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あなたを守る傘になると決めて…【終幕】

◇◇

 慶長11年(1606年)4月1日――

 

 その日の正午、俺、豊臣秀頼ら一行は、短かった江戸滞在を終え、大坂城への帰路につくこととなった。

 

 

「おかあさまぁぁぁ!!うえええん!!」



 千姫はこの日の朝から泣きっぱなしで、母である江姫にくっついている。

 彼女は物こごろついたその時から、言わば「豊臣への人質」として大坂城にて暮らしてきたわけではあったが、母代りの淀殿を始め、高梨内記の娘や青柳といった彼女の侍女たちも、本当の家族のように彼女に接している。

 それでも、本当の母親から受ける愛情というのは、彼女にとっては格別のものであったに違いない。

 母親である江姫もまた、目に熱いものを浮かべながら、しがみつく千姫をその細い腕で引き離して言った。

 

 

「お千や。そう泣いてばかりでは、みなが困ってしまいます。どんな時でも笑顔を絶やしてはなりませんよ」


「うう…ぐすっ…はい、おかあさま…」



 江姫に諭されて、しぶしぶ泣きやむ千姫。

 

 その様子を見ながら俺は、このやり取りとは全く関係のないことを思っていた。

 

――この二人は良く似ているな…


 江姫が童顔ということもあるのだろうが、この母娘の顔はまさに瓜二つで、千姫はこの江姫のような可愛らしさの残る女性へと成長するのだろうことは容易に想像できた。

 すらりと伸びた高い背の淀殿と比べると、同じ父母から生まれたとは思えないほどに華奢な江姫が、千姫に重なる。

 

――しかし…どこかで会ったような気がするのだが…


 と、初めて江姫の姿を見たその時から感じている既知感を不思議に思いながらも、俺は馬にまたがったのであった。

 

 

「では、行きましょうか!」



 そう元気よく声をかけてきたのは、板倉重昌。相変わらず軽い調子で笑顔を見せている彼は、兄の重宗とともに帰路もまた俺たちのお供をすることとなっている。

 そして、そんな彼の声かけに、一つ軽くうなずいた俺は、馬の上から見送りにきた人々に対して、声をかけたのであった。

 

 

「では!みなさま!お世話になりました!また、いつかお会いいたしましょう!」



 俺の明るい声に、その場にいる全員が笑顔になる。

 その中に、俺の義父である将軍、徳川秀忠の姿はないが、大久保忠隣をはじめとして、主だった「大久保派」の徳川家の重臣たちはその場にいた。

 

 果たして次会う時はいつになるのだろうか。

 そしてその会う場所は、どこなのであろうか。

 

 中には、大坂の陣の中にあって、敵味方に分かれて戦場にて顔を合わせる者もいるのかもしれない。

 もちろんそんな未来を変えられるものなら変えてしまいたい。

 しかし歴史の歯車はそんな俺の願望などには見向きもせずに、大坂の陣に向けて回り続けていくことだろう。それでも俺は、今見送りにきてくれた徳川家の人々の笑顔を願わずにはいられなかったのであった。

 

 

「豊臣右大臣殿!上方で何か不都合な事があったら、いつでも頼りにしてくだされ!きっとお力になりましょう!」



 と、大久保忠隣が出会った時とは全く異なる穏やかな表情で、俺に声をかけてくれている。

 彼の言う「上方での不都合」とは、言わずもがな伏見にいる徳川家康の元で働いている「本多派」の人々のことを指しているのだろう。

 そしてそう彼が言うのも無理のない話しなのかもしれない。

 なぜなら昨晩の件、首謀者とされた久武親直は何者かによって殺害されたわけだが、その殺害に使われた「くない」が、どうやら風魔と呼ばれる忍者の集団がよく利用していたものだったようだ。

 その風魔一族は、元より相模国の北条家によって雇われていたが、北条家が豊臣秀吉によって滅ぼされると、主家を失って離散したと言われている。しかし、このところどうも玉縄城に風魔一族とみられる者たちが出入りしていたとする噂があるらしいのだ。その玉縄城は本多正信の居城であり、本多家が離散したはずの風魔一族を裏で操っている可能性が高い。

