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あなたを守る傘になると決めて…㉝三河武士な人々(2)

◇◇

 慶長11年(1606年)3月30日ーー


 この日の午後から俺、豊臣秀頼は、徳川秀忠の側近である大久保忠隣と忠常の親子との会談に臨むことになっている。

 徳川家を内から切り崩す為の画策でもあるのだが、それ以上に歴史の偉人たちとの出会いに俺は心を躍らせていたのであった。


 しかし…


 この時俺は知らなかったのだ…


 彼らが「三河武士」と呼ばれる者たちの典型とも言える人物たちであり、その三河武士は、後世になってこう揶揄されていたことを…


ーー天下一めんどくさい武士





………

……

 俺の迎えに、わずかな時間だけ遅参した大久保忠常だったが、それでも彼は俺に「叱れ」といったきかなかった。俺は躊躇した上で形だけの叱責をしたわけだが、思えばこの時に気付くべきであった…


ーーああ…この人たちはこれが普通なんだ…


 と…


 しかしそんなことは露とも思わず、


ーー大久保忠常は生真面目な人なのだなぁ


 くらいにしか思っていなかったのである。


 今日はどんよりとした曇り空。

 それでも先ほどまでは薄日が雲の合間からさしていたのだが、今はそれすらなくなり、いつ雨が降り出してもおかしくないほどに、厚い雲にあたりは覆われていたのであった…



 さて、ようやく自分の屋敷へと案内を始めた忠常に対して、俺はふと疑問に感じたことを問いかけた。

 それは彼が遅参した理由だ。

 こんなにも生真面目な彼が、わずかな時間とは言え遅れるとは考えにくく、きっと何か理由があったに違いない。

 そんな軽い気持ちで、その理由を問いかけたのである。

 するとその質問に、忠常はくるりと俺の方に振り返って、さっと顔を青ざめさせた。



「これは申し訳ございませんでした。

遅参したことの理由をお話しもせずに、そそくさと案内を始めるなど、なんたる失態にございましょう!

豊臣右大臣殿!それがしをお叱りくだされ!」



 急に大声を上げられた事もそうだが、その内容に目を丸くした俺は、


「ややっ!?これはかたじけない!

別に責めているわけではないのだ!われは単に興味があっただけで…」


 と、なぜか必死に弁明を始めた。

 特に無礼にも感じておらず、そんな細かい事にいちいち叱っていたら、かえってこちらの身がもたないではないか…


 しかし俺が必死になればなるほどに、忠常もまたかたくなになっていった。

 


「豊臣右大臣殿!お叱りくだされ!」



 彼自身の気質なのか、それとも三河武士そのものの気質なのかは分からない。

 とにかく少しでも曲がった事があれば、叱責を受けないと気が済まないらしく、忠常を足を止めて、頭を下げ続けているのだ。

 

 そして、さすがの俺でもこの時点で気付いたのだった。


ーーこれは会話に苦労することになりそうだ…


 と…



………

……

 再び形だけの簡単な叱責をし終えた俺に、忠常は俺の横に並ぶようにして歩きながら、遅参の理由をぽつりぽつりと話し始めた。


 どうやらその理由は単純で、彼が自分の屋敷に出る前に、彼の父親、つまり大久保忠隣と、忠常の大叔父である人の二人が大喧嘩をしていたそうだ。その仲裁をした忠常であったが、双方の歩み寄ることもなく、ついには互いに槍を持ち出す始末だったらしい。


 あまりに物騒な話しに、俺は顔を青ざめさせながら問いかけた。



「それは、大変な…して、それを忠常殿が収めたというわけだったのだな…?」



 その問いに忠常は、気恥ずかしそうに頬をかきながら答えた。



「いやはや…なんともお恥ずかしい話しではございますが、結局おさまりがつかず、むしろ手にした槍で一突きにせんと、互いに身構える始末…」


「なんと!では、今も互いに槍を持って睨み合っているというのか!?これは急がねば、大変なことになるのではあるまいか!?」



 これは一大事だ。

 万が一、忠隣が怪我でもしたとなれば、彼との友誼など深められるはずもない。

 俺は焦って思わず声を大きくして忠常に詰め寄った。

 しかし、当の忠常は苦笑いを浮かべながら、あたかも日常茶飯事の事とでも言わんばかりに、穏やかな口調で答えたのだった。

 


「ははは…そうおっしゃっていただくとは、ありがたいことではございますが、ご心配にはおよびませぬ」


「むむっ!?それはどういうことだ?」



 思わず眉をしかめた俺に対して、忠常はその後の言葉を濁すように答えた。

 


「屋敷までお越しいただければ、お分かりになられると思われますゆえ…」


「そ…そうか…」



 非常事態であると思いこんでいる俺に対して、忠常には全く焦っている様子がない。

 俺は今日の曇り空と同じように、心にもやもやとしたものを抱えたまま、彼に並んで歩いていったのだった。

 

