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あなたを守る傘になると決めて…⑮佐和山で待つ夢(4)

◇◇

 木俣守勝の独白は、彼が炎にまかれた石田三成の屋敷を発見したくだりで、一旦切られた。


 三成の妻であるうたは、その時の地獄のような様子が脳裏にはっきりと浮かんでいるようで、震えながら涙を流している。そんな彼女を甲斐姫が「大丈夫じゃ」と優しく介抱していた。

 

 そして…

 

 守勝は、そっと自分の着物の腕をめくった。

 

 そこには…

 

 大きな火傷の跡があったのである。

 

 俺、豊臣秀頼やその他の面々がその傷に驚く中、守勝は淡々と続けたのであった。

 


………

……

 慶長5年(1600年)9月17日――

 

 辺りが夕闇に包まれんとしたその頃、

 

 

「破った!!金吾中納言様が家臣、平岡頼勝!!佐和山城の大手門を破ったり!!」



 と、佐和山の山麓から徳川軍の大歓声とともに、大きな声が響き渡った。

 

 抜け道である法華口の方面から火の手が見えた石田勢は、木俣守勝の狙いの通りに大手門の守備を薄くして、そちらに兵を向けた。

 しかしただでさえ兵力差が歴然としているにも関わらず、そこから兵が減ればいかに鉄壁を誇る佐和山城の大手門とて、ひとたまりもない。

 

 およそ半日かけてようやく城へと続く城門を破った徳川軍は、一気に城内へとなだれ込んでいった。

 

 

「切通しだ!!切通しで守るのだ!!」



 石田勢の大将の一人、石田三成の兄である石田正澄は大声を上げて大手門からの撤退を命ずると、次なる要所での戦いを指示した。

 

 切通しとはまさにその名の通りに、山を削って城へと続く道とした場所である。

 断崖絶壁に囲まれたその場所は、通る方にとってみれば地獄、しかし一方で守る方にしてみればその場所を抜けられると、もはや本丸までの道で守る場所がなくなるという、まさに勝負どころであったのだ。

 

 

「絶対に通すわけにはいかぬ!!」


「何が何でも抜けるのだ!!」



 両軍の気迫がぶつかる中で、さらなる激戦が続いていったのだった。

 

 

 一方…

 

 石田三成の屋敷の方へと急行していた木俣守勝は、大声を上げて自身と兵たちを鼓舞していた。



「ぐぬっ!!屋敷には女子供しかおらんはず!!みなのもの急ぐぞ!!これは徳川軍の威光にも関わる問題である!!」



 敵方の家族とは言え、捕虜にもせずに無抵抗な者たちを惨殺したとなれば、この一戦における徳川軍の威光に大きく関わる問題だ。

 さらに言えば、そのように各武将が暴走しないように井伊直政が目付けを任じられたと言っても過言ではない為、彼らの不手際は井伊家の咎めとされても不思議ではないのだ。

 守勝はどうか大惨事となる前に、秀秋の軍勢を止めねばならぬと、馬の脚が壊れるのではないかと言うほどに、馬をしごき前へ前へと進んでいったのであった。

 

 

 

 …しかし…

 

 

 彼がその場に到着したその時には既に遅かった…

 

 

 守勝の目に飛び込んできたその光景は…

 

 

 佐和山の山麓にある石田三成と、島左近の二つの屋敷が炎に包まれていた光景であった。

 

 

――おっかあ!!おっかあ!!助けてくれ!


――熱い!熱い!!ぎゃあああああ!!