 すなわち「事の次第が発覚することが懸念されれば、親直を抹殺せよ」という指令が本多より出されていた可能性があると推理できるのだ。

 

 もしあの時、親直ではなく、俺にそのくないの刃先が向かわれていたなら…

 

 そう肝を冷やしたのは、俺や甲斐姫らだけではなく、大久保忠隣も同様だったのだろう。

 


「ありがたい!では忠隣殿もお達者で!」



 俺はそう短く返事をすると、馬の首を江戸城の大手門の方へ向けた。

 今はこの程度でよい。いや、むしろ上出来過ぎるくらいに彼ら親子との良好な関係が築けたことに、俺はこの江戸訪問に手ごたえを感じていた。

 

 大手門を出ると、今度は加藤清正ら各国の大名たちの何名かが俺の見送りにきている。

 

 

「秀頼様!!どうかお元気でぇぇ!!」



 清正に至っては、さながら今生の別れのようにその頬を濡らしているのだが、流石にそれは大げさなような気がする。

 しかし、今年の年賀の挨拶で彼が言っていたことをふと思い起こした。それは、黒田如水とのことだ。彼は、何気なく見送ったのだが、再会する事が果たせなくなってしまったことを非常に悔いていると言っていた。

 その事を考えると、彼の今の気持ちはあながち馬鹿に出来るものではないだろう。

 

 俺は馬から下りて、彼の手を取って別れの挨拶を交わしたのであった。

 

 

 再び馬を進める俺たち一行。

 東海道に入り、江戸城の外堀沿いに進んでいくと、昨日お世話になった大久保屋敷の側を通る。

 

 そこには全身あざだらけの大久保彦左衛門が、両脇を太助とおりんに抱えられるようにしながら、俺を見送りに来てくれていた。

 俺はその様子に慌てて声をかけた。

 

 

「彦左衛門殿!無茶をするでない!怪我をしたのは、昨日の事ではないか…」



 しかし彦左衛門はぶるぶると首を横に振ると大きな声で答えた。

 

 

「恩のあるお方が江戸から去るっていう時に、己の身を案じて見送りにもいかねえなんて、武士のすることではねえ!」


「そ…そうであったか…」


「ああ!こたびの件、本当に世話になり申した!礼だけでも言わせておくれ!」


「うむ、しかしわれは何もしてなどいない!

彦左衛門殿をはじめとする大久保家中の全ての人が称賛に値する働きをされたまでだ!

こちらの方こそ、本物の三河武士を見ることが出来たこと、本当に感謝いたす!」


「がはは!やはり秀頼殿は不思議なお人じゃ!

次は忠隣のところじゃなく、わしの屋敷にも来ていただきたいのだがよろしいだろうか?」


「はははっ!新婚で熱い屋敷を訪れるほどの野暮な男に、われが見えたのだろうか!ははは!」



 その俺の言葉に、おりんと彦左衛門の顔が赤くなる。そして彦左衛門たちは、そのまま頭を下げて俺を見送ったのだった。

 

 

 

 こうして俺と千姫の江戸訪問は終わりを告げた。

 

 俺にとっては井伊、奥平、大久保と江戸幕府における重要な人物たちとの対面を果たしただけではなく、その関係を深める事が出来たことに満足していた。

 一方の千姫にしてみれば、亀姫や江姫といった彼女の肉親たちに接したことは、非常に貴重な体験であったに違いない。

 それを示すように、下手をすれば「このまま江戸に残りたい」と爆弾発言でも飛び出さんばかりに、江姫から離れようとしていなかった。

 しかしそんな事は言わずに、意外なほどに大人しく帰りの駕籠に入ったのは、彼女は彼女なりに自分の役割のようなものを理解しているのからなのかもしれない。

 それでも彼女はまだ十歳にも満たない幼い少女だ。

 家族からの愛情に飢えている年頃であることには変わりないのは当たり前の話しである。

 それでも気丈に振舞い通した彼女に俺は心の中で称賛を送るとともに、これからは彼女がどこにいようとも幸せに暮らせるようにしてあげたいとあらためて思ったのだった。

 