 

………

……

 江戸城を離れてから四半刻(約30分)ほどすると、ひと際活気のある場所に出てきた。

 ずらりと店が並び、町人やら刀を腰に差した武士やらが、それらの店に集まって、店主たちと大笑いしながら買い物をしている。

 そこだけは堺の街でも見たような、商売の賑やかさが感じられるのである。

 

 不思議と心が躍り出すのは、俺がもとよりこういった活気のある街の様子や、人々の笑顔を見るのが好きなのからかもしれない。

 俺は先ほどまでの心の雲が晴れたような、明るい気持ちになって辺りをきょろきょろと見ながら歩いていた。

 

 しかし…

 

 何件か見ているうちに、俺はとある事に気付いた。

 

 それは…

 

 

「なあ、忠常殿。ここらは全部『魚屋』しかないように見受けられるのだが、八百屋や呉服屋などはないのか?」



 そう、見事なまでに店先に並んでいるのは全て魚や貝などの海産物だけなのだ。

 確かに近くには海があり、多くの船がつながれているのが分かる。

 その中には漁船もきっとあることであろう。

 しかし、ここまで魚屋が並ぶ必要はあるのだろうか…と目を疑ってしまうほどに、道の両脇が魚屋だらけなのだ。

 

 そんな驚く俺に対して、忠常は再び答えづらそうに言ったのであった。

 

 

「いやはや…お話しするのもお恥ずかしいのですが、こちらは父上と大叔父上が喧嘩をした結果でして…」


「なんと!また喧嘩か!?」


「はい…」



 そう答えた忠常が言うに、実はここにずらりと並んでいる魚屋は、全て大久保忠隣とその叔父の二人が、彼らの居城である小田原城の周辺から連れてきた魚屋たちなのだそうだ。

 俺から見て左手の道ぞいは全て忠隣が、そして右手の道ぞいはその叔父がそれぞれ連れていたとのこと…

 

 

「なぜ…一件の魚屋だけ連れてくればよかろうに…」


「確かにそうなのですが、『活きのいいアジは丸屋に限る!』と父上がおっしゃれば、大叔父上が『何を言うか!アジと言えば一の屋に決まっておろうに!』と聞かず…

ついには『では、二つともに江戸に呼びよせて、どちらに軍配が上がるかやってやろうじゃないか』と…

どちらかに人気が出れば、どちらかは小田原にそそくさと帰っていくことだろうと思っている様子でございます。

すると魚屋も『そんな事を言われちゃ、引き下がれねえ!決着つくまでとことんやってやらあ!』と、互いに向かい合うようにして店を構えたのでございます」


「なに…ということは、向かい合って同じもので商売しているというわけか!?」


「それだけではございません…『鯛なら』『貝なら』『海老なら』と種類によって互いに張り合うものですから、どんどん魚屋だけが増えていった次第でございます」


「ま…まことであるか…」


「はい…」



 全くもって信じられない話しだが、確かによくよく見てみれば各魚屋には向かい合うようにして同じような種類の魚やら貝やらが並んでいるように思える。

 そして互いに他方の店先にいる客に対してその背中から、

 

――うちの方が安くて新鮮だぜ!


――うちならさらにこのイワシもおまけするよ!


 など大きな声をかけて注意を引こうとしている。

 どの店も「一度受けた喧嘩で引き下がるわけにはいかねえ!」と言わんばかりに、良い品を安く売っているのだろうから、おのずと人々が集まってくるのであろう。

 それが結果となって活気として町を彩っているのだ。

 叔父と甥の他愛もない喧嘩で、一つの魚屋の町が出来てしまったことに、俺は目を丸くせざるを得なかった。

 後で板倉重昌から聞いた話しなのだが、この辺りは彼ら二人が多くの魚屋を連れてきたことから「小田原町」と呼ばれているらしい。

 そして、後世ではその町名を変えて「築地」と呼ばれ、魚市場として賑わうことになるのだが、それはまた別の話しだ。

 

 この時点で、何やら面倒な事に巻き込まれそうな予感が、ひしひしと伝わってくる…

 しかし、俺にとってはこの大久保親子と良好な関係を築く千載一遇の絶好機なのだ。

 今更後に引く訳にもいかないだろう。

 

 そんなある意味で悲壮な覚悟を決めて、賑やかな町を眺めながら進んでいったのだった。

 

 

 さて、そんな魚屋街を抜けていくと、立派な武家屋敷が並ぶ街並みが見えてきた。

 ここら一帯は昨日、板倉重昌から案内を受けた通りに、埋め立てられた土地で、水害の恐れも低いことから、多くの武家屋敷が割り当てられたらしい。

 

 その中でも一際目を引く、大きな屋敷…

 

