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あなたを守る傘になると決めて…㊳三河武士な人々(7)

江戸を彩った全ての人々の幸せと笑顔を祈って、この物語をつづります。

◇◇

「大丈夫ですよ。ここに入れば、必ずや助かります」



 おりんは怯える子供たちを安心させようと、必死に声をかけ続けていた。

 そこは大久保屋敷の中でも奥まったところにある部屋。屋敷を何者かが襲ってきたと大久保忠常の妻から聞いたおりんは、忠常の妻の指示の通りに、この場所に隠れていたのである。

 屋敷の中の男手は、門番などわずかであり、屋敷はあっという間に侵入者たちの手によって落ちてしまった。

 忠常の妻たち女性や家中の子供たちは、屋敷の奥の方にいるのだが、彼女たちに危害が加わるのも時間の問題であろう。


 ただ、今のおりんにはただこの場で子供たちを守る事しか頭になかった。

 それは武田信玄の姪という徳川の敵としての宿命を知りながらも、彼女のことを助け、大事に守ってくれた大久保彦左衛門との約束を守る為だったのである。


 しかしそんな彼女に魔の手は容赦なく襲ってきた。


 それは襲撃者の頭である久武親直の大声が響いたことが始まりであった。



「この屋敷には武田信玄の姪がいると聞く!!

今すぐ出て来い!!

大人しく言うことを聞けば、この屋敷にいる全ての人の命は助けてやろう!!

しかしもし抵抗をするというなら、容赦はせん!

さあ、どうする!?答えは簡単であろう!!」



 おりんはこの言葉を聞いた瞬間、それは自分の事を指していることを、もちろん理解していた。

 そして彼女は考える必要もなく、自分のすべき事を実行に移そうとしたのである。



「みんな…絶対ここから出たらだめよ。おりんはすぐに帰ってくるから。少しだけ待っていておくれ」


ーーおりん!行かないで!

ーー行っちゃだめだ!

ーーおりん!


 子供たちは口々におりんを止めようと必死にせがんだが、この時既に彼女の決意は既に固かった。

 

 ゆっくりとその場を離れるおりん。そして彼女は声が聞こえた広い中庭の方へと、わずかな明かりを頼りに歩いていった。

 

 

「参ったわ…膝が震えてる」



 彼女はいかんともしがたい恐怖に震えている自分に苦笑いを浮かべた。

 それでも彼女は負けるわけにはいかない。

 不安と恐怖ではちきれそうな胸の前で手を合わせる。汗にまみれたその両手はまるで何かの病にでもかかったかのように熱くなっていた。

 

 

「彦左衛門様…」



 彼女はその名前を何気なく口にした。すると自分でも分からないが、自然と足は前に出ていく。

 

 一歩、二歩と中庭に近づいていくおりん。

 

 その背中には、まるで彦左衛門が側にいるような、ほのかな暖かさを感じられた。

 

 そして…

 

 いよいよ中庭が見えてきた。そこには十人以上の屈強な男が見える。彼らはみなその手にすらりと長い刀を持っている。

 そしてその真ん中には、ひときわ異様な雰囲気を醸し出している男が立っていた。

 

 あの男が自分の事を呼びつけた人に違いない…

 

 そう確信した彼女は、その男の事をキリッと睨みつけた。

 すると男もおりんの事が目に入ったのか、ニヤニヤしながら彼女の事を見つめていた。

 

 その距離は十歩ほどといったところだろうか。

 

 彼女は一旦そこで足を止めて大きな声で問いかけた。

 

 

「わらわが武田信玄が弟、武田逍遥軒の娘、おりんです!

こんな夜中に一体何の御用でしょうか!?」



 すると男が口角を上げたまま答える。

 

 

「なに…たいしたことではない。

お主はこの屋敷の主人らと語らって徳川将軍家に反逆しようとしていた…

その罪で町奉行に引き渡す。

それだけのことだ。さあ、こちらへ来て大人しく縄にかかるとよい」


「そんな事はいたしておりません!!

罪人の娘が罪人ということであれば、わらわだけを罪に問えばよろしいでしょう!

この屋敷の者たちに一切の罪はございません!」


「うるさいっ!!それはお主が決めることではない!!