 


………

……

 慶長11年(1606年)4月8日――

 

「ただいま戻りましたぁ!!」


 

 少年らしく元気な声で、俺は大坂城の大手門に出迎えに来た人々に大声をかけた。

 そこには母である淀殿と、なぜかやつれ気味の真田幸村はもちろんの事、評定衆である桂広繁、大蔵卿、織田有楽斎、織田老犬斎、片桐且元、そして七手組のうち本日の門番を担当する二名、さらには俺の小姓である木村重成や大野治徳、堀内氏久や千姫の侍女たちと、ざっと数十人が出迎えにきているようだ。

 

 

「おかえり、秀頼ちゃん。それにお千。変わりなく戻って参りましたか?」


「はい!母上!」


「はい!おかか様!千も元気に帰ってまいりました!」



 そんな俺たちの様子を見て、嬉しそうに微笑んでいる淀殿。

 みな笑顔を俺たちに向けているその様子を見て、

 

「ああ…やはりここが落ち着く…」

 

 と俺は思わず安堵の声を漏らしてしまった。

 その言葉に淀殿がすぐに反応した。

 

 

「ふふふ、当たり前でしょう、秀頼ちゃん。ここが秀頼ちゃんの帰る場所なのですから」


「帰る場所…か…」



 その「帰る場所」という言葉に俺の頭をふとよぎったのは、元の世界の両親。

 そして…

 

「麻里子…元気だろうか…」


 と、幼馴染の彼女の事がなぜか頭から離れなかったのであった。

 

 そんな風に物思いにふけっていると、じーっと俺を白い目で見る冷たい視線を感じた。

 

 

「秀頼さま?またどこぞのおなごの事を考えているのではありませんか?」


「ち…違う!これは別に…」


「じゃあ!説明してくださいな!『まりこ』とは何です!『まりこ』とは!!

それに旅の途中ではあざみとかいうおなごの事もお考えになっていたでしょう!

千という妻がいながら!!秀頼さまは他のおなごの事ばかりお考えなのじゃ!!」



 頬をぷくりと膨らませながら、口を尖らせる千姫。

 その様子に、ピクリと眉を動かしたのは淀殿であった。

 

 

「あらあら秀頼ちゃん…それはいけませんね…こたびの件、秀頼ちゃんが他のおなごに手をつける為に、母は大坂城を出した訳ではありませんよ」



 紫色した不気味な空気が、淀殿を包みこむ。

 

 

「ちょっと待ってくだされ!誤解にございます!誤解にございます!!」



 大事な事なので繰り返し同じ事を言ってみたが、どうにも通じなかったようだ。

 

 

「おしおき部屋にいらっしゃい…秀頼ちゃん」


「ぎゃあああ!!重成!治徳!氏久!!ここは頼んだ!!」



 俺は飛び跳ねるようにして、今しがた通ってきた門の方へと駆け出す。

 しかし、そんな俺を淀殿が許すはずもなかった。

 

 

「且元!!源二郎!!秀頼ちゃんをとっ捕まえなさい!!」



 その淀殿の声にはじかれたように、片桐且元と真田幸村の二人が俺の行く手を塞ぐと、がっちりと俺の両腕をつかんだ。

 

 

「おのれ!!ちょっと大坂城を開けただけで、寝返りおったか!幸村!且元!」


「秀頼様!これも豊臣家の為!お許しくだされ!」


「いやだぁぁぁ!はなせぇぇぇぇ!!!」



 大坂城の上に広がる空に、俺の叫び声がこだました。

 

 こうして帰るべき人が帰り、心なしか城も喜んでいるように見えたのは、俺の気のせいであろうか。

 なにはともあれ、豊臣秀頼と千姫が無事に大坂城に帰還したことに、城内の誰しもが安堵し笑顔になったのであった。


 

 

活動報告で案内した通り、この後は少し不定期更新とさせていただきます。


様々なご指摘もあり、プロット等を見直しいたします。


これからもよろしくお願いいたします。

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