 あちこちから子供たちや女性たちの泣き叫ぶ声が聞こえる。

 

 そして屋敷の近くにある池は、彼女らの血で真っ赤に染まっており、いくつもの血まみれの女性の死体が、苦しむ表情を浮かべたまま水面に浮かんでいた。

 

 まさに『地獄』そのものであった…

 

 

「ああああああ!!!!」



 守勝は我を忘れて絶叫すると、馬を下りて小早川軍の背中へと突進していった。

 

 突然背後から殴りつけられた小早川軍の兵たちは「何事か!?」と目を丸くしている。

 そんな彼らに向けて守勝は再び絶叫した。

 

 

「退け!!屋敷から退くのだ!!!この後におよんで女子供に手をかけるやからがいれば、小早川は『井伊の赤備え』の敵とみなす!!」



 守勝のあまりの気迫に小早川軍の兵たちは、立ちすくんでしまった。

 その中をかき分けるように守勝は進み、火に巻かれている石田三成の屋敷の中へと駆けていく。

 そんな守勝に小姓の一人が必死に声を上げた。

 

 

「木俣殿!!屋敷の中は危険にございます!!」


「ええい!だまれ!!中にまだ人がいるやもしれぬ!!」


「木俣殿!!」



 小姓の懸命な制止にも関わらず、守勝は燃え盛る屋敷の中へと飛び込んでいく。

 手ぬぐいで煙を吸わぬように口を抑えたものの、それでも業火にまかれた屋敷の中は熱く、息をするだけで体の内から燃えてしまいそうな感覚に陥った。

 

 それでも…

 

 

「誰か!!誰かおらぬのか!!」



 と、必死に声を上げる守勝。

 

 しかし見渡す限りの侍女たちの亡きがらだけが広がるその光景に、勢いだけで屋敷の中へと足を踏み入れた守勝は、絶望を覚えざるを得なかったのである。

 

 そんな時であった。

 

 

「お…奥方様が…」



 と、血まみれで倒れていた一人の侍女が守勝の絶叫に応えるように息絶え絶えの声をあげた。

 

 急いでその侍女の元へと駆けつける守勝。しかし助けようにも既に手遅れな事を示すように、彼女は虫の息であった。

 しかし、彼女の懸命な願いだけは、彼女の肉体を凌駕して言葉となって出てきているようだ。

 彼女は今にも消えそうな声で続けた。

 

 

「奥の…一番奥の部屋に…奥方様が…」


「一番奥の部屋だな!!もうよい!!今から外へ連れていってやる!!これ以上はしゃべるな!!」



 しかしその守勝の言葉に、首を強く振った侍女は、無念の涙を流しながら最後の力を振り絞って、言葉を発したのである。

 

 

「わ…われのことよりも…奥方様を…どうか…どうか…」



 なんという強い忠誠心であろうか…

 

 彼女は死の間際になっても、自分の安息よりも仕えているこの屋敷の主人の奥方の事を、まさに命を懸けて救おうとしたのである。

 

 守勝はその悲壮な決意に胸をうたれて、思わず涙を流して、大きくうなずくと、彼女の口に自分が持っていた竹筒から水を含ませた。

 

 その瞬間…

 

 彼女は安らかな表情を浮かべたかと思うと、そのまま息を引き取ったのだった。

 

 その様子を見届けた守勝はあらためて決意を固くした。

 

 

「この者が託した願いをかなえる為にも、何がなんでも助けねばならぬ!」



 守勝は彼女の遺した言葉の通りに、一番奥の部屋へと炎の中を突き進んでいった。

 

 

 

 一方その頃…

 

 木俣守勝が一人炎にまかれる屋敷の中へと身を投じたことを知った井伊直政は、先の関ヶ原の合戦で島津義弘から受けた銃創の痛みを必死でこらえながら、石田屋敷の前までやってきていた。

 

 そしてそこで未だに立ちつくす小早川秀秋の兵の前までつかつかとやってくると、

 

――ドカッ!!!


 といきなり足蹴にしたのだ。

 

 

「な…なにをされるか!!」


「黙れ!!この外道が!!恥を知れ!!金吾中納言はどこじゃ!!!今すぐこの狼藉を止めさせてくれるわ!!」



 まさに「赤鬼」と呼ばれるに相応しいその気迫に気圧された兵は、震える指先を屋敷の奥の方へと向ける。

 その方角に向けて、直政と井伊の赤備えの軍団は、馬を進めていったのであった。

 

 

 さらに山の中腹の方へと目を向けると、佐和山城の本丸へと続く切通しにおいては、予想通りの大激戦が日没寸前にも関わらず繰り広げられていた。

 

