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あなたを守る傘になると決めて…⑫佐和山で待つ夢(1)

◇◇

 慶長11年(1606年)3月22日――

 

 佐和山の屋敷の中で、朝げを皆でいただいている時のことであった。

 

 

――ザアァァァ…



 という大きな音と共に、突然大雨が降りだした。

 

 

「この季節に突然の大雨なんて珍しいですね」



 と、板倉重昌が言うと、みなで心配そうに部屋の外へと目を向ける。

 もちろん襖があるので、外の様子をうかがい知ることは出来ない。

 しかし部屋の中に入ってくる空の光から、かなり厚い雲に覆われていることは容易に想像できた。

 

 

「これでは出立出来ぬな…」



 と、甲斐姫が眉をひそめてぼそりとつぶやく。

 すると、井伊家当主の井伊直継が、

 


「それでは雨が弱まるまで、ごゆるりとお過ごしくださいませ」



 と、笑顔を向けてくれた。

 

 

「かたじけない。ではご厚意に甘えさせてもらうとしよう」



 俺、豊臣秀頼は直継に対して軽く頭を下げると、理由も分からぬ胸のざわめきに戸惑いを覚えていたのだった。

 

 

………

……

「千姫様!秀頼様!大変です!!」



 朝げも終わり、特にやることもなくなった俺たちは、屋敷の中で各々時間を過ごしていたのだが、甲斐姫は井伊直孝の家臣たちと槍の稽古をしに稽古場へ、明石全登は井伊家の重臣たちに請われて異国の旅の話しをしに別の部屋へ行ってしまうと、いよいよ俺は暇となってしまった。

 同じくやる事のない千姫は、暖かいお茶をすすり終えると、ウットリとした顔で、うつらうつらし始めている。


 そんな中で突如として俺たちを、慌てて呼ぶ声が聞こえたのだ。それは、この旅に同行している高梨内記の娘の声であった


 千姫がその声にびっくりしたように飛び起きる。



「も、もう朝げの時間ですか!?」



そう寝ぼけている千姫に対して、俺がつっこむ。



「お千!何を寝ぼけているのだ?つい先ほど朝げを平らげたばかりではないか!」


「あれ?そう言われてみれば、お腹はいっぱいなような気がします」



 寝ぼけたままの千姫はお腹をさすっている。

 俺はなおも顔を青くして慌てた様子の内記の娘に問いかけた。



「お主、なんでそのように慌てておるのか?」

 

「実は…この屋敷…出るんですって…」


「出る?何がじゃ?」



 すると内記の娘が、不気味な表情で答えた。

 

 

「幽霊が出るんですって…」



 その言葉に、みるみるうちに千姫の顔がこわばる。

 そんな彼女の様子などお構いなしに、内記の娘はしゃべりだした。

 


「いやぁね、私だって幽霊なんて存在は信じていないですよ。

でも、ここの侍女たちの間ではもっぱら話題となっているのですよ」


「ど、どんな?」



 恐る恐るたずねる千姫。

 

 部屋の中が薄暗いことと、外からの雨音が、余計に恐怖心をあおいでいるように思える。

 既に千姫はがたがたと震えながら、俺にしがみついていた。

 そして内記の娘は、低い声で言った。

 

 

「この屋敷の一番奥の部屋の近くを通ると、どこからともなく女のすすり泣く声が聞こえてくるのだとか…」


「ひぃ!」


「千姫様…それだけではないの…よなよなその部屋の辺りで、顔が焼きただれた見知らぬ女の姿が…」


「おやめなされ!!!」



 と千姫が涙を目にいっぱいに溜めて叫ぶ。

 どうやら千姫はこの手の話しがすごく苦手らしい。

 しかしその話しは、俺の好奇心をくすぐった。

 

 そんな彼女に向けて俺は、ニコっと笑いかけて言った。

 

 

「お千!俺も幽霊などは信じぬ!それゆえ、この噂の真相を俺たちで暴き、怖がる井伊家の侍女たちの不安を取り除いてやろう!!」


「ぐす…本当に幽霊などおられないのですか?」


「ああ!いない!絶対に何か秘密があるに違いない!」



 そう俺が力強く言うと、千姫は涙をごしごしとこすって、

 

 

「では、千も秀頼さまとともに参ります」



 と、まだ弱々しい声で返事をした。

 

