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あなたを守る傘になると決めて…㉖大将の器(3)

◇◇

 俺、豊臣秀頼は、忍城の戦いの経過を聞き、成田長親という人物に対する印象が真反対と言っても言い過ぎではないほどにガラリと変わっていた。

 すっかり話しに引きこまれ聞き入ってしまっている俺に対して、一旦話しが切れた隙をうかがって、甲斐姫が質した。

 

 

「秀頼殿。わらわが『長親殿は立派な大将であった』と言ったその意味…分かったか?」



 さながら大坂城で、彼女から兵法の授業を受けているような質問だ。

 そしてその問いに、俺は迷わず答えた。

 

 

「はい。なんとなく分かってまいりました」


「うむ、ではそれを言ってみよ」


「はい。家臣の助言に真摯に耳を傾け、それらを自分の責任として受け入れる。

それで成果が挙がれば家臣の手柄とし、仮に失敗すればその責を自分が負う。

さすれば家臣たちがおのずと、金言を授けるようになる点が、大将として長親殿が立派なところであると、われは思います」



 甲斐姫はまるで自分の事を言われたかのようにニコリと笑う。しかしそれでもまだ足りなかったようだ。

 

 

「それでは半分だ、秀頼殿。もう一つ、長親殿が大将として立派であった点があるのだ」


「もう一つ…」



 俺が首をかしげると、甲斐姫は懐かしむような、遠い目をして言ったのだった。

 

 

「それは…希望の光を必ず見せてくれたことだ」



「希望の光…」



 そんな風に俺がつぶやくと、後を継ぐように成田長季は続けたのだった。

 

 

………

……

 天正19年(1590年)7月4日――

 

 とうとうその日はやってきた。

 

 豊臣軍の援軍として、策略家として名高い真田昌幸、そしてその息子である真田信繁(後の真田幸村)が合流すると、昌幸の助言もあったのであろうか、豊臣軍は今までの水攻めを中心とした包囲戦を解いた。

 それはすなわち、総攻撃の構えとしたのである。

 

 忍城の防御における要所である、持田口門、下忍口門そして佐間口門の三つの門を同時に攻撃するという、至って単純ではあるが大軍で攻めるには最も効果的な策を採用したのである。

 小田原城の陥落が近いという情報を得ていた豊臣軍総大将の石田三成にとっても、これ以上なりふりを構っていられないということであろう。

 ある程度の犠牲は覚悟の上での作戦であったのであった。

 

 そして…

 

 豊臣軍、およそ三万が動き始めた。

 

 

 一方の忍城――

 

 1ヶ月にもおよぶ激しい籠城戦によって、成田軍の兵たちは開戦当初は三千ほどいたものの、死傷者によって、今動けるのはその半分ほどまでになってしまっていた。

 そしていよいよ豊臣軍の総攻撃が開始されることの報告を受けた成田長親は、評定の間に皆を集めたのであった。

 

 その長親は、いつも通りの大らかな表情。

 

 気負わず、強がらず…

 

 その表情を見ただけで、今となっては成田家中の者はみな「勝てる気がする」と思えるのだから不思議なものだ。

 

 そしていつもの調子で言ったのだった。

 

 

「ここを乗り切れば、必ず敵は諦める!

しかし、それがしには敵の最後の攻撃を迎え撃つ為の策が思いつかん!

とても困っておる!」



 そうきっぱりと言い切る長親。しかしこの時、誰もが「情けない」とはつゆにも思わなかった。

 なぜなら分かっているのだ。

 彼はみなの意見を、どんなに小さな意見でも一つ一つ吟味してくれることを。

 そしてどの意見も邪険にはせずに、必ず成功に導く「希望の光」を見出してくれることを。

 

 こうして長親がその場に意見を求めると、さながら洪水のように諸将が口ぐちに意見を述べ始めたのであった。

 

 大小様々な意見が出る。

 

