3通目の書状
◇◇
慶長5年(1600年)8月27日――
豊前(現在の大分県)にある中津城は軍備を整える人々で喧噪につつまれていた。
あまりに皆が急いで右往左往している為、土煙が舞い視界を容赦なく塞いでいる。汗を拭こうものなら、顔についた土で逆に汚れてしまうようなありさまだ。
「働け!働け!みなのもの!金が欲しければ大いに働くのだ!」
名槍「日本号」を片手に鼓舞しているのは、母里太兵衛。大きな体にしっくりくる大きな声を張り上げていた。
「それ!働いた後の酒はうまいぞ!みな!うまい酒を飲むため精を出すのだ!ははは!」
愉快そうに笑い声を上げる太兵衛。ふと見ると準備に勤しむ雑兵たちも心なしか楽しそうに、一生懸命に働いていた。
すでに隠居の身である老人が城主とは思えないほどの、若々しい活気に城の外は満ちていたのだった。
そんな城外とはうって変わって、城の奥のとある一室は、陰湿とも言えるような空気に包まれていた。
そこには二人の男が九州の地図の上に置かれた二通の書状を前に今後の事をこんこんと練っている。
しかし二人ともその表情には困惑の色を映していた。
その二人とは、中津城の城主であり、亡き太閤秀吉の名軍師として名高い黒田如水(黒田官兵衛孝高のこと)と、その家臣である栗山善助である。
彼等はこの二通の書状に頭を悩ませていた。
一通は徳川家康からのもの。
「九州の石田治部にくみする将の城を制圧せよ。切り取り次第である」
そしてもう一通は豊臣秀頼からのもの。
「山陽道を通り大坂城へ急行せよ。途中、毛利や宇喜多の城を制圧しても構わない。
切り取り次第である」
どちらに従うべきか…
その答えを出さねばならない時は刻一刻と迫っている。
なぜなら黒田如水は気付いていたのだ。
秀頼の書状は加藤清正にも届いているであろうことを。そして、もし判断が遅れれば、清正に遅れを取る事になる。
しかしその選択を取れば、彼の本来の野望を諦める事になるのだ。
それは彼が大事に暖めてきた野望…
九州を平定して、争いに疲れた中央に攻めこむ。そして…
天下をひっくり返す。
という大それた野望だ。
徳川家康からの書状に従えば、その野望に大きく前進することは目に見えていた。
何せ「切り取り次第」、つまり城を落とせば、そこは自分の領土としていいというお墨つきなのだ。
特に徳川にとって敵国のうちの一つである、島津を倒してしまえば、九州のほとんどを彼の領土に出来る。
これほど魅力的な条件はなかった。
しかし…
「秀吉様の忘れ形見である殿下の意向を無視して天下取りは成るでしょうか…」
栗山善助が深いため息をつきながらつぶやいた。もちろん如水の側近中の側近である彼は、その如水が胸に抱く野望のことはつぶさに理解している。
しかし皮肉なことに、まるで如水の思惑を見透かしたかのような秀頼からの要請だ。
そして中国地方を「切り取り次第」という魅力的な条件付きである。
中央に近い分、同じ領土の広さでも九州と中国ではその価値はだいぶ異なってくる。力を蓄えて天下を狙うには、絶好の地方と言えよう。それに、宇喜多領の備前は元々彼の出身地でもある。その領土を手に入れて凱旋することは、彼の念願のうちの一つでもあるのだ。
しかし大坂城に入るとなると事情は大きく異なってくる。その身動きは多くの監視のもと、かなり制限されてしまうだろう。
彼が息子である長政に家督を譲り、その後は伏見に屋敷を持たずにひっそりと九州で過ごしてきたのは、中央からの監視の目を盗み、その力を蓄えることができたからである。
現にそれまでの貯蓄を利用し、今回の戦支度を進めている。その兵力は見積もりでは9000人近くまで膨れる予定だ。
つまり大坂城に入ることは、彼の「天下取り」の野望を頓挫させる危険性を大いにはらんでいるのだ。
そんな事情もあり、彼は大いに悩んでいるのである。
そして、もしそこまで理解しての命令だとしたら、秀頼の右腕となっている人物は相当の切れ者だと彼は直感していた。
大坂城にのぼり、その人物を見てみたい。
