あなたを守る傘になると決めて…㉘江戸での暗躍(1)
◇◇
慶長11年(1606年)3月29日――
実は清洲城を出た後は、三河国岡崎城、同国吉田城、遠江国浜松城、駿河国駿府城そして相模国小田原城と移っていったのだが、どこも城主は江戸につめており、これといった出会いもなく、この日、朝一番で本多正信が治める玉縄城を出た俺、豊臣秀頼とその一行は、いよいよ徳川家康の本拠地である、江戸へと着実に近づいていた。
ーーいよいよだ!いよいよ江戸だ!
俺が江戸を訪問しにきた理由は、大きくは三つある。
果たしてその三つが全て達成できるだろうか…
高鳴る鼓動を抑えて、それでも期待に瞳を輝かせながら、東海道を東へと進んで行ったのだった。
そしてついに…
「秀頼殿!!ついに!ついに見えてまいりましたぞ!!あれが江城にございます!!」
「おおおおお!!あれがそうであるか!!いやはや!立派な城であるのう!!」
江城…すなわち後世で言う江戸城の、雄大な姿がいよいよ目の前にその姿を現したのだ。
この頃まだ天下普請の真っただ中であり、その全容はまだまだ建造中ではあったが、五層ある天守閣ははっきりとこの目で確認出来た為、まさに感無量であった。
東海道沿いに江戸の地に入ると、まず左手には大きな池が見えてきた。
不思議そうにその池を見つめていると、おしゃべり好きな板倉重昌が寄ってきて、俺に対して得意げに語りだしたのだった。
「秀頼殿。あちらに見えますのが、『赤坂ドンドン』こと、赤坂溜池にございます。江戸の上水としても使われておられるのですよ」
「ほうほう、しかし重昌殿は京に住んでいるのに、よく知っておるのだのう」
俺が感心したように言うと、本人は「心外」と言わんばかりに、口をとがらせた。
「当たり前にございます!この身は京にあれど、常に心は上様とともにございますゆえ、江戸のことは逐一抑えておる次第にございます!」
「なるほどのう…それは良い心掛けじゃ」
「ちなみに秀頼殿!今秀頼殿が進んでいるこの地は、つい最近までは海であったのですよ」
「なんと!?まことであるか!!」
俺が驚き、目を丸くすると、その反応が気持ち良かったのか、重昌は得意顔に戻して語りだしたのだった。
「江戸城の普請に際して、上様は各大名に命じられて、神田山という山をそのまま削り取ったのでございます。
その土石で、ここ日比谷入江と呼ばれる地を埋め立てたのでございます」
「山を削っただと…それはすごいな…」
そして左手に続く大きな堀沿いに東海道は続いていくと、一本の橋が見えてきた。
「こちらが日本橋にございます!」
「これが日本橋…」
「はい!五街道の起点として、二年前に架けられた橋でございます。ここが言わば、江戸の街の中心となる場所でございます」
「うむ…なるほど…」
後世で言うところの東京の中心といったところであろうか。
しかしこの時はまだまだ街づくりは始まったばかりなようだ。家屋すらまばらな状態で、とても賑わっているとは言い難い様子なのだった。
そして、日本橋がかかる川沿いには、無数の舟が所せましと停泊している。
その方に俺が目を向けた瞬間に、重昌が口を出してきた。
「あちらが行徳からの塩を運ぶ舟でございます」
「塩か…」
「はい!やはり水と塩は、生活していく上では最も肝要。大御所様はこの二つの確保をまずは基本とした街づくりをなさったのでございます。
そして、その目途が立った今、江戸城の防備の強化、さらには町民たちが住まう街づくりを、今度は上様が中心となって行われております」
「なるほどのう…」
現代の東京からは考えられないほどに、未だ広大な湿地帯が日本橋から東には続いている。
どうやら江戸城の周辺や北側は、もとより少しだけ高台にあり、「山の手」と呼ばれているようで、主に大名たちの屋敷が構えられているらしい。
その山の手の下にある為、ここらは「下町」と呼ばれているようで、町民たちや碌の少ない武士や代官たちはこの下町に住んでいるとのことだ。
ただ、その下町も水の心配がない場所となると、出来たばかりの日比谷入江を埋め立てられた場所など、かなり限られているようで、堺や京に比べれば天と地ほどに完成度が低い。
その下町の整備がまだまだ進んでいないのは、やはり河川の問題であろうことは、見れば容易に想像がついた。
少しでも水かさが増せば、たちまち辺り一面水に浸ってしまうのではないかと思われるほどに、無造作な河原が続いているのだ。
恐らくここらが整備されれば、この下町と呼ばれる所は一気に人で溢れかえるであろう。
