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弟よ!幸あれ!③母と子と(3)

◇◇

 慶長11年(1606年)4月10日――

 

 この日、俺、豊臣秀頼は、淀殿と千姫を伴って京に出ることにした。

 

 何せ昨晩突然決めた上洛だ。その事を告げられた片桐且元が、唇を紫にして、腹を襲った激痛に思わずうずくまったことは、想像の通りであったことだろう。

 それでも彼は、調整役としてのこれまでの経験をいかんなく発揮して、この日の朝げの頃にはその旅程の手配まで終えたのである。

 

 

「素晴らしいぞ!且元!あっぱれじゃ!」



 と、俺は思わず目の前で頭を下げている片桐且元に対して大きな声で称賛した。

 恐縮しながら顔を上げた且元の目元には大きなくまがくっきりと出ており、彼が一睡もせずに手配にあたったことはすぐに察しがついた。

 その様子を見て、いたたまれなくなった俺は彼の耳元で、

 

「今日は淀殿もわれも大坂城におらぬゆえ、何も気をもまずにのんびりと過ごすとよい」


 と、ささやいてその肩を優しく叩いたのだった。

 

 この時、彼が見せた、まるで天に昇っていくような表情を俺は一生忘れることはないだろう。

 

 

 さて、この日俺たちのお供には、真田幸村、甲斐姫、そして千姫の侍女である高梨内記の娘と青柳の四人と決まった。

 江戸訪問の際には百人近いお供を引き連れて旅をしたことから考えれば、あまりにも少なすぎると思われたが、且元いわく

 

――今回のことは、前触れもございませんので、かえって目立たぬように少人数で行動された方が良いと思われます


 とのこと。

 確かに屈強な男たちで周囲を固めて京の街を歩けば、たちまち町民たちや幕府の役人たちに囲まれて身動きが取れなくなってしまうだろう。

 俺としても、誰にも聞かれずに淀殿と二人で話しをする場を作るのに、人数が多いほど苦労するのは目に見えている為、このことに異論はなかったのであった。

 

 

 そして朝げが終わってからすぐに、大坂城を出立したのだった。

 


………

……

「むぅぅ…千は納得いきません…!」



 京に到着すると、千姫がむくれた顔で駕籠から下りてきたのだが、それは舟の中で、京に着いた後の事について淀殿から聞かされた内容がえらく不満なようだ。

 

 

「どうして、秀頼さまとおかか様は大仏で、千は高台寺なのですか!?」



 こう彼女が抗議するように、この日は二手に分かれて行動することにしたのだ。

 もちろん最後は高台寺で落ち合って、皆で高台院(北政所のこと)に挨拶をしに行く事にしたのだ。

 ちなみに大仏(方広寺)も高台寺も同じ東山にあり、さらに言えば、今俺たちがいる場所からすれば、大仏は高台寺の通り道とも言える。

 つまり行動を共にしても回り道でもなんでもないのだ。

 

 

「お千や。これからわらわと秀頼ちゃんは、大仏の再建に向けた下見に行くのであって、遊びに行くわけではありません。

その事は昨日、秀頼ちゃんから聞きましたね。

それに、あの場所はまだ工事中で、大きな材木や石がごろごろしております。

決して安全とは言い切れない場所なので、お千を連れていくわけにはいかないのです。

分かってくれますね?」



 そう諭されて、うつむきながら渋々うなずいた千姫は、甲斐姫と二人の侍女に連れられて、先に京の街の中へと消えていった。

 そして、その千姫らを見届けた後、俺と淀殿、真田幸村の三人は、大仏の方へとゆっくり歩き始めたのであった。

 

 

………

……

 京の南から鴨川の東側をしばらく歩いていくと、大きな門が見えてくる。

 これは俺が作らせたとされる、大仏の南大門だ。もちろん、俺にはその記憶もなく、実際には俺がこの時代にやって来る前に、淀殿の指示によって作られたものに違いない。

 敷地としては三十三間堂の中にあり、その大きな門の周囲には、太閤塀と呼ばれた塀で大仏の敷地を囲っている。

 

 俺は何も考えずにその門をくぐろうとした。

 

 しかし…

 

 淀殿は門の手前で、静かに佇み動こうとはしない。

 俺はいぶかしく思い、彼女に尋ねた。

 

 

「母上、いかがしたのでしょう?」


「秀頼ちゃん、少しだけ寄りたい所があるのですが、よいでしょうか」



 いつもと変わらぬ笑顔が、初夏を思わせる陽気の中に映える。

 