 本当は俺が一人で部屋の外へ行ってもよかったのだが、部屋の中に一人で置き去りにしたことが後で知れたら、それこそ面倒なことになりかねない。

 それにこの屋敷の中であれば、そう大きな危険もないだろうと踏んで、俺は千姫とともに屋敷の中を探索することにしたのだ。

 

 

「では、早速行くとするか!」



 俺は千姫の手を取り、内記の娘を後ろに従えて、そっと部屋を出たのだった。




………

……

 この屋敷は、もとは石田家の屋敷として使われていたものだったらしい。

 その屋敷のすぐ側には、佐和山の山頂へとつながる抜け道がある。それが法華口と呼ばれ、その道中には、櫓代わりとしても使われていた法華丸なる建物があったそうだ。もちろん今は跡形もなく、その建物の面影すらない。本丸と法華丸の他にも、二の丸と三の丸なる建物が佐和山城内にはあったようだが、それらも既に姿を消していた。

 つまり、石田三成の過去を感じることができるのは、もはやこの屋敷より他ないのだ。

 

 『幽霊が出る』という噂の真相を探るということもあるが、それよりも石田三成という人となりをうかがい知る機会になるのではないか、という期待をこの探索に込めていたのであった。


 俺たちは『幽霊が出る』という噂のある、この屋敷の一番奥の部屋を目指すことにした。

 既に内記の娘が、この屋敷について、井伊家の侍女から色々と聞いているようで、どうやら屋敷は入り組んだ構造にはなっていないようだ。つまり、俺たちがいた部屋を出て、長い廊下をひたすら真っすぐ進めば目的の部屋に着くらしい。


 俺たちがいたのは客間であったが、一歩その客間から外に出ると、それは殺風景とも言えるほどに、屋敷の中は質素な作りとなっているのが印象に残った。すなわち余計な装飾が全くないのだ。

 それは廊下だけではなく、時折見える部屋の中も同様なようで、大坂城の中のような色どり鮮やかなものなど一切ない。

 これはもちろん石田三成が質素倹約を重んじたという事もあるだろうが、その後にこの屋敷に入った井伊家の人々もまた同じように慎ましい生活を苦ともしないのであろうことは容易に想像できたのである。

 

――石田三成も井伊直政も、こういった所に欲がないからこそ、主君に愛されたのかもしれぬな…


 などと考えながら、俺は廊下を静かに進んでいったのだった。




 長い廊下を抜けると、ふと外の様子を見ることができる場所へと出てきた。

 

 もちろん雨戸を閉めれば、外とは遮断されるわけであるが、どうやら昼間は開けておくようだ。

 屋根は先まで突き出されており、よほど風が強くない限りは、雨水が入ってくることはないであろう。


 俺は、ふと外を見た。


 庭と屋敷の外との境界には土の塀が建てられているが、あまり背は高くない。

 大人の男であれば、ちょうど頭一つ出るくらいであろう。つまり、屋敷の中から、屋敷の外の様子が分かるくらいの高さになっていた。


 外は相変わらずの雨模様。しとしとと音を立てて、雨は降り続いている。



 そんな中であった…



「えっ…」



 と、思わず俺は声を上げてしまった。


 そこには、石田三成…今は石田宗應が、雨の中、笠もかぶらずにじっと屋敷を見つめて、突っ立っていたのである。


 いや、よくよく見ればそれは確かに石田宗應そっくりであったが、かなり年齢は若い。すなわち別人だ。

 であれば、余計に誰だというのだろう…


 俺が驚いている様子に、千姫が心配そうに俺の手を引く。



「どうされたのですか?秀頼さま?」



 俺はその千姫の声に、ふと我に返って、


「ああ…大丈夫だ」


 と、千姫の方に笑顔を向けた。



「でも、なんだか顔色が優れぬご様子でした」


「いや、そこに宗應そっくりの僧侶がおってな…」


 と、俺は宗應に瓜二つであった僧の方へともう一度顔を向けたのである。


 しかし…



「秀頼さま?誰もおられないようですが…?」


「えっ…?あれっ?おかしいな…確かにあそこに僧侶がいたはずなのだが…」



 俺は慌てて指をさすが、そこには誰もいない。

 すると内記の娘が顔を青くして俺に抗議した。


 

「ちょっと!秀頼様!お人が悪いんですから!もう、冗談はおやめくださいませ!」


「いや!冗談なんかではない!確かにあそこに人が…」



 …と、その時であった。

 一瞬、ピカッと光ったかと思うと、


ーードォォォン!!