さてそんな逡巡をしているうちに、俺たちは日本橋の手前で、東海道からそれて江戸城の方へと作られたばかりの道を真っすぐ進んでいった。
すると目の前に大きな門が見えてきた。
「あちらが大手門にございます!さあ、城までもうすぐですぞ!!」
そう重昌が言った瞬間であった。
「おおーい!!秀頼様ぁぁ!!」
という聞きなれた大きな声が聞こえてきた。
そして見慣れた大きな体の男が、右手をぶんぶんと振って俺たちに笑顔を向けている。
それは…
「清正殿!!おお!!なんだか懐かしいのう!!」
そう、加藤清正であった。
どうやら俺たちが江戸に訪問することを予め知っていたようで、大手門の前で待っていたようだ。
そして俺は言葉の通り、彼と顔を合わせるのは久しぶりであった。
実はかの豊国祭礼以来のことで、かれこれ二年ほど顔を合わせていないことになる。
ここ二年、彼はほとんど江戸につめて城の普請に充てられていたからだ。
それはもちろん彼が城造りにおいて類まれなる才能があるから、という都合の良い理由はあったものの、その裏では彼を大坂から…すなわち俺から遠ざけることが、目的であったのではないかと思っている。
つまり大坂での動きに関与させないようにする。
もっと言えば、徳川将軍家に楯つかないように抑えつけるために、清正を江戸に封じるつもりであろう。
現に彼には、京の学府で行われた幕僚会議や、大坂城での評定の内容が伝わっていない。
この状態では、彼を豊臣家の一員として力を発揮してもらうことは、ほぼ不可能と言えるのだ。
しかし、この状態の解消こそ、江戸訪問の一つ目の目的であった。
俺はそれを早速実行に移すことにした。
とは言え、あからさまに彼と俺が二人で密室の中で会談を行えば、たちまちその事は家康に露見してしまうに違いなく、その内容いかん問わずに、より清正の抑えつけが厳しくなるであろう。
そして俺に対するあらゆる監視の目は、特にここ江戸では厳しいに違いあるまい。
つまり清正だけではなく、浅野幸長や池田輝政といった江戸につめている他の大名たちに対しての接触すら、御咎めを受ける可能性が高いのだ。
なお、俺の今回の訪問における宿泊地の全てが、徳川譜代の大名たちの居城であったのは、ひとえに「仮に接触されても内通の恐れがない」からであり、その旅程については、実は徳川家康の二条の屋敷を訪問した際に家康と共に決めたものであったのだ。
そこで俺は、そのことを逆手にとることにした…
つまり「俺に監視の目が集中する」という事を逆手に取ることにしたのだ。
それを実現する為、今回二人の側近をお供にした。
いや、むしろ彼ら二人が清正に不自然さがなく近づけるように、「俺が彼らのお供として江戸に訪問してきた」ということだ。
つまり加藤清正に大坂の状況を伝える為に、俺自身が監視のおとりとなったわけである。
俺が目配せをすると、明石全登と甲斐姫が清正の前までやってくる。
そして全登が代表して清正に話しかけた。
「加藤殿。お久しぶりにございます」
「おお!明石殿か!それに甲斐殿!」
「今日はよろしくお願いいたします」
「ああ!江戸滞在中は、俺の屋敷で寝泊まりするという話しは聞いておる。
自分の屋敷のように使ってもらって構わないからのう!」
「これはかたじけない。では、秀頼様の事は甲斐殿にお任せして、早速荷物を加藤殿の屋敷の方へ運びたいのですが、ご案内いただけますかな」
「おう!相分かった!!しかし、明石殿はちょっと見ないうちに、随分とおしゃべりが上手になったなぁ!
以前なんか、『…かたじけない』の一言くらいしか言わなかったのにな!がははは!!」
そう大笑いしながら、清正は全登とともに、山の手の清正の屋敷の方へと立ち去っていったのであった。
このように俺は、明石全登と甲斐姫を、江戸滞在中は加藤清正の屋敷に寝泊まりさせることにしたのだ。
もし全登が一人で江戸まで来て、清正の屋敷に泊まるとなれば、それはそれで怪しまれるであろう。
しかし俺のお供として江戸を訪問し、江戸に屋敷を持たぬ身分となれば、清正の屋敷を間借りしても何ら不思議ではないはずである。
そして、滞在中の隙を見て彼らの口から幕僚会議と評定の内容と、俺から清正への指示を伝えさせることにしたのであった。
その俺からの指示とは…
――来年(1607年)早々には熊本に戻るように!
というものであった。
その理由とは…
――来年夏には、われは清正殿とともに、薩摩に赴く。その準備を整えよ!