 その場にいる全員が、真剣に考え、真剣に意見した。

 そして大将の長親がそうであったように、みなが互いの意見を真剣に受け止め、身分の違いなど関係なく意見を出し合ったのである。

 

 こうして、一つ一つを皆で「策」として組み立てていくと、その布陣は決まっていった。

 

 佐間口は、柴崎和泉守(しばさきいずみのかみ)らに兵三百。

 持田口は、今村佐渡守(いまむらさどのかみ)らに兵三百。

 下忍口は、酒巻靱負(さかまきゆきえ)に兵三百。

 遊軍として、正木丹波守に兵三百。

 

 各軍が敵の攻撃から持ちこたえられなくなれば、それぞれの隊の大将が鐘を鳴らして遊軍である正木隊を呼ぶというのが主だった作戦だった。

 

 戦える者たちと言っても、みなどこかに傷を負ったものたちばかりな上に、そのほとんどが農民である。

 なおかつ敵の総勢はなんと十五倍。

 普通に考えれば勝てる相手ではない。

 

 それでも彼らは希望を捨ててなかった。

 

 なぜなら大将の成田長親は、味方の勝利を疑うことなく、何ら気負ってなどいないからだ。

 

――きっと勝てる…長親殿を見ているとそんな気がしてならないのだ


 甲斐姫はそんな風に、胸の内からわいてくる熱いものを抑えながら、その場を静観していたのであった。


 そして、いよいよ意見が全てまとまると、長親は最後に高らかとかけ声をかけた。

 

 

「勝利は目前!みなのもの!成田の底力、見せてくれようぞ!」

 

――オオッ!!


 

 こうして忍城の戦いは、豊臣軍の総攻撃という最大の激戦へと移っていったのだった。

 

 

………

……

 天正19年(1590年)7月5日――

 

 それは軍功を焦った石田三成の抜け駆けから開始された。

 

 三方向からの同時攻撃によって、敵の注意を散らすという真田昌幸の献策は、物の見事にそのあてを外してしまったのである。

 三成の担当したのは、下忍口。彼の率いる大軍を、わずか三百の酒巻隊が迎え撃つ。

 

 

「ここは絶対に通さん!!みなのもの!!堀を背にして戦うのだ!!活路は己の底力で見いだせ!!」


 

 酒巻靱負はそう兵たちに指示をすると、城を出て堀を背にした、いわば背水の陣で三成を迎え撃った。

 石田隊とともに攻め入るはずであった佐竹勢は、三成の抜け駆けにより完全に出遅れており、今は石田隊しか攻めてきていない。

 それが酒巻隊にとっては幸運であった。

 

「うおぉぉぉぉ!!ここで負けるかぁぁ!!」


 背後をとられることない陣形と、酒巻靱負の修羅のごとき働きにより、酒巻隊は追い詰められるどころか、石田隊を一方的に叩きのめしていく。

 焦った三成は、ただただ高い声をその場で響かせるより他なかった。

 

「何をしているのだ!!豊臣の強さを見せつけてやれ!!」


 しかし戦闘の中にあって、頭ごなしに不甲斐なさを責めても、兵の士気など上がるはずもなく、むしろそれはみるみるうちに下がっていく。

 そして士気が下がるに従って、その犠牲は反比例するように増えていったのであった。

 

 

………

……

 一方、持田口の攻め手は浅野長政と真田昌幸が担当していた。

 

 三成の抜け駆けを知った浅野隊は、「遅れるものか」と争うようにして自分の担当する場所へと兵を急がせたのだが、真田隊は未だ城の郊外、すなわち利根川辺りで陣を構えていた。

 

 

「あやつは、まだまだ若すぎるわい」


 

 三成の動きを利根川の堤防の上から見ていた真田昌幸がため息をつく。

 

 

「父上…この戦さは…」



 戦場の中にあっても、穏やかな表情の彼の息子、真田信繁が、何かを懸念するようにつぶやいた。

 その信繁のつぶやきを聞いた昌幸は、呆れたように言ったのであった。

 

 

「このままでは負けじゃのう!負けじゃ!しかし、一つ勝機があるとすれば…」


「ここ持田口…でしょうか…」


「はん!よく分かっておるではないか!さすがはこの真田安房守の息子よ!

