あなたを守る傘になると決めて…㉙江戸での暗躍(2)
◇◇
慶長11年(1606年)3月29日ーー
豊臣秀頼が徳川秀忠の待つ部屋に入ったその頃、京にある二条の徳川家康の屋敷には、彼の側近の本多正純が訪れていた。
このところ正純は「とある事」に没頭しており、その目処がついたようだ。しかしそのことは家康の指示するところではなく、彼の子飼いの者より他は知るところではないため、その報告に訪れてきたわけではなかった。
人間、四十を過ぎた頃には見た目も性格も丸みと重みを増すのが普通であろうが、彼の場合は鋭い刃物のように、ひたすらに研ぎ澄まされ、触れただけで切れてしまいそうな危うさに磨きがかかってきたのであった。
そんな彼が家康の部屋に入ると、家康本人に加え、その隣には南光坊天海の二人。
この天海だが、ところますます家康の側にいることが増えてきた。
無論、今から二年前に、天海が連れてきた斎藤福という女性が、まだ竹千代と呼ばれている徳川家光の乳母となったことも影響しているのかもしれない。
なおこの斎藤福という女性は、かの明智光秀の側近、斎藤利三の娘であり、後に春日局と呼ばれるようになる。
そして秀忠の死後は天海の助けもあり、大奥にいながら江戸政権を完全に掌握するほどの絶大なる実権を握るのだが、それはまた別の話だ。
さて正純がいつも通りの澄まし顔で部屋に入ってくると、家康の方から切り出した。
「ふん!ようやく顔を出したかと思えば、何やらわしに文句でもありげな顔をしおって…」
正純としてはいつも通りの表情をしていたつもりであったが、長い付き合いとなる家康には手に取るようにその心持ちが分かるようだ。
一方の正純も、そんな図星の指摘に対しても、まるで驚くこともなく、むしろ説明する手間が省けたくらいにしか思っていない。
「ええ、今日は殿にうかがいたいことがございましたので、ここに参りました」
「なんじゃ?回りくどいのはよしてくれよ。
この歳になると、なんでもせっかちになってかなわんのだ」
こんな主従のやり取りには、天海はいつも全く口を出さない。しかしその代わりに彼は家康とその相手の目をじっと見つめる。
それはまるで心のうちを見透かすような視線。正純はその視線がいつも面白くないが、そんなことをおくびにも口に出すような彼ではない。
正純は家康の物言いに、形式的にクスリと笑うと、早速本題を切り出した。
「では申し上げます。
大御所様、よろしいのですか?豊臣秀頼殿のことを、このまま上様にお任せしてしまって」
その正純の言葉に、家康は苦虫をつぶしたような表情にぴくりと眉を動かす。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味でございます。そもそもこたびの秀頼殿の江戸訪問の意図が、それがしにはどうにも分かりません」
「ふん!婚儀の返礼と、義理の父への顔見せ…では足りんと申すか?」
「かような表向きの理由など…」
正純はそこで言葉を切る。さながら「続きは言わなくてもお分かりでしょう」と言わんばかりだ。
家康は「はぁ」とため息を漏らすと、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「秀頼殿は齢十三の子供じゃ。浅知恵を働かせるような年ごろではないわ。
その上こたびの事は、内密というわけでもなくこのわしに前もって報せにきたのだぞ」
「それに大御所様は板倉勝重殿のご子息を目付けにつけられた…すなわち秀頼殿が何か不穏な動きをしようものなら、たちまち大御所様の知るところになる…と」
「かような状況で一体何を企むというのだ」
「はて…一体何でしょうな…」
正純のどこかとぼけたような物言いに、家康は彼の父親である正信の面影がどうしてもちらつく。
とにかくこの親子は人の裏を読むのも、かくのも好きでたまらないのだ。
幼い豊臣秀頼と千姫が、両親に会いに江戸まで足を運ぶという、一見すれば健気なその旅にすら疑惑の目を向けており、下手をすればその妨害まで進言しかねない。
現に家康が「怪しい」と同意すれば、何かしら秀頼に危害をおよぼしかねない危うさが、本多正純という男からは感じられてならなかった。
なるべく穏便に何事も進める彼の父親の本多正信とは正反対だ。
もちろん家康自身も今回の豊臣秀頼の江戸訪問について、思うところがないわけではない。