 そのあまりに攻撃の苛烈さに、寄せ手の大将である平岡頼勝は唇を噛んだ。

 


「これは今日、決着がつかぬかもしれぬ…」



 もはやわずかに顔をのぞかせるばかりとなった秋の空を眺めながら、そうつぶやいた。


 しかし…

 

 守り手の石田正澄の口から出た言葉に、頼勝はハッとしたのである。

 

 その言葉とは…

 

 

「ここが正念場だ!!冶部少殿(石田三成のこと)が逆賊徳川内府を討ち果たして凱旋されるその時までは、なんとしても持ちこたえるのだ!!」



 というものだった。

 すなわち頼勝は気付いたのである。

 

――こやつら、石田冶部少が関ヶ原の地にて敗れたのを知らぬのか…!


 その事が頭をよぎった瞬間に、頼勝は勝手にその口が開いていた。

 

 

「ははは!!よく聞け!!石田の兵たちよ!!

もはや関ヶ原の地にて、石田冶部少率いる軍勢は、徳川内府殿が率いる軍勢によって大敗を喫して、その行方はことごとく知れぬ!!

凱旋はおろか、落ち武者としてもこの城に戻ってこれるかどうかも知れぬ人を、お主たちは待っているというのか!!」



 佐和山の夜空に頼勝の大笑いが響いたかと思うと、彼に呼応するように小早川軍から大笑いがこだました。

 

 

「聞くな!!これは敵の虚言である!!必ずや殿は戻ってくる!!」



 正澄の激しい檄が飛ぶが、明らかに石田兵に動揺が走っているのは、その攻撃の手が緩んだことではっきりと分かる。

 

 いかんともしがたい士気の低下に、正澄は

 

「これはいかん…かくなる上は、城から増援を頼むより他あるまい!」


 と、即座に頭を切り替えて、士気の低下によって減った手数を補う為に、まだ本丸の守備にあたっている兵の一部を増援として前線に送るように、本丸にいる父石田正継に向けて伝令を飛ばしたのであった。

 

 ところが…

 

 この伝令こそが、佐和山城の守り手に引導を渡すきっかけとなってしまうことになるとは…

 

 この時必死に敵を食い止めている石田兵たちの誰も気付くことなどなかったのである。

 

 

 そして、その頃…

 

 燃え盛る石田屋敷の一番奥の部屋へとたどり着いた木俣守勝。

 すでに彼は全身のあちこちに火傷を負い、立っているのもやっとの状態であった。

 それでも助けるべき人間がまだいる事を信じてそこまでやってきたのである。

 

 そこで彼は…

 

 

「大丈夫であるか!!おい!!返事をせよ!!」



 と、一人の女性が倒れているのを発見したのである。

 

 その彼女は顔に大きな火傷を負い煙を吸いすぎたせいか、既に意識を失っていた。それでも弱々しく息をしていることから、彼女の命はまだわずかにその光をともしているのが分かった。

 


「死なせるものかぁぁぁぁぁ!!!」



 と、彼は絶叫とともに彼女を背負うと、彼にとっても最後の力を振り絞って、屋敷の外へと這い出ていったのであった。

 

 

 

………

……

 あまりに壮絶なその話しに、俺も含めてその場の全員が言葉を失ってしまっていた。

 ここまでで木俣守勝が話しを切ったことで、部屋の中は沈黙が支配したのだが、うたのすすり泣く声だけが部屋の中にこだます。

 

 俺は佐和山城の戦いがあったこと自体は知ってはいたが、こんなにも苛烈で凄惨な戦いであったということは全く知らなかった。

 そして、実際にこの目で見なくともその様子が目に浮かんでくるようで、胸を痛めたのである。

 

 その沈黙を破ったのは、井伊直継であった。彼は小さな声でぽつりぽつりと話し始めた。

 

 

