弟よ!幸あれ!㉓長浜決戦(3)
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慶長11年(1606年)12月18日ーー
猿飛佐助の指示のもと、各々ばらばらとなって長浜を目指していた真田十勇士の面々が、予め定めておいた拠点となる茶屋に集まったのは、既に夕暮れを過ぎて、辺りは漆黒の闇に包まれた頃だった。
「既に伊豆からの旅芸人の一座は、街のはずれに幕を張っておるようです」
「うむ…ひとまず明日一日かけて、その一座が本当に越前卿の命を狙っているのか、そして風魔の手の者たちなのか。それを見極めるとするのはいかがであろう」
望月六郎の報告に、一同の参謀役の海野六郎が提案すると、皆もそれに賛同し、この日もいつも通りに、別々の宿へと消えていった。しかし、この時は口には出さなかったものの、皆一様に「そう簡単には尻尾は出さないだろう」と、不安を胸に抱えていたのだった。
…………
……
翌日、すなわち12月19日のこと。
この日は幾手かに分かれて、旅芸人の一座の事を探ることになっている。
そんな中で、霧隠才蔵は長浜の街中で人々に聞き込みを担うことになり、そのお供には筧十蔵を選んだ。彼が十蔵を選んだ理由はただ一つだ。それは、十蔵が全くと言ってよいほどに無口であり、余計な気を使わないで済むからだ。十蔵と気心知れた由利鎌之介からは、口を尖らせられたものの、彼は彼で喧嘩仲間の根津甚八と行動することになっている為か、これ以上に強い反発もなく、二人で街中へと繰り出していったのである。
早速聞き込みを開始した彼らだったが、そこで分かったことと言えば、彼ら一座が今流行りの女歌舞伎を興行する者たちであるということだけで、ほとんどこれといった収穫はなかった。
なお、出雲阿国が流行らせたとされる「かぶき踊り」。この当時、その踊りを真似た女性の踊り手たちと、三味線や太鼓などで囃す奏者たちとで形成された一座は、全国各地に次々と現れ、街で仮舞台を設けては興行を行っていた。
彼らもその流行に乗じた者たち、という噂の範囲を超えるものはなく、まさか二日後にこの地にやってくる大御所の息子、結城秀康の暗殺を企てている凶悪な忍びの一味であるとは街の誰もが思いもよらないことだったのだ。
昼前まで聞き込みを行なっていた霧隠才蔵であったが、有力な手がかりを掴めないと悟ったのか、賑やかな街中を離れて外れの方へとその足を向け始めた。お供の筧十蔵は不思議そうに首をかしげていたものの、それでも口に出して何かを問いかけることはなく、黙って才蔵の背中を追いかけてくる。才蔵は彼のこういったところがお気に入りのところなのだ。もしこの時のお供が由利鎌之介あたりであれば、「なんで?なんで?」と口やかましく、まとわりついてくるであろう。その事を想像しただけで、思わず才蔵は身震いを覚えたのだった。
この日は曇り空。
寒さが身に堪える冷たい空気の中を、白い息を吐きながら、せっせと二人は西に向かって歩いていく。そして街の喧噪から徐々に離れるに従って、才蔵は心が安らかになっていった。
「どうも人が多いと酔ってしまってかなわん…」
誰ともなく才蔵はそうつぶやく。
元より伊賀忍者の出である彼は、集団行動が苦手なだけでなく、人混みそのものも受け付けないたちであった。その点、猿飛佐助なぞは、甲賀忍者だけあって、集団の中でこそその実力を大いに発揮し、人の輪の中に自ら飛び込むくらいの行動力もある。才蔵にしてみれば、そんな佐助の心持ちが信じられないとともに、自分には持ち合わせていないその特徴を羨ましくもあった。
この事から見ても、霧隠才蔵と猿飛佐助は、言わば「水と油」のようなものであり、もはや生来から相容れない仲であることは、誰の目から見ても明らかだったのである。
しかし彼らは、真田幸村のもとを離れずに、常に行動を共にしていた。
忍びとして共に優れた才能を持つ二人であれば、それぞれ別の主人を求めても、すぐに受け入れられるに違いない。にも関わらず、二人は幸村のもとを離れずに、いがみ合いながら共に時間を過ごしていることに、周囲は不思議でならなかったのだ。
だがそれはどうやら本人たちも同じではあるようだが、二人ともさながら真田幸村という磁石に吸い寄せられた鉄のように、彼と苦楽を共にしてきたのであった。
さて、人を避けながらゆっくりと歩いていったその先に見えてきたのは…
そう、例の仮舞台だった。
「…入るのですか…?」
ここまで来て初めて筧十蔵が霧隠才蔵に言葉をかけたのは、あまりに彼の行動が、意外であり大胆であったからだ。
しかし才蔵の肝はどこまでも座っていたもので、彼はその問いかけに答えることもなく、ニヤリと笑みを十蔵に見せると、次の瞬間には受付に二人分の銭を払い、厚く覆われた幕の中へと姿を消していったのであった。
………
……
その幕の内側は踊りの興行よろしく、街中とはまた異なった賑やかさと熱気に包まれていた。
それでも二十人ほどの観客には、それぞれに割り当てられた席があるので、街中と違って人と人が触れ合う恐れはない。それは人嫌いの霧隠才蔵にとっては幸いであったようで、活気ある街中で聞き込みをしていた時の青い顔に、血色を戻して、ゆっくりと席に着いた。
なお彼ら二人は払った銭が少ないせいもあってか、最後尾のいわゆる末席が割り当てられていたのだが、彼らは元より踊りを見に来た訳でもなく、むしろ周囲を見渡せるという意味においては好都合らしい。才蔵は落ちついた様子で周囲を見渡した。
「客は…問題ないか…」
そば耳を立てても鼓膜を震わせることがかなわないような、才蔵のかすかな声であっても、鋭く聞き取った筧十蔵。このことから彼もまた忍びとしての才能は並外れたものであることがうかがい知れる。彼は才蔵の意見に同意するように首を縦に振った。
どうやらその場にいる二十人ほどの男性客の中には、忍びの者は潜んでいないようだ。
…と、その時であった。
ーーワァァァァ!!
