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弟よ!幸あれ!⑭天下の幕僚会談(1)

◇◇

 大久保長安の独白が終わってからも、石田宗應はその話しに浸るように黙って長安を見つめていた。

 一方の長安も、どこか気が抜けたように、大きく息を吐きだした。

 

 

 長い沈黙が続く…

 

 

 そんな中、口を開いたのは宗應の方であった。

 

 

「つまり石見殿は、乱世にあって弱き立場の者たちに救いのある世を作りたい、そう『夢』見ておられるのですね」



 宗應の表情は変わらないが、口元は引き締まっている。

 その真剣な瞳に対して、長安もまたにやけた口元を結んで答えた。

 

 

「俺は『夢』にとどめるつもりは、さらさらないがな…まあ、そういうことだ」



 そして宗應はその答えを聞いた後、目を細めて問いを続けた。

 

 

「では、石見殿はその『夢』の実現に向けて、何をされたのでしょう?」



 その問いに、長安は思わず息を飲んだ。

 もちろんこの問いには、彼は彼なりに想いは、誰よりも強いと信じている。そして、自分の立場が重いものになればなるほど、この『夢』を実現する為に様々な事に着手出来ると信じていたのだ。

 しかし、具体的に何をしたのかと問われれば、それを答えるだけの事を彼はしてこなかった。

 した事と言えば、悲惨な状況に置かれた遊女たちを引き取り、彼の仕事の補佐をさせることで、その身の安全とある程度の自由を保証したくらいだ。

 それでもその人数は百人にも満たない。

 だが、傍目から見れば百人もの遊女を連れ回しているというのは、彼の目論みを知らない者たちからすれば、贅の限りを尽くしているとしか見えないであろう。

 それでも彼はこの事しか宗應の問いかけに答える術がなかったのである。

 

 

「おなごたちを自分の元で働かせている…今はそれくらいしかしてねえ」



 ぼそりと答えた長安。彼は恥じていたのだ。大口を叩き、世間では派手に振舞っている彼であったが、自分の『夢』への実現に向けて、何もしていないに等しいことに。

 しかし、宗應はそんな長安を嘲笑することもなく、変わらず口を引き締めたままに言った。

 

 

「石見殿。つまり哀れな境遇の女たちに働く場所を与えよう、そうお考えなのですね」



 あくまで長安の言葉を前向きにとらえて口にする宗應に長安は目を丸くした。

 

 

「あ…ああ…その通りだ」



 思わず出てくる言葉は生返事だけであった。しかし、宗應はその返事にもゆっくりとうなずくと、そこでようやく口元を緩めた。

 その笑顔は決して相手を嘲るものではない。それは次の宗應の言葉に表れていたのである。

 

 

「素晴らしい!!」



 空気を震わせるような耳の奥まで響く大声に、目の前の長安は圧倒されると、思わず背筋が伸びてしまった。

 ふてぶてしく高圧的な態度しか目立たぬ彼のことを知る者がその様子を見れば、きっと別人であると勘違いするに違いないほどだ。

 そして彼をそんな姿にしている者こそ、石田宗應その人であった。

 

 そして宗應はほのかに頬を紅く染めて、興奮したままに続けた。

 

 

「老中の身でありながらも、弱き者ひとりひとりに手を差し伸べるその姿。この一言以外でどのように表せましょう!

しかし、石見殿…

石見殿お一人の力では、その『夢』の実現には、程遠いのではございませんか?

世の中には、不幸にも夫や父親を亡くした女たちは多くおります。

石見殿がいくら手を差し伸べようとも、決して追いつくものではございますまい」



 それは宗應の指摘の通りであり、長安としてももどかしさを感じることであった。

 しかし、彼はなかなか動けなかったのである。

 ところが宗應はその事もずばりと指摘した。

 

 

「ただ…今の徳川の中にあって、石見殿の『夢』を実現するのは難しいのではありませんか…?」



 この事こそ、まさに大久保長安がもがき苦しんでいたものだ。

 すなわち、今の徳川政権の中にあって、彼が『夢』を実現するのは、このままでは不可能と言っても過言ではなかったのである。

 なぜなら今、将軍徳川秀忠と、大御所徳川家康が成し遂げようとしていることは、

 

 

――強い幕府を作る



 その一点に集中されているからだ。

 

 全ては幕府中心の世の中とすることが、彼ら親子の理想であった。その理想を実現する為の基盤作りのみに彼らの意識は向けられている。

 

 つまり、

 

 

