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弟よ!幸あれ!⑲愛を捨てて夢を見る

◇◇

 慶長11年(1606年)12月10日ーー


 今月の23日に松平忠輝の婚儀を控える中、高野山の麓の九度村もまた京と同じように雪が舞っていた。



「おお!今日は一段と冷えますな!殿!」



 そんな寒空に似合わぬ高梨内記の大きな声が部屋の中にこだます。

 火鉢の前には、厚手の着物にすっぽりと覆われたこの屋敷の主人、すなわち真田昌幸が、どしりと腰をおろしている。彼は苦々しい顔を内記に向けた。



「朝から騒々しいのう!ちとは杏を見習って、静かに出来んのか!?」



「ややっ!これは、したり!ははは!

それがしはこの歳になっても、まだ学ぶことが多いようですな!ははは!

ところで、その杏はどこにおられるのですかな?」



 いつもは部屋の隅で控えている吉岡杏の姿が見当たらないことに、内記は首をかしげた。その様子が昌幸には、なぜかあまり面白くなかったようだ。



「ふんっ!村まで出て野菜を分けてもらいにいきおっただけだ!いらんことをいちいち聞くでない!まったく…」



 その不機嫌さを言葉に乗せて内記にぶつけたのだが、ぶつけられた方はたまったものではない。心外と言わんばかりに眉をひそめた内記だが、すぐに昌幸が不機嫌な理由を思い当たり、手をポンと叩いた。



「殿!そのように頭に血を昇らせてばかりおられてはなりませんぞ!杏は杏、殿は殿にございます。

人それぞれに得手不得手がございます。

単に村人たちから食べ物をおすそわけしてもらう事に、杏が長けているというだけで、殿が村に顔を出しても誰も近寄ろうとすらしないのは、単に殿には向いていないという事です!ははは!」



 吉岡杏がこの屋敷にやって来る前は、昌幸は食料の調達をしに、自らの足で村に赴いたこともあった。しかし、元来相手を欺くことに長けていた彼は無意識のうちに村人たちを口車に乗せて、より多くの食料を差し出させてしまっていた。そして、そんな事を繰り返しているうちに、


――安房守様に近づけば、髪の毛一本までむしり取られるぞ


 という噂が広がり、ついには昌幸が村を訪れても、誰も近寄ろうとしなくなってしまったのだった。

 だが、杏は違っていた。

 このところようやく持ち前の明るさが少しずつ戻ってきた彼女は、村人たちの困り事によく耳を傾けている上に、持って生まれた人懐っこさも相まって、彼らから大いに好かれているのだ。そして、人々は彼女を見れば喜んで食料を差し出すようになっていたのである。

 何においても負けず嫌いの昌幸にしてみれば、この事はまさに泣き所と言えたのだった。


 

「…お主…わしに喧嘩を売っておるのか!?」



 この言葉が冗談ではないのは、彼の貫くような鋭い視線から明らかであった。それでも彼とは長年の付き合いである内記は、ひらりとかわすように笑顔を浮かべたまま、碁盤と碁石を持ちだして、昌幸の前にどかりと腰を下ろしたのであった。



「ははは!今日の殿は心が乱れておられるようだ!これではそれがしに利があるというもの。今日の勝負はいただきですな!ははは!」


「ふんっ!何にせよ『地の力』というものがある!たとえわしが病に伏せていようとも、お主ごときに負けんわ!」


「勝負はやってみなければ分かりませんぞ!ささっ!殿から石を置いてくだされ!」



ーーパチリッ!!



 力任せに石を置く音が部屋中に響く。


 こうしていつも通りに勝負の世界に二人は身を投じていくと、先ほどまでの会話のことなどどこかに飛んでいってしまったかのように、その後は碁盤の上での出来事にのみ会話が続いていったのだった。



 しばらく時が過ぎていく。



 外の空気は変わらず冷たく、しんしんと降り続ける雪の音も変わらない。

 そして、部屋の中の石が置かれる音が、ようやく普段どおりに戻ってきたその頃…



「安房守様!ただいま戻りました!」



 という麗らかな女性の声が聞こえてきた。


 その瞬間に、灰色の部屋の中がわずかに色づく。


 しかしそんな雰囲気に逆行するように、昌幸の口はへの字に曲がった。そんな昌幸を見て、口元をかすかに緩めた内記は、外に聞こえるように大きな声で言った。



「おお!杏!寒い中ご苦労であったな!

