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あなたを守る傘になると決めて…㉗大将の器(4)

◇◇

「まさか、そんな状況で守り切ってしまうとはな…

すごいという一言より他ない」



 俺、豊臣秀頼は、忍城の戦いの話しにえらく感心していた。

 そして、大将の存在感の大きさが、戦さの結果に左右するものだ、ということをあらためて痛感したのである。

 そうなるとやはり、大坂の陣も大将である俺の働き次第で、その結果が左右されるのであろうか…

 そして自分が大将として、どう振る舞うべきかという事を、もっともっと探求しなくてはならないと、痛切に感じたのであった。


 神妙な面持ちの俺に対して、甲斐姫がどこか満足そうな顔つきで問いかけてきた。



「何やら感じるところがあったようだな。秀頼殿」


「はい…われも長親殿のように、立派な大将となれるであろうか…」



 そんな俺のぼやきに、甲斐姫はクスリと笑う。既に三十路を迎えた彼女だが、その表情はまるで少女のようで、ほのかな灯りに照らされているその横顔は、「東国無双の美人」に相応しく、美麗なものだ。

 俺はその笑顔に、少しだけどきりとしたのだが、そんな事は口が裂けても言うことなどできないだろう…

 甲斐姫は俺を見つめながら言った。



「人は、絶対に退くことが出来ぬところまで追い込まれなくては、その真価は発揮されん。

普段は勇ましく振舞っていても、その時が来たら引き腰になる人も多い。

すなわち、秀頼殿がその時にどのように振る舞うべきなのか、常にその心の準備はしておかねばならぬぞ。

まあ、その事に今宵気付けただけでも、この酒盛りの意味があったというものだ。ふふふ」


「ありがとうございます」



 俺は思わず甲斐姫に頭を下げると、その頭を彼女はそっとなでた。



「しかし安心せい。わらわは何があっても秀頼殿の味方じゃ。

わらわはついている限り、例え敵が五万で襲いかかろうとも、秀頼殿を守ってみせよう」



 そんな甲斐姫の暖かな言葉に、俺は頬を膨らませて答えた。



「何を言いますか!われが甲斐殿を守るのじゃ!

男であればおなごを守るというのが、武士の精神というものであろう!」


「ほう、秀頼殿が武士を語るか…

それにわらわを守ってくれるというのも嬉しいものだ。ふふ、期待しておるぞ」



 甲斐姫は少し酔っているのだろうか…

 いつになく優しい顔で俺に微笑みかけてくる。


ーーその顔…太閤でなくても、惚れてしまうのは無理もないな…


 と、俺は思わず甲斐姫の顔に見惚れる。甲斐姫も俺から目を離さずに、少しだけ眠そうな目を俺に向けて、じっと見つめていた。


 俺の胸が思わず高鳴る…


 すると…



ーーゴッホン!!



 というわざとらしい咳払いに、俺は思わず我に返った。そんな俺を、成田長季が冷ややかな目で見ながら言った。



「続きをお話ししてもよろしいかな?」


「ああ…頼むよ」



 慌てる俺の代わりに答えたのは、甲斐姫であった。

 彼女もまた、忍城の戦いの後の成田長親のことが気になっていたようだ。


 そして長季は、ゆっくりと続けたのであった。


………

……

 時は慶長年間に入ったその頃。

 すなわち慶長元年(1596年)秋のことーー


 それは武蔵国忍城の中にある、清善寺の一室でのことだ。

 その部屋の様子を見て、その寺の住職である、明嶺理察(みょうれいりさつ)は、困りきった顔で、目の前の男を見つめている。



「まったく…自永斎よ、寺は修行する場であるぞ…困ったものだ…」



 しかしその彼を見る目は呆れというよりも、どこか優しさを映したものであった。

 それはその自永斎という男の人の良さをそのまま映したものであることは、明らかであったのである。

 その理察の言葉に、こちらも困ったように笑顔を向けたのは自永斎であった。

 