あの男と同じく、自分が痛い目に合っても認めないということであれば、他の方法で認めさせるしかないが、それでもよいのか?」


「あの男って…大久保彦左衛門様に何かしたの!?」


「くくく…言葉の通り、痛い目を見てもらっただけだ。虫の息だったゆえ、もうその命はないかもしれぬがな」


「許さない…あんただけは絶対に許さない!!」



 おりんは顔を真っ赤にさせて男…すなわち久武親直を睨みつけた。

 もちろん彼女がすごんだところで、親直がひるむはずもない。

 そして彼は「連れてこい」と横にいた男たちに指示をした。

 

 すると、おりんの前に忠常の妻たち、大久保家の家中の者が後ろ手を縛られて連れてこられたのである。

 


「さあ、お主が罪を認めないということであれば、この者たちの命はない。どうする?」


「くっ…卑怯な…」



 歯ぎしりをするおりん。一方の親直は余裕の笑みで彼女の様子を見ている。

 

 …と、その時であった。

 

 

――ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!



 という断末魔の叫び声が屋敷の門の方からしたかと思うと、久武親直の背後で男たちが騒ぎ出した。

 

 

「なにごとだ!!?」



 先ほどまでの余裕な笑みを一変させて、久武親直が大声で叫ぶ。

 

――敵だ!!何者かが乗り込んできやがった!!ひぃいい!!


 その言葉に今度は久武親直が、ぎりりっと歯ぎしりする。

 そして全員に対して大声で指示をした。

 

 

「罪人の件は後だ!!全員、敵の殲滅に向かえ!!」



 そして彼はおりんのを睨みつけると、

 

「このままですむと思うなよ!!必ず片付けてお主らに罪を認めさせてやる!そして約束を果たしてもらうのだ!!」


 と、捨て台詞をはいて、周囲の男たちと中庭を去っていったのであった。

 



………

……

大久保相模守忠隣(おおくぼさがみのかみただちか)なり!!わが屋敷での狼藉!!断じてゆるさん!!」



 大久保屋敷に戻ってきた修羅のごとき忠隣は、門で見張り役をしていた男を一刀のもとで斬り伏せた後、大声で名乗りを上げた。

 その声に数人の襲撃者たちが忠隣の方を振り返る。

 相手がさすがに徳川家の重臣と分かると、彼らは刹那的に躊躇した。

 しかし、忠隣はその隙すら見逃さず、彼らの中に斬り込んでいったのである。

 

 

「敵はただの一人!!しかも、罪人と語らって謀反を企んだ、大罪人だ!!生死は問わん!!やってしまえ!!」



 と、その場に飛ぶようにしてやってきた久武親直がこちらも大声で、襲撃者たちに指示をした。

 いかに忠隣が歴戦のつわものであったとしても、数十人の屈強な男たちに囲まれればひとたまりもないであろう。

 それでも忠隣は、己の守るべきものを守らんと、修羅となって襲撃者たちと壮絶な立ちまわりを始めたのである。

 


「うぉぉぉぉぉ!!!」


 

 あまりの忠隣の気迫に押されがちな襲撃者たち。そんな中、久武親直は自ら刀を手にして、

 

「えええぇぇぇい!!!」


 と、忠隣に挑んでいった。

 

 彼もまた、自分の手で壊してしまったものを再び取り返す為に悲壮な決意をもって戦っているのだ。

 

――キンッ!!


 高い金属音がこだましたかと思うと、激しいつばぜり合いが忠隣と親直の間で繰り広げられる。

 

 

「何をぼけっとしている!!背中だ!!背中から斬り殺せ!!」



 と、親直は男たちに忠隣の背中を襲撃するように指示を飛ばす。

 忠隣は親直に抑えられており、まさに絶対絶命の危機であった。

 

 

「しねえええええ!!!」



 その忠隣の背中に一人の襲撃者が襲いかかる。

 

 その時であった――

 

――パァン!!


 という乾いた破裂音がしたかと思うと、忠隣に一撃を浴びせんとした男がばたりと前のめりに倒れた。

 

 

「な…なんだ…?」



 これには親直も目を丸くする。その隙に忠隣は親直を突き飛ばして距離を取った。

 

 親直だけではなく、襲撃者たち全員が訳も分からずにとまどっている。

 

 

 そんな中…

 

 

 彼らの目には、近づいてくる三人の影が目に入ってきたのだった。

 

 

 それは…

 

 

 一人は、純白の上掛けに紺の袴の少年。きりっと引き締まったその表情は、若き日の牛若丸を彷彿とさせる可憐さがある。

 一人は、冷静沈着な表情で片手に銃を持つ男。それは誰も見た事がないほどに、小さく改良された火縄銃。静かなその雰囲気はその存在すら雨上がりの今宵のおぼろ月のようだ。

 そしてもう一人は、すらりと背の高い美女。着物のすそを巻くしあげ、その手には大きな薙刀。わずかな光に照らされたその横顔は彼女の美麗さを引き立てている。

 

 

 そのいかんともしがたい圧倒的な存在感に、襲撃者たちは思わず息を飲んだ。

 

 そして三人の真ん中にいる少年が空を切り裂くような声で告げたのだった。

 

 

「われこそは、豊臣右大臣秀頼である!!!