であったのだった…
………
……
さて、加藤清正が自分の屋敷に明石全登を案内していった後、俺と駕籠から下りてきた千姫、そして甲斐姫に千姫の侍女の二人は、引き続き板倉重宗と重昌の兄弟に連れられて、江戸城の本丸の方へと進んでいった。
そしてしばらく進んだその時であった。
「これはこれは、豊臣右大臣殿!千姫様!ようこそいらっしゃいました!!」
そう笑顔で俺たちを迎えにきたのは、俺が見た事がない人物であった。
この時代に珍しく、綺麗に髭をそり、清潔感のある爽やかな顔つきの男だ。年齢は二十代中頃といったところだろうか。
もちろん俺の隣の千姫も同様であったようで、キョトンとした顔をしている。
すると俺たちの前までやってきたその男は、丁寧に俺たちに頭を下げた。
「それがし、大久保加賀守忠常と申します!以後、よろしくお願い申し上げます!」
俺はその名前を聞いた瞬間に、思わず目を見開いた。
「なんと…お主が大久保殿であったか…」
あまりの俺の驚きように、甲斐姫が思わず背中から突いてくる。
もちろんそれは、「それ以上驚くといぶかしく思われるぞ」という警告であったことは言うまでもない。
しかし、俺は興奮を抑えることが出来なかった。
「おおお!!大久保殿!お主がかの大久保殿であったか!!」
そう大声を上げた俺は、思わず彼の手を取って満面の笑みを向けたのであった。
彼は大久保忠常。この時、土井利勝とともに将軍徳川秀忠の側近中の側近として辣腕を振るっていた。
確かに歴史上の逸材であることは間違いない。
しかし、それ以上にこの予期せぬ出会いには大きな意味があったのだ。
なぜなら…
この大久保忠常と出会い、彼との繋がりを持つこと…
これが三つの目的のうちの一つであったからであった。
「と、豊臣右大臣殿!?り、理由は分かりませぬが、かように喜んでいただき、ありがたき幸せにございます。
では、上様と奥方様がお待ちになられておりますゆえ、すぐにご案内させていただきます」
忠常の凛々しい整った顔が、恥ずかしさゆえかほんのり紅潮しているのがよく分かる。
そんな忠常は顔を隠すようにして、俺たちに背を向けて、城内の先導役を務めようと、前を歩き出したのだった。
………
……
「こちらでございます」
「ここは…」
そう俺は驚きのあまりに、思わず漏らしたしまったのも無理はないだろう。
俺たちが通されたのは、なんと江戸城の本丸ではなく、その隣に建てられた西の丸であったからだ。
しかもその部屋は、謁見の間とか評定の間といったような、いかにも政治を行う部屋とは異なり、どこか生活感を感じさせる、のどかな部屋なのだ。
驚く俺を尻目に、大久保忠常は、丁寧に頭を下げると、
「では、それがしはこれにて。
間も無く上様たちがお見えになられます。
それまではどうぞごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
と、その場を離れようとした。
なおこの時、甲斐姫や千姫の侍女たちは、隣の部屋に通されて、そこで待機することになった。
また、俺たちを江戸まで送ってくれた板倉兄弟は、本丸にて、この旅路の報告をしにいったらしい。
そして俺は部屋を出ていこうとする、忠常に対して、軽い調子で声をかけたのであった。
「そうそう、忠常殿!
実はそなたの義理の母上より書状を預かっておるゆえ、明日にでもお渡ししたい。
それにそなたの父上には、以前世話になった件がある。
そこで二人とともに一席設けていただきたいのだが、いかがであろうか」
その提案に、ぴくりと肩を震わせた忠常は、あらためて俺の方へと向き直り、頭を下げる。
「ありがたきことなれど、豊臣右大臣殿は上様の義理の息子とはいえ、他家のお方でございます。
それがしの一存で、その事を決めるのは、豊臣右大臣殿にとってもよろしくはないかと…」
「ははは!忠常殿は真面目なお方であるのう!
よいよい!もちろんこのことは、わが義父殿に話しておくから、安心せい!