ささっ!こっちは温いゆえ、早う入ってきなされ!」


「はいっ!ありがとうございます!」



 杏の快活な声がこだますと、彼女は丁寧に襖を開けて、部屋の中へと入ってきた。外の寒さを示すように彼女の頬は桃色にそまっている。しかし、この屋敷にきた時に比べると、その目の色は、まるで冬から春に移ったかのように、活き活きと輝いている。

 一方の昌幸はまだへそを曲げているのだろう。あえて彼女の方に視線を向けずに、碁盤の上に向き合ったまま、不機嫌そうに言った。



「野菜はちゃんと貰えてきたのだろうな?

それがなければ、今日は夕げが作れんぞ」


「はいっ!いつも通りに、皆さまよりおすそ分けいただきました!

それに…」



 杏はそう明るい声で返事をすると、最後に言いよどんだ。その言葉尻を不思議に思ったのか、昌幸は顔を上げる。するとその瞬間、彼のへの字に曲がった口は、微笑みに変わった。



「おお!源二郎か!ははっ!これは意外なものも拾ってきたものだ!ようやった!杏!」



 そう、そこには目の前でいつも変わらぬ穏やかな笑みを携えた、昌幸の息子である、真田幸村が座っていたのである。その事を彼はまるで杏の手柄のように褒め称えたのだった。


 杏はその褒め言葉に対して、困ったようにはにかんでいる。そしてそんな彼女に代わって、幸村が話したのだった。



「父上を訪ねて参りましたら、たまたま杏殿にお会いしまして…こうして共に参った次第にございます」


「おお!さようか、さようか!そんな事はどうでもよい!それより折角源二郎が来たのだ!

おいっ!内記!

ぼさっとせんで、酒じゃ!酒を持ってこい!」



ーーガラガラッ!



「ちょっと!!殿!!何をされるか!?」


「ん?なんじゃ?これから酒盛りなのに、かような碁盤が真ん中にあれば邪魔であろう。この勝負の続きは明日にしようではないか」


「しかし!続きをするならば、置いた石はそのままでよろしいでしょう!大人気ないですぞ!自分が不利と見ればかようなことを…!このひきょう者!」


「カカカ!ひきょう者で結構!それより早く酒を持て!」



 …と、そんな二人の前に、すっと酒の入った大きな徳利が差し出された。



「秀頼様からの差し入れにございます」



 それは幸村の手から差し出されたものだった。

 それを見た昌幸は刹那的に目を丸くしたが、すぐに元どおりに上目で幸村を見ると、口元を緩ませていった。



「…して、つまみは?」


「と、殿!秀頼公のお気遣いになんと無礼な!!」



 先ほどまでの真っ赤な顔を、今度は青くした内記だったが、そんな彼の焦りなど気にも留めぬ、昌幸と幸村の親子。

 すると幸村は穏やかな笑みのまま、左手を差し出した。その手には包みが乗せられていたのである。



「こちらも秀頼様からになります」


「ほぅ…これはなんじゃ?」


「菊ごぼう…最高の酒のつまみにございます」


 幸村がそう言って包みを開けると、部屋中に醤油の良い匂いが充満する。

 それを嗅いだ昌幸は破顔し、一際大きな声で言ったのだった。



「カカカッ!!よいっ!よいぞ!秀頼公!

杏よ!よく覚えておけ!

人の心をより大きく動かすのは、『初手』よりも『二の手』である!

なぜなら人は初手には身構えることが出来るものだからのう!しかし二の手には無防備なことが多い!

だからこそ人は心を動かされるのだ。

これは戦場でも同じこと!

策は初手から間髪入れぬ二の手を持ち合わせているや否やで、その成否は大きく変わってくるのじゃ!」


「はいっ!安房守様!ありがとうございます!」


「よしっ!では、早速始めようではないか!今日はなんだか暖かな日となりそうだ!カカカ!」



 昌幸の言葉の通りに部屋は温もりに包まれる。

 この時は杏もその場にいることを許され、四人の酒盛りが始まったのだった。



………

……

 酒盛りと言っても、昌幸の場合は大酒をあおってどんちゃん騒ぎをするようなものではない。小さな盃に酒を注ぎ、つまみ片手にちびちびとすすりながら、世間話に傾注するのが常である。

 もちろんこの日も、幸村の子供たちの話しや昌幸の昔話など、様々な話題に華が咲いたのであるが、それもひと段落すると昌幸は表情を少しだけ引き締めて、幸村に尋ねた。



「ところで…源二郎。今日は何かわしに用事があって、ここに来たのではないのか?