しかし黒田如水という比類なき参謀が亡き今、大坂城はまさに骨抜きの状況だ。
家康がいかに歳を取ったとはいえ、世間に疎い淀殿や大蔵卿、それに政治経験の浅い大野治長や真田幸村といった秀頼の周囲で実権を握っているであろう人物たちの浅慮など、自分には通用しないという自負はある。
その自分が「今回の事は気に留める必要なし」と判断したのだから、それを正純の言葉で覆すつもりはない。
しかしそれでも家康の心の隅に、小さな引っかかりがあったのは間違いないのだ。
その引っかかりの正体は一体何なのかは、家康自身も全く分からない。
それでも奥歯に物が挟まったかのような気持ち悪さがここ数日続いており、彼はそんな心を鎮める為に、天海を側においていたのだ。
そうして誤魔化してきたものを、正純は引っ掻き回そうと家康に迫ってくる。
貝のように口を閉ざした家康を見て、今度は正純の方が大きく息を吐くと、こちらもゆっくりと言った。
「誰の入れ知恵かは分かりませぬ…それでも秀頼殿の江戸訪問には何らかの意図があると考えるのが普通でしょう」
「ではなんだというのだ…」
その答えについて、実は薄々家康は気づいていた。
しかし、それを口にすることはおろか、心にも蓋をしてきたのだ。
だが、正純はそれを無造作に開いたのだった。
「上様に自分は『家族である』と念を押しにいった…のではありませんか」
ーーギリッギリ
家康はその言葉に、思わず右親指の爪を強く噛んだ。
不機嫌よりも不安が前面に出ている証だ。
正純はその様子を見て、我が意が得たことを確信して続けた。
「もっと言えば、豊臣秀頼殿は上様の義理とはいえ、息子であること…そして…」
正純はそこで言葉を切った。
その続きは、心に夜叉を抱えた正純であっても口にするのをはばかれたのだ。
それは…
ーー徳川秀忠の実の息子、竹千代の兄である、ということの念押し…
そのことの意味はただ一つ…
ーー秀忠の次の将軍職を継ぐ資格は、豊臣秀頼にもある、ということ…
しばらく沈黙が続く。
いつの間にか降り出した花を散らす雨の音だけが、しとしとと外から聞こえてきた。
そんな中…
次に口を開いたのは…
南光坊天海であった…
「大御所殿。そろそろ本多殿にはお話ししてもよいのではありませんか」
いつもの家康なら、自分の行動を諌めたり、促すような言動には不機嫌になるのだが、この時は違った。
どこか諦めたように肩の力を抜いた家康は、漏らすように言ったのだった…
彼の素直な気持ちを…
「正純よ。わしを愚かと思うてくれても仕方ない。
しかしわしは決めたのだ…」
正純は、その言葉の続きは聞かずとも分かっていた。
しかしそれでも彼は家康の口からそれを聞きたかったのだ。
そんな正純の心を推し量ったかのように、家康は重い口調で続けたのであった。
「わしは竹千代を次の将軍にいたすと…」
本多正純はその言葉に、全身に鳥肌が立ち、心の中で飛び跳ねて喜んだ。
なぜなら…
本多正純は欲しかったのである…
彼がこれから行おうとしていることへの大義名分を…
彼はこれまでの人生、敵の裏を読み、敵を陥れるのが生きがいであった。
しかし天下が落ち着いた今、その生きがいが失われていくことに、彼は物足りなさを感じていた。
むしろ生き甲斐がなくなれば、飢えるのが人の本能というものだ。
彼の「人を破滅に陥れる衝動」は、この頃いかんともしがたいものとなっていたのである。
そして徳川家康が本多正純に「次代の将軍は竹千代に」と吐露したことが持つ意味…
それは明確であった…
ーー豊臣秀頼を陥れるしかあるまい…
それより他なかったのである。
そして本多正純は、家康に対して、さらにお墨付きを得ようと、その舌を軽い調子で回した。
「しかしそれでは亡き太閤との『秀頼殿が成人したそのあかつきには、天下を秀頼殿にお譲りする』とのお約束を破ることになりましょう。
それを騒ぎ立てる者たちは、必ずや徳川に牙を剥くかと思われますが、その者たちはいかがするのでしょう?」
その事に対して、家康は目をつむり何も答えない。
その代わりに、正純は自分で自分の問いに答え始めた。
「そうなれば、騒ぎ立てる前にどうにかするより他ありませんな…
それでも歯向かう者を手討ちにするのは、何かと風聞がよくありません。
手っ取り早く病にでもかかってくれればよいのですが…」
その言葉に、家康はカッと目を見開く。
正純は…
ニヤリと笑っていた…
「そう言えば大御所様…ご存知でございましたか?