そういった極めて個人的な興味もある。
如水は口元に笑みを浮かべた。
本当に困った時に彼はこういった表情をする癖がある。
「死せる筑前、生ける官兵衛を走らす、という訳ですかな?殿…」
彼には今回の事は、亡き太閤殿下の「いたずら」のように思えてならなかったので、中国の故事を引き合いに出す。
なぜならその頭の中には、困っている彼を見て、腹を抱えて笑っている太閤秀吉の姿がはっきりと映っていたからだ。
ただし、その姿に苛立ちではなく、むしろ懐かしさと親愛の情が如水の胸の内を暖かくする。
「殿…殿ならこの状況、いかがなさいますか?」
そしてこの日、結論は出ずに翌日以降に持ち越しとなったのであった。
◇◇
慶長5年(1600年)8月29日――
結局、この前日にも結論はでなかった。
しかし如水の苦悩などお構いなしに、いよいよ決断の時限を迎える。それは無情にも二つの報せが如水のもとに届いたからである。
一つ目はその日の昼過ぎに届いた。
大友九州に上陸――
如水の予想を覆したのは、その真意であった。
「亡き大友宗麟公のご遺志と、豊臣秀頼殿下のご意向をくみし、黒田、加藤と連携し九州の平和をお守りいたす」
というものだ。
てっきり大友義統は豊前上陸とともに徳川方の杵築城を攻め込むものであると考えていた。
「善助…大友の心はまことのものか?」
と、如水は傍らの栗山善助に聞いた。
その問いかけに、栗山善助はさして表情も変えずに
「間違いござらぬ」
と、即答した。なぜ彼が即答できたかという点については、大友義統に付添っている吉弘統幸は彼の義理の父であり、その真意をうかがうのに難しくはなかったからである。
その答えに唸るように如水は腰を落とした。
「ふむ…そうか」
これで中津城から黒田軍が北上するのに、背後の憂いはなくなった。
「俺の命令を断る理由はないはずだ」という無言の秀頼からの圧力ともとらえられない状況に、如水が思わず笑みをこぼしたのも自然といえよう。
「一体何者なのだ…殿下の背後におるものは…」
そしてそんな如水に追い討ちをかけるような、もう一つの報せが届いたのは、夜も更けた時分であった。
加藤清正北上する――
ここにきて来るべきことが来てしまったことによる、一種の諦めにも似た心情が如水の胸を締めつける。
そして既に寝床に入っているであろう、三人の側近を自分の部屋へと呼んだ。
いずれも黒田八虎である、井上九郎右衛門、母里太兵衛、栗山善助だ。三人とも現在の当主である黒田長政についてはいかずに、如水とともに中津城にいたのである。
幼き頃より仕え支えてきた主人である黒田如水の、人生最後の大博打に彼らはどこまでも付き添う覚悟だ。みなこの時を待っていたかのように、呼びつけてから間もなく集まってきた。その表情に眠気などなく、真剣な眼差しは忠義の塊である事を示しているかのようだ。
この主従の絆はこの下剋上の戦国の世においては珍しいほどに、確固たるものであり、如水にしてみれば胸を張れるものであったに違いない。
さてそんな三人を傍らにおき、中津城内で行う最後の軍議を緊急で開催することにしたのは、言うまでもなく加藤と大友の動きが明確となったからだ。
そしてとうとう如水は最後の決断をする。
「伸るか反るかなど、イエス様の御心にしか分からぬ。しかしこれだけは断言しよう!信念を貫けば、必ず道は開けるはずだ!」
そう力強く宣言すると、人生最後の下知を三人にくだすのであった。
その目に迷いなどない。
亡き羽柴筑前(豊臣秀吉のこと)と竹中半兵衛とともに数々の戦場を駆け巡ってきた頃の、血もたぎる程の高揚感が、彼の声も目も仕草もどれもかしこも若返らせるのであった。
ここに黒田如水の人生最後の打ち上げ花火の導火線に火がつけられたのである。
家康から如水に向けて「九州切り取り次第」の確約を得たのは、実は少し後であった可能性が高いですが、ここでは8月の時点ですでにその意向を受けていたということにいたしました。
さて、次回はここまでの流れ、登場人物と地図の挿絵を挟みます。
その後に本編を再開いたします。