まさかこんな山奥の何もない寒村に、哀れにも幽閉されている父を想って、わざわざ酒を飲みにだけ来たというわけではあるまい」



 さりげなく自分の境遇に皮肉を漏らす昌幸に対して、酒が少なからず入っているにも関わらず、全く顔色も表情も変わらない幸村は、微笑みを携えたまま答えた。



「さすがは父上にございます」


「なんだ?その用事とやらを話してみよ」



 そう促す昌幸も、顔こそ酒で赤く染まっているが、口調も意識もはっきりとしている。

 逆に言えば、これ以上酒が入れば、まともに息子の話しを聞けなくなってしまうかもしれない。そんな恐れを抱いたがゆえに、彼は幸村に用件を聞いたのだ。その事を幸村も察しており、回りくどい話しを抜きにして、率直に昌幸に尋ねたのだった。



「結城秀康公のことにございます」


「ほう…秀康殿がいかがしたのだ…?」



 幸村にはこの昌幸の反応が意外であった。人里離れた地に住んでいながらも、彼は中央での出来事に対して、非常に敏感で、注意深く情報を集めていたからである。

 そんな昌幸が、「結城秀康の豊国神社参拝」を知らないようなのだ。


――何者かが、その事が世間に漏れぬように暗躍しているのか…


 そのように幸村には思えてならなかった。そう考えると、


――やはり徳川将軍家にとっては、断じて許されぬ事に違いない…


 実はこの件に関して、真田昌幸にその見解を求め、豊臣家が何か手をうつべきかの助言をもらってくるように指示したのは、何を隠そう『未来を知る』豊臣秀頼であった。

 その事は幸村にとって、不思議なことでしかなかったのだ。

 なぜなら、仮に結城秀康の豊国神社参拝が実現したとするなら、その影響について秀頼が何かしら知っていてもおかしくない。もしそれが「豊臣家にとって有利な結果」に終わったなら、秀頼が何か行動を起こす必要などないだろう。しかし、一方で「豊臣家にとって不利な結果」に終わるならば、特に他人に助言を求めることなく、秀康を諌めるように働きかけをするはずである。

 ところが現実としては、秀頼は真田昌幸にこの先の豊臣家の動きについて助言を求めているのだ。

 

それはなぜか…


 そこで浮かんだ答えは…


――結城秀康の豊国神社参拝は、何らかの理由で実現しないのではないか


 仮にこの推理が正しかったとして、ではなぜ実現しないのだろうか。

 それを考えた時に、どこか胸の内に分厚い雲が覆ってくる理由にも、幸村は自分の事にも関わらず、不思議に思っているのであった。


 さて、幸村の口から結城秀康の豊国神社参拝の計画について聞かされた昌幸は、顔を赤くして思わず舌打ちが出てしまった。



「ちっ!!拙速すぎる…如水にしても、秀康にしても時勢の見極めが甘い…!」


「しかし秀康公にしてみれば、徳川殿が駿府に移る来年が、まさに絶好機としたのではないでしょうか」



 感情が表に出ている昌幸と比べて、幸村はあくまで冷静に返した。

 ところが昌幸はますます興奮に血を上らせているようで、真っ赤な顔をぐいっと前に出して唾を飛ばした。



「そのようなもの…あの古狸の罠に決まっておろうに!

やつの体は駿府に帰ろうとも、その目も耳も京に残しておるわ!

もし西国の大名…もちろん豊臣も含めて、徳川の天下を乱す動きがあろうものなら、容赦などせんに決まっておる!