 という地響きのような雷鳴が、あたりをこだました。



「キャァ!!」



 と、千姫が思わず俺に抱きつく。

 俺もその雷鳴が「これ以上は足を突っ込むな」と、何かを暗示しているような気がして、思わず武者震いをした。



「なんだか気味が悪うございます…」


「ああ…だが折角ここまで来たのだ。もう少し進んでみよう」


「も、もう誰よ!幽霊が出るなんて言ったのは!?」



 どうやら内記の娘は自分で俺たちにその話しを言いふらしたことを、すっかり忘れているらしい。

 俺は千姫の少し汗ばんだ手を強く握り直して、廊下の先へと足を向けたのだった。



………

……

「この部屋が一番奥か…」



 俺は目の前の大きな扉を見て、そう呟いた。

 雷鳴を聞いたあの場所から、廊下をしばらく進んでいったところに、その引き戸はあった。

 ここらは外の光はほとんど入ってこないのだろうか。

 辺りは薄暗く、重々しい空気が俺たちをこれ以上進ませまいと拒んでいるようにも思える。

 

 しかし、理由は定かではないが、俺はどうしてもこの部屋に入らねばならないような気がしていたのだ。

 

 

「誰かが呼んでいるような気がする…」



 俺は本心をぼそりとつぶやいた。

 

 しかし、その言葉はこの場では「禁忌の言葉」であったことをすっかり忘れていた。

 

 

「な…な…な…なにをおっしゃっているのですか!!?先ほどから秀頼様は冗談が過ぎます!!」



 と、内記の娘はがくがくと震えながら言えば、千姫などはあまりの恐怖に言葉を発することすら出来ないようだ。

 

 俺は俺にしがみつく千姫を内記の娘に預けて、つかつかと引き戸の方へと歩いていった。

 そして俺がその引き戸に手をかけた時、内記の娘が俺に注意を促した。

 

 

「ちょっと!秀頼様!そこは『開かずの間』でございますよ!」


「しかしその割には誰もこの部屋の前にはおらんではないか。もし隠さねばならぬ秘密があるなら、部屋番がいるであろう」


「そ…それはやはり『出る』からに決まっております!」


「ふん!くだらん!嫌ならここで待っておればよい」



 と、俺は彼女の諫言など一蹴して、その引き戸をそっと横に引いた。

 

――ススッ…


 静かな音とともに開けられる引き戸。

 

 中は心なしかひんやりしているように思えるのは、外の光がほとんど入ってきていないからであろうか。

 薄暗い廊下よりもさらに暗くした部屋の中は、もはや明かりがないと、どこに何があるのかすら遠目ではよく分からなかった。

 

 俺はなるべく足音を消して、ゆっくりと部屋の中に入っていった。

 


「秀頼様!勝手に行かないでくださいな…」



 もはや泣きそうな声を上げながら、内記の娘は千姫を抱えながら渋々俺の後ろをついてきているようだ。

 

 何となく目が慣れてくると、わずかな光を頼りにしてどんな部屋なのかがうっすらと分かってきた。

 さほど大きな部屋ではないが、見上げるほどの書棚が二つ。その棚の中にはびっしりと書物が並んでいる。

 そしてその書棚から少し離れたところには、机が見えた。

 

 

「ここは…書斎か…?」



 俺は机のもとにしゃがんで、そっとそれに触れた。

 

 長らく使っていなかったことを示すように、手を置いた瞬間にふわっと塵が舞う。

 机の上には何も置かれてはいないが、ここで書物を読んだり、何か書き物をしたりしていたのだろう。

 

 

「この部屋は、井伊家では利用されていないのだな…」



 と、俺は独り言をつぶやいた。

 

 

「ほ、ほら!秀頼様!もう何もなさそうですから、早くここを出ましょう!

やはり秀頼様のおっしゃる通りに、幽霊などいなかった、という事が分かってよかったではありませんか!

