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【幕間】千姫の贈り物

3月11日は、千姫の命日でございます。


彼女に贈る美しい物語をつづりたく、心を込めさせて執筆させていただきました。


読者の皆様におかれましても、千姫を想いながらご一読いただけると幸いにございます。


◇◇

 慶長11年(1606年)春のある日――

 

 長雨の季節を前にして、この日は雲一つない穏やかな晴天の日。

 大坂城の中庭の縁側には、お気に入りの黄色の着物姿で縁側に座ってお茶をすする千姫の姿があった。

 


「はぁ…お茶が美味しい」



 彼女はほっこりとした顔で幸せそうに、空を眺めている。

 

 そんな千姫の背中を、眉をしかめて見つめている一人の女性の姿があった。

 

 もちろん千姫はそんな視線に気づくこともなく、のほほんとしながら今度はお茶菓子を美味しそうに頬張っている。

 

 

「はぁ…美味しいのう」



 その千姫ののんびりとした言葉を聞いた瞬間、彼女を苦々しい顔をして見ていたその女性は、すくりと立ち上がると、千姫のすぐ後ろまでやってきた。

 

 大きな足音に、びっくりしてその女性の方を向く千姫。

 

 

「突然どうしたのじゃ!?」



 と、目を丸くした千姫はその女性に問いかけた。

 

 その女性は、千姫の侍女。彼女は真田昌幸の家臣、高梨内記の娘で九度山から真田幸村の後を強引に追ってきた…もとい、幸村が連れてきた女性である。

 その彼女が千姫に険しい顔つきを向けたのであった。

 

 

「千姫様!『お茶が美味しい』なんて、のんびりとされている余裕などありませぬ!」



 その彼女の言葉に、千姫は首をかしげる。

 

 

「どうしてじゃ?美味しいものは美味しいと申して何がいけないのじゃ?」


「そりゃあ、宇治で取れた最高級のお茶ですもの。

私だって機会があれば飲んでみたいものです。

しかし!いかんせん侍女の待遇では、宇治のお茶など夢のまた夢。

ああ、いつかは私も裕福なお方に嫁いで、贅沢三昧してみたいものです。

…て、そんなことを言いたいわけではありませぬ!」



 一人で勝手に話し始めて、勝手に怒っているのだから、たまったものではない。

 千姫はますます怪訝な顔をして、彼女に問いかけた。

 

 

「お主はおしゃべりがしたかったのか?」


「いえ!違います!」


「では、何をかように怒っておるのだ?わらわにも分かるように申しておくれ」



 その千姫の懇願に、彼女は姿勢を正して「コホン」と一つ咳払いをした。

 

 そして…

 

 

「千姫様はご存じではないのですか?豊臣秀頼様のお噂を!」



 千姫は「豊臣秀頼」という言葉にさらに目を大きくすると、少し声を大きくして問いかけた。

 

 

「なんじゃ!?その噂とは!?」


「いやあね、私だってあまりこういうのは好きじゃないのですよ。

それでも女同士集まれば、自然と話は『気になる殿方』になるのは、もう相場が決まってましてね。

つい先日、家中の侍女たちが話しをしているのを、たまたま近くを通りかかって耳にしてしまったわけですよ」



 そうぺらぺらと話している彼女に対して、同じく千姫の侍女であり、大蔵卿の姪にあたる青柳という女性が、冷ややかな視線を送っていた。

 青柳は二人に聞こえぬように、ぼそりと独り言を漏らす。

 

 

「…本当は、自分から話しを振って、みなを巻き込んだくせに…」


「むっ?青柳殿?何か言ったかしら?」


「い、いえ!何も申しておりません!」


「まあよいです。

でね、千姫様!そこで最近、特に若い侍女たちから秀頼様が人気なのですよ!」



 その言葉に千姫の顔が固まった。

 しかし、内記の娘の口は全く止まることなく、まるで洪水のように言葉を出し続けたのである。

 

 