「和尚、申し訳ございませぬ。それがしにもなぜかような事になったのか、てんで分からぬのじゃ…ははは」



 そう、この自永斎と呼ばれた「困り顔」の冴えない男こそ、成田長親その人であった。

 彼はかれこれ二年ほど前に、剃髪して自永斎と名乗り、今はこの忍城のほとりにある清善寺で世話になっていたのである。

 

 そして、和尚が苦笑いを浮かべるその理由は…



「自永斎様!どうかおらの悩みを聞いてくだせえ!」


「自永斎様!わたくしの困りごとも聞いてくだされ!」



 この清善寺の自永斎の部屋は、いつも彼に困りごとを相談にくる人で溢れていたのである。

 それらの相談ごともばらばらなら、相談しにくる人も老若男女や身分問わずにばらばらであった。

 農民たちが生活や家族のことで相談にきたかと思えば、町の娘が恋煩いで相談にきたり、武辺者が剣の稽古のことで相談しにくることもある。

 とにかく彼の周りには常に人がいたわけだ。


 

「うむうむ、そう皆でいっぺんに言われても、この身は一つゆえ、困ったのう…いかがしたものか…」



 そんな風に彼が困っていると、そこに一人の少年がひょこりと笑顔で現れた。

 その少年の容姿は淡麗で、自身の利発さを映したようで、明らかに周囲とは異なる雰囲気を醸し出している。

 そんな少年が爽やかな笑顔を見せながら言った。



「はははっ!自永斎殿はいつも困っておられるな!

よしっ!今日はこの俺が一つ力になってやろうではないか!

みなのもの!一列じゃ!一列に並んで一人ずつ相談するのじゃ!」



 そう快活な声で人々に言うと、人々は顔を見合わせながら、その少年の指示に従ったのだった。

 それを見て満足そうな少年。



「はははっ!これでどうだ!」


「うむうむ!さすがは徳川内府殿のご子息じゃ!

これでそれがしの困りごとが一つ解決いたしました!」


「ははは!それはよかった!

して…かくいう俺も困りごとがあってきたのじゃ。

実は嫁の政子のことなのだがのう…やはり鬼の子は鬼というか…」



 そう困りごとをもらしはじめた少年。

 この少年の名は、松平忠吉。この時十六歳になる、なんと徳川家康の四男なのだ。

 母親は西郷局で、かの結城秀康は彼の同母兄にあたる。そして、忠吉はこの時、武蔵国忍城を居城とした十万石の大名であった。

 

 そんな彼も、清善寺に訪れる他の者たちと同じように、自永斎を慕い、私事のことから政務のことまで様々な困りごとを相談しにきていたのである。

 この日はどうやら、彼の新妻である政子…すなわち「井伊の赤鬼」で恐れられた井伊直政の娘とのことで何やら相談しにきたようであった。

 

 

 ところで、忍城の戦いの後の成田家の事だが、領土は没収となったものの、当主の成田氏長以下、家中の者たち全員の助命がかなった。

 その中にあって氏長は蒲生氏郷に取りたてられると、東北の平定にて立派な功績を挙げた。

 そして、その功績が認められて、晴れて下野国烏山城に二万石の領土を与えられて大名に復帰したのである。

 成田長親をはじめ、多くの成田家家臣たちは烏山城に入ったのだが、その後すぐに長親は下野国を出奔したという。

 

 理由は「当主の氏長に、忍城の戦いにおける内通の疑いをかけられたから」というのがまことしやかに噂されたが、果たしてその真相はいかがだったのだろうか。

 

 ところが、一部の家臣からは全く異なる噂話が立っていたそうだ。

 

 

――長親殿が何やら氏長殿に相談しておった


――どうやら長親殿は、『自分がこのまま成田家にとどまれば、家中の派閥争いの火種になりかねないのではないか』とお困りだったそうだ


――忍城の戦いの後、長親殿を慕う者たちばかりだったからのう…


――しかしその相談を氏長殿本人にしてしまうところが、長親殿らしいと言うか…


――そこで長親殿は、自身を裏切り者と仕立てて出奔することで、家中の者たちの心を自分から引き離そうとしたとか…


――ははは!嘘が苦手なお方がかような事をしても、皆にその魂胆を見抜かれてしまうだけなのにのう!