疱瘡なる死をもたらす病は、他人から他人へ感染る病なようで…」
「お主…何を考えておる…」
「ふふふ…いえ、何も考えてなどおりませぬ。
ただ単に、天下を乱す輩には悪い病にでもかかってしまえばよろしいのに…
そう思っただけでございます」
「思っただけ…とな…」
「はい…思っただけのこと」
その言葉の後に正純はすっと立ち上がると、部屋を退出すべく襖の方へと移った。
そして最後に、未だに目を大きくしている家康に対して問いかけたのであった。
「ちなみに竹千代様を上様の跡継ぎとされる件については、上様本人はご存じなのでしょうか」
その質問をした正純にどんな意図があるのか判断がつかなかった家康であったが、素直に首を縦に振った。
「ああ…もう伝えてある」
「ではそのことに上様は何とおっしゃっておられたのでしょうか?」
「わしの願いの通りに事を進める、とのことじゃ」
その答えに正純の顔にますます喜色が浮かぶと、彼は最後にぼそりとつぶやいた。
「これで心置きなく、事を進めることが出来ます」
一体何を進めるというのか…家康がそんな問いをする間もなく、正純はその場を後にしたのであった。
………
……
本多正純が立ち去り、再び天海と二人となった家康は、どこか気の抜けたように壁を見つめていた。
しばし沈黙が続く…
そして沈黙を破ったのは、再び天海であった。
「いかがですかな…?」
その短い問いかけに、家康は眉をしかめて問い返した。
「いかがとは、どういう意味じゃ?」
天海の表情は、いつも通りの明鏡止水。もがき苦しみ続けている家康とはまるで正反対のように、まるで全ての修羅場を潜り抜けてきたような顔だ。
そしてそんな天海は、先ほどとは全く変わらぬ口調で答えたのであった。
「不本意ながらも一度は主家と仰いだ家にその弓を引く心境は…ということじゃ」
その言葉に再び家康の目が見開かれた。
そしてさながら嫌味を言うような粘り気のある口調で答えた。
「さあ…どうかのう…それはお主の方がよく分かっているのではないか?天海殿」
「カカカ!面白い事を言いよるお方じゃ!僧侶であるわしに、かような事が分かるわけもなかろう」
「ふん!それを言うなら、主家に弓を引いた覚えなどないわ!」
「では、豊臣はどうされるおつもりなのかな?」
その問いには家康は答えなかった。
なぜなら答えを持ち合わせていなかったのも事実である。
しかしそれは究極的には二つの選択肢しか残されていないのだ。
――「存続」か「取りつぶし」か…
もちろん孫の千姫のこともあり、あまり手荒い真似をしたくない。
天下泰平が約束されるのであれば「東の仕置きは徳川、西の仕置きは豊臣」と、天下二分もやぶさかではないのではないか。
しかし、それは家康自身の本心であったのだろうか…
自分の中の醜い何かが浮き出ては消え、また浮き出ては消えを繰り返しているのが、家康自身にも良く分かった。
この時彼が、その浮き出てきた何かによって心が支配されなかったのは、ひとえに彼の経験や才能によるところが大きかったのであろう。
それでも彼は、「もうこの心の病は治ることはないであろう」とまで覚悟を決めてしまっていた。
なぜなら彼はこの頃、ようやく一つのものを持つことが出来たからであった。
それは彼の激動の半生の中においては、決して持つことの許されなかったもの。
しかし彼もまた一人の人間であるがゆえ、それを心から欲した。
それこそ…
徳川家康が見た『夢』――
つまり…
――徳川家康の血が繋がった者たち、つまり徳川家が中心となって、この日本の天下泰平を作り続けていくこと…
これこそ家康がこの先短い人生の終盤に差し掛かって、ようやく見出した『夢』の答えであった。
彼は、その『夢』の実現の為に、ためらうことは辞めた。
それでも彼は今までの自分の人生の集大成とすべく、積み上げてきた経験の全てをこの『夢』の実現につぎ込むつもりでいたのだ。
それはまさに、『全てをじっくりと進めること』であった。
決して無理を通さない。道理を持って相手を説き、大義名分のもとに相手を制する。
これが徳川家康という男の培ってきた何よりの実力であった。
つまり彼は「豊臣家をどうするのか」という問いかけに対しては、答えを持ちあわせていなかったのである。
その事を天海はずばりと言い当てた。