 それが徳川秀忠の側近、大久保忠隣の住む、大久保屋敷であった。

 

 

「おお!ここが大久保家の屋敷であるか!大きいのう!」



 俺は目を輝かせてその屋敷を見上げた。そんな俺の様子を、忠常も自分が褒められたかのように嬉しそうにしている。

 そして俺がここに来る前に懸念していた、忠隣とその叔父との大喧嘩はどうやら収束したのだろうか。

 屋敷の門の前には小姓らしき門番が真面目な顔をして立っており、中をうかがい知ることは出来ないが、外見は厳かで静かな雰囲気そのもに包まれていた。

 

 …と、その時であった。

 

 

「むむっ?あの屋敷はなんだ?」



 ふと大久保屋敷の隣を見ると、新しい江戸の町にはふさわしくないような、ぼろくて小さな屋敷が目に入ってきたのだ。

 もちろん大久保屋敷の他の屋敷もみな新しい建材で造られたものばかりで、見た目からして綺麗な屋敷ばかりなのだが、どうもこの屋敷だけは、あからさまに建てられてから何十年も経っているように思えてならなかった。

 

 すると忠常は、いたって真面目な顔つきで答えた。

 


「あちらがわが大叔父上の屋敷にございます」


「あれが…」



 徳川譜代の武将たちの中においても、大久保家と言えば特に重きをなしたお家だ。その大久保家の一族にあって、なぜあのようにいかにも強い風が吹けば壊れてしまいそうな屋敷を構えているのだろうか…

 しかも同じ一族であれば、むしろ隣にある立派な屋敷の中で住めばよいのではないか…

 

 様々な疑問が頭によぎる中、それが口について出てくる前に忠常が話し始めたのであった。

 

 

「亡き太閤秀吉殿より江戸への移封を命じられて、大御所様が二百五十万石の大大名となると、大御所様は家臣たちにも今までの働きに応じて碌を増やされ、新たな屋敷を江戸に建てさせたそうです。

そんな中、大叔父上だけは、碌も断った上で、三河国にあった古い自分の屋敷を取り壊し、全てその木材を持って江戸に屋敷を構えられたのでございます」


「どうしてじゃ…?」


「槍働きもせずに碌を増やし、その上、屋敷も新しくなれば、慢心するに違いない。

こうしてわれら三河武士たちを骨抜きにするのが、秀吉の策。

そうにも関わらず、それに踊らされて喜ぶなど、まるで餌を与えられた犬に等しいではないか。

わしは犬ではない、武士であるゆえ、碌も新たな屋敷も断る!

しかし、三河から江戸に移れという殿の命には、従わねばならぬゆえ、三河の屋敷を取り壊したのだ!

…と、おっしゃっておりました」


「な…なるほど…」



 何と言う頑固で痛烈な言葉であろうか…

 これを他の徳川家の家臣が聞けば、烈火のごとく怒られても文句は言えないであろう。

 

 俺は苦笑いを浮かべるより他なかった。

 そして「小田原町」のこと、そして「ぼろ屋敷」のこと、この二つの話しで確信したのである…

 

 

――この屋敷に入れば、絶対に面倒な事に巻き込まれる!


 

 と…

 

 そして自分の足が門をくぐる前に、最後に忠常に対して問いかけた。

 

 

「ちなみに、その大叔父上の名を教えてはくれまいか」



 その名前は…

 

 

「大久保彦左衛門でございます!」



 後世に「天下のご意見番」と称され、徳川秀忠や家光に対してでさえも、歯に衣着せぬ物言いで諫言を繰り返したとされる人物。

 同時に「三河物語」の作者でもあり、生涯に渡って三河武士を貫き通した人…

 

 大久保彦左衛門その人であった。

 

 

 そしてこの人物との出会いが、後の俺の人生に大きな影響を与えるのだが…

 

 この時はまだ気付くはずもなく、その名前に内心びくびくしながら、大久保屋敷の中へと入っていったのだった。

 

 




東京都中央区にある「築地」周辺は、その昔は「小田原町」と呼ばれていたそうです。


近くに屋敷を構えた大久保氏(現在の浜松町駅の貿易センタービル付近)が、居城の小田原城の周辺の魚屋を呼び寄せたことが、その名前の由来だそうです。


大久保忠隣と大久保彦左衛門が喧嘩して作らせたというのは、私の創作ではありますが、本当にしてそうな気がします。


なお、大久保彦左衛門については、歌舞伎でも演じられたりTVの時代劇の主人公にもなるなど、ご存じの方も多いかと思います(相棒の魚屋、一心太助も有名ですね)。

ほとんどの彼の逸話は、後世に作られた創作とされておりますが、その人気ぶりは、まさに「庶民のヒーロー」に相応しいものだったそうです。


次回は大久保親子そして彦左衛門との「めんどくさいお話し」になります。


これからもよろしくお願いいたします。


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