――ははは!それはそうだ!…して、お主はどうするのだ?


――そりゃあ、決まっておろう!


――やはりそうか!よしっ!では、行くか!


――ああ!わが大将は、長親殿しかおらんからのう!!ははは!!



 こうして、長親が烏山城から出ていくと、その後を追うように、ずらずらと多くの成田家の家臣たちが彼の後をついていってしまったらしい。

 

――それがしは領土も持たぬ身!!かようについてこられても与える知行もないゆえ、困ってしまうではないか!


 と、その様子を見て、長親が困り果てていたのは、言うまでもなかろう。

 

 そして、出奔したものの行くあてもない長親と成田家の人々は、かつて皆がお世話になった成田家の菩提寺である清善寺へと身を寄せた。

 しかしいかに菩提寺といえども、こんなに多くの人々を抱えることは出来ない。

 

――どうしたものかのう…困ったものじゃ…


 そんな風に長親が困っていると、そのことを聞きつけた者たちが「長親様の為に!」と鼻息を荒くしながら、一斉に腰を上げた。

 

 まずは、かつて長親を慕い、ともに忍城にて戦った農民たちとその家族であった。

 かつて受けた恩を返そうと、皆で彼の世話を始めたことで、当面の生活に困ることはなくなった。

 もちろん長親自身も彼らの農作業を手伝おうと必死になったが、いかんせん何をやらせても不器用な彼だ。

 農民たちはその心意気だけをありがたく頂戴し、その代わりに何か困りごとがあれば長親が聞き役になるという、言わば普段通りの役回りだけをお願いしたのだ。

 次に、酒巻靭負(さかまきゆきえ)や柴崎和泉守らであった。

 彼らは忍城の戦いの後、成田氏長にはついていかずに、地元に残ってわずかな碌ではあるが、新たな領主の松平忠吉の元で働いていた。

 その彼らのつてで長親の嫡子である成田長季以下多くの成田家の家臣が、松平家で働くことが可能となったのである。

 

 そして若くして忍城十万石の領主となった松平忠吉が、長親の噂を聞いて彼のもとにやってくると、すぐに忠吉は彼に心を開いた。

 

 忠吉は、自身の義父である井伊直政が後見人とは言え、若干十二歳から忍城の城主として務めねばならず、しかも関東二百五十万石の大大名の徳川家康の息子という、これ以上ない重責のもと毎日を過ごす事を求められた。

 そんな忠吉のよき相談相手が、清善寺に入ってすぐに剃髪した自永斎こと成田長親だったのである。

 

 もちろん何度も繰り返すようだが、自永斎は、悩み事を打ち明けられても何ら解決策を助言することはない。

 むしろ悩みを打ち明けられると、自永斎はいつも自分ごとのように困ってしまうだけだ。

 それでも彼に話しを聞いてもらっているうちに、その悩みがおのずと解決してしまうのだから不思議なものだ。

 

 徳川家による忍城を中心とした新たな街づくりが進んで行く中、様々な人々の不安や悩み事があったのは言うまでもないだろう。

 

 自永斎の噂を聞きつけた人々は、こぞって清善寺にある彼の部屋を訪れ、彼もまたその一人一人に対して丁寧に接していった。

 

 こうしてさながら一本の大木に集まる小鳥たちのように、自永斎という巨木の周りには常に人々がおり、笑顔に溢れていた。

 

 

 そして…慶長5年(1600年)――

 

 関ヶ原の戦いで、島津豊久を討ち取るなどの輝かしい武功を挙げた松平忠吉は、尾張国清洲に五十二万石に移封となった。

 

 その引っ越しが迫ったある日の事…

 忙しくてめっきり寺に姿を見せなくなった松平忠吉が、ひょっこりと自永斎と明察の元に姿を現すと、なんと彼らに向けて深々と頭を下げたのである。

 

 

「明察殿と自永斎殿には、清洲に移っていただきたい!そして今後も俺の側で相談に乗って欲しいのだ!頼む!この通りだ!」



 その様子に自永斎も明察も慌てふためいた。

 何せ相手はまだ二十歳になったばかりの青年とはいえ、もはや天下人と言っても過言ではない徳川家康の実の息子なのである。

 そんな彼が必死になって頭を下げているのだから、慌てるのも当然のことであろう。

 