三つの門のうち、ここだけは出城や櫓もあり、元より防御が充実しておるゆえ、成田の注意が甘い。

さすればその隙を突く。

すなわち敵の注意が向かぬままに、猛攻をしかけてここを抜ける。

そして一気に城内に攻め入り、敵に何もさせる間もなく本丸を囲めば勝ちよ!」


「その為には…」


「刑部に頑張ってもらわねばのう」


「つまり大谷刑部殿(大谷吉継のこと)が佐間口に猛攻をしかけて、それを敵が抑えている隙に、持田口に速攻をしかける…と」


「はん!お主はよく分かる息子だのう!その通りじゃ!それまで、持田口は浅野が攻めておればよい。

あからさまに誰も攻めておらぬと、かえって怪しまれるからのう。

浅野のやつも功を焦ってくれて助かるわい」


「なるほど…さすがは父上にございます」


「ははっ!!さあ、豊臣秀吉殿にたいそうな手土産を持っていくこととするかのう!!」



 昌幸はぺろりと唇をなめると、口角を上げて戦況を見つめていたのであった。

 

 

………

……

 下忍口では石田隊が、持田口では浅野隊がそれぞれ激しい戦いを繰り広げている中、それらと劣らないほどに激しい戦闘が、ここ佐間口でも繰り広げられていた。

 

 

「なんとしても守るのだ!!いけぇぇぇ!!」



 守将の柴崎和泉守が懸命に声を上げながら、大谷吉継隊の猛攻をなんとかしのいでいた。

 大谷隊が大軍でありながらも、寡兵の柴崎隊が持ちこたえられていたのは、実は甲斐姫がここ佐間口付近の堀を、わずか一日で侍女たちとともに整備しなおした事が、非常に大きかったと言えよう。

 


「攻めよ!攻めよ!大谷の強さを見せるのだ!!」



 それでも吉継の采配に、徐々に佐間口は押されていくと、ついにその門が開かれてしまった。

 

 陣頭に立ちながら、自らも弓を放っていた柴崎和泉守であったが、門が開かれたと同時に、大手門付近まで兵を退却させて整えた。

 そして、危機となったら報せることになっている鐘を手にすると、

 

「ぐぬっ!!かくなる上は仕方あるまい!!」


 と言って、それを強く叩いたのである。

 

――カン!!カン!!カン!!


 守備兵の危機を知らせる、鐘の高い音が曇り空に響いたのであった。

 

そして…



「あの鐘の音の方向は、佐間口か!よしっ!!みなのもの!!救援に向かうぞ!!」



 鐘の音を聞いた正木丹波守は、浅野隊を相手に持田口の出城で戦っていたが、出城を出ると佐間口の方へと兵を動かしていったのだ。

 

 

 しかし…


 

 その隙を見逃さない男がいた――

 

 

 真田昌幸であった…

 

 

「それっ!!今じゃ!!!一気に抜くぞ!!みなついてこい!!」



 昌幸と信繁の親子は、さながら目いっぱい引き絞られてから放たれた弓矢のように、神速で兵が薄くなった持田口に殺到した。

 

 そして、猛将の正木丹波守がいなくなった出城に火を放つと、一気にそれを制圧したのである。

 さらに真田隊の猛攻は息をつかせぬほどの速さで続くと、今度は…

 

「真田源二郎信繁!!捨曲輪(すてぐるわ)を落としたり!!」


 と、重要な防御地点である捨曲輪(すてぐるわ)を落としていった。

 

 

「これはまずい!!」


――カン!!カン!!カン!!


