弟よ!幸あれ!㉑長浜決戦(1)
◇◇
ーー結城秀康の暗殺に徳川が動く…
その可能性について真田昌幸から聞かされた時、真田幸村には、頭の中に電光のように閃いた事があった。
それはその実行犯についての心当たりだ。
ーー風魔…
『風魔』とはかつて関東一円を中心として活動をしていた忍者の一族のことで、古くは「梟雄」として名を馳せた北条早雲の小田原城奪取を影から支えたとも言われている。
彼らはその後も北条氏の隆盛を支えるべく、彼らの目となり、耳となり、そして手となった。
その残忍かつ狡猾な手口によって、『風魔』という名を聞いただけで、人々が震え上がるほどにまで、彼らの名は天下を轟かせていったのである。
そして武田信玄が死に、武田勝頼が武田家を継いだ後は、北条による甲斐侵攻にも積極的に関わると、多くの武田兵をその凶刃の錆としていった。もはや北条の主だった暗殺や虐殺の多くは、風魔が関わっていたと言っても過言ではないほどに、彼らの刃は武田兵の血で染まっていったのだ。
この時、武田家の一員として戦場にあった真田も、風魔と幾度も激戦を繰り返してきたのだが、歴史の流れはもはや武田には向いておらず、真田もまた風魔の前になすすべもなく、防戦一方を強いられたのであった。
しかしその風魔も、北条氏の滅亡とともに歴史の表舞台から姿を消し、そのほとんどが盗賊に身を落としていったのだった。
そんな因縁深い相手が今回の暗殺に関わってくるのではないか…
そう幸村が直感したのは、決して彼らが残忍な暗殺を稼業としていたから、という理由だけではない。
それは豊臣秀頼が江戸訪問の際に出くわした、「大久保屋敷の乱」の話しを明石全登から聞かされていたからであった。
あの時、首謀者である久武親直を一撃のもと葬り去ったのは、確かに風魔の武器であり、それだけの事が出来る人物を、幸村は一人しか知らなかったのである。
それは…
ーー風魔忍者棟梁…風魔小太郎…
その人であった。
なおこの風魔小太郎という名は、風魔一族の棟梁が代々継いでいるもので、それは第五代まで続いていた。しかしその五代目は、風魔と敵対関係にあった甲賀忍の一人である高坂甚内なる人物の幕府への密告によって、その居場所を突き止められて、既に処刑され、この世の人ではない。
つまり幸村が頭に浮かべた風魔小太郎は五代目ではないのだ。
ーー六代目、風魔小太郎…まさか…本当に存在しているのか…
そしてその風魔を影で操っているのは一体何者なのだろうか…
実は真田幸村は、今回の件が浮上する前から、高い諜報力を有した望月六郎に風魔について探らせていた。その結果、彼らが頻繁に出入りしている言わば根城のような場所を突き止めていたのである。
そこは…
相模国玉縄…
その地の領主は…
ーー本多正信…
もちろんこの事実だけでは、本多正信と風魔が繋がっているという証にはならないことは、幸村自身よく分かっている。
しかし今回の結城秀康暗殺の企てが本当に起こるならば、そして本多と風魔が本当に繋がりがあるならば…
松平忠輝の饗応に招かれている正信の息子である本多正純から、結城秀康の信濃国入りまでの詳細が知らされていてもおかしくはないだろう。もしその事が正信の口から風魔に伝わっているならば、彼らは地面に落ちた雛鳥を捕らえる烏のように、いとも簡単に秀康の命を仕留めるに違いない。
その時が本当に来るのだろうか…
ーー杞憂であってくれ!!