 

「おやめくだされ!忠吉殿!そのように頭を下げられたら、それがしは困ってしまいます!」


「いやっ!良い返事を聞くまでは、頭を上げるつもりはない!!」



 そんな彼の様子に自永斎は、隣の明察の方を目を丸くして見る。

 明察も自永斎と目を合わせると、深いため息をついて忠吉に答えたのであった。

 

 

「分かり申した…ただし、条件がございます。この寺は代々成田家の菩提を弔っておりますゆえ、この寺や墓ごと清洲にお移りいたしたく存じますが、いかがでしょうか」



 この言葉に喜色満面の忠吉は、

 

「うむ!!それは良き考えじゃ!!寺を丸ごと移してしまえばよい!ははは!!」


 と嬉しさを抑えられない調子で答えたのであった。

 

 

 こうして、成田長親こと自永斎は忍城のある武蔵国を離れることとなったのだった。

 

 

 慶長9年(1603年)秋――

 

 この日も爽やかな秋晴れ。空は高く、一点の曇りもないそんな中、清善寺の中は悲しみにくれる人々で溢れていた。

 

 それは、自永斎が清善寺を発つその日であったのだ。

 

 清善寺に集まった人々は、みな彼を慕い、彼との別れを悲しみ嘆いたことは想像に難くないであろう。

 みな一様に涙を流し、その別れを惜しんでいたのである。

 

 そんな彼らを見て、自永斎はもまた涙を流していた。

 彼はこんなにも自分の為に人々が集まり、そして涙を流してくれていることに、申し訳ない気持ちとともに感謝の気持ちでいっぱいだったのだ。

 

 そして同時に、いつもの通り困ってもいたのだった。

 

 

「そんなに悲しまないでくだされ。それがしは皆の力になればと思って生きてきたのです。

しかし、それがしはいつも皆の世話になってばかり…

それがしからの言い尽くせぬ感謝の気持ちはあれど、みなさまに涙をされるほどのことはいたしておりませぬ。

どうか悲しまないでくだされ。

それがしのせいで皆が悲しむようであれば、困ってしまうではありませんか」


 と言って人々に頭を下げた。

 すると人々もまた深々と頭を下げると、さらに泣き声は大きくなった。

 

 そして…

 一通り涙を出したところで、人々を代表して、一人の男が大きな声を上げた。

 

 

「これ以上、自永斎様を困らせるわけにはいかねえ!みんな!笑顔で送り出してやろうじゃねえか!」


 

 この言葉に誰も反論しなかった。

 

 反論するはずもないのだ。

 

 なぜなら人々は、最後の最後くらいは自分たちの手で自永斎の「困り事」をなくしてあげたい、それこそが感謝の気持ちを表す何よりの方法であると強く感じたからだ。

 

 こうして自永斎は忍城を去っていった。

 

 大木に咲き誇る花のような人々の笑顔に見送られながら――



………

……

 成田長親が忍城を去ったところで、成田長季の語りは締めくくられた。

 

 

「では長親殿はこの清洲にいるということか?」



 そう俺が第一声でそのことを長季に尋ねると、長季はコクリとうなずいた。

 

 

「おお!では是非、明日は会ってみたいのう!なあ、甲斐殿もそうであろう!?」



 しかし、甲斐姫は意外なことを口にしたのである。

 

 

「いや…やめておこう」


「どうしてじゃ?身内であるし、久々なのだろうからここは…」



 そこで俺は言葉を切った。なぜなら甲斐姫の瞳が「それ以上は言ってくれるな」と、俺に訴えかけているように思えたからだ。

 なぜ彼女は長親と会わないというのだろうか…

 それでも彼女の瞳からは、何かを口で語る以上に彼女の固い決意が伝わってくるようで、俺はそれ以上何も言えなくなってしまったのであった。

 

 そして結局最後までその理由も分からぬまま、この日の再会を祝した静かな酒盛りはお開きとなったのだった。

 

 