「…そして、命からがら屋敷を抜け出した守勝とうた殿は、父上によって手あつく介抱された。

しかしご覧のとおり、守勝は二度と戦場には立てぬほどに体に大きな痛手を負い、うた殿はその両目の光を失ってしまった。

そして、うた殿が石田冶部少殿の奥方様であると気付くまでには、さほど長い時間はかからなかったようです。

それでも父上は、守勝が命がけで救った命を粗末にすまいと、この屋敷を建て直した際に、この部屋に隠し部屋を作るように指示された。

さらに、そこでうた殿をかくまうように、それがしに命じられたのでございます」


「そして兄上は、あえて『幽霊』の噂を流して、この部屋に誰も近づけさせぬようにした…ということだな?」



 直孝がどこか納得したような表情となって直継に問いかけると、彼はこくりと頷いた。

 

 その様子を見て、直孝が「ふぅ」と大きく息を吐いた。

 

 そして…

 

 彼は突如として座ると、こともあろうことか俺と甲斐姫に向けて地面に頭をこするようにして深く頭を下げたのである。

 

 その様子に俺と甲斐姫は目を丸くした。

 そして直孝は大きな声で俺たちに頼みこんだのである。

 

 

「秀頼殿!甲斐殿!どうかこの事はここだけの事としてはいただけないだろうか!!この通りである!!」



 それは井伊家の事を真剣に想っているからこそ成せる、渾身の頼み事であった。

 

 それもそのはずである。

 もし、石田三成の妻を、あの徳川四天王である井伊直政の指示で秘密裏に匿っていたとなれば、井伊家の信用問題に発展しかねない。

 遅くとも石田三成の処分が決まり、彼が石田宗應と名乗るようになったその頃までには、徳川家康にこの件を報告し、その処遇を仰ぐべきだったのではないか。

 しかしそれが出来なかったのは、彼女の処刑を恐れたということもあろうが、何よりも盲目となってしまった彼女が屋敷から追放されてその後の生活を保証されなくなってしまうことだったのではないだろうか。

 

 その判断は、井伊直継の心根の良さが明らかに表れているというより他ない。

 そしてそんな兄を、厳格な弟が懸命にかぶっている…

 そんな美しい兄弟愛がそこにはあった。

 

 しかし…

 

 俺はそんな直孝に淡々と答えたのであった。

 

 

「そう言う訳にはいかぬ。この事は、義父(ちち)上である徳川秀忠殿に報告の上、その沙汰を仰ぐことといたす」



 がばっと顔を上げて、敵意に満ちた視線を俺に送る直孝。

 そんな彼よりも前に、甲斐姫が俺に向かって鋭い声を上げた。

 

 

「秀頼殿!!男がここまでして頼みこんでいることに応えてやらねえなんて、ちょっと了見が狭すぎじゃねえか!?

このまま徳川殿に報告したなら、井伊家は下手をすればお取りつぶしになってしまうであろう!

一夜の宿を借りた相手に、それは薄情過ぎるんじゃねえか!?」



 その言葉に、俺はきりっと甲斐姫を睨みつける。

 甲斐姫も負けじと俺を睨み返してきた。

 

 

「なんだ?その目は…秀頼殿」



 そして俺は強い口調で甲斐姫に向けて言い放ったのであった。

 

 

「了見が狭いのは、甲斐殿!お主の方である!!」


「な…なんだって!?」



 その言葉に甲斐姫の顔が歪む。そして彼女は間髪入れずに俺に問いかけた。

 

 

「どういうことだと言うのだ!?まさか、井伊家は徳川の重臣であるゆえ、今取り潰しておけば、後々に豊臣家の有利に働く、などとくだらぬ事を考えているのではあるまいな!?」



 その問いかけに俺は感情をあらわにして嚇怒した。

 

 

「いかに豊臣家重臣の甲斐殿とはいえ、今の言葉は断じて許せん!!