 そう言えば、大坂城の外で淀殿の姿を見たのは、豊国祭礼以来であり、あの時は祭りの準備で互いに忙しくて、ここまでまじまじと淀殿の姿を外で見たのは初めてだ。

 すらりと伸びた高い背に赤く美しい模様をあしらった小袖を着て、その上から白い着物を羽織っている。頭には日よけの笠をかぶっていて、ちょうど目のあたりに影が出来ているのだが、その瞳からはやはり昨日と同じような寂寥感が感じられた。

 

 俺は門の方ではなく、淀殿の方へと足を向けると、

 

「もちろんでございます」


 と、高い空に相応しい乾いた声で、答えたのだった。

 

 

 淀殿に連れられて向かったのは、三十三間堂の目の前にある寺院。

 

 

「ここは…」


「ふふふ、そうよね…ここに秀頼ちゃんと最後に来たのは、秀頼ちゃんが生まれた翌年のことだもの」



 あたかも物ごころついた後であれば、俺にその記憶が残っているかのような淀殿の口ぶりに、俺の胸がずきんと痛んだ。

 そして、俺たちの背後に静かに立っていた真田幸村が、穏やかな口調で教えてくれた。

 

 

「この寺は、養源院にございます」



 ふと俺は振り返って、幸村の方を見る。

 

 

「養源院?」


「はい、奥方様のお父上とお母上を弔った寺でございます」


「母上の…」



 この近くには「太閤はん」と呼ばれている太閤秀吉を祀った豊国神社があり、そこは訪れる度に人が増えているのではないかと思えるほどに、参拝者で賑わっている。しかし、この養源院は、その豊国神社とは正反対と言っていい程に、ひっそりとしていた。


 淀殿は何も言わずに、その寺院の中へと足を運んでいった。


 竹藪に囲まれた本堂の中は、わずかな日の光のみを通し、冷んやりとして薄暗い。

 迷いもせずに進んでいく淀殿の背中についていくと、とある部屋の中に彼女は入っていった。

 俺は、真田幸村を部屋の外に待機させると、淀殿の背中を追って、薄暗くどこか陰気臭いその部屋に足を踏み入れたのであった。

 

 そして…


 そこで俺が目にしたのは…


 二枚の掛け軸であった。


 一枚は男性が、そしてもう一枚は女性が描かれている。


 このうちの一枚に俺は釘付けになってしまったのだ。



 それは、女性の方の掛け軸。



 なぜならそこに描かれていた女性は…



 今の淀殿と全く同じ着物であったのだ。



 絵からは区別がつきにくいが、どことなく淀殿の面影が重なるその女性…



「まさか…この女性は…」



 そんな風に絶句している俺に対して、隣の淀殿が言った。



「淀の母…お市の方…」



 その口調は明らかに先ほどまでの穏やかなものではなく、蛇のような冷たさを感じるものであったことに、俺の背筋がぞくりと震えた。

 それに自分の事を「淀」と、まるで他人のように言った…


 恐る恐る彼女の方を見ると…


ーーやはり…別の淀殿だ…


 そう…そこには周囲を凍りつかせるほどに冷酷なものを浮かべた淀殿が、お市の方が描かれた掛け軸を凝視していた。


 そして漏らすように言った。



「母の事を淀は何も覚えておらんのだ。

母の顔も、声も、そしてその愛も…

あの時から淀の心は死んでしまったのだ…」



 あの時…


 もし俺の想像が正しければ、それは北ノ庄城の陥落…すなわち羽柴秀吉(後の豊臣秀吉のこと)に、彼女の継父が討たれ、実母であるお市の方が自ら命を絶ったその時のことを言っているに違いない。



「そしてわれたちは淀の盾となると決めて生まれてきた…いや、淀が自ら生み出したといっても過言ではないであろう」


「では、本当の母上はどこにおるのじゃ?」



 その俺の問いに、今の淀殿がふっと笑う。



「本当の淀か…われも本物と言えば本物じゃ。

しかしお主は…

まあそれはよい。

お主には感謝こそすれ、恨んでなどいないのだからな…」


「感謝…われに…」



 血も涙もない冷酷さは、他人への「敵意」の象徴。これ以上、淀殿が傷つかないように、今目の前の人格は形成されたのであろう。

 ところが、その彼女が今どこかふっきれたような笑顔を見せたのだ。

 