………

……

 翌日…慶長11年(1606年)3月24日――

 

 俺たちは次なる目的地に向けて清洲城を出立した。

 

 当主の松平忠吉はかなり病が重いのであろう。最後の最後まで結局顔を合わせることもなく、発たざるを得なくなってしまったのは、俺と彼の姪である千姫にとって、とても残念なことであった。

 

 それでも俺はこの清洲城で聞いた話しで、「大将とはどうあるべきか」ということを痛感させられたことは、非常に貴重なことであった。


 さて、いよいよ次は徳川家康の出身地である三河の国へと足を踏み入れることになる。

 

 俺はそこでの新たな出会いに胸を躍らせて、馬を進めたのであった。

 

 

◇◇

 豊臣秀頼ら一行が出立したその日――

 

 自永斎は、病床に伏せている松平忠吉に呼ばれて城にやってきた。

 この頃の彼は、すっかりやせ細り、その姿をまだ幼い姪の千姫らに見せるのは、はばかれた為にあえて彼らに会うことをしなかったのだ。

 しかし、彼の世話役の小姓、さらに彼の家族、そして自永斎だけは部屋に入ることを許していたのであった。

 

 部屋に入ってきた自永斎を見つけると、忠吉はニコリと笑顔を見せる。

 そんな忠吉に対して、自永斎もまた笑いかけた。

 

 

「忠吉殿。今日はお加減が良さそうですね」



 自永斎は素直に思った事を口にした。彼はお世辞を言うのが苦手であることを忠吉は十分に理解している。そんな自永斎が「加減がよさそう」と言ってくれたのだから、忠吉は素直に嬉しかった。

 

 

「ああ、この春の穏やかな気候が良いのと、ここ清洲城に嬉しい訪問者があったからかもしれぬ」



 自永斎はその言葉を聞いて、ポンと手を叩くと、彼も嬉しそうな顔をして言った。

 

 

「千姫様と豊臣秀頼様でございますね!しかし、忠吉殿はお会いにならなかったとうかがっておりますが…」


「ああ、かように骨と皮だけになった叔父を見れば、幻滅されかねないからな」


 

 自虐的な笑みをうかべる忠吉に対して、どう答えたらよいものか、自永斎は困った表情を浮かべている。

 そんな彼を見て、忠吉は顔を引き締めて彼に話しかけた。

 

 

「なあ、自永斎殿。俺は今、困っていることがあるのだが、聞いてくれるかい?」


「ええ、それがしなどでよろしければ、何でもおうかがいいたしましょう」



 忠吉は、いつも通りの大らかな表情の自永斎に心の中で寄りかかる。

 自永斎はそんな彼を包みこむように受け入れていた。

 

 そしてつぶやくようにして、胸の内をもらしたのである。

 


「もっと長く生きたい…」



 重くて、悲しい一言…

 

 彼はもう自分の先が短い事を知っていたのだ。

 

 死を目の前にした一人の人間の、心からの叫びであった。

 

 ところが、自永斎はいつも通りの大らかな表情を全く崩さない。

 そこには憐れみや同情といった、相手に取りつくろうようなものが一切ないのだ。

 むしろ、いつものように困り顔で言った。

 

 

「はて…かようにお元気そうな方にそうおっしゃられても、それがしはどのようにしたらよいのやら…困ってしまいます」



 そんな自永斎の様子に、忠吉は思わずくすりと笑ってしまう。

 

 

「ははは!確かにそうであるな。今日は加減が良いと言ったばかりなのに、明日には死んでしまいそうな事を言われても困らせるだけであった」



 自永斎の表情は変わらない。

 

 彼はゆっくりとした口調で言ったのであった。

 

 

