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久留米城の戦い②

◇◇

慶長5年(1600年)9月3日――


「ええい!何をもたついておるのだ!!主人が留守の小城一つを蹴散らせずして、殿下をお守りできるとでも思っておるのか!!」


 加藤清正の怒号が辺りの空気を震わせた。

 周囲の兵たちは恐れおののき、誰も彼の近くに近寄ろうとしない。そんな腰の引けた者たちを見つけては、その尻を蹴飛ばし久留米城の前線へと走らせていった。


 到着した当日に送った開城の使者は虚しくも顔色を曇らせて、清正の前に戻ってきた。そしてその日のうちに何度か手を変え品を変え降伏の使者を送ったが、

「主人の秀包様に黙って降伏するわけにはいかない」

と、いずれも色よい返事は得られなかった。

 流石の彼もこれ以上の足止めはいかん、と翌日から攻撃を開始する。それは苛烈を極め、彼自身半日も持つまいとたかをくくっていたが、予想に反して久留米城の守備は固かったのだ。


 既に攻撃を開始して2日間が経過したが状況は全く変わらない。少数ではあるが、負傷者も出始めており、これ以上長引いては士気にかかわると、清正自身が前線に立って指揮を始めたのだ。


 蛇行した筑後川に沿うようにして立てられた久留米城は北と西は完全に大きな川に面しており、そこから攻め入ることはできない。

 立地の上でも、川辺に広がる平野の中にあって、小高い丘陵の上にあるその城は、攻める側にしてみれば非常に困難極める城であると言える。


 しかし城の作りに造詣の深い清正にとって、築城と攻城は通ずるところがあるようだ。彼が最前線に立った加藤の軍団は攻城戦において、無類の強さを誇る。それは、普段は短気で猪突猛進な彼にもかかわらず、こと城の事になるともっぱら慎重に観察をするくせよるものであろう。


「あの場所の守備が手薄い!あそこから重点的に登るのだ!!」


 その観測は的を射たもので、守備兵からの反撃を受けにくい石垣で、そこから梯子や搦め手を使ってはみるみるうちに多くの兵士たちがよじ登っていく。

 守備兵たちもなんとかそれらを落とそうと必死になるが、櫓から少し離れたその場所からには、鉄砲や矢が届きにくい。

 そしてついに数人の兵が城壁を突破し、三の丸の中へと突入するとともに、即座に大手門が開けられた。


「わぁ!」と一瞬、喜びに沸く兵士たち。しかし清正は


「まだ終わりではない!一気に本丸まで突入せよ!!」


 と、自ら馬の腹を蹴り、城の中へと突入していった。それを見た兵たちも、大将に置き去りにされる訳にはいかぬと、喜んだのも束の間、大声を上げて城内へと突入していったのである。


 しかし守る側も負けてはいない。


「ここが勝負どころと心得よ!!みなのもの!城と奥方様を守り抜け!!」


 そう号令をかけた家老の桂広繁は自ら大きな槍を片手に先鋒となって、敵陣の中へと突撃していく。


「なんだ!?あの老人は!?」


 と、見る者が唖然とするくらい、修羅となって広繁は清正の軍勢の中を斬り込んでいく。

 老骨に負けてなるものかと、守備兵たちも彼にならって突撃を繰り返していった。


 こうして大手門や虎口での序盤よりも、さらなる激戦が城内で繰り広げられることになったのだが、城門を突破されれば、所詮は多勢に無勢。

 さすがの桂広繁も息が切れ、後ろに退かざるを得ない。その他の守備兵たちもよく戦ったが、清正の軍勢の勢いを止めるにはかなわず、三の丸、二の丸と破られていったのだった。


「ぐぅ…ここまでか…」


 そう無念の表情でうなった広繁は、本丸の中へと重い体を引きずるようにして消えていった。その目は、この後彼に待ち受けている悲惨な宿命に濁っている。


 それは…


 城内の女子供全員を広繁の手で始末する


 という辛すぎるものなのだ。

 なぜなら、城内の者は「自害」が許されていないから…


 滅多に涙など流さない彼であったが、この時ばかりは違った。

 涙が滂沱として流れ落ちて行くのを、気丈な彼でも禁じえなかった。

 そして、彼の背負ったその運命は彼の足取りを鈍らせるには十分な重さだったようで、ゆっくりとした足取りで彼は城内の一室へと向かっていった。



◇◇

「やはり来ましたか…ここまでなのですね…広繁」


 甲冑姿の広繁がその部屋に入ってきた事を、毛利マセンシアは背を向けたままで言い当てた。なんの事はない。甲冑がこすれる独特の音が聞こえてくれば、おのずとそれが誰で、何を意味するかなど決まってくる。