お主の手で教育されたこの豊臣右大臣秀頼はかような薄情者ではないわ!!」



 あまりの俺の気迫に部屋の空気がびりびりと震えた。

 

 しかし…

 

 甲斐姫が一瞬笑みを浮かべたのを、俺は見逃さなかった…

 

 

――そうか…最初から甲斐姫は俺を試していたのか…そして、俺が誤った判断を下したその時は、自分が『剣』となって俺を諌めようとしていたのかも知れない



 そんな風に逡巡しているうちに、甲斐姫は問いかけてきた。

 

 

「では、聞かせてもらおうか!そこまで言うなら秀頼殿にはさぞかし素晴らしいお考えがあるのであろうな!!」



 俺は彼女の挑発するような言葉に乗って、自分の真意を語る事にしたのだった。

 

 

「甲斐殿!お主も知っているであろう!!

われは、われに関わる全ての人を『笑顔にする』というのが、大きな目標である!

しかし、もし直孝殿の頼みを聞いて、この事を黙っていた場合、どうなるだろうか!!」


「井伊家の皆が笑顔になるのではないのか?」


「それでは足りんと言っておるのだ!!」


「それがどういう事か、説明して欲しいと聞いておるのだ!!」



 まるで剣術の稽古をしているかのような激しい言葉の応酬が、俺と甲斐姫との間で繰り広げられていく。

 

 その様子に、先ほどまで泣きじゃくっていたうたも含めて全員が息を飲んでいた。

 

 そして…

 

 俺は甲斐姫の求めに応じて、答えたのであった。


 

 

「それでは、うた殿が『笑顔』になれぬではないか!!!」




 その言葉がその場の全員の体を電気のように走る。

 

 誰もが口を開けない中で、俺は魂を込めて言葉を続けたのであった。

 

 

「もし…もしここで誰もがうた殿の事を心に秘めて、世間に公表しなかったとしたら、うた殿はどうなるのだ!!?

このまま、その存在を誰にも知られることなく、ひっそりと一生を終えさせるつもりであろうか!!?

ただ生きながらえているというだけで、たったそれだけで、うた殿が『笑顔』になるとお思いか!!

われはそうは思わん!!

われは思う!!

妻である以上、夫に会わせてあげたい!!

母である以上、その子たちに会わせてあげたい!!

しかし、この部屋に閉じ込められるように暮らしていて、それがかなうであろうか!!

そして、それがかなわずして、うた殿を『笑顔』にすることがかなうであろうか!!

われは、うた殿にも豊かな人生を送ってもらい、心から『笑顔』を見せることが出来る、そんな日をかなえて欲しいと思うがいかがであろうか!!

そしてその為なら、この豊臣秀頼という名を使うことに何らためらうつもりなどないのだ!!」



 その言葉にうたは嗚咽をもらしながら泣き始めている。そしてかたわらの木俣守勝も涙を流していた。


 もちろん彼らだけではない。


 井伊直継、直孝の兄弟も、そして甲斐姫でさえも、その瞳をうるませるに十分な俺の叫びであった。

 

 そして今度は直孝と直継の兄弟の方へと目を向けて続けた。

 

 

「直継殿に直孝殿!!

われが『笑顔』にしたいのは、井伊家の全ての人に対しても同じである!!

だからわれを信じて欲しいのだ!!

われは必ず、この身を削ろうとも義父上を説き伏せてみせる!そして場合によっては、義祖父上も!

木俣殿が命をかけて救ったこのうた殿の命は、必ずやこの豊臣秀頼がつないでみせよう!

今はこの言葉でしか表わせぬことがもどかしい!

しかし、どうか信じて欲しい!!この通りだ!!」



 と、俺は二人に向けて深々と頭を下げたのだった。


 しばらく沈黙が続く。


 そして、その後…


 立ち上がった直孝が、俺よりも頭をさらに下げて言ったのだった。

 

 

「秀頼殿…頭を上げてくだされ…秀頼殿のおっしゃる通りである。

そして、秀頼殿のその言葉を聞くまで、秀頼殿の事を信頼しきっていなかった、それがしをどうかお許しくだされ。

兄上…それがしは秀頼殿を信じたい。

そしてもし秀頼殿の説得をもってしても御咎めを受けるようであれば、それは甘んじて受けようではないか。

それこそ井伊の男気であると思うがいかがであろう」


「直孝よ。それでそれがしも良いと思っておる。

秀頼殿…こたびの件、秀頼殿に預けてしまう形となるが、どうかお許しくだされ」



 そのように兄の直継もまた俺に頭を下げると、この件は落着を見せたのであった。

 