狼藉者たちよ!!大人しく手にした刀を置くがよい!!」



「と…豊臣秀頼だと…」



 その名前に驚いたのは久武親直だけではなかった。襲撃者たちも元はいずれかの大名家に属していた武士たちだ。豊臣秀頼の名前を知らないものなど、誰一人としていなかったのである。

 そして彼らはその名前を聞いた瞬間から、戦意を失っていた。

 なぜなら彼らの雇い主である久武親直からは「天下の大罪人である大久保忠隣の不正を暴く為の大仕事」と聞いており、まさか徳川将軍家と親戚関係にある豊臣家の当主と対峙するなど思いもよらなかったからだ。

 

 しかし…

 

 そんな中、親直だけは、上げた拳を下ろす訳にはいかなかった。

 

――ここで失敗したら、二度と盛親様の再興はありえない…!なんとしても大久保忠隣を貶めなくては…


 わずかの間ではあったが、彼はその頭を懸命に回して、その場を乗り切る知恵を絞った。

 

 そして一つの結論に到達したのであった…

 

――ここで豊臣秀頼を殺し、その濡れ衣を大久保忠隣に着せればよいではないか!


 あまりにも安易で愚かな考え。もし以前の「土佐の切れ者」と呼ばれた彼であれば、すぐにそれを思い直したであろう。

 しかし今の彼にはそんな余裕など全くなかった。

 

 

「うわあああああああ!!」



 と、一直線に秀頼に向かって飛び込んでくる親直。

 彼のその目をじっと見つめる秀頼。

 

 それは親直が秀頼に向けて刀を振りかぶったその瞬間であった…

 

――なんだ…その目は…


 親直は秀頼の目に浮かぶ色を見て、思わず胸を打たれてしまったのだ。

 

 それは…

 

 

 「哀しさ」を映した色だった…

 

 

 何も知らないはずの秀頼が、あたかも全てを理解しているような色…

 

 

 そしてその上で、親直を包みこむような優しさを携えた哀しい色…

 

 

 その瞳に、親直は吸い込まれていった。

 

 そして…

 

 彼の視界はいつの間にか天を仰いでいた。

 

 刀さえも抜かずに、秀頼は親直の刀をかわした瞬間に、彼を素手でひっくり返した。それは、その場の全員が思わず見惚れてしまうほどに、鮮やかで美しい体術であった。

 

 そして、仰向けに倒れた親直の顔を上から覗き込む豊臣秀頼は、穏やかな口調で言った。

 

 

「もはやこれまでじゃ。観念せよ。

お主はお主なりの事情があって狼藉におよんだのであろう。その事情は後でゆっくり話すがよい」

 

 

 秀頼のその言葉は、親直にとっては、さながら憑き物を落とすかのようであった。

 そしてうっ屈した何かに覆われていた彼の心が徐々に澄み渡っていくと、思わず彼の瞳からは涙があふれてきた。

 

 

「申し訳ございませぬ…それがしは…それがしは…あああああっ…」



 解き放たれた彼の心から溢れて止まらない嗚咽が江戸の夜空にこだます。

 

 いつの間にか分厚い雲は少しずつではあるが、その姿をいずれかに消していた。

 そして大きな月が顔を出すと、燃え上がった大久保屋敷を冷ますように、さんさんと光の雨が降り注いでいたのであった。

 

 

 しかし…

 

 

 これで一件落着ではなかった…

 

 

――ドスッ…



 それは秀頼が顔を上げた瞬間であった。

 

 鈍い音が近くでしたかと思うと、「うぐっ…」という呻き声が、未だ仰向けのままの久武親直の口から漏れてきたのである。

 

 

「曲者!!」


 

 その瞬間、明石全登が叫んだ。

 そして、素早く弾を銃に込めて

 

――パアン!!