「いや、もちろん秀頼様だけではないのですよ。

秀頼様の小姓組…

木村重成殿は、容姿端麗で頭脳明晰、非の打ちどころのない美少年ってことで、熱狂的な『重成信者』が大勢おりますし…

大野治徳殿は、頭はちょっとあれですけど、その野性味あふれる魅力を好む者も少なくありません。

堀内氏久殿は、まだまだ可愛らしい所がうけているようですね。熊みたいな父親の堀内氏善殿との差異が、また素敵と…」


「ふーん…そうなのか」



 と千姫はまったく興味がなさそうに、内記の娘の言葉を聞き流していた。

 その緊張感のない様子に、内記の娘はむっとしたのか、より語気を強めて続けたのである。

 

 

「よいですか!?それに秀頼様!!

秀頼様は、大坂城で最強と呼び声高き甲斐殿との剣術勝負にも勝ち、豊国祭礼や千姫様との婚儀で見せたあの振舞い!

さらに、その高い志しと、若干十三歳でありながら、曲者たちがひしめく豊臣の重臣たちを束ねられておられる!!

人気が出ないわけがございません!!」



 秀頼のこととなると、それまで眠そうにしていた千姫も気が気でないようだ。

 しかしそれでも

 

 

「秀頼様には千という列記とした妻がおりますゆえ!!どんなに他のおなごが騒ごうとも無駄にございます!!」



 と、顔を真っ赤にして強がった。

 

 その千姫を今度は内記の娘の方が冷ややかに見つめる。その視線に千姫は抗議した。

 

 

「な、なんじゃその目は!?何か言いたいことがあれば言ってみよ!」


「では、言わせていただきますが、千姫様。よろしいですか。

今の時代、石田宗應様のように、奥方様をお一人しか持たずに純愛を貫くなんていうのは流行っておりませぬ!

特に秀頼様は、それはもう大事な豊臣家の棟梁の身でございますので、お世継ぎを残す為にも、側室を持つのは当たり前の話しにございます!

千姫様のご祖父上の徳川家康殿をご覧になられてください!

なんと二十人ですよ!!

正室様と継室様を亡くされてからもなお、お盛んで、二十人ものお方を奥に迎えられております!!」


「おじじ様が…二十人…」



 千姫は眩暈を覚えて、ふらふらとしたが、その背中を優しく青柳が支えた。

 

 

「そのうち秀頼様だって、気に入ったおなごがおれば側室に…なんてことはありえないことではございません!

それに、今の時代、その奥方様だって血筋だけで選ぶような古い時代ではございませぬ!

大坂城につめる侍女に手をつけられることだって、ありえるでしょうし、皆それを狙っているのです!!」


「そ、そんな…不埒な…」


「千姫様!かようなお考えが古めかしいと申しておるのです!

現に、ここにいる青柳だって、木村重成様の事を見初(みそ)めて、虎視眈眈とその室の座を…」


「こら!何をおっしゃってらっしゃるのですか!!」


 普段は温厚な青柳が思わず声を荒げると、すぐさま内記の娘は舌を出す。

 

 

「まあ、青柳の恋についてはおいておいて…

とにかく秀頼様に対しても、何人もの侍女たちがそのように願っているか分かりません!!」


「そ、そ、そ、そのような事を言ったって、秀頼様は大丈夫です!」



 なおも強がる千姫。しかし内記の娘はむきになって続けた。

 

 

「ふーん、ならよいのです。

ところでちと小耳にはさんだのですが、どうも伊茶なる大蔵卿様の侍女が、秀頼様との謁見を心より望まれているとか、いないとか…

青柳の母上と、伊茶の母が昵懇の仲ということですね。

青柳なら何かご存じじゃありません。伊茶というおなごがどういう人か」



 と青柳に話しを振ると、青柳はちょっと考え込んで話しを始めた。

 

 

「えーっと、伊茶は読み書きはまだまだで数字も苦手なのだけど、とにかく面倒見がよくて、お料理に掃除も完璧、気もきくし、美しい顔立ち…

私が殿方でしたら、見初めてしまうに違いありません!!」



 うっとりしながら話しをする青柳に対して、千姫がぷくりと頬をふくらましながら、睨みつけている。

 

 

「青柳はどっちの味方なのじゃ…」


「えっ!?千姫様!?これは敵とか味方とか、そういったお話しでしたでしょうか?」


「ほほほ!青柳もまだまだね!