 そして互いに頭を上げた俺たちは顔を見合わせる。

 

 その真剣そのものの顔を見て、今朝の泥だらけの直孝を思い出し、俺は思わず

 

「ぷっ!ははは!!」


 と笑いだしてしまった。

 

 

「人の顔を見て笑いだすとは!!やはり秀頼殿は信頼がおけぬ!!ははは!!」


 

 と、直孝も大笑いする。

 

 二人が笑っていると、自然とその笑顔は部屋中に充満し、いつの間にかうたも含めて、全員が笑顔に変わっていたのであった。

 

 そして甲斐姫が、「ほれ見たことか」と、まるで自分の手柄であったかのような顔を浮かべて、俺に笑顔を向ける。

 

 

「やはり秀頼殿はわらわの見込んだ通りだ!

どうだ!?わらわを室にでも迎えるというのは!?」



 その言葉に俺は笑顔を、ぎょっとした恐怖の顔に変えて、首を横に振った。

 

 

「なんじゃ!?その反応は!!

秀頼殿!!覚えておけ!!大坂城に戻ったら、きつくしつけてくれよう!!」


「そ、そんなぁぁぁぁ!!!」



 俺の絶叫が部屋中をこだますと、みなの笑い声が余計に大きくなったのだった。

 

………

……

 

 そして…

 

 これより少し先の話しであるが、俺は徳川秀忠とその妻であり千姫の母である江姫に、この事を直接報告をすることになる。

 ここで将軍秀忠だけに報告しなかったのは、俺に一つの考えがあったからである。

 そして、それが見事に的中した。

 それまでの経緯の事を知った江姫は、木俣守勝と井伊家の心意気、さらに夫の帰りを命をかけてまで待ったうたの女心に強く感動し、将軍秀忠に寛大な処置を強く所望したのである。

 俺は、うたと同じく女性であり、妻であり、母である江姫の方が将軍秀忠よりも、彼女に対して感情移入しやすいのではないかと直感して、江姫から将軍秀忠に働きかけをしてもらうことを画策したのだ。

 もちろん将軍秀忠も寛大な処置とする事を考えてはいたようであったが、江姫の強い希望が後押しとなって、

 

――井伊家に御咎めなし!うた殿の身は自由とする。ただし、その生活は井伊家が責任を持って面倒を見る事!


 という処遇を決定したのであった。

 

 もちろんこの事が井伊家と俺の結びつきを強める結果となったのは言うまでもないであろう。

 

 そしてそれが、俺の「対徳川」の大きな切り札につながることになるのだが…

 

 それはまだまだ先の話しなのであった。

 


………

……

 

 さて、話しはまた元の時間に戻す。

 

 井伊家の『幽霊騒動』はこれにて一件落着したと誰しも思っていたに違いない。

 しかし、外の雨はまだ止む気配がないように、俺にはまだ一つすべきことが残っていた。

 

 一通り笑い終えて暖かな空気に部屋が包まれた所で、俺はうた対して、優しく声をかけたのであった。

 

 

「うた殿…佐吉が…お主の息子が待っておる。雨の中ではあるが、今から行こうではないか」



 と…

 





石田三成の妻うたについては、関ヶ原の合戦以降の足取りついて諸説あるようです。


通説においては佐和山城の戦いにおいて、城内で家臣のうちの一人に刺殺されたとされておりますが、その墓も位牌もなく、近年になって出来たとされております。


あまりこれと言った逸話もないようですが、三成の妻として献身的にお家を支えていたであろうことを想像し、彼女の物語を作ろうと思いました。

(石田三成の屋敷と島左近の屋敷が、小早川軍によって襲撃された、というお話しはフィクションになりますが、この地も激戦に巻き込まれたのではないかと思われます)


これからもう一つのクライマックスが彼女と秀頼を待ち受けております。


果たして佐和山の幽霊騒動はどんな決着を見せるのでしょうか。


どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。



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