 それはさながら暗闇の中に現れた一筋の光のようで、俺はその顔に思わず見惚れてしまった。

 

 

「不思議なものだな…お主が現れてから、淀はその心をよみがえらせた。

そして、傷ついたままで、精一杯に翼を広げて、お主を守ろうと立ち上がった。

お主が一体何者であるかも分からぬままにな。

なぜか分かるか?」



 その問いかけに俺は首を横に振った。

 その様子に彼女は再びかすかに口角を上げると続けたのだった。

 

 

「淀は、母になったのだよ。お主の母にな」


「母に…どういう事ですか…?」



 意味が分からずに問いかけた俺の事を、じっと見つめる彼女。

 

 その視線からは「敵意」は全く感じられない。

 

 

 そこにあるのは…

 

 

 疑いようのない「愛」――


 

 薄暗い部屋の中は、さながら外の春の陽がさんさんと降り注いだように明るい。

 昨日、淀殿が言っていた「その人にしか見えない景色」が、今の俺には慈愛に満ちたこの光溢れる景色なのだろう。

 

 

 しばらくして彼女は俺から目を離して、お市の方が描かれた掛け軸の方に目を移すと、つぶやくようにして言った。

 

 

「もうここまでのようだ…

最後にお主に頼みたいことがある」


「なんでございましょう」


「淀を…これからもお主の『母』でいさせて欲しい」


「な…何を言っているのですか…?われは、今までもこれからも淀殿の子供ではありませんか…」



 その言葉に再び彼女は俺の方を見て微笑んだ。

 

 

「ふふ…今は分からずともよい。分からずとも、お主は淀を支えるかけがえのない存在だ。

ただし…これから先のことは…それはお主が一番よく分かっておろう。

それでもどんなことがあっても、淀は『母』でありたいと願うであろう。

それに応えてくれるだろうか…そう聞いているのだ」



 俺は彼女の瞳を見つめる。

 この願いの裏を返せば、「お前は、豊臣秀頼として淀殿の『子』であり続けられるのか」と問われているようにしか思えなかった。

 

 俺がこの時代にきてから六年経った。

 俺は俺なりに、淀殿の『子』であり続けられるように、その振舞いを努力してきたつもりだ。

 しかし、心の底から淀殿を『母』として見る事が出来ているのだろうか。

 

 だがその事を頭で考えるのは無意味なのかもしれない。

 

 なぜなら、いくら考えても変わらぬ事実は、俺は豊臣秀頼であって、豊臣秀頼ではないのだから。

 中身は「近藤太一」なる人間なのだから…

 

 だから頭の中でいくら淀殿の事を『母』と考えようとしても、この事実がいつでもそれを否定するのである。

 

 

――お前たちは、本当の家族に成りえない



 と…

 

 しかし心はどうであろう。

 

 この六年間。俺は頭の中では偽りの家族を演じてきた。淀殿を騙してきたと非難されれば、それを否定することは出来ない。

 もしかしたら淀殿もそうであったのかもしれない。

 だが彼女はこう言い切ったのだ。

 

 

――心のままに愛せばよいのです



 と…

 その言葉が、心に沁み渡ってくる。

 

 もし、淀殿が今までも心のままに、俺に接してきてくれたとするならば、そこから俺は何を感じたのか。

 もし、これから俺が淀殿に心のままに接するとするなら、どう接するのか。

 

 そこで俺は自身の心に問うことにしたのだ。

 

 

――俺にとって淀殿とはなんだろうか

 

 

 その問いに、俺の心に浮んできたのは…


 「手」ーー


 優しくて、暖かい、淀殿の…母の手ーー


 いつも俺を包み、触れ、そして背中を押してくれたその手ーー



 考える必要なんてない。


 最初から答えなんて一つだ。


 そして正直に自分の気持ちを吐露した。

 

 

「淀殿は、どんな事があってもわれにとっては『母』でございます。

それ以外の存在にはなり得ません」



 そうきっぱりと断言した俺を、変わらぬ瞳で見つめる彼女。

 

 その視線に、俺の心は逃げも隠れもしなかった。

 

 なぜなら、俺はこの時既に確信していたからだ。

 

 

――淀殿は俺にとっての母である



 と。

 

 

