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あなたを守る傘になると決めて…㉔大将の器(1)

◇◇

 慶長11年(1606年)3月23日――

 

 この日、美濃国加納城を出立した俺、豊臣秀頼ら一行は、同日中に尾張国清洲城に到着した。

 しかし、清洲城城主である徳川家康の息子、松平忠吉は病に伏せており、派手な歓待は避けられると、ささやかな夕げが出された。

 

 その夕げを取り終え、眠そうな千姫が侍女の高梨内記の娘と青柳に連れられて部屋を退出したその時であった。

 


「甲斐殿!!お久しぶりにございます!!」



 という快活な声が部屋に響いたかと思うと、数名の男たちが、千姫らと入れ替わるように酒を片手に部屋の中へと入ってきたのだ。

 その男たちを見て、甲斐姫は目を細めて喜びをあらわにした。

 

 

「おお!みなのもの!久しいのう!!」


「ははは!かようなところで、甲斐殿と再会できるなんて…ううっ…それがしは…」


「これこれ寺田!お主は相変わらず、涙もろいのう」


「今は、尾張左中将殿(松平忠吉のこと)が病に伏せられておるゆえ、目立って大騒ぎすることはかなわぬが、再会を祝して心ばかりの酒を酌み交わすくらいであれば、殿もお許しいただけるであろう」



 そう一人の武士が言うと、早くも互いに盃を酌み交わし始めている。

 俺は訳も分からずその様子を、目を丸くしてみていたのだが、そんな俺に気付いた一人の武士が、慌てて姿勢を正して俺に声をかけてきたのであった。

 

 

「ややっ!これは大変失礼いたしました!豊臣右大臣殿!」



 その声に他の者たちもまた、一度手にした酒を置き、俺の方を見て頭を下げる。

 俺はそんな彼らに穏やかな口調で声をかけた。

 

 

「いやいや、よいのだ。どうやら甲斐殿とお知り合いのように見受けられるが、どのようなご縁なのであろうか?」



 そんな俺の問いかけに、真っ先に俺に声をかけてきた武士が顔を上げて答える。

 

 

「はっ!それがしは、成田長李(なりたながすえ)と申します!

もとは甲斐殿のお父上でございます、成田氏長殿に仕えておりましたが、ゆえあって今は松平忠吉殿のもとで働いておる次第にございます!」


「なんと…!成田氏の者であったか!」


「はい!そしてそこにいるのが、寺田、遠山、佐藤、荒川と同じく、もとは氏長殿のもとで働いていた者たちでございます!」


「もしや…お主ら、忍城(おしじょう)におった者たちであるか!?」


「ややっ!なんと秀頼殿は忍城の事をご存じでございましたか!」



 俺の軽率な問いかけに、長李が驚いたように目を大きくしている。

 俺はちらりと俺の事を知る甲斐姫の方を見たが、その甲斐姫は「はぁ」と大きなため息をついて、「自分でどうにかいたせ」と冷たい視線を俺に向けているのだ。

 

――裏切り者め…


 と、俺は心の中で歯ぎしりをしながら、振り絞るように言った。

 


「むむっ…まあ、なんだ…甲斐殿から色々と聞かされておったからのう…」

 

「おお!さようでございましたか!いやはや、忍城での戦さの時の甲斐殿は、それはもう鬼のような…」


 

 その長李の言葉の瞬間に、


「ゴッホン!!」


 という大きな咳払いが甲斐姫から聞こえてきた。

 


「ややっ!これはしたり!また余計な事を口走ってしまいそうでした!

とにかく、今はわれらはここ清洲城に勤めておるのです!」



 額の冷や汗を拭いながら長李は締めくくったところで、俺は目を輝かせながら、彼らの輪の中に入っていった。

 

 

「なあ一つ頼みがあるのだが、よろしいか!?」



 何か嫌な予感がしたのか、あからさまに甲斐姫は眉をひそめていたが、他の者たちは俺が期待に胸を膨らませて身を乗り出してきたことに、興味があるようだ。

 

 

「どうしたのでしょう?われらでかなえられることでしたら、何なりとお申しつけくだされ」



 その言葉にさらに目を輝かせた俺は、ありったけの明るい声で言った。

 

 

「忍城の戦いのこと、そしてお主らがここ清洲城にくるまでの事を語ってはもらえないだろうか!?」


「ははは!かような事ならお安い御用です!!ちょうど懐かしい昔話に花を咲かせようかと思っていたところにございます!