 と、闇夜に向けてそれを撃った。しかしそれは命中しなかったようだ。

 直後にガサガサっと音がしたかと思うと、月夜に浮かんだ黒い影が大久保屋敷から逃げるように去っていった。

 

 

「おい!大丈夫か!?」



 秀頼が思わず大きな声で親直に話しかける。

 その彼の喉には深々と小刀のようなものが突き刺さっていた。

 

 

「触るな!!秀頼殿!!それは毒だ!!」



 甲斐姫が思わず仰向けになった直親を抱きかかえようとしている秀頼に対して、雷鳴のような声をあびせると、秀頼は思わず一歩後ずさった。

 直親の喉元に刺さっている小刀のような刃物は、忍の者が使う「くない」と呼ばれているもののようだ。

 喉の傷そのものは深手ではあるが、致命傷ではないようで、直親は未だ意識自体はあるようだ。

 それでも即効性のある毒のせいで、その体を起こすことはかなわず苦しそうに息を荒くし、口から血をはきだしている。

 

 そんな親直は何か言おうと口をぱくぱくさせている。

 

 無念そうに大粒の涙を流す彼を見て、秀頼は危険を承知で彼の口のもとに耳を寄せた。

 

 

「も…盛親さまを…長宗我部盛親さまに…ぐっ…」


「盛親殿か!お主は盛親殿の知り合いと申すのか!?盛親殿に伝言を残したい、そう申すのか!?」



 親直の正体を未だに知らない秀頼は、学府にいて今は大岩祐夢と名乗っている長宗我部盛親の名を聞いて驚いた表情を浮かべた。

 

 息も絶え絶えに親直はうなずく。そして最後の力を振り絞って言った。

 

 

「どうか…不忠者の久武親直を…お許しくだされ…盛親様のお幸せを…願っております…と…」


「その願い…確かにこの豊臣秀頼が請け負った!

それに盛親殿は毎日、笑って子供らと過ごしておる!!安心せよ!その笑顔も必ずやわれが守ろう!」



 親直の目の焦点はもう合っていないのであろう。しかし、必死に秀頼の瞳を見つめる。そこに嘘偽りがないかを確かめるように…

 

 そして…

 

 彼は安堵の表情を浮かべると、そっと目を閉じた。

 その脳裏には一体どのような光景が浮かんでいるのだろうか。

 

 

「ああ…土佐に…故郷に…帰りたい…」



 そうつぶやいた彼はそこでこと切れたのだった――

 

 

 

 こうして大久保屋敷で起った騒動は、襲撃者の頭である久武親直の死によって幕を閉じた。

 

 結局大久保家側は、門番をしていた者も含めて誰一人として死者はなかったようだ。それは久武親直の「誰一人として手討ちにしてはならん」という指示があったことが大きかったようだ。

 そして、屋敷の一件が片付いたその頃、あばら家にて囚われていた大久保彦左衛門も、駆けつけた大久保忠常と江戸町奉行たちの手によって救出されたのであった。

 しかしこの騒動の黒幕は最後まで分からず終いであった。

 なぜなら襲撃者たちはみな死んだ久武親直に雇われた身であり、彼が誰の指示によって大久保忠隣の罪をでっちあげようとしていたのか知る手掛かりがなかったのである。

 

 なお、最後まで子供たちを守るために体を張った大久保彦左衛門はその功績が認められ、晴れて碌が加増されることとなった。

 また、子供たちは再び狼藉者に狙われる事もあり得る為、将軍秀忠の指示によって、彼らの暮らす寺が完成するまでは、江戸城の中にその住居があてがわれたのであった。

 

 

 そして夜が明けた――

 


………

……

 

 慶長11年(1606年)4月1日――

 


「どうであった?彦左衛門の様子は?」



 それは朝げの時の事。

 大久保忠隣は、どこか不機嫌そうにしながら、そう息子の大久保忠常に問いかけた。

 

 

「ええ。怪我はひどいようですが、無事に目も覚まされ体も起こされておりましたよ」



 そう忠常は笑顔で答える。

 

 

「ならばよい。まったく…剣も槍もまともに扱えぬくせして、狼藉者たちに挑みにいくからかような事になるのだ」



 そっぽを向いてはいるが、どこかほっとしたように肩の力を抜いた忠隣。その様子を見て、忠常の妻はとぼけた調子でたずねた。

 


