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三つの星

 黒田の家紋である「藤巴」の布地を掲げた男は、目の前の光景に冷や汗をかいていた。

 それは、その場が地獄と化するまさに寸前であった事を想像してのことではない。その証拠に目の前で鬼の形相をして自分を睨み付けている桂広繁に向けて懇願した。


「と、とにかくもう大丈夫だ。だからその槍をおろせ…怖くて仕方ないわい」


 つまり自分の置かれた危機的とも言える状況に冷や汗を背中にたっぷりと垂らしているのである。

 これではどちらが攻めているのか、攻められているのか分からないような様子に、周囲の女たちは不思議そうに二人の老人たちを眺めている

 それは自分たちを助けにきた男の登場に、喜んでいいのかいけないのか戸惑っているようだ。


 しかしそんな周囲の困惑などお構いなしに、桂広繁としては、目の前の老いた武者が何者かが分からないうちは、彼に向けた槍を下げる訳にはいかないと、気迫を放ったまま、その槍の先は正確に、老齢の武者の顔をとらえているのだった。


 緊迫した空気が二人の老人の間に漂う中、少しとぼけたような透き通った声が、その武者に向かって放たれた。


「あら、その顔はミゲルじゃない?」


 まさに渡りに舟。

 その武者は「助かった」というような安堵の顔を浮かべた。


「おお、覚えていてくださいましたか。マセンシア様!」


「はい、もちろんですよ。同志を忘れることなど、あってはならない事です。

これ、広繁。その槍を下ろしなさい。

彼こそは、黒田家のご隠居、黒田如水殿の弟にして、黒田八虎の一人、黒田直之殿その人であるぞ」


 まるで戦火の真っ只中にいることを忘れてしまうくらい、おっとりとした口調で毛利マセンシアは広繁をたしなめた。


「やや!これはかたじけない!知らなかったとはいえ、失礼な事を!」


 と、広繁は慌ててその槍をおろす。彼も直之同様、安堵したようだ。その顔には緊張から解かれて浮き出た、疲れが見てとれる。

 一方の直之であるが、彼らを救出しにきたにも関わらず、その命を狙われるという、なんとも理不尽な目にあったわけだが、彼はそんなことを怒ることもなく、首を横に降ると、


「拙者の方こそ、名乗りもせずに転がりこんでしまい、すまなかった」


 と、かえって恐縮して頭を下げていた。

 彼は、智略に富み変幻自在な話術を用いて他人を翻弄する兄の黒田如水とは異なり、どこまでも実直でお人好しな性格であった。今回のことも「助けたい」という一心のみに必死で、かえって相手に怪しまれてしまったのだ。

 彼はそんな考えなしの行動を恥じて、頭を下げたのである。

 しかしその様子は彼の人柄を周囲に示すには十分なものであったようで、様々な裏切りを経験し他人に懐疑的な広繁であっても信頼に足る人間であろう事を、直感的に理解したのであった。