幸村は九度山から帰ったその時から、ずっと心の中でそう願っていた。
しかし…そんな幸村の願いは、脆くも崩れ去ることになる…
それは慶長11年(1606年)12月16日のことだ。
すなわち豊臣秀頼から結城秀康の救助について指示があったその翌日のこと。
ついに風魔が動いた…
それは伊豆から芸人の一座が、西に向かって旅立ったという報せであった。
それだけを聞いてしまえば何のことはない。
単なる稼ぎの良い上方での公演に出ただけと見えるであろう。
しかし見る人が見れば、その派手ないでたちの中から放たれる猛獣のごとき殺気は、とても隠しきれるものではなかった。
いち早くこの一座の動きを察知した望月六郎の手の者は、彼らの尾行を開始するとともに、逐一その動向を、この頃真田十勇士たちが拠点としている京へと伝えていたのであった。
そして…
いよいよ真田も動くその時がきたのであった。
慶長11年(1606年)12月18日ーー
京のとある茶屋の一室。そこには真田十勇士の全員が膝を付き合わせて、これからのことについてまさに協議しようとしていた。
「六郎兵衛(望月六郎のこと)。風魔の動きを報告せよ」
そう切り出したのは、彼らのまとめ役である猿飛佐助。
望月六郎は、コクリと頷くと、普段の無口な彼からは想像もつかないように流れるような口調で話し始めた。
「伊豆を発った風魔は、翌日の17日には尾張に入り、そして今日は長浜に入るようにございます」
「長浜…」
長浜とは、かつて太閤秀吉が織田信長の一家臣であった頃、初めて城持ちとなったその地である。後世に琵琶湖と呼ばれる、淡海の東岸に位置しており、結城秀康のいる越前を含む北国と、京さらには江戸へと続く道を繋ぐ場所でもあった。
「どうやら越前卿も、太閤殿下ゆかりの長浜で一泊するようじゃのう。なあ、兄じゃ」
「ああ。どうやらそのようだ」
諸国の大名たちやその家臣たちと接触することが出来る三好兄弟は、結城秀康の信濃国への旅程について探りを入れていた。
その彼らのつかんだ報せによれば、12月21日に秀康は長浜に到着し、そこで一晩過ごした後、12月22日に美濃加納城、そして23日に信濃国川中島へと入ることになっているとのこと。
「六郎。では、風魔のこの後の動きについてまとめておくれ」
望月六郎と三好兄弟の報告を聞いた一同の視線は、真田十勇士の参謀とも言える海野六郎に集まる。
すると鋭い視線を皆に向けて海野六郎が静かに語り出した。
「今日、長浜に着き、明日と明後日の二日で入念に準備をするつもりでしょう。
そして越前卿が到着されたその日の夜、事におよぶのではないかと思われます」
そうまとめた海野六郎に対して、穴山小助が不敵な笑みを浮かべながら言った。そしてその言葉に根津甚八が続く。
「じゃあ、越前卿が長浜にご到着されるまでが、勝負って訳かい」
「ならば明日か明後日の夜中が、やつらとの決戦の時ということだな」
喧嘩っ早い二人は既に闘志をみなぎらせているが、それは彼ら二人だけではないようだ。まとめ役の猿飛佐助も含めて、その多くが瞳を熱く燃えたぎらせていたのだった。
だが、そんな彼らとは一線を画すように冷静沈着な人物が一人その場にいた。そして彼は、場に水を差すような言葉を投げかけたのである。
それは…霧隠才蔵であった。
彼は望月六郎に対して問いかけた。
「ところで六郎兵衛。相手の人数はいかほどか?」
「およそ二十…」
「こちらの倍ってことか」
明らかに全員の戦意を削ぐような冷たい言葉に、佐助が噛み付く。
「おい!才蔵!てめえ何が言いたいんだ?
まさか相手の人数が多いことに怖気づいたのではあるまいな」
「いや…そのようなことはない。
だが、相手はかの風魔…
しかもその人数がこちらの倍ともなれば、まともにぶつかれば、こちらも無傷という訳にはいかんだろう。
どうするつもりなのだ?」
「それは…」
至極真っ当な指摘に、思わず言い淀む佐助。そんな彼を手助けするように、海野六郎が穏やかな口調で言った。
「頭をたたく…それしかあるまい…」
「頭…となると…」
そう抑揚のない口調で才蔵がつぶやく。
その言葉の後をつないだのは佐助であった。彼はニヤリと口角を上げながら大きな声で号令をかけたのだった。
「風魔の頭となれば…風魔小太郎…やつしかおらんだろう!
われらが狙うは風魔小太郎の首ただ一つ!
よしっ!こうと決まれば、すぐにでも動くぞ!!
皆の者!いざっ!長浜へ!!」
ーーオオッ!!!
威勢の良い掛け声とともに、才蔵を除く全員の瞳に再び火が灯る。
真田十勇士と風魔小太郎…
こうして、決戦の地、長浜に向けて両者は動き始めたのであった。