ははは!楽しみじゃのう!」
「は…はぁ…さようでございますか…では、父上にそのこと早速伝えます」
「うむ!よろしく頼みますぞ!ははは!」
俺は半ば強引に話しを進めると、忠常は渋々それを聞き入れて、その場を退出していったのだった。
この日もよく晴れた穏やかな日だ。
春らしいうららかな陽射しが部屋に差し込んでくると、旅の疲れもあってか、急に眠気が襲ってくる。
どうやら俺の隣に座っている千姫も同じなようで、うつらうつらしていた彼女はついには、俺に寄っかかって、すやすやと寝息を立て始めてしまった。
そして、俺の意識も少しずつ遠のいていったのだった…
………
……
「ここは…」
ふと目を開いた俺が辺りを見回すと、そこは一面が「白」で覆われた不思議な空間であった。
どうやら自分が夢の中にいるらしい、そんな自覚は持っている。なぜなら俺は今、江戸城にいることをはっきりと覚えているからだ。
しかしそれにしても、かなり現実感のある夢だ…
体の感覚が非常に研ぎ澄まされている感じがする。
その時であった…
「お…お前は…」
少し離れたところに一人…
俺の事をじっと見つめている人がいる。
俺はその人物に見覚えがあった。
その人物とは…
ーー黒のフードの女…
「どうしてここに…そしてお前は一体何者なのだ…」
俺は彼女に大きな声で問いかける。
しかし彼女はその問いかけに答えない。
その代わりに、彼女はぼそりと呟くように言ったのだった。
ーー今のままでは貴方はかなわない…
その言葉はどこか哀しげで、俺の心をドンッと金槌で打ったように、鈍い音ともに揺りうごかす。
「どういうことだ!?俺がかなわない…
徳川家康に勝つことがかなわないということか!?」
すると黒のフードの女は、ゆっくりと首を横に振る。
そして今にも涙が溢れ出てきそうなほどの湿り気のある口調で言った。
ーー貴方の『夢』は徳川家康に勝つこと?
「どういうことだ…?徳川家康に勝たねば、俺は豊臣を守ることが出来ないだろう?」
ーー忘れないで…貴方の…そして貴方の父上の見た夢を…
「俺と父の見た夢…」
そう不思議そうに呟く俺に向けて、黒のフードの女は、とうとう涙混じりの大きな声で叫んだのだった。
ーー忘れないで!太閤の見た夢を!!
と…
………
……
ようやく目を覚ますと、ふと周囲を見回した。
辺りはすっかり夕闇に覆われており、どうやらかなり長い時間寝入ってしまったようだ。そして隣にいた千姫がいないことに気づいた。
「お千?どこへ行ったのだ…?」
そんな独り言を漏らしたその時、一人の小柄な女性が部屋の中へと入ってきた。
「あら?お目覚めね」
「ええ…申し訳ない…こんな暗くなるまで、寝入ってしまって…
ところでお主は…?」
わずかな灯りを頼りにその女性を見る。どうやら歳は甲斐姫と同じくらいのように思える。小柄ゆえか、童顔のその見た目はどこか可愛らしい。
しかしこの顔…どこかで見たことがあるような…
いや、似ている人か…
そして、困惑している俺に対して、ニコリと微笑んだその女性は、自分の名前を明かしたのだった。
「ふふふ、わらわは江です。
秀頼殿の義理の母でございますよ」
「ご…江殿か!?ややっ!これは失礼した!」
俺は未だ寝ぼけていた顔をゴシゴシとこすると、すぐに姿勢を整えた。
そうこの女性こそ、第二代将軍、徳川秀忠の正室にして、千姫の母である、江姫なのだ。
彼女は、俺の母である淀殿の妹でもあり、この時の年齢は三十三。淀殿がすらりと背が高いのに対して、この江姫は随分と背が低くて、華奢な体つきだ。
どこかで見たことがあると思ったのは、恐らくその面影が娘である千姫か、俺の母である淀殿に感じたのだろう。
しかし…
この女性の面影は、どうもどこかで見たことがあるような気がしてならない…
理由も分からぬもやもやしたものを胸に抱えていると、江姫は続けたのだった。
「ふふふ、隣のお部屋で、殿と千がお待ちですよ。
何か食べるものを用意させますゆえ、そこで殿とお話しでもしながら、のんびりなさってはいかがでしょう?」
「そうか…もしかして歓待の宴などを用意いただいていたのでしょうか?」
「いえ、もとより今宵は旅の疲れもあるだろうと、殿が気を回して、宴は明日としておりました。
千は先に起きましたので、わらわたちと夕げをともにいたしましたが、秀頼殿はぐっすりと寝ておられましたゆえ、そっと寝かせておいたのですよ。
ささ、殿が楽しみにしてお待ちです。
どうぞ早く顔を見せてあげてくださいな」
「ああ…ありがとうございます」
隣の部屋に移るように笑顔で促す江姫に対して、俺は軽く頭を下げると、すぐに立ち上がった。
そして彼女に背を向けたところで、彼女には分からぬように口をきゅっと引き締めて、腹に力を入れた。
なぜ俺が固くなったのか…
それは…
ーー俺の江戸訪問の目的の最後の一つ…徳川秀忠に『とある事を確認する』こと…ここでかなえるより他あるまい…
と、心を決めたからである。
俺は熱くなってきた手を隣の部屋へと続く襖にかけると、静かにそれを開けたのだった。
今までのスローな展開に、少しだけアクセルを踏みました。
その中でも、「江戸の街づくり」を一つのテーマとして盛り込んだ次第にございます。
この辺りは久々の「歴史放談」にて、私見を述べさせていただきたいと思っております。
※歴史放談は、私の活動報告にて公表いたします
ではこれからもよろしくお願いいたします。