という観客たちの歓声が上がったかと思うと、舞台袖から数人の踊り手が姿を現した。
「ほう…これは…」
思わず才蔵は喉の先から考えもなしに驚きの声が漏れる。それは舞台で綺麗に整列した、みな一様に赤い着物をまとった女性たち、すなわち踊り手たちに向けられたものである。
「…盾…」
そして、筧十蔵が発したその一言に、彼は表情をそのままに、その瞳の奥に憤りをともした。その怒りの理由は、その踊り手たちからは忍びとは考えられない、つまり「普通の人」であるからだ。つまりこのことから考えられることはただ一つ…
――彼女らは『人の盾』に使われるに違いない
ということであった。
もとより忍びは、個々の戦闘能力に長けているとは限らない。まれに剣術や槍術にも長けた者もいるが、そのような忍びはごくわずかだ。なぜなら彼らの鍛錬の時間の多くは、忍びとしての任務の遂行に必要な能力の向上に傾けられていたからである。それはすなわち、一切音を立てぬ移動方法や、堅牢な城や屋敷に忍び込む方法、それにただ一人の人を殺める方法であり、槍一つで乱世をのし上がる屈強な武士たちのそれとは全く質の異なるものだったのだ。
それは風魔という世に恐れられた忍者たちであっても同様であった。
つまり万が一この舞台が乱戦となれば、ある程度人数を抱えた風魔の軍団であっても、その相手次第では分が悪い。そこで彼らは、斬り合いとなったその時は、今目の前で観客たちに向けて妖艶な笑みを披露している踊り手たちを、囮にして退散するであろう事は、火を見るより明らかなのである。
その事を踊り手たちは全く知らないでいるに違いない。
才蔵はあらためて彼女たちを、じっくりと見つめた。
――可哀想に…何かしら弱みを握られて、踊らされているのか…
それは踊り手たちの死んだ魚のような目を見て感じたことだ。口元や表情は、集まった男性客たちを誘惑するような妖しい艶やかさを演出しているが、その目の奥に灯された悲哀や苦痛は隠しようもないものであったのだ。恐らく彼女らは、子供や親を人質に取られているか、それとも夫や兄弟の借金のかたに連れてこられた者たちなのだろう。
もしそうならば、いかにも人を人と思わぬ節のある、風魔の残忍なやり方と通じるところがあると、才蔵はもはや事を決めつけるかのように、その憤怒の感情を抑えるのに必死だったのだった。
そしてその考えは、次の瞬間に確信に変わった。
舞台袖から今度は奏者たちが姿を見せると、踊り手たちの背にずらりと並んだのだ。その数は十五人ほど。彼らは性別も年齢もばらばらであったが、その全員に対して、才蔵は自分と同じ『臭い』を感じた。それは言い換えれば、奏者たち全員が彼と同じ忍びか、ないしはその鍛錬を受けた者であるということだ。その出で立ちこそ、いかにも旅芸人の一座と言わんばかりのかぶいたものであったが、その鍛えられた物音立てぬ足運びや、一糸乱れぬ呼吸は、彼らが尋常の人ではないことを雄弁に語っているとしか思えないものであったのだ。
そしてその配置は、まさに踊り手たちを盾に取るにはうってつけのものであり、それは才蔵が推理した通りのことであった。さらに、演舞が始まったと同時に、幕の外を囲うような十人程度の人影を才蔵は感じていた。
――この舞台を戦場にするつもりか
なお、この仮舞台は琵琶湖のほとりに設置されており、観客席はその琵琶湖を背に建てられている。すなわち万が一この幕の中で斬り合いとなれば、舞台にいる人は逃げる事は容易であるが、観客たちはまさに袋のねずみと言える。
それにこの舞台を覆っているぶ厚い幕。中の様子をうかがい知る事が出来ないばかりか、その音でさえもこの幕の中で消えるような仕組みとなっているのだ。
一部の民衆からは「女歌舞伎は風紀を乱す」と嫌われていることもあり、目にも耳にも中の様子をうかがい知ることを許さないこの幕は、町人たちにしてみれば配慮の行き届いたものと感じるに相応しいものであろう。しかし裏を返せば、中で何が起っても外からその様子を知ることが出来ないということでもあったのだ。
つまりこれらの事実が示す、ただ一つの事。
それは…
――この中でやるつもりか…
つまりこの幕の中で、白昼堂々と結城秀康の暗殺におよぶのではないかという事であった。
そしてもしこの推理が正しければ、もう一つ言えることがある。
それは「結城秀康は何らかの理由でこの幕の中に姿を見せることになっている」ということであった。
――もしここで斬り合っても、越前卿だけは守らねばならぬ
という考えとともに、
――ないしはこの幕そのものを明後日までに排除してしまうより他あるまい
という考えも一方で浮かんだ。
つまり「踊りを見物に来るであろう結城秀康を、この幕の中で守る」か「結城秀康が到着する前に、この一座を潰してしまう」か。
この二つのうちの一つを選択せざるを得ないであろうことは明白であったのだが、現時点において、そのいずれの選択が最善なのかということは、彼の中で決めかねていた。
しかし…
この後すぐのことである。
その選択のうちの一つが、「とある光景によって」脆くも彼の中で崩れ去ることになる。
そしてその光景は、一人の男が舞台の左手から、演舞の開始を宣言する為に現れたその時から始まっていくのであった。