「大御所殿がどうされるか…というよりも、豊臣家が頭を下げにくるのを待つ…そういうことですかな」
「…だとしたら、何と申すか…?」
家康はその答えを天海に求めた。
すると天海は、口元を緩めて答えたのであった。
「それは苦しい道のりになりますぞ。しかし、最も道理の通るやり方じゃ。
大御所殿らしいのう」
「ふん!世辞などいらぬ」
「しかし…」
「しかし…なんじゃ?」
天海は目を細めると、これまでにない冷酷な表情で続けた。
「最も残酷なやり方でもございますな」
「残酷…じゃと…?」
「ええ…それではさながら拷問にかけて、相手に自白をさせるも同じ。
物事を正しく見る目がある人がそれを見れば、思わず顔をしかめるに違いありますまい」
そんな事は家康自身も分かりきっていた。
じわりじわりと豊臣家から大名たちを遠ざけ、さらに鉄砲などの武器も厳しく統制する、そして畿内の寺社仏閣の修繕にその財を費やさせれば、おのずと豊臣家の立場は苦しくなっていくであろう。
それは大坂城という小さな鳥かごに豊臣家を閉じ込めて、時折「官位」や「婚儀」などの餌を与えて飼い殺すという事を意味していたのであった。
まだ幼く、いくらでも広がる未来のある豊臣秀頼とその妻千姫にとって、その事がどれほどの苦悩を与えるのか、そんな想像をするだけで家康は吐き気をもよおす。
しかし、それでも彼は自分の『夢』の為に、そうすると決めたのだ。
つまり徳川家康の命によって、豊臣秀頼が二条城に赴き、上座に座った家康に頭を下げさせることの実現を何としても果たすつもりであったのである。
その期限を今より五年と定めて…
それは、史実でいう「二条城の会見」であることは、この時の家康が知ることなどなかったのであった。
そんな家康の固い決意は、天海にも伝わったようで、彼は一つの助言を家康にした。
「写経をなされよ、大御所殿。
写経をしている間は、心が洗われる。苦しみからも解き放たれるでしょう」
「写経か…」
その場しのぎの痛み止めかもしれない、それでも家康は次の日から写経を日課とすることを心に決めた。
それほどまでに彼自身も、無慈悲な歴史の歯車に、追い詰められていたのである。
そして天海は最後にこう言って締めくくった。
「徳川にとっても豊臣にとっても苦しい時が続くであろうが、決して焦ってはなりませぬぞ。
世の中の全てを大御所殿のお味方につけたその時、おのずと豊臣はその膝を屈しましょう。
焦って天下を取り損ねた前例があるということを、ゆめゆめお忘れなきよう…」
そう言うと頭を下げてその場から去ろうとする天海に対して、家康はぼそりと呟く。
「夢を持つということは、かくも苦しきことなのであろうか…」
そして天海は襖の前までくると、静かに振り返って優しく包み込むような口調で言った。
「叶えるまでが苦しいからこそ、それが叶った時に見る景色は美しいのではないかと拙僧は思っております。
負けてはなりませんぞ、大御所殿」
そう言葉を残して、天海は部屋を後にしたのであった。
一人部屋に残された家康。
相変わらず外は雨模様のようだ。
その音が、ますます大きく聞こえてきているのは、雨が強くなったからであろうか。それとも、家康の神経が研ぎ澄まされていたからであろうか。
その家康はさながら目の前に誰かいるようかのように、鋭い視線を壁に向けている。
そして、厳しい口調でつぶやいたのだった。
「負けるものか…わしの人生、必ずや勝って終わらせてみせよう」
と…
この時、家康が心の内で視線を向けていたのは、果たして誰であったのだろうか…
その事は、家康本人しか知るよしもないであろう。
そして…
徳川家康による、『徳川家の天下』を固める動きは、この時からいよいよ加速していくのであった。
最後に家康の心の中に現れた人物は果たして誰だったのでしょうか。
読者様のご想像にお任せしたいかと存じます。
さて、拙作の徳川家康公について、私は「戦国一苦しんだ人」という位置づけにしております。
そして、彼が征夷大将軍に任じられる時と、今回の後継者を指名する時とで、その苦しみの質が異なっていたのではないか、そう考えた次第でございます。
皆様には、この家康公の苦しみがどのように映りましたでしょうか。
さて次回は、江戸に話しを戻します。
 