一件落着です!」



 と、内記の娘が俺の耳元で、必死にせがむ。

 俺はその言葉に、こくりとうなずくと、


「そうだな…ここには何もないし、誰もいないようだ…」



 とその場を立とうとした。

 

 

 その時であった…

 

 

――お前さん…



 という女性の声が頭の中に直接響いてきたのは…

 

 

 俺は、がばっと頭を上げて、急いで周囲を見回す。

 

 

「なにっ?何が起きたのですか!?秀頼様!?」



 と、内記の娘は、突然の俺の動きに恐れおののいている。そして千姫はもはや心を無にして目をつむっているようだ。

 しかし俺はそんな彼女らに構わずに、自分の身に起った『何か』の原因を探すのに必死だった。

 

 ところが周囲には俺たち以外は誰もいない。

 

 なぜだ…そして誰なんだ…

 

 混乱に頭がぐるぐるとかきまぜられているその時…

 

 再び声が直接頭の中に入ってきたのだ。

 

 

――たまに屋敷に帰ってきたかと思えば、またお仕事…本当にお前さんは働き者にございますね


――許せ…みなが出来ぬ仕事は、それがしがやらねばならぬのだ


――ふふ、謝らないでくださいな。今に始まったことではないでしょう。それにわらわはそんなお前さんを見るのが、たまらなく好きなのですから


――は、恥ずかしい事を申すでない!


――ふふふ、これは失礼いたしました。では、わらわは失礼いたしますので、どうぞ気がすむまで、お仕事をされてくだされ


――いや…待ってくれ…うたよ…その…


――お前さん?どうなされたのですか?


――お主さえよければ…今日はこのまま横に座っていてくれまいか…お主といると心が落ち着くのだ…


――まあ、嬉しい。では、そうさせていただきます。ありがたいお言葉に、わらわは幸せにございます。


――それから、重家、重成、佐吉と辰も呼んできておくれ。今日は家族揃って時を過ごしたいのだ


――あら、それでしたらこの部屋は手狭かと…それにみなでいるとうるさくてお仕事にさわります


――よいのだ。この部屋がよいのだ。そして多少周囲がうるさいのは、どこも同じである


――ふふ、みな父の顔を見たかったでしょうから、喜ぶでしょう



「なんだ…これは…」


 

 それはまるで幸せそうな家族の会話そのものであった。

 仕事で滅多に自宅に戻る事が出来ぬ夫と、それを献身的に支える妻。そして、父の帰りを首を長くして待つ子供たち…

 

 俺の胸の中に暖かい何かが、一気に流れ込んでくると、それまで真っ暗であった部屋の中が、突然明るくなった。

 いや、正確には視界から入ってくる景色は依然として暗いままだ。

 そうではなく、頭の中に浮かんでいるこの部屋の光景が、仄かに色づいてきたのである。

 

 そして、俺の目の前には…

 

 

「石田三成…」



 そう、ここにいるはずもない石田三成その人が、机の前に座って、いつもの涼やかな顔を浮かべているではないか…

 

 そしてその表情は俺の知らない…どこか安心したような、肩の力を抜いた穏やかなものだ。

 

 髪もまだ剃っていないし、どことなく今よりも若い気がする。

 しかしそれは確かに俺の知る石田宗應…すなわち三成本人であった。

 

 そしてその傍らには、幸せそうに微笑む女性の姿。彼女が三成から「うた」と呼ばれた、三成の妻なのであろう。

 さらに四人の子供たちが、楽しそうに笑っている。

 

 

 これは、幻影か。俺は白昼夢を見ているのだろうか。

 そしてこれが誰かの夢だとするならば…それは誰のものであろうか…

 

 

 家族全員が、穏やかに時を過ごすその夢――

 

 

 …と、その時であった…

 

 

「ううっ…ああ…お前様…」



 という泣き声が耳に入ってきたのだ。

 俺はまた幻聴なのではないかと思ったのだが、どうやらそれはそうではなかったらしい。

 内記の娘が、俺の背中をちょんちょんとつついてきて、震えながら質してきた。

 

 

「ひ…秀頼様…き、聞こえますよね…女の人の泣き声…」


「あ…ああ…これは本当に聞こえる…」



 そして…

 

 

「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!」



 と、泣き叫んだ千姫が、その部屋から一人で猛然と出ていって、そのまま廊下を駆けていってしまった。

 

 

「お待ちください!千姫様!秀頼様も早く!!」



 内記の娘が千姫の背中を追って走っていく。

 

 そして俺もこの部屋で体験した不思議な現象に後ろ髪を引かれる思いをしながら、部屋をあとにしたのだった。

 

 


佐和山の麓にある清凉寺(島左近の屋敷跡地)には「七不思議」とされる現象があるそうです。


今回のこの大雨は、そのうちの一つ「佐和山の黒雲」であったのかもしれませんね…

(かつて徳川の軍勢が戦利品を干していたところに、突然黒雲に覆われて、激しい風雨となったそうです。そして戦利品はことごとく風にさらわれてしまったとされる言い伝えです…)



では、これからもよろしくお願いいたします。





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