その事に気づかぬ秀康殿ではないはずだ!」


「では…秀康公は、あえてその罠にかかりに、足を踏み出した…と…?」


「ふんっ!大かた、自分は『大御所の息子であり、将軍の兄だから何も手が出せまい』と、高を括っているに違いあるまい…

だが、それほどあの狸は甘くはないぞ!」


「しかし事実として、秀康公にどのように手を出すのでしょうか…

もし参拝のみを取りやめさせても、饗応そのものを取りやめさせても、いずれにせよ世間に良くは映りません」



 幸村はあくまで冷静に昌幸に問い続ける。しかし、昌幸の方はもはや赤い顔を青くさせて、額からは汗が浮かんできている。


――父上の様子がおかしい…まるで何かを恐れているような…


 そう幸村がいぶかしく思ったその瞬間…


――まただ!一体何なのだ…この胸の内の雲は…


 その雲の中からは「不安」「恐怖」といった負の感情が渦巻いている。


 だが、その雲は…



 真田昌幸にも等しく胸の内を覆い、彼はその原因が何なのか、はっきりと分かっていたのである。


 そして彼はその事を言葉にしたのだった…




「これ以上その事が漏れぬように、秀康の口を閉ざす…

そして、参拝をさせぬように、秀康の体を動かさなくする…」




 その言葉を聞いた瞬間に、幸村の表情が一変し、昌幸と同じように真っ青になった。



「ま…まさか…」



 ここまで来れば、ただ側で耳を立てていた高梨内記や吉岡杏にも、昌幸が何を言いたいのか、はっきりと分かったのだ。


 それは…



「結城秀康は…殺されるぞ…しかも実の父親、徳川家康の意によってな」



 あまりの衝撃に、その場の全員の酔いは一気に醒めた。あまり秀康の事を知らない杏ですら、口に手を当てて、驚愕に震えている。そんな中にあって、幸村は浮かんだ言葉しか口から出てこなかった。


「なぜ…なぜなのですか…?」



 こんな時であっても、昌幸の頭は回転している。むしろこんな事態であるからこそ、彼の頭の中は、いつも以上に冴えわたっていた。

 それが真田昌幸という男であった。



「ふんっ!その疑問はどちらに対してのものだ!?

徳川家康が、非情にも実の息子に再び手をかけようとしていることか?

それとも、その馬鹿息子が、あえて火に飛び込むような真似をしたことか?」


「どちらも…」


「はんっ!この欲張り息子め!よかろう!答えてやろう!

まずは家康の方だが、あやつの目にはこの先二十年後ないしは三十年後しか映っておらん。

もっと言えば、目に入れても痛くない可愛い孫が立派に成人したその時のことしか考えておらんと言ってもよいであろう。

その孫に立ちはだかる芽は、例え身内であっても摘んでおく腹を決めておる。

あやつはここぞというところでは、動ける男…

今がその時なのであろう…

悔しいが…もしわしがあやつの立場でも同じことをするであろうな。

はんっ!せいぜい身を切る苦痛を味えば良い!」


「まさか…秀康公はそれにも気付いておられると…」


「元より人の顔色ばかりを見て育ってきたお人だからのう。そのあたりの機微には、敏感じゃろうて」



 ようやく幸村の頭も音を立てて動き出し、徐々に加速していく。そんな息子を助けようと昌幸は続けた。



「気付いていながら、秀康殿はあえて罠にはまりにいった。

それはなぜか分かるか!?」


「…尻尾をつかむ為…でございますか…」



 恐る恐る答えた幸村に対して、ニヤリと昌幸は口角を上げる。



「はんっ!よく分かっておるではないか!

その通り!大御所が実の息子をその手にかけようとしているその証をつかめれば、どうなるであろうな…」



 そんな風な昌幸の、さながら独り言のような言葉に、真っ先に反応したのは、高梨内記であった。



「世間が黙っていないでしょうな!

それに、越前卿と言えば、太閤秀吉公の猶子!

言わば秀頼公の兄上にあたるお人!

そんな人を手にかけたとなれば、豊臣恩顧の大名たちが何を思うか…」


「つまり秀康公は、自らを犠牲にして、徳川殿を貶めようと…」


「はんっ!たいそう高尚なお考えだが、あの古狸がそうそう尻尾を見せるとは思えんがな。

せいぜい見せても、とかげの尻尾じゃろう」


「とかげ?殿!それはどう言う意味でございますか?」


「はんっ!内記よ!たまには自分で考えよ!