 その部屋は小さな礼拝堂のようであった。

 壁には大きな十字架がかけられ、傍らには聖母マリアを模した石膏。それに絵画が置かれている。

 その部屋には城内の女子供数十人が全員、死ぬ覚悟を決めて待機していた。

 しかしいざ死を前にすると、その覚悟も鈍るのは当然と言えよう。耐えきれなくなった数名の、すすり泣く声が聞こえてくる。


「残念ながら、ここももうすぐ火の海になるでしょう」


「そうですか…もう希望はないのですね」


「希望…ですか…」


 広繁にとっては、そんなものは当の昔に捨てたものだ。当主であった名将毛利元就が逝去し、輝元の代になった時点で彼は彼自身の希望など持てるはずもなかった。

 それほどに彼の周囲には希望を抱かせてくれるような、人間がいなかったのである。


 守っていた城では城主さえも寝返り、唯一尊敬に値した清水宗治は腹を切らされた。


 彼は彼が身命を賭してでも守り抜きたいと思えるような、言わば彼にとっての「希望の星」に出会うことはなかった。それは現在の主人である小早川秀包であっても同様である。

 彼の心は亡き元就公とともに死んでしまったも同然であったのである。


 それでも彼が城を枕にして死ぬ覚悟をもって、猛将加藤清正と槍を交えたのは、彼自身の意地によるものが全てであった。


「ああ…せめて死ぬ前に、命をかけて守るべき主人と出会いたかった…」


 彼は思わず嘆かざるを得ずに、心の底から声を発した。

 それを優しく穏やかな目でみつめる毛利マセンシア。

 彼女は赤子をさとすように、広繁をたしなめた。


「これ、広繁。最後の最後まで希望を捨ててはいけませんよ。信じる者だけが、それをかなえる事が出来るのですから」


 広繁は驚くように彼女を見つめた。


 この死の間際においても「希望を捨てるな」という非情な要求を押しつけてくるこの女性とその信仰のことが信じられなかったのである。


 まだ希望は本当にあるのだろうか…


 しかしそんな事は錯覚に過ぎないと言わんばかりに、「ドン」と大きな爆発音が城内から響いてきた。


 「キャア!」と、女たちが短い悲鳴を上げると互いに抱き合っている。

 恐らく本丸内に敵が突入してきたのだろう。


「やはりもうこれまでのようです…」


 と、広繁は絞るようにして切りだした。


「では私から始めなさい。ひと思いに、お願いしますよ」


 と、毛利マセンシアは祈りを捧げるように手を合わせ、目を閉じる。


 広繁は涙を流したまま、槍を構えた。


「ごめん…」


 …とその時であった。


 無念の静寂に包まれた一室に、熱気を帯びた一人の老齢の甲冑姿の武者が転がるようにして入ってきたのは。


「何者だ!」


 もう敵がここまで来たのか!?


 広繁は隠し扉の奥にあるこの部屋に見知らぬ者が突入してきたことに驚きつつも、最後の奉公と気張って槍を相手に向けて構えた。


 するとその甲冑姿の武者は両手を広げて、

「やや!待たれよ!早まるでない!わしはお主らを救いに来たのだ!」

 と、懸命に広繁を制した。


 しかし老齢の彼では声に出るのはここまでのようだ。

 彼は一枚の布地を広繁の前に広げて見せた。

 それは彼の身分を示すように…


「藤巴の紋…」


 その紋を見て毛利マセンシアはニコリと笑った。


「ほら、申し上げた通りでしょ?広繁。信じる者は救われるのです」


 そう、その紋を持つことの意味…


 それはその老武者が「黒田の者」である事を示すものであった。


いよいよ黒田の登場です。


これから加藤と黒田はどう動くのでしょうか。

明日はいよいよ久留米城の戦いが終わります。

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