 そんな老人同士のやりとりを微笑ましく見ていた毛利マセンシアは、これまたのんびりした言葉使いで二人に向かって問いかけた。


「ところで、そろそろここから逃げないと、火の手があがったら危ないのではないかしら?」


「そうであった!ささ!皆さん、すぐにここからお逃げなされ!」


 マセンシアの言葉に、きりっと表情を引き締めた直之は、その場にいる全員に城からの脱出を、思い出したかのように慌てて促すのであった。



◇◇

「おーい!虎之助!!」


 多数の兵が久留米城の中に詰め寄る中、しゃがれた声で加藤清正の幼名を呼ぶのが聞こえてきた。


「むむっ…俺を呼ぶその声…嫌な予感がするのう…」


 清正はその声に足を止めると、周囲にいる兵たちにも同じように前進をやめるよう促す。

 その顔は先ほどまでの高揚に真っ赤だったものが、冷水をかけられたかのように青くなっている。

周囲の兵たちは「鬼将軍」と恐れられている主人が、叱られた後の犬のように小さくなっている様子に、いぶかしく見つめあうよりほかないようだ。


 するとそんな兵たちを掻き分けるように、二人の男が清正の方へと近づいてきた。


 一人は立派な槍を持ち、大声で

「道を開けよ!!殿のお通りだ!!」

 と、清正の兵たちを一喝し、大股でずんずんと進んでくる。

 一方は、その後ろから杖をつき、片方の足を引きずりながら「虎之助!」と叫んで進んでいるようだ。


 言わずもがな、大きな槍を持っている方が、黒田八虎の一人である母里太兵衛。一方の杖をついて清正を呼んでいる方が、天下の名軍師と名高い黒田如水であった。


 流石は天下にその名をとどろかせた如水といったところか、清正の兵たちはその姿を見るや、みなかしこまって道を開けている。

 足を止めて構えている清正との距離はみるみるうちに縮まり、すぐ目の前まで如水はやってくると足を止めた。


「まったく…わずか500の守備兵の守る城を、ここまで完膚なきまでたたくとは、『鬼将軍』の名前に恥じぬ働きだのう、虎之助よ」


 と、出会い頭いきなり如水は嫌味をこめて、清正をなじった。


「言ってくれるな軍師殿。俺はここで足止めを食う訳にはいかないのだ」


 と、ばつが悪そうに頭をかく清正は、教育係の先生に注意を受けた生徒のようだ。

 ちなみに如水のことを「軍師殿」と呼んでしまうのも、その昔からのくせである。

 その借りてきた猫のような清正の様子を見て、如水は肩を落として


「まあよい…もう過ぎたことだ。すぐに兵たちに攻撃の手を止め、一旦城の外に退くように指示を出せ」


 と、まるで主人かのように清正に指示を出す。


 しかし、

「この後に及んで退却…」

 と、意外とも言える如水の言動にいぶかしく思った清正は、戸惑った様子だ。


 そんな彼を見て少し苛ついたように、如水は続けた。


「久留米城は、わしが攻めこんだら、無条件で開城する手はずになっておるのだ。

そなたが北上したと聞いて、老骨に鞭を打ってここまで来たのを無駄にするでない」


「なるほど!そうだったのか!それならそうと最初から言ってくれれば、良かったのに…」


「たわけが!お主が何の相談もなく軍を進めたのが悪いのではないか!」


 確かに…こんな大事な事を、事前に相談もなく動いた自分の浅はかさに、清正はあらためて反省した。

 そもそも家康にうとまれたのも、この猪突猛進の性格があってのことだったのに、喉元過ぎれば熱さを忘れる性格に、彼は自分自身にがっかりしたのだった。


「落ち込んでいる場合ではないぞ。

まだすべきことはあるのだ。

ただ…取り合えず早く兵を退け!

火でも放とうものなら、目もあてられぬ!」


「お、おう!」


 如水の一喝に、目を覚ましたように、清正は兵たちに大声で退却を命じた。


「みなのもの!ひけい!一旦退くのだ!」


 先ほどまでの小さく背を丸めた情けない姿から一変して、清正は堂々と兵をまとめ始める。その姿は如水からみても、非情に鮮やかであった。

 厳しい軍律に加え、清正自身が兵たちから好かれているのがよく分かる光景と言えよう。


「人柄は良いのだがな…ちとおつむが足りぬ…」


 彼の遠のく背中を見て、如水は思わずそう呟いてしまうのであった。



◇◇

 清正による久留米城への総攻撃は朝から始まり、遅れて到着した如水の命令により、一旦退却をしたのは昼過ぎであった。

 そして清正らが再び城内に呼ばれて入った時には、すでに西陽が眩しい頃合いとなっていた。


 城内のいたるところで黒田の旗印を背にした兵たちが、傷ついた小早川の兵たちの手当てにあたっている。

 清正の軍は城内に入ると思い思いの場所で、休息を取ることにし、大将の加藤清正だけは、黒田如水らが待つ本丸の謁見の間へと急いだのであった。


「おお!待っておったぞ、虎之助。ささ、ここへ!」


 清正が部屋に入るなり、壇上に座した如水は彼を傍らに座るように促した。彼はギロリと周囲を見渡すと、大股で壇上へと上がり、中央に座っている如水の左にドカリと腰をおろした。