「それがしも困っております。人はいつその身がなくなるとも知れぬものです。

ゆえにいつ死を怖がればよいのか、いつも困っているのです」


「そうか…それがしだけではないのだな…自分が死ぬということが怖いのは…

あえて言えば、それがしは自身に死の影が迫っていることを知っている…ゆえに余計に死が怖いと思っているだけなのかもしれぬ」


「むむむ…なぜそれがしたちは死が怖いのでございましょうか…」


「自永斎殿、それは何かこの世に未練があると思っているからではないだろうか」


「未練でございますか…」


「ああ…俺の未練…それはこの尾張国の行く末なのかもしれぬ。

せっかく父上から頂戴したこの国に、俺は領主として何もしてやれなかった。

それだけは悔しくてならんな」


「では、尾張国がもっと栄えたなら、忠吉殿の未練はなくなる、ということでございましょうか?」


「ああ…そうかもしれぬ」



 すると忠吉は一つ思い出したかのように、自永斎の手をゆっくりと取った。

 

 

「自永斎殿…虫の良い話しだとは重々分かっておるが、一つ頼みたいことがあるのだ」


「なんでございましょう。それがしでよければおうかがいしましょう」


「この尾張国の行く末…それがしが亡くなったその後も見守ってくれてはくれまいか」



 忠吉の強い願いが握った手の体温となって伝わってくる。

 

 自永斎はその願いも、その大きな心で受け止めたのであった。

 

 

「ええ。その願い、確かに受け入れましょう」



 そして最後にいつも通りの困り顔となってしまうのである。

 

 

「…となると、忠吉殿よりも長く生きねばならぬということか…

むむむ…それがしも摂生せねばなりませぬ…困ったものだ…」



 と…

 

 

 この時より、わずか一年後のこと。

 

 二十八歳という若さで、松平忠吉はこの世を去った。

 

 そして、自永斎は彼との約束を守るべく、尾張にとどまってその国が栄えていくその様子を見守り続けた。

 

 清洲の町が、なんと町ごと名古屋に移る、いわゆる「清洲越」の時も、彼は寺社の引っ越しを手伝ったことだろう。

 さらに言えば、民たちが新たな生活に困ったことがあれば、彼はそれを聞き続け、忠吉の代わりとなって少しでも民の為になれるよう尽力したことだろう。

 

 名古屋の大須という場所に移された清善寺は、その名を忠吉の号と同じ「大光院」とあらためたのだが、それはまるで忠吉が自永斎とともにが名古屋の町が栄えていくのを見守り続けるようであった。

 そして、この大光院も、かつて忍城のほとりにあった清善寺と同じように、自永斎を慕う名古屋の民たちで、常に賑やかに笑顔で溢れていたに違いない。

 

 「清洲越」の三年後、すなわち人々の生活が落ち着いたその頃…

 

 成田自永斎は、忠吉との約束を終えたことに安心したかのように、穏やかな顔で静かに息を引き取った。

 

 享年六十七。

 

 なお、これよりずっと後のことだが、史実においてはこの大光院に「明王殿」が建てられることとなる。

 そして、かつて名古屋の人々が自永斎のもとに集ったように、毎月二十八日となると「明王さん」と呼ばれる縁日が開かれて人々が集まってくる。

 

 そう、忠吉と自永斎が願った通り、名古屋の町は今もなお笑顔で溢れ続けているのであった。

 

 




リクエストを頂戴した名古屋大須に関するお話しでございました。


成田長親という人は、映画にもなった小説で一躍有名となった方ではございますが、その功績はあまり残されていないようです。


それでも大軍で攻め込まれた忍城を寡兵で守りきったその大将としての器量を推し量り、この物語を作りました。


なお、忍城の戦いにて活躍をした諸将のうち、多くは当主の成田氏長について下野国へと越しましたが、一部の者は地元の忍城付近に残ったとのことです。

正木丹波守は、その後地元の寺に入り、この戦いで没した者たちを弔い、わずか一年後に自分も病気にてその生涯を閉じます。

また酒巻靭負や柴崎和泉守も地元に残り、代官を務めたり松平家の家臣になったとのことです。

なお、成田長親が尾張に移った際には、別れを惜しむ民たちも尾張に移った可能性も指摘されておりその数は数百人に及んだとも言われております。


甲斐姫の動向については、下野国に移った後、かなり激動の人生を歩むことになるのですが、それはまたリクエストがあれば、書きたいと思います。


さて次回は、話しをぐいっと進めて、秀頼たち一行が江戸に到着します。


では、これからもよろしくお願いいたします。


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