そうよ!これは戦さよ!!

千姫様!!かくなる上は、千姫様も負けてはおられません!!」



 たきつけるような内記の娘の言葉に、千姫は力強くうなずいた。

 

 

「千も負けてはおられぬ!!」


「そうです!!その心意気でございます!!千姫様!!」



 と、内記の娘も拳を固めて、何やら燃えてきているようだ。そんな二人に向けて、青柳がいたって冷静な口調で問いかけた。

 

 

「ところで…何をされれば『勝てる』のでしょう?」


「あっ…」



 どうやら内記の娘はそこまで考えていなかったようである。

 


「…」


「…」


「…」



 固まる三人…

 

 そんな中、ちゅんちゅんと雀の唄う声が大坂城の中庭にこだましていた。

 

 

 …と、その時であった。

 

 千姫たち三人の背後、すなわち奥の部屋の方から声が聞こえてきたのだ。

 それは淀殿と、真田幸村の正室である安芸の二人の会話であった。

 

 

「あら!安芸殿!なんですか!?その新しい髪飾りは!?」


「ふふ、夫の幸村様より頂戴いたしましたのです」


「まあ、それはうらやましいことです!」


「ふふ、久しぶりに手料理をふるまったら喜んでいただけたのですよ」


「ほほほ!やはり男というのは、おなごからの手作りの贈り物に弱いのですね」


「ふふふ!単純ですから」


「ほほほ!ほんと単純でございますね」



 その会話に三人は目を輝かせて互いの顔を見た。

 そして「うん!」と三人でうなずくと、たったと廊下を三人で駆け抜けていった。

 

 その音に部屋から出てきた淀殿と安芸の二人は、不思議そうな顔をして三人の背中を見つめていたのだった。

 

 

………

……

 奥の部屋から本丸の方へと入ってきた三人は、何をすべきかの検討を協議し始めた。

 

「千姫様!!今、秀頼様はご自身のお部屋で政務に当たられております!」


 そう青柳が報告すると、内記の娘が続けた。

 

 

「やはりここは、手作りの料理を差入れして、秀頼様のお心をがっちりとつかまれるのが良いでしょう!!」


「うん!」



 千姫は頬を紅潮させて、力強くうなずく。

 すると青柳が言った。

 

 

「いつも通りですと、秀頼様が政務に当たられる時間はあと一刻(2時間)ほど…それまでの間にお料理を作ればよい、ということですね!」


「青柳!料理だけでは今の時代では足りません!源二郎様(真田幸村のこと)が単純すぎるだけです!!

…ったく、そんな手料理が食べたいのだったら、私が毎日でも作ってあげるのに…」



 ぶつぶつと独り言を漏らす内記の娘に対して、青柳が不思議そうに見つめる。

 


「なに?どうしたの?」


「な、なんでもないわ!とにかく!男への贈り物と言えば、『文』!!言わば『恋文』にございます!!

つきましては、『恋文』を書きましょう!」



 そう宣言した内記の娘に対して、千姫はうつむいてもじもじとしている。

 

 

「どうされたのですか?千姫様?」


「…か、書けぬ…」


「えっ?何?声が小さくて聞こえませぬ!」



 そんな風に耳に手をあてる内記の娘に対して、真っ赤な顔をした千姫は叫ぶように言った。

 

 

「千はまだ字が書けませぬ!!!」



「…」


「…」


「…」



 再び沈黙する三人。

 

 

 …と、その時であった。

 

 

「ややっ?どうしたのですか?千姫様。こんなところで!?」



 と声をかけてきたのは、木村重成。大坂城内でも秀才と呼ばれているその人であった。

 

 

 

………

……

「なぜ…それがしがかような事をせねばならぬのです…」



 と木村重成が震える声でたずねた。

 

 

「まあ、よいではないですか!これも千姫様をお助けする為でございます!