 持田口の守将、今村佐渡守は思わず鐘を叩いた。

 

 しかし、その頃遊軍の正木丹波守は、大谷隊との激戦で動くことは出来ない。

 

 もちろん指をくわえて救援を待っているわけにもいかない今村隊は、懸命に真田親子と浅野長政の軍勢と戦うが、その勢いはさながら大波のごときであり、今村隊を飲みこまんと激しく攻め立てていたのであった。

 


「ここまでか…」


 

 今村佐渡守が思わず目をつむって、討死を覚悟する。

 

 

「ははは!!このまま一気に本丸まで突き進むぞ!!わしらの勝利じゃ!!」



 そんな昌幸の高笑いは、真田兵たちにさらなる勢いを加えていった。

 

 いよいよ真田隊の波が今村隊を飲み込む…

 

 そんな時であった。

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」



 という空気をビリビリと震わせる絶叫が聞こえたかと思うと…

 

 真田の『浪』が…

 

 切られた――

 

 

「な…なんじゃ!?何が起ったのだ!!?」



 突如として自軍の進撃が止められたことに、訳も分からず戸惑う昌幸。

 しかし彼は暗愚の将ではない、すぐにそれが今村隊を救援にやってきたわずか二百にも満たない一軍によるものだと分かったのだ。



「ぐぬっ!!援軍を城の中に伏せておったか!!

こうなると見越していたのか…

なかなかやりおるわい!」


 

 ところが、昌幸はその救援にきた軍の大将の姿を見て、度肝を抜かれてしまった。

 

 

「お…おなごじゃと…」



 深紅の鎧に、黒い兜、そしてえんじ色の陣羽織を羽織ったすらりと背の高い美女が、高々と名刀『浪切』を手にして名乗りを上げたのである。

 

 

「われは、東国無双の成田甲斐なり!!

この浪切の錆となりたい者からかかってこい!!」



 すると昌幸の側に駆け寄ってきた信繁が言った。

 

 

「父上!ここで進軍が止まれば、わが軍の負けにございます!!ここはそれがしが行きます!!」



 そう宣言すると、父の答えを待たずして、最前線へと跳ぶように駆け抜けていった。

 そして、龍のような立ち姿の甲斐姫に対して名乗りを上げた。

 

 

「われこそは、真田安房守が次男、真田源二郎信繁なり!!

いざ!!勝負だ!!」



 彼が得意とする槍を手に甲斐姫に突撃していく信繁。

 甲斐姫は、連れてきた彼女の侍女から薙刀を受け取ると、信繁に仁王立ちして対峙したのである。

 

 

「うおぉぉぉぉぉ!!!」


 

 虎のような咆哮を上げて信繁が甲斐姫に槍を突き出すと、甲斐姫はニヤリと笑ってその槍を薙刀ではじいた。

 

――キンッ!!


 という高い金属音とともに信繁の槍がはじかれる。そこに今度は甲斐姫が一歩踏み込んで薙刀で足を払ってきた。

 

「せいっ!!」


「くっ!!」


――キンッ!!


 なんとかそれを受け止める信繁。

 それを見て甲斐姫が不敵な笑みを浮かべながら言った。

 

 

「なかなかやるな!お主!!」


「甲斐殿と言ったな…お主もなかなかではないか!!」


「ふん!!こわっぱに負けるわらわではないわ!!」



 そう言って、甲斐姫が信繁に打ち込む。それを受けた信繁が今度は甲斐姫を突く。

 乱戦の中にあって、そんな攻防が二合三合と続いていったのであった。

 

 

 …と、その時。

 

 

「源二郎!!やめい!!」



 という真田昌幸の大声が響いたかと思うと、次の瞬間その理由が高らかと告げられた。

 


「ひくぞ!!退却じゃ!!」



 その言葉に真田信繁が目を丸くする。

 戦況が分からないのは、甲斐姫も同じようで敵である真田隊から退却の言葉が出てきたことに眉をしかめたのであった。

 

 そんな甲斐姫に対して、ペコリと頭を下げた信繁は、

 

「どうやら今日はここまでのようです。次に戦場でお会いしたその時は、続きをお願いいたします」


 と言い残すと、風のようにその場を去っていったのだった。

 