良いですよね?甲斐殿」



 甲斐姫以外の者たちもどうやら皆賛成のようで、渋い顔をしているのは甲斐姫だけだ。

 そんな状況に再び「はぁ」と大きなため息をついた彼女は、

 

「勝手にするがよい…」


 と、諦めたように肩を落としたのであった。

 

 そしてこの話しを通じて、俺は俺自身の「大将としての」振舞いについて深く考えさせることになるのだった。

 

 

………

……

 天正18年(1590年)のこと――

 

 織田信長の天下布武の後を継いだ豊臣秀吉は、四国、九州と制圧すると、いよいよ天下統一の最後の大仕上げとして、南関東の覇者、北条氏政(この時既に隠居して嫡子の北条氏直に家督を譲っていたが、実質は氏政が実権を握り続けていた)の討伐に乗り出すこととした。

 

 全国各地の大名たちを加えていき、大軍勢となった豊臣軍に対して、北条氏政は、天下の名城、小田原城への籠城を決めた。

 そして同時に、北条勢の配下にある各城においても、無駄に城を出て戦わずに、城に籠って戦うように氏政は指示をしたのだった。

 

 この時、甲斐姫らがいた成田家は武蔵国の忍城を代々居城として、その地を上杉謙信、北条氏康といった稀代の英雄たちの間を巧みに渡っていき、何とかお家を保ってきた。

 しかしここにきて、長年の恩に報いる為に、北条勢の一員として戦わざるを得なくなり、彼らもまた氏政の指示に従って、忍城を固く守ることにしたのである。

 

 ところがこの籠城戦、多くの問題を抱えていた。

 

 その中のうちの一つが、なんと「籠城戦の指揮官を誰にするか」という事だったのだ。

 

 本来であれば成田家当主で、歴戦の勇将である成田氏長が務めるべきであったのだが、肝心の氏長は、その武勇を買われて、小田原城の籠城戦で一軍を指揮することとなってしまったのである。

 北条氏政としても、まさに総力戦であり、配下の各城の城主や兵士であったとしても、彼らをかき集めて秀吉の大軍と対峙せざるを得なかったわけだ。

 

 それでも氏長が小田原城に詰めることが決まった時は、その点は何ら問題はなかった。

 なぜなら忍城には、成田泰季(なりたやすすえ)という、氏長が絶大なる信頼を寄せていた猛将がいたからである。

 その泰季は、氏長にとっては叔父にあたる間柄で、氏長が成田家当主になりえたのも、泰季の強い後押しがあったとも言われている。その上武功においても数知れず、成田家の中では「脇惣領」と称されるほどの人物であったのだ。

 

――泰季殿に全てお任せしていれば、間違いないだろう!


 と、家中の者の誰もが泰季の武勇を、この籠城戦の頼みとしていたのだ。

 

 しかし…

 

「泰季殿!!どうして!!うわぁぁぁぁん!!」


 なんと、泰季は豊臣軍が攻めよせてくる寸前に、病気によって急死してしまったのである。

 この時既に、石田三成を総大将とした忍城攻めの豊臣軍は続々と城の周辺に集まり出しており、小田原城の氏長にうかがいを立てることすら出来ない状況だったのだ。

 

 成田氏長には嫡子もおらず、そうなると氏長の直系以外で、城内の誰かを大将に立てねば、兵たちの士気は高まらない。

 

 そこで氏長の長女にあたるこの時十八歳の成田甲斐(後の甲斐姫)と、彼女の育ての親であり氏長の妻である太田資正の娘、「お石」の二人の女性は、急きょ話し合いを持つことにしたのだった。

 

 

「甲斐や、もうお主が大将となるより他あるまい。そなたの祖母の妙印尼殿は齢七十一で城代として籠城戦を戦い、勝利に導いた女傑ではないか」


「何をおっしゃいますか、母上!かような小娘が大将となれば、敵はおろか味方にも笑われてしまいましょう!それより、母上!母上の方が見た目からして貫禄もあり、適任かと!」


「まあ、甲斐!何をおっしゃいますか!わらわもおなごです。貫禄という言葉は、心を痛くしますわ。それよりも甲斐のその鬼にも負けぬ勇猛さの方が大将に相応しいわ」


「あら、母上!わらわはまだ十八のかよわく麗しきおなごであれば、鬼というのはちと言いすぎではございませんか!?わらわの事を小さい時にお叱りになられた時の母上のあの顔の方が鬼と言うにふさわしいかと…」


「まあまあ、甲斐!わらわには刀も薙刀も振ることはできませんゆえ、刀をまるで針を扱うように軽々と振りまわす、甲斐の方が鬼にふさわしいかと」


「いや、鬼は母上にございます」


「いえ、鬼は甲斐です」



 こんな調子で、この二人では全く話しがまとまらない…

 

 

「困りましたねぇ…」


「はい…困りました…」


「ええ…困りました…」


「ん…?」



 ふと、二人の間に一人の男の声が混じってきた。

 

 二人がその声の持ち主の方へと目を向けると、そこにはどこからどう見ても冴えない一人の男の姿があった。

 

 

「あら…長親殿ではありませんか。何をそのように困っているのですか?」



 と、どこか期待外れのような声をお石があげて、ため息をついた。

 

 思わずお石がため息をついたのも無理はない。

 この長親と呼ばれた男は、成田長親。

 当主の成田氏長の従弟にあたる人物であり、なんと城代であった成田泰季の長男であった。

 しかし武勇で鳴らした氏長や泰季と違って、これといった武功を長親が立てたことはない。

 だが一方で、暗愚の将というほどに、失態をおかしたこともない。

 そこそこな働きをして、そこそこに周囲から評価を受けている、本当にそこそこな人物であったのだ。

 