「よい返事だ。

では、そろそろ時間だ。

お主と外にいる真田幸村の二人は先に寺院の門で待っているとよい。

われはもう少しだけここに用がある」


「はい…」


「なに…心配するでない。すぐに参るゆえ、大人しく言う通りにするがよい」



 そう諭した彼女の顔には、何も思いつめたようなものはなく、むしろ晴れやかに澄み切っていた。

 その表情を見て、俺はどこか安堵するものを覚えて、彼女を残して静かに部屋を後にしたのだった。

 

 

………

……

 豊臣秀頼が部屋を去り、一人そこに残った淀殿は、お市の方の掛け軸をじっと見つめていた。

 

 その表情には、愛に満ちている。

 

 しかし…

 

 それは『子』から『母』に向けた愛を示すものではない。

 

 さながらそれは…

 

 

 

 『夫』から『妻』に向けたものであった…

 

 


「お市よ…これでわれの役目は終わりでよいな。

茶々(淀殿のこと)はもう大丈夫だ。

あの子の命がある限り…」



 すくりと立ち上がる淀殿。彼女は、男性が描かれた掛け軸の前に立つと、最後にもう一度お市の方が描かれた方を見て言ったのだった。

 

 

「ああ…これからは、天の上で茶々の行く末を、お市と共に見ようではないか。

茶々の『夢』を見届けようじゃないか。

茶々よ…どうか幸せに」



 淀殿の体の中から、ふっと何かが消えていく。

 

 すると…

 

 淀殿の目から一筋の涙が流れてきた。

 

 そして男性の掛け軸に向けて、深々と頭を下げたのであった。

 

 

「ありがとうございました…父上…」



 その掛け軸に描かれていた人物…

 

 それは、お市の方の妻にして、淀殿の実父…

 

 

 浅井長政その人だった。

 

 

 この時、淀殿の目には確かに見えていたのである。

 

 父が、母の手を取り、光の彼方へと消えていく様子が…

 

 そして、淀殿に向けて愛に溢れた笑顔を見せている様子が…

 

 

 この笑顔は…

 

 

 彼女が思い出したくても思い出すことの出来なかった笑顔――

 

 

 彼女はその笑顔を大事そうに胸にしまって、静かに部屋を出た。

 

 その背中には、掛け軸に描かれた彼女の両親の優しい視線が、光のように注がれていたのであった。

 

 

 

………

……

「お待たせいたしました。秀頼ちゃんに源二郎。では、参りましょう」



 養源院の外で待っていた俺、豊臣秀頼と真田幸村に、そう声をかけてきた淀殿。彼女の顔は俺が知っているいつもの優しさを携えたものであった。

 その顔を見た俺はあらためてほっと安心した。

 

 俺たちは、再び南大門の方へ足を向けると、大仏殿の敷地の中へと足を踏み入れた。

 広大な敷地はがらんとしており、見回りをしている役人を除いては、ほとんど人がいない。

 

 

「ふふふ、大仏が出来たばかりの時は、ここに入りきらないほどに多くの者たちが訪れたのですよ」



 笑顔で言う淀殿だが、どこか寂しそうだ。


 ゆっくりと歩いていく三人。長雨の季節を前にした陽射しは、事の他強く、俺の額にはじんわりと汗がにじんでいる。

 そんな中、いつもと変わらぬ、まるで清流のような姿で前を歩く淀殿の背中を追っていくと、ふと目の前に地面が黒くなった場所に出た。

 

 大きな石が無造作に置かれ、中には焼け焦げた大木が炭となって横たわっている。

 

 明らかにその場所が大仏が置かれた大仏殿のあった場所であることは、説明を聞かずとも分かった。

 

 跡形もない…

 

 その言葉がぴたりと当てはまるほどに、太閤秀吉の建てさせて、庶民の憧れの場所となった豪華絢爛な大仏殿はその姿を消してしまっている。

 

 その様子を俺は、淀殿の隣に立って、静かに眺めていた。

 淀殿もまた、寂しさを携えたままにそれを見つめている。

 

 そして…

 

 淀殿は重い口を開いた。

 

 

「秀頼ちゃん。源二郎から、わらわが秀頼ちゃんの事に気付いていると聞いたのでしょう?」



 その言葉を聞いた俺がびくりと肩を震わせると、背後に控えていた真田幸村が声をかけた。

 

 

「それがしは、外しましょう。ここはお二人で…」


「いえ、源二郎。それにはおよびませんよ」



 振り向きもせずに、透き通った声でそう話した淀殿。

 そして彼女は続けた。

 

 