 あまり状況が飲み込めずに取り残された甲斐姫は、立ち去る信繁の背中を見ながら、

 

「次に戦場で会ったその時は、きっちり勝負をつけてやろう」


 とつぶやくと、ともに目の前から立ち去っていく真田隊と浅野隊の追撃はせずに、自分の兵をまとめると、えんじ色の陣羽織をなびかせて、颯爽と本丸の方へと戻っていったのであった。

 

 

 さて、戦況は昌幸が号令を出したその時、まさに大勢が決していた。

 

 下忍城で背水の陣を敷いていた酒巻隊は、石田隊に甚大な被害をもたらすと、それを撃退。

 そして、大手門まで迫られた柴崎隊も正木隊の救援を得て、大谷隊を撃退した。

 その後、遊軍である正木隊は、休む間もなく、最も激戦となった持田口へと殺到すると、浅野隊の背後をつく形で、これもまた撃退したのであった。

 

 続々と兵を退いていく豊臣軍。

 

 一方で、成田軍は本丸前の広場に全軍を集めると、大活躍した正木丹波守が代表して、勝どきを上げたのであった。

 

 

「えいっ!えいっ!おーっ!!」


――えいっ!えいっ!おーっ!!

 

「えいっ!えいっ!おーっ!!」


――えいっ!えいっ!おーっ!!

 

 

 本丸の最上階の高欄から笑顔を向けている成田長親。

 そんな彼に喜びを届けるように、成田軍の兵たちは、みな彼の顔を見ながら、勝どきとともに片手を突き上げた。

 

 空はどんよりとした曇り空。

 だが、この時の成田軍は、まさに季節を先取りした真夏の空のように、どこまでも澄んだ青い空のような爽やかで熱気に帯びた空気に包まれていたのであった。

 

 

 しかし…この翌日のこと。

 

 主君北条氏政が守る小田原城が陥落した。

 

 そして…

 

 小田原城陥落とともに、戦う意味を失った忍城は、天正19年(1590年)7月16日に、開城したのであった。

 実に一ヶ月半におよぶ、忍城の戦いは、こうして幕を閉じたのであった――


 ところがそれで話しは終わらなかった。

 なぜならこの時、豊臣軍の大将、石田三成から一つの無理難題が告げられたからである。


――城から持ち出す荷物は馬一頭分まで。それ以上は時間がかかるゆえ、置いていくこと


 これに城内が猛反発したのは言うまでもない。

 中には「一戦交えん」とまで息まいたものまで出たほどだ。


 

「困ったのう…困ったのう…」



 こうして、忍城の戦いが終わった後でも、大将、成田長親は困り顔のまま、終始唸っていたのであった。



 なお、持ち出す荷物の問題は、その後豊臣秀吉から


「佐吉はけちくさい!!持ち出したい物は、全部持っていかせればよい!!

それだけではないぞ!!

城を出ていく者たちは、このわしを相手に最後まで戦った勇敢なものたちよ!

褒美に米をくれてやれ!!

それでこそ豊臣の気前というものじゃ!!」


 というお達しがあり、無事解決したとのことだった。




 

 




忍城の戦いの模様を、ポイントを絞ってお送りいたしました。


なお忍城の堀を、甲斐姫とその侍女たちが固め直したという逸話は実在するようで、それは「笄堀」と呼ばれているようです。


なお、この戦いの詳細については、実は各資料によって異なっているようで、実際に誰がどこで戦っていたのかについては、私の想像を働かせながら描かせていただきましたので、かなり苦労いたしました。


そして、このところ城が多く登場しておりますが、やはりそれらの縄張りくらいは絵として載せたいです…


「○○門」と表現しても、なかなかそのイメージをお伝えするのが難しい。

しかし城の縄張り図を書くというのは、なかなかに難しく…(絵心がない為)

なんだか申し訳なく思っております。


さて、次回は成田長親の忍城の戦いの後のお話しになります。


成田長親と豊臣秀頼の出会いはあるのでしょうか…


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。




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