つまりは、『切り捨てることなど容易』という意味に決まっておろう!」


「な、なんと…では別の者に手をかけさせて、それが発覚すれば、その者に罪をなすりつけるつもりということですか!」


「そうとも知らず…あわれよのう…誰が実行するかまでは知らんが…」



 そうしみじみと昌幸が言ったその時、それまで黙って話しを聞いていた吉岡杏が、その体を表すかのように、か細い声で言った。



「本当に…越前卿は自らを犠牲になさるおつもりでしょうか…」



 その言葉に昌幸は眉をしかめる。



「何か言いたげだのう。申してみよ、杏」



 みなの視線が彼女に集まると、彼女はぴんと背筋を伸ばして、こくりとうなずいた。そして先ほどとは打って変わって、凛とした声で答えたのだった。



「越前卿は待っておられるのではないでしょうか」


「なにをじゃ?」


「実の父親が手を差し伸べるのを…」



 昌幸の目がわずかに大きくなる。智謀に長け、人の裏の裏すら見通すほどの真田昌幸にしてみても、この杏の言葉は意表をつかれたものだったのだろう。

 杏は変わらぬ口調で続けた。



「越前卿にしてみれば、徳川も豊臣も家族にございます。

その両家が今、少しずつ袂を分かつべく別々の道を歩もうとしている。

そして強き徳川が弱き豊臣を潰そうと、動き始めた…

その事に自らの身をもって警鐘を鳴らしているのではないでしょうか」


「つまり全てを丸く収める為に、あえて角を立てて、その目を向けさせた…ということでしょうか」



 幸村が問いかけると、杏は再びこくりとうなずいた。

 すると昌幸は目を静かにつむり、にわかに沸いた心を落ち着かせるように息を吐き出すと、ゆっくりと口を開いた。



「心優しき杏らしい考えじゃ。そして秀康の思うところは、まさしくそれなのかも知れぬ」


「では!秀康公と家康公、それに秀頼様が今後の両家のことをお話し合いになる席を作る事が出来れば、全てが丸く収まる…そういうことにございましょうか!?」



 先ほどまでに清流のような幸村の口調が、わずかに強くなると、昌幸は目を開いて彼を見つめた。



「甘い…!いや、もう手遅れ…とした方が正しいかもしれぬ」


「父上…それはどういうことにございますか…?」



 そして昌幸はぐっと腹に力を込めると、さながら家康の気持ちを代弁するように言ったのだった。



「家康はとうに捨てたのだ…『愛』など…」



 どこまでも現実を直視し、己と一族の『利』のみに頭を動かしてきた昌幸の口から『愛』という言葉が出てきたことに、幸村は思わず目を丸くした。

 しかし、そんな幸村の様子など気にとめることもなく、昌幸は続けたのだった。



「徳川家康という男は、『夢』を持った…永代に続く徳川の世を作る…というものじゃ。

その『夢』の為に、あやつは『愛』を捨てた。

普通の人が、このような真似を出来るはずもなかろう。

見果てぬ自分の子孫の為に、目の前の家族の血を見るなど、どうして出来ようか。

しかし、それが出来るのが徳川家康。

どれほどに苦しもうと自らの進むべき道を誤らず、どれほど痛かろうと前に足を出し続ける…

そんな男の器を、息子でありながら見誤った結城秀康。

その時点で、負けなのじゃ。勝てるはずもないのじゃ。

あの大馬鹿者め…」



 昌幸は、悔しそうに唇を噛むと、その視線を手元の盃に移し、一気にそれを飲み干した。

 そして幸村に向けて続けたのである。



「秀頼殿が何をわしに求めておるかは知らんが、最善は『何もせぬ、何も知らぬ』を貫くことじゃ。

下手に関われば、次の家康の矛先は大坂城に向くぞ。

その事を肝に銘じよ、源二郎」


「では父上は、豊臣家の為にその身の危険を冒してまでも、行動されたお人を『見捨てよ』とおっしゃるのですか?」



 幸村の問いには、明らかに彼の感情がこもっている。それは冷静かつ冷酷な父の言葉への反発がありありと感じられる。



「その逆じゃ!大馬鹿者!!

秀康の強き意志を尊重する為にも、いらぬ手出しはしてはならん!そう言っているのだ!

もし、この件に豊臣の意向が絡んでいると世間が思いこんでしまっては、かえって豊臣の方に厳しい目が向くではないか!