それとも何ですか?千姫様をお助けするのを拒まれる、ということでございますか?

もしそうなら、甲斐様に言いつけねばなりませんねぇ」



 内記の娘はねちっこい口調で、重成に向かって言うと、重成は観念したようにうなだれた。

 

 ここは机と紙、そして筆に墨がある一室だ。

 目の前の木村重成に恋文を書いてもらって、次に千姫がその字を手本にしながら書くことで完成させようと考えたのである。

 

 そしてここで問題となったのが、恋文の原案を誰が作るかということであった。

 すると、内記の娘はいやらしい顔つきになって、青柳のことをつついたのである。

 

 

「むふふ…それはここにいる青柳しかおりませんわ。

さあ、青柳!今目の前におられる木村重成殿に向かって恋文をつづる気持ちになって、その熱い想いを打ち明けなさい!」



 その言葉に青柳の顔が燃えるように真っ赤になった。

 木村重成の顔も赤くなり、額に汗がういている。

 

 

「ささ!早く!もう時間がないのですから!」



 と内記の娘は、相変わらずいやらしい目つきで青柳をつついている。

 

 

「あ…あくまで千姫様が秀頼様にお送りする恋文であって、わ、私が重成様の事を想っての恋文ではございませんから…」


「わ…分かっております。で…では…」



 ぎこちない二人の会話に、千姫はあまりよく状況が飲み込めていないのか、不思議そうに二人を見比べている。

 そして青柳が口を開いた。

 

 

「いつも遠くから輝くあなたを見ております。

これ以上は近づくことが許されぬのは、分かってはいるのですが、一度燃え広がった恋の炎は、もはやあなたの胸の中に抱かれるより他ではおさまりそうにありません。

ああ、この想いが矢となって、あなたの心に届くなら、どんなに幸せなことでしょう。

声をかけることすら出来ぬ、あなたとの距離がもどかしくてなりません…」



「…」


「…」


「…」



 目を閉じて、つらつらと流れるように情熱的な言葉を重ねる青柳に対して、残りの三人は口をぽかんと開けてその様子を見ていた。

 

 そしてしばらくした後…

 

 ようやく青柳はその言葉を終えると、ゆっくりと目を開けて三人の様子をうかがった。

 

 特に木村重成はその顔を朱色にさせて、青柳を見つめている…

 

 そして、内記の娘が「コホン」と咳払いをすると、ため息まじりに言った。

 

 

「青柳…千姫様と秀頼様はご結婚されているのですよ…

『いつも遠くから見ている』って出だしからありえません…

まったく…いくら愛しの木村重成殿を目の前に、つい自分の気持ちが出てしまったとはいえ…」



 その内記の娘の言葉に、重成はさらに顔を赤くして驚いた声を上げた。

 

 

「え…?青柳殿の気持ち…?」


「あっ…」


 明らかに「しまった!」という顔をした内記の娘は、恐る恐る青柳の方を見る。

 

 すると目にいっぱい涙を浮かべた青柳は…

 

 

「馬鹿!!!もう知りません!!」



 と、部屋を出て行ってしまった。

 

――ピシャリッ!!


 勢いよく閉められた襖の音に、残された三人は肩をせばめて顔をしかめた。

 

 

 しばらく再び沈黙が部屋を支配する…

 

 

 そんな中、千姫がぼそりとつぶやいた。

 

 

「千の気持ちを文にするだけでは、だめなのでしょうか…」



「うむ…それがしもそれが一番よいと思う…」



 そう重成が同調したことで、ようやく文を作り始めたのであった…

 

 


………

……

「急ぎましょう!!千姫様!!もう時間がありません!!」


「うん!」



 すったもんだがあって、ようやく『恋文』を完成させた千姫らは、次に料理を作る為に台所の方へと駆けていった。

 しかし、予定の時刻まではもう四半刻(約30分)も残されていない。

 そこで内記の娘は、台所に向かっている最中に、どんな料理を作るのかを決めてしまおうと考えて、千姫に問いかけた。

 