 裏を返せば、この長親は、武功の上でも性格の上においても、自分を主張しない節があり、そのおかげで彼には家中において敵が全くいない。

 これだけが彼の唯一の特長とも言えるかもしれなかった。

 そしてこの事は、領民たち相手にも言えることで、彼は領民たちにとても良く好まれた。

 しかしそれは決して、彼が善政をしいたから、というわけではない。

 むしろ何かを押しつけるようなことすらしようともしなかったのだ。

 

 ではなぜ、彼が領民に慕われたのか…

 

 それは…

 

 

「うむむ…お石殿と甲斐が困っているのを見たら、それがしも困ってしまったのでございます」



 というもの…

 

 つまり彼はいつでも「困っている人」であり、自然と彼の周りには「困っている人」が集まってきた。

 そう、彼はよく領民の話しを聞いてあげており、それが領民たちに慕われる大きな要因だったのだ。

 

 ところが…

 

 

「では、長親殿に何かよい解決方法があるというのか?」


「いえ…全くないから、かように困っているのだよ、甲斐」



 彼は「困っている人」を助けるだけの知恵は持ち合わせていない…というのも彼の特徴ではあったのだ…

 

 そして彼は根本的なことを甲斐姫に質したのであった。

 

 

「ところで甲斐とお石殿は、何をかように困っておられるのですか?」



 その質問に甲斐姫は「はぁ」と大きくため息をついた。

 

 

「長親殿…そなたのお父上が亡くなって、誰を忍城の城代とすべきかを悩んでおったのだ…」



 長親は合点がいったように、手をポンと叩いたが、特段彼自身の答えを持ち合わせているはずもなく、再び困ったように眉をしかめた。

 

 

「そうであったか…しかしどういった人物が城代に向いておるのかのう…?」



 その独り言のような問いかけに、お石が肩の力を抜いて答えた。

 

 

「それは長親殿…ご当主の氏長殿に近しいお人が良いに決まっておろう…」



 長親は再び手をポンと叩いたが、すぐに元に戻って困り顔になる。

 

 

「うむむ…氏長殿に近しいお人とは、具体的にどのようなお方かのう…」



 すると今度は甲斐姫が、「そんな事も分からんのか」と言わんばかりに、こちらも大きなため息とともに答えた。

 

 

「それは長親殿…氏長殿には嫡男がおらぬゆえ、兄弟とかになろう」



 長親は引き続き困った顔で問いを続ける。

 

 

「しかし…氏長殿の弟の泰親殿も小田原城につめておられる…そうなると、他に近しい者となると…どうなのかのう…?」



 何も考えていないような長親の態度に、いらいらし始めた甲斐姫が、いよいよ声に力を込めて答え出した。

 

 

「だから!そうなれば、氏長殿の叔父となろう!しかしその叔父の泰季殿が亡くなった今、残された選択は、氏長殿の従弟や、生きておったなら祖父なりになるではないか!」


 

 そんな剣幕の甲斐姫に対しても、長親は困った顔のまま唸っている。

 


「むむむ…従弟や祖父か…しかし祖父殿はもう亡きお方ゆえ…そうなると…困ったのう…誰かおらぬかのう…」



 しかし…その言葉にお石が、ハッとした顔となって言った。

 

 そしてこれこそが、長親が誰からも好かれている大きな要因であったのかもしれない。


 そう…


 なぜか長親に相談事を打ち明けると、おのずと解決してしまうのだ。

 

 この事は、今回の忍城の城代を決める事にも、大いに発揮されたのであった。

 

 

「従弟…おるではないか…従弟なら…」


「むむむ…従弟となると…誰かのう…」


「お主じゃ!!長親殿!お主こそ、氏長殿の従弟ではないか!!」


「えっ…?それがしが…!?それは困ります!」


「いや、もはや悩んでいる暇などない!!長親殿!ここは一つ、頼みましたよ!

甲斐や!城中の者たちをすぐに集めなさい!

長親殿を大将とすることを、皆に発表するのです!」


「はいっ!母上!」


「ちょ…ちょっと待っておくれ!!それがしが、それでは困ってしまいます!!」



 しかしそんな長親の言葉など届くこともなく、甲斐姫はひらりとその部屋を出ると、風のように各所に触れて回ったのであった。

 

 

――成田泰季が嫡男、長親殿が忍城の城代と相成った!



 ということを…

 

 

 こうして、そこそこの人であり、常に困っている人でもある成田長親の、一世一代の見せ場である、忍城の戦いが始まった――

 

 

 

 

 

 

このシリーズでは、秀頼が自身の大将としてどうあるべきかを考えさせられるような、そんなお話しにしたいと思っております。


戦国期における三大水攻めのうちの一つとまで言われた「忍城の戦い」。そして、その戦いの後に、成田家がたどった道のりのお話しを描きます。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。


※各リクエストはまだまだ受付中になります。是非お気軽にメッセージをお願いいたします

※また、いつも多くのご感想をいただきまして、誠にありがとうございます。

読者様からのメッセージが執筆の励みとなっております。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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