこの日の演舞で、この少年が笛を持って舞台に姿を見せたことは、高坂甚内にとっては意外なことだったらしい。その事を彼は質したのだった。それに対して、少年は空を眺めたまま、ぼそりと答えた。



「面白いやつ…いたから…」


「面白いやつ?ああ、あの男のことか…

どこが面白いのか、俺にはてんで分からなかったんだがな。

なにせお主を見ていた時のあやつの顔は青ざめていたからのう。

もはや戦う前から戦意喪失といった感じだろう。現に、あやつは結局何も出来ずに帰っていったではないか」



 無論この時、少年と高坂甚内が話題にしている男は、霧隠才蔵のことだ。

 高坂甚内は才蔵のことを「自分たちの邪魔をしに来た者」であるとは直感していたのだが、その実力に関しては見くびっていた。それは彼の事を「小太郎を見て、びびって逃げた」というくらいにしか思っていないということだ。一方の少年の方は、相変わらず微笑みを浮かべたまま空を眺めており、一体全体何を考えているのか傍目からは全く分からない。


 高坂甚内は沈黙を嫌うように続けた。



「それにもし何か企んでいようとも…

いや、それをここで話すのはやめにしよう。どこで誰が聞いているか知れたものではないからな。

さあ、そろそろ帰るぞ。このままでは体も冷える。

それに、もしかしたら今宵は客人を迎えねばならぬかもしれんからな」


「客人…」


「おっと。しかしお主は出てこなくてよいからな。

わざわざお主の手を煩わせるほどではない、というものだ。

もうすぐ俺が放った『鼠』も動く頃合いであろう。

さあ、早く立ちなされ!」



 しぶしぶ席から立ち上がる少年。


 すっかり空は闇に覆われ、そこに光る星の数はいつの間にか無数に増えている。


 冬の乾いた空気は冷たく、頬に刺さるような痛みに、高坂甚内は思わず口をへの字に曲げる。ところが少年は、さながらこの氷結してしまいそうな空気こそが自分の望み通りと言わんばかりに、ますます機嫌良さそうに跳ねながら歩いていた。しかし、普通の人とはあまりにかけ離れたその様子も、高坂甚内にしてみればもう見慣れたもので、彼はその姿さえも愛おしく感じながら、寝泊まりをする為に設けた小屋へと急いだのであった。






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