――強い者たちで幕府を固め、徳川の力を強くする



 という事だ。この事は裏を返せば、

 

 

――強い者たちを積極的に取り立てる



 という事につながっている。

 

 現に、九州であれほどの乱を起こした立花宗茂が、徳川秀忠の軍監、すなわち戦さとなれば軍師の役目を負うように取り立てられたのは、その象徴と言えよう。

 そしてその強き者たちを統べる存在こそ徳川将軍家であり、それはすなわち強者の頂点に君臨していることを世に示そうとしているのであった。

 

 その為、今の徳川政権には「弱き者を強くする」という考えは皆無と言えた。

 それでも民から不満を出さぬように「生かさず、殺さず」という扱いを農民や商人たちへの基本線としたのである。

 さらに言えばその中には、遊女たちのような真の弱者は含まれていなかった。

 つまり今の徳川政権において彼女ら弱者の存在は、「切り捨てても構わないもの」と言えたのだ。

 

 清潔な人道を重視している徳川家康がそれを聞けば、

 

 

――横暴な考えじゃ!



 と、顔を真っ赤にして抗議するであろうが、これはもはや家康一人の考えではどうにもならない、言わば歴史の歯車が成している、大きな時代の流れの中の理であったのだった。

 

 徳川政権の中央に身を置く大久保長安がその事を痛感していない訳はない。

 かく言う彼も、「金」の力によって、強者に分類されて重用されてきたのだ。

 徳川政権のやり方を否定するならば、自分の立場をも否定することになるという心の矛盾に、彼はもがき苦しみ続けていたのであった。

 

 そして、彼は宗應の指摘に、首を縦にも横にも振る事は出来なかった。

 彼は、『夢』を実現する為には、今のままではどうにもならない事を知っていながらも、あくまで徳川政権を非難することはしたくなかったからだ。

 

 そんな彼の心情を、宗應は当然のように汲み取っていた。

 

 それでも彼はさらにその事に踏み込んできたのである。

 

 

「弱者は容赦なく切り捨てる…今の徳川には、その事に罪悪感の欠片も感じておりませんゆえ、石見殿の『夢』は、いくら石見殿がお偉くなろうとも、実現するのは難しいのではないでしょうか」


「一体何が言いたいのだ…?まさか俺に『豊臣に寝返れ』と言うのではあるまいな…?」



 長安はその顔に警戒の色を濃くして、低い声で問いかけた。これは「自分は徳川を裏切ることはしない」という強烈な意志を含んでいたのだが、もちろんその事は宗應も織り込み済みであった。

 彼は凄む長安の警戒心をいなすように、穏やかな口調で続けた。

 

 

「ふふふ…ご心配にはおよびません。今や石見殿は、徳川の老中。そのようなお人を豊家に引き抜けば、それこそ徳川が豊家を潰す格好の材料となるでしょう。

そのような浅はかな真似はいたしません」


「では、俺に何を望むのだ。まさか、人のこっ恥ずかしい過去を聞きだしただけ、という訳でもあるまい」


「まさか…そんな事はございません。では、はっきりと申し上げましょう」



 そして…

 

 次に宗應から発せられた言葉は、長安の胸に突き刺さったのだった。

 

 


「石見殿の『夢』…豊臣秀頼様が叶えて見せましょう」




 あまりにあっさりとしたその言葉に、さながら切れ味鋭い刀で真っ二つにされたかのような衝撃を受けた。

 しかしその切れ味ゆえに、全く痛みなど感じることなく、むしろ爽快な気持ちにすらさせる。

 

 ほんのわずかな時間ではあったが、彼は全身が痺れたかのように、全ての思考が停止していた。

 

 それでもすぐにその頭を回転させるあたりは、長安の優れた部分であろう。



「なぜ、そのように断言されるのか?そもそも豊臣右府様は、俺の『夢』の事など知らぬのであろう」



 そんな長安の問いかけに、宗應は躊躇することなく答えたのであった。

 

 

「ええ、もちろんご存じではないでしょう。それどころか、石見殿がどのようなお人なのか、それさえもご存じではございません」


「では、なぜ豊臣右府様が、俺に代わって俺の『夢』を叶えると言いきれるのだ?」


「それは、秀頼様の『夢』と、石見殿の『夢』に共通する部分が大きいからにございます」


「どういうことだ?」



 いぶかしい顔をする長安に対して、宗應はこの日初めてその感情を瞳に映した。

 

 そこからは興奮、希望、そういった前向きなものだけが感じられ、長安はその瞳に思わず吸い込まれるような感覚に陥ったのだった。

 