 

「千姫様!一応、だめなのを承知でうかがいますが、得意なお料理はございますか?」



 まだ字も書けない千姫が、得意料理などあるわけないだろう…そんな風に内記の娘は心の中では諦めながらも、二人で一緒に作れる料理について頭を巡らせていたのだが…

 

 

「それならあります!!以前、秀頼さまに喜んでいただいた料理がございます!!」



 と、千姫は高々と宣言したのだから、これには肝っ玉のすわった内記の娘であっても驚いた。

 

 

「そ、そう!それはよかったです!では、そのお料理を作りにいきましょう!!」


「うん!!」



 この時の内記の娘は思いもしなかったのだ。

 

――なぜあの時、どんな料理を作るつもりか、という事を聞かなかったのだろう…


 と四半刻後には、自分が激しい後悔に襲われることを…

 

 

 

………

……

 豊臣秀頼は、この日も数々の決裁せねばならぬ書状や陳情の処理に追われていた。

 

 机の上に向かって、隣にいる真田幸村から差し出される書状に目を通して、判を押す作業をひたすら繰り返している。

 もちろんその中身はくまなく確認した上で、「可」としたもののみに判を押す訳だが、中には「却下」したものも多く、一つ一つに頭を働かせる必要があるのである。

 

 

「ふぅ…なかなか骨が折れるのう…」



 と肩と首を回しながら、秀頼がもらすと、幸村はいつもの涼やかな表情で、

 


「ここらでお茶でも飲まれて、一息入れられてはいかがでしょうか」



 と提案した。

 

 

「うむ…そうしたいのはやまやまであるが、もう少し片付けてからにするか」



 秀頼は、幸村の傍らにある書状の山を見て、心に鞭を打ったのだった。

 

 

 そんな時であった。

 秀頼と幸村のいる部屋の外から、七手組の一人の声が響いた。

 

 

「申し上げます!千姫様がお見えになられております!」



 その言葉に秀頼は思わず目を丸くして幸村の方を見た。

 それもそのはずで、秀頼の政務中に、千姫がこの部屋を訪れることなど、今までに一度もなかったからである。

 

 何かあったのか、と勘ぐってしまってもおかしくはないのだが、幸村は涼やかな表情のまま、

 

 

「お部屋に入れていただき、よろしいかと思います」



 と秀頼に向かってうなずいた。

 

 

「うむ!では、部屋に入れよ!」



 秀頼が大きな声で返事をすると、すっと襖が開けられる。

 

 

 そして、千姫の前に置かれていた物を見た瞬間…



 秀頼だけではなく、涼やかな表情を崩さなかった幸村の顔まで驚愕の色に変わった。

 

 

「な…なんなのだ…?それは…!?」



 声を絞り出すようにして問いかける秀頼。なんとそこには、千姫の頭ほどはある、大きな白飯のかたまりが膳の上に置かれていたのだ。

 

 すると、千姫が緊張の面持ちのまま大きな声で言った。

 

 

「にぎりめしでございます!!」


「明らかに『握った』といういうよりは『固めた』という表現の方がぴたりとくるのだが…」



 そう怪訝な表情を浮かべる秀頼に対して、千姫は悲しそうにうつむいた。

 そしてその千姫の後ろに控えている内記の娘が、ため息まじりに、

 

「だから、それではいけませぬ、とあれほど申し上げたのです…

手作り料理を振舞うなら、もう少し手の込んだお料理でないと…」


 と、小言を漏らした。

 

 そんな彼女の言葉に耳を傾けていた秀頼は、ハッとした顔をすると、千姫に問いかけた。

 

 

「これはお千が作ってくれたのか?」


「はい…」


「俺の為に手料理を振舞おうと思ってか?」


「はい…しかし、秀頼さまがお気に召さなかったということでしたら、持ちかえります…」



 そう消え入りそうな声で千姫が呟いた瞬間だった。

 

 

――ガブッ!!