あやつの覚悟を見捨てないからこそ、ここは余計な事に首を突っ込まず、『徳川家康の次男が自らの意志で豊臣の擁護に回っている』と世間に思いこませることが肝要なのじゃ!!」


「しかし…」



 なおも悔しそうに唇を噛む幸村。そんな彼の様子をちらりと見た杏は、昌幸に問いかけた。



「安房守様は、秀康公に危害が加わるのは、いつどことお見立てになられておられましょうか?」



 昌幸はちらりと杏を見る。そして苦い顔のまま答えた。



「はんっ!そんなの決まっておろう!これより約十日後、すなわち松平忠輝の婚儀。

その道中ないしはその場であろう。

源二郎よ、ちなみに問うが、その饗応には大御所の名代として誰が参加するのか、もちろん分かっておるだろうな!?」


「ま…まさか…」



 顔を青ざめさせる幸村に対して、昌幸はぐっと睨みつける。


 そして低い声で言ったのだった…



「その者が…とかげ…」



 徳川家康の代わりとして、松平忠輝の饗応に参加する者…


 それは…



――本多正純…



 しかし昌幸の言葉はそれにとどまらなかった。



「…ないしは、とかげに目を向けさせて、別の藪から蛇が出てくるかもしれんのう」


「つまり…本多正純に目を向けさせておいて、他の何者かが虎視眈眈と秀康公の首を狙う…と…」


「いずれにせよ、それを知ったところで、静かに見ておれ!間違っても秀康殿の命を救おうなどと考えてはならんぞ!」



 そこまでで、その話題が続くことはなかった。


 そして再び他愛もない話しを、残りわずかとなった酒のつまみとした後、幸村は降りしきる雪の中を、大坂城に向けて足早に去っていったのだった。


 その背中を消えるまで見つめている昌幸の目は、先ほどまでとは別人かと思われるほどに、穏やかなものだ。

 そして誰にともなく言ったのだった。



「…あのおせっかいめ…全く誰に似たのやら…」



 その言葉に杏と内記は顔を見合わせて、くすりと笑う。

 そんな二人を苦々しい顔でちらりと見やった昌幸は、逃げるようにしながら屋敷の中に駆けこんでいき、大声で内記に呼び掛ける。



「内記!!続きをやるぞ!!早く支度いたせ!!」



 外はすっかり雪化粧。


 この日は夜半まで雪は降り続けるだろう。


 それでもどこか暖かなものを杏と内記は胸に感じていた。



「少々飲みすぎましたかな…」



 そう口元を緩めて杏に言った内記は、同じく笑顔の杏を伴って屋敷の中へと入っていったのだった。



………

……

 その三日後の夜――

 暗闇と静寂に包まれた大坂城にあって、その一室には、とある男たちが真田幸村の前で跪いていた。


「よく集まってくれた。まずは礼を言おう」



 そう男たちに声をかける幸村。そして彼は強い決意を胸に男たちに告げたのであった。



「これからそれがしは秀頼様に、結城秀康公をお助けする事を進言いたす。

そして、その沙汰が下された折には、お主たちに一働きしてもらうことになるゆえ、この場でしばしお待ちいただきたい」


「一働きとは何であろうか?」


 その男のうちの一人の問いかけに、幸村は口を引き締めて答えた。



「無論、秀康公をお守りする…さらに言えば、秀康公を害しようとする動きを阻止することだ」


「その相手の目途は立っているのかい?」


「ああ…立っている…」


「それは何者だい?」



 その問いに、幸村はより厳しい顔つきで息を吐く。そして全身を緊張で固くしながら答えた。



「…風魔…忘れ去られた忍びたち…」



 『風魔』という単語が出た瞬間に、男たちの顔つきが明らかに変わる。


 しかしその伝説とも言える忍者の一族が相手と聞いても、幸村の目の前にいる男たちは、ひるむどころか、皆一様にその闘志を燃やしだしたのだった。



「おもしれえ…久々に楽しい仕事になりそうじゃねえか」



 そう男の一人が、にやけながら言うと、その場の全員がコクリとうなずいた。


 彼らはちょうど十人…


 そして後世にはこう渾名されるようになる…


 『真田十勇士』と――





しばらくは一話を長くして、そこである程度話しが進行するようにいたします。


更新頻度が落ちますが、どうかご容赦ください。


これからもよろしくお願いいたします。


追伸

おかげさまで、応募させていただきました「ネット小説大賞」の二次選考に通過することが出来ました。

ここまで私の作品作りのを支えは、ひとえに読者様の暖かい応援に他なりません。

どうかこれからも作品ともどもよろしくお願い申し上げます。


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