 

「秀頼様の『夢』は、日の本の全ての民の生活を豊かにし、この国を笑顔で包むことにございます。

そこには強きも弱きも、男も女も、わけへだてないものです。

石見殿が手を差しのべられておられる者たちも、必ずや秀頼様のお志しによって、豊かな人生を歩まれることでしょう」



 この言葉に一種の気持ち悪さを感じたのは、決して長安がひねくれているからではない。

 なぜなら既に落ち目である豊臣家が、徳川の重臣である長安ですら成し遂げることが出来ない事を、簡単に実現できるとは到底思えないからである。

 しかもそれを『夢』という、言わば抽象的で、ある意味において感情によって生まれたとも言えなくもないものと、絶対にかないもしない理想を絡めていることに、ある種の宗教的な物言いに聞こえたのである。

 さらに言えば、大久保長安はあの銚子谷の一件以降、極めて現実的なことしか信用しないようになっていた。

 目に見えない物語を、大の大人同士が真剣に語り合うなど、彼にとっては反吐が出るほどに気持ち悪いことであった。

 

 

「ふん!ばかばかしいことだ!何を言いだすかと思えば、全くもって現実味がない話しではないか!

そんな事を語りあう為に、それがしをこの場に座らせたとするならば、ひどく落胆すべきことである!

無駄な時間とはまさにこのことだ!」



 痛烈な皮肉が口をついて出てきたのは、長安が宗應に何かを期待していた事への何よりの証だ。

 では、彼は一体何を宗應に期待していたのであろうか。

 

 しかし、そんな感情を露わにした長安の口調にも、宗應の表情は変わらない。

 

 それどころか…

 

 宗應の目の色が変わった…

 

 それは獲物をとらえた肉食獣のような鋭いもの…

 

 にわかに熱の上がった長安の頭は、その目を見た瞬間に凍りつくほどの悪寒を覚えた。

 

 そう…

 

 石田宗應はじっくりと待っていたのだ。

 

 大久保長安が隙を見せるその瞬間を…

 

 そして、この興奮に任せて放った言葉が、まさに長安にとっての隙となった。

 

 

「では、現実味があれば、石見殿は、豊家の話しに乗ってくださる…ということでよろしいでしょうか」



 明らかに「否」とは言えぬ問いかけだ。

 

 しかし、「否」と言わねばこのまま宗應の術中にはまっていきそうな危険を、長安は本能的に察知していた。

 

――何とかそれだけは避けねばならぬ!

 

 そう思えたのは、彼は徳川将軍家の忠臣の一人であるという自負する心が警鐘を鳴らしていたからであった。

 

 

「それは、その豊家の話し、とやらによるであろう。その話しが例え現実味があっても、上様や大御所様に不利益が生じるようであれば、乗ることは出来ぬ」



 それは「否」とも「是」とも言えぬ答えだ。長安が最も忌み嫌う、本多正信が得意とするような物言いに、彼は胸がちくりと痛んだ。

 しかしそんな事に構ってなどいられない。

 今この場はいつの間にか、鋭い槍をもった石田宗應と、堅い盾を手にした大久保長安の、激しい攻防に変わっていた。

 普段は相手を追い詰める事のみを得意としている長安であったが、この時ばかりは完全に守勢であった。

 しかしそれでも長安にはどこか心に余裕がある。いや、余裕というよりもこの目の前の男に畏怖を感じ、そんな相手と対等に話しが出来ている喜びに満ち溢れていたことによる、高揚感にひたっていたという方が正しい。



――いよいよ正体を表しやがったな…化け物、石田三成!



 心の中で長安はそう舌なめずりをした。

 

 一方の石田宗應も、関ヶ原での敗戦以降、抑えに抑えてきた「何か」が再び心の中で沸き上がってきているのを認めていた。しかし、過去の「石田三成」であれば、それを御することをせずに、自分の中の「化け物」の成すがままにその口を動かしていたことだろう。

 だが、今の彼は違った。



――勝負どころはもう少しだ…我慢せよ…我慢せよ…



 その「化け物」を制して、なおかつそれを武器とするだけの、器量を身につけていたのである。



 こうして、石田宗應と大久保長安による「天下の幕僚会談」は佳境を迎えていくのだった。





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[気になる点] 前話でもそうでしたが、なぜ『話し』と送り仮名をつけるのでしょうか? 送り仮名を付けると動詞になると思うのですが… 文章を読む限りでは『話』になるのではないでしょうか?
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