 と噛みつく音がした。

 千姫は急いでその音の方に視線を向ける。

 

 するとそこには、秀頼がその大きな握り飯にかぶりついていたのである。

 

 

「うまい!塩加減がわれ好みじゃ!!さすがはお千!!よく分かっておる!!ははは!!」



 と、心の底から美味しそうな顔をして、秀頼はその握り飯をもりもりと食べていった。

 

 

「ひ…秀頼さま…」


「ちょうど何か食べたいと思っていたところだったのだ!これは嬉しいのう!!ははは!!」



 秀頼は驚く千姫と内記の娘を尻目に、どんどん握り飯の大きさを小さくしていく。

 

 そして…

 

 

「いやぁ!!実に旨かった!!ありがとう!!お千!」



 と、満腹となった腹を叩いて、秀頼は全て平らげた。

 

 

「うぐっ…秀頼さまぁ…」



 嬉しさのあまりに、涙ぐむ千姫に対して、秀頼は笑顔でその頭を撫でた。

 

 

「お千の握り飯は天下一品じゃ!ははは!!ありがとう!」


「ありがとうございます…千は…千は…」



 泣きじゃくる千姫。

 秀頼はそんな彼女のことを愛おしそうに優しく背中をさすっていたのだった。

 

 そんな優しい時間が続く中、内記の娘が口を出した。

 

 

「こほん!えっと、千姫様!もう一つあるのではございません?」



 すると千姫は何かを思い出したかのように泣きやむと、懐から一つの紙を取りだした。

 

 

「これは…結び文…しかも恋文の結び…」



 と秀頼はそれを見て頬を紅く染めている。

 

 

「開けてもよいか?」



 こくりとうなずく千姫。

 

 秀頼はそれを開くと、この日に目を通したどの書状よりもじっくりとそれに目を通した。

 

 まるで、一字一字を堪能するように…

 

 そこには…

 

――お忙しい御身なれど、御体を大事になさってください。いつも笑っておられるあなた様をお慕いいたしております


 とたどたどしい字で書かれていたのだ。

 

 短い文だが、その文には千姫の大きな想いがつまっているようで、秀頼は鼻の奥に熱いものを感じて、思わず千姫を抱きしめた。

 

 

「ありがとう…俺は幸せものだ!」


「千も幸せにございます!」



 二人を部屋に入ってきた春の陽射しが柔らかく包むと、二人は眩しく輝いていた。

 

 

「…ちょっと!源二郎様!こっち!こっちよ!」



 と内記の娘が、幸村を部屋の外に手招きする。

 幸村もハッと我に返って、彼女の言う通りに部屋の外に出た。

 


「では、わたしたちはこれにて失礼いたします…」



 と内記の娘は、静かに頭を下げると、幸村を引っ張るようにして、その場をあとにしたのだった。

 

 

 

………

……

 それは慶長11年(1606年)のとある春の一日――

 

 大坂城の中庭を臨む縁側で、千姫がお気に入りの黄色の着物で、のんびりとお茶をすすっている。

 


「はぁ…お茶が美味しい」



 そう幸せそうな顔で空に向かって目を細める千姫。

 

 そんな彼女に…

 

 

「まこと美味しいお茶であるな。お千」



 と、笑顔を向ける豊臣秀頼の姿が、隣にあった――

 

 

「はい!秀頼さま!!」



 千姫もとびきりの笑顔で秀頼の言葉に答える。

 

 そんな幸せな二人を祝うように、庭の雀が楽しそうに唄っていたのであった。

 

 




2017年3月11日は、千姫の351回目の命日にあたります。(旧暦では2月6日にご逝去)


二度も夫に先立たれ、さらには長男も幼くして亡くすなど、歴史に翻弄された彼女の人生ではありましたが、そんな中でも必死に『幸せ』をつかもうとして生きてきた、と私は信じて、この物語を作りました。


物語の中で彼女が得た幸せが、少しでも読者様の心に届いたなら幸いでございます。

そして、彼女の冥福を一緒にお祈りいただれば、恐らく天国の彼女も素敵な笑顔を見せてくれているのではないかと思えてならないのです。


では、今後もよろしくお願いいたします。




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