「あら?義父上(ちちうえ)様。そのようにご心配なのでしたら、自らお見舞いにいってあげればよろしいのに」



 その言葉に顔を赤くして忠隣は抗議する。


「うるさい!あやつはもうこの屋敷の人間ではないのだ!どうして俺があやつの屋敷まで足を運ばねばならんのだ!」


「まあまあ…強情だこと…」



 そう彼はまだ昨日喧嘩別れをして自分の屋敷に戻った彦左衛門の事を許しておらず、一方の彦左衛門も世話をしてくれる人々がいる大久保屋敷ではなく、隣の自分の屋敷にて養生していたのだ。

 その彦左衛門は、つきっきりで太助が看病をしているらしい。

 


「いいから膳部を下げよ!まったく…」



 忠隣がそう言って再びそっぽを向くと、忠常とその妻は互いに目を見合わせて、くすりと笑っていた。

 

 …とそんな時、

 

「忠隣様、忠常様。ご挨拶にまいりました」


 と、おりんが部屋の外から声をかけてきた。

 この日朝から子供たち全員で江戸城に移ることになっており、早くも用意を整え終えた彼女らが、出立の挨拶にやってきたのであった。

 

 忠隣、忠常、そして忠常の妻の三人は、子供たち全員が見渡せる場所まで足を運ぶと、三人とも一人一人の顔をじっくりと見た。

 みな晴れ晴れとした顔をしており、この屋敷に来た頃のような卑屈なものは欠片すらない。

 

 そんな彼女らに忠隣が代表して声をかけた。

 

 

「これから達者に暮らすのだぞ。みな良い奉公人になるのだぞ」



――はいっ!!


 子供たちは元気な声でそう返事をする。

 最後におりんが深々と頭を下げると、

 

「お世話になりました。どうか皆さまにおかれましても、お達者で」


 と、透き通った声で挨拶をしたのだった。

 

 

「ではお見送りをしてまいります」


「それがしも行こう」


 と忠常の妻と忠常は、子供たちとともに屋敷の門の方へと歩いていく。

 忠隣は一人、その背中を見ながらつぶやいた。

 

 

「みな…笑顔で幸せになるのだぞ」



 と…

 

 

 

 子供たちは大久保屋敷につめている小姓の数名が、護衛役として江戸城まで先導していくようで、その小姓たちはすでに門の前で待っている。

 彼らに付き添いを託した忠常と忠常の妻は、笑顔で子供たちを見送った。

 子供たちはみな忠常の妻になついており、中には泣いてしがみついている者たちまでいる。

 そんな彼らを優しくなでた忠常の妻は、

 

「みな言うことを聞いて江城にて暮らすのですよ。そして、いつでも遊びにきなさい。菓子など用意して待っておりますから」


 と、穏やかな口調で諭すと、そっとその背中を押した。

 

 こうして、子供たちはみな後ろ髪を引かれるようにして、先導役の小姓たちに連れられて江戸城への道へと消えていったのだった。

 

 

 しかし…

 

 

 一人だけその足を隣の屋敷で止めた者がいた。

 

 

「どうしたのだ…?おりん?」



 そう、それはおりんであった。

 

 足を止めた彼女と、先を行く子供たちの距離はどんどん離れていく。

 

 すると彼女は、驚く忠常とその妻に向けて明るい声で言った。

 

 

「彦左衛門様は、おりんにこうお命じになられました。

『幸せに暮らすのだ』と…

だから、おりんは幸せになると決めたのです!」



 そんな彼女の顔には…



 輝く笑顔――



 それは大久保彦左衛門と大久保忠隣ら、三河武士たちが己の命を懸けてまでも守りたかったものだ。



 そして、彼女はその屋敷の中へと消えていった。

 

 その新しい江戸の町にそぐわない、今にも壊れてしまいそうなぼろい屋敷の中に――

 

 

 江戸の町はこの日も笑顔で溢れていた。

 

 それはこれから先の希望を『夢』に見た、まぶしい笑顔であった。

 

 

大久保彦左衛門の妻は、武田逍遥軒の娘であり、彼らの間には二人の息子が生まれます。

最初の息子は1608年生まれの為、恐らくこの頃に一緒になったのではないかと思い、このような物語を作りました。


江戸の文化を作ったのは、確かにこの三河武士たちの気質があったからであり、彼らの事を抜きにして「江戸っ子」や「下町文化」を語ることは出来ないのではないか、というのが私の持論になります。


さて、次回はいよいよ長かった秀頼の江戸訪問記のラストになります。


このシーンが書きたかった為、このタイミングで明石全登を大坂城に戻したのです。


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