「ふふふ、大方そんなところだろうと思いました。

事あるごとに『秀頼ちゃんは大丈夫かしら』などと、わらわが口に出していたので、源二郎のことだから、逆にわらわの事が心配となって、秀頼ちゃんに漏らしてしまったのでしょう」


「も…申し訳ございません」


「よいのですよ。ちょうどわらわからも秀頼ちゃんにその事を告げようと思っていたところでしたのですよ」



 そして淀殿は、俺の瞳を真っすぐに見つめて言った。

 

 それは彼女の心からの願いであり、祈りであったのだった。



「秀頼ちゃん。わらわは母です。

母とは秀頼ちゃんが思っている以上に、勇気があり、強いものなのですよ。

そしてその生涯をかけて、子供を愛するものなのです。

たとえ我が子が山に行こうとも、海へ行こうとも。

そして天へ旅立とうとも。

どこにいてもその存在を愛さない時はないのです。

だから秀頼ちゃん、忘れないでおくれ。

母は秀頼ちゃんを愛しております。

今までも、これからも、この命が尽きるまで。

だから秀頼ちゃんは気にしなくていいの。

一体自分が何者であるかなんて。

精一杯生きて欲しい!

ただそれだけ。それだけが母の願いなのですよ」



 淀殿の混じり気のない強い想いが、俺の胸に突き刺さる。

 

 俺は何を恐れていたのだろうか。

 

 こんなにも純粋に、ひたむきに子供に愛情を注ぐ、母親に対して、俺は自分の抱いていた猜疑心がとてつもなく恥ずかしく感じられた。

 目頭の温度がぐんと上がり、鼻の奥がつんと痛くなる。

 

 そして一つの感情が俺を突き動かした。

 

 

「母上!!われは母上の為に、何かしとう存じます!

どうか母上が今望まれていることをお教えいただけないでしょうか!」



 必死になって問いかける俺に対して、穏やかな笑顔を見せる淀殿は、ゆっくりと答えた。

 

 

「ふふふ、その言葉だけで十分です。わらわは秀頼ちゃんが幸せに暮らせればそれだけで良いのです」



 その言葉に嘘や偽りがない事は、淀殿の瞳を見ればすぐに分かる。しかし、それでは俺の気持ちが済むはずもない。

 すると、脳裏に先ほど見せたどこか寂しげな表情が思い出された。

 

 そして頭で考える前に口をついてその事が出てきたのであった。

 

 

「大仏…今度は、この秀頼が立派な大仏をここに建ててみせます!!

父上に負けぬほどに立派な大仏を!

それが完成したあかつきには、共にここへ訪れましょう!

必ずやこの場所を、人々の笑顔で埋めてみせます!!

われが精一杯生きた証を、大仏の再建で示してみせます!」



 俺の響き渡る声に、淀殿は目を丸くして俺を見つめている。

 

 そしてしばらくした後、我に返ったように、目を細めて、嬉しそうに言ったのだった。

 

 

「まあ、それは喜ばしいことです。楽しみにお待ちしておりますよ、秀頼ちゃん」



 そう、ここに俺がこの時代に、太閤秀吉と淀殿の子供として生きたという証を作ろう!

 

 京の…いや、日本全国の希望の象徴を作ろう!

 

 そして、その事で淀殿と全ての民たちを笑顔にしよう!

 

 俺はそう決意を固めた。

 

 

 史実の上では、淀殿も豊臣秀頼も大仏の開眼に立ちあうこともなく、この世から去ることになるはずだ。

 

 しかし、俺はただ一人、母の為にも、その歴史だけは絶対に変えて見せる。

 

 そう固く決意したのであった。

 

 

 

 


高野山持明院が所蔵している浅井長政とお市の方の肖像画は、淀殿が描かせて寄進したものと伝わっているようです。


さてこのお話しのテーマは「母子」でした。

みなさまの心には、どのように届きましたでしょうか。

私の願いが少しでもみなさまの心に届いたなら、それで幸いでございます。


それから私自身、京都に訪れた際には、三十三間堂、豊国神社、方広寺、京都国立博物館だけではなく、隣の養源院にも足を運んでみたいと心より思いました。

(歴史を知れば知るほど、訪れてみたい場所が増えていきます…)


次回は久々にあの空気の読めない人が登場します。


これからもよろしくお願いします。


追伸

素敵なレビューをいただきました。

本当にありがとうございます。

これからもみなさまの心に届くような物語を綴れたら幸いにございます。

どうぞよろしくお願いいたします。


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