 彼は不機嫌であった。


 それは言うまでもなく、執拗に足止めされた上に、多少とは言え兵を傷つけられたのだ。怒るのも当然と言えよう。

 そんな清正を見て、如水は笑顔でそれをなだめる。


「これ、虎之助。そう怖い顔をするでない。

この者たちとて、城主の指示に従って行動したまでのことだ。

 むしろ忠義心にあふれる、勇敢な士として称えるべきであろう」


「それは分かっているつもりではあるが…」


 まだ納得がいっていない清正に、


「それに事前にわしに相談しておれば、このような事はなかったのだ。

言わば自業自得と言えよう。

それなのに、不満を相手に見せるとは、相変わらず小さい男よのう」


 と、先ほどと同じようになじった。


「ぐぬぬ…それを言われたら、何も言えんではないか…だから俺は軍師殿が苦手なのだ」


「カカカ!苦手で結構!良薬は口に苦いものよ!わしはお主にとって案外良薬なのかもしれぬぞ。カカカ!」


 清正が観念したように表情を緩めると、謁見の間の雰囲気もガラリと緩いものに変わる。そこには和睦が成立したことへの安堵に包まれているようだ。


 その空気を察した如水は今後について手早く指示を出すことにする。


「直之は久留米城に残り、マセンシア殿らを守れ」


「兄上、御意にございます!」


 兄の如水の指示に、直之が頭を低くすると、彼と対面するように腰をおろしていた、毛利マセンシアは


「よろしくお頼み申します」


 と、直之に向かって頭を下げた。


 その様子を満足そうに確認した如水は、桂広繁の方を向いた。


「次に広繁殿」


「はっ」


 名前を呼ばれて、表情を引き締める広繁。しかしその顔にはあまり優れないものが浮かんでいる。


 それは戦による疲れではなかった。


 もう自分の人生で心踊るような「希望」などないのだ…このまま隠居を申し付けられるに違いない。

 そう感じていたからである。


 そんな絶望に覆われた彼は、ふとマセンシアを見た。


 そこにはずっと変わらない穏やかな笑顔があった。


 そしてそれは

「希望を捨ててはなりません」

と、無言で彼に諭しているように見受けられた。


 そんな馬鹿なことはありえない…


 頭ではそう理解している。


 ただなぜだろう。


 つい先ほど、死の絶望の淵にあっても、彼女だけは希望を捨てずに、奇跡を信じ続けていた。


 そしてそれは彼女の願い通りになったのだ。


 もう一度…彼女の言う通りに、希望を捨てずに、奇跡を信じてみよう…


 頭とは裏腹に心ではそう願うことにした。


 そして…


「広繁殿はわしと一緒に来てもらう」


「はぁ…」


 なんだ…この老骨をただの使い番にでもするつもりなのか…


 そう思った矢先、目の前の如水がニヤリと笑みを浮かべた。


「もしかしたらお主にとっても、わしにとっても最後の奉公にして、最高の主人に出会えるかもしれぬ。

その大博打に付き合ってもらうぞ」



 広繁は目を丸くして、如水を見つめた。この時の彼は思い付きもしなかった。

 この提案こそが、彼が望み続けた「希望」をかなえるきっかけとなることを…



 加藤清正、黒田如水、桂広繁…


 それは後に「豊臣の七星」と称されることになるうちの三つの星が顔を揃えた瞬間であった。


豊臣の七星…もちろん架空の話です。


そして、思いっきり地味な桂広繁がそのうちの一人なのは、ご容赦下さい。


次はいよいよ九州編の大詰めです。


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