あなたを守る傘になると決めて…⑩不思議なお家
◇◇
慶長11年(1606年)3月21日ーー
俺、豊臣秀頼と千姫たち一行は、京の二条にある徳川家康の屋敷を出た後、東山道を東へと進んでいった。そしてこの日の目的地である佐和山の麓に到着したのは、夕暮れ前であった。
俺はその道すがら一つの事を楽しみとしていた。
それは…
――石田三成に過ぎたるもの、として有名な佐和山城がこの目で見られる!
ということであった。
佐和山城は東国と京を結ぶ、佐和山という要衝に建てられた山城と言われている。
その城を太閤秀吉から与えられた三成は、それを難攻不落の城とすべく、三層とも五層とも言える天守閣を作るなどその防備を固めた。
その壮観な眺めは、人々から「治部(石田三成の事)に過ぎたるものが二つあり 嶋の左近と佐和山の城」と称されるほどであったらしい。
そして、関ヶ原の合戦以降は、徳川四天王の一人である井伊直政の居城となったのだが、その直政が死去した1602年の翌年から、佐和山とは目と鼻の先にある彦根という小高い場所に、新たに城が築かれることになったのである。
それが後の彦根城であった。
実はその彦根城の完成は今年…すなわち慶長11年(1606年)であり、今より二カ月後の5月には井伊家の人々は佐和山城を引き払い、彦根城に移る事が決まっているらしい。
史実によれば、その後佐和山城は井伊家によって、跡形もなく破壊されることとなっている。
「徳川家康公に弓を引いた、天下の大逆賊の城など、跡形も残すものではない」という井伊家の強い意向があったとも言われており、後世ではわずかな遺構を残すばかりとなる程に破壊し尽くされるわけだが、彦根城の完成前であれば、まだ佐和山城は残されているはずだ。
もちろん彦根城の建材の一部として佐和山城の石などが使われている関係もあり、既にこの時でもその城郭の多くは破壊されていることであろう。
それでも、当主の居城となる天守閣は現存しているはずであり、「三成に過ぎたる城」がどんなものであったのか、この目で見られる最後の機会と俺は考えていたのだ。
――夕陽に映える佐和山城の天守閣…想像しただけでたまらないのう…
そんな風に俺は佐和山城を見ることが、楽しみでならなかったわけだ。
わくわくした気持ちを抑えきれぬように胸の鼓動が高まる中、俺の事を呼び掛ける声がした。
「秀頼殿!見えてまいりましたぞ!」
それは板倉重昌。徳川家康が俺のお供として派遣してくれた人物の一人であり、京都所司代の板倉勝重の次男である。実直で何事にも慎重な兄の重宗と違って、お調子者で軽い性格の彼が、俺に笑顔で声をかけてきたのであった。
そんな重昌の言葉に、俺は彼が指差す方向に目を凝らした。ところが、確かに小高い山が目に入るが、城らしい建物は見当たらない。
むしろその指先の左手の方に立派な天守閣が目に入ってきているのだが、そちらは言わずもがな築城中の彦根城である。そちらの方が目立ってならないのであった。
俺はけげんな顔をして重昌に問いかけた。
「むむっ!?われには何も見えんのだが、どこに城はあるのだ!?」
そんな俺に対して、重昌が軽い調子で言った。
「何おっしゃってるのですか?
佐和山の天守はとうの昔に取り壊されたではございませんか?
今は山の麓の屋敷を城代わりとして利用しているって話しですよ」
その言葉に…
俺は固まった…
「な…なんだとぉぉぉぉぉ!!」
それまで高鳴っていた俺の鼓動は、絶望に満ちた絶叫にその姿を変えて、淡海…すなわち琵琶湖のほとりにこだましていたのだった…
………
……
「ようこそいらっしゃいました」
いかにも人の良さがにじみ出たような優しい口調で俺たちを出迎えてくれたのは、井伊家の現当主である井伊直継であった。
この井伊直継はこの時二十六歳の青年だ。
徳川四天王の一人として、戦さに外交に大活躍した猛将、井伊直政の嫡男としては、見た目も弱々しくて、色白な人だ。それでも客人を迎え入れる際の堂々とした立派な態度は、徳川譜代の武士であるに相応しいと思える姿であった。
「丁寧なお出迎え、御苦労様でございます」
と、俺を先導していた板倉重宗がこちらも丁寧な言葉で礼を言うと、直継に向かって深く頭を下げた。
俺もつられるようにして、軽く頭を下げたのだが…
――佐和山城がない…佐和山城がない…
と、あまりの衝撃的な出来事で、心ここにあらずに、上の空でいたのである。
ところが次の光景を見た瞬間、俺は驚きのあまりにその目がはっきりと覚めた。
それは屋敷の大広間に通された時のことだ。その場には井伊家の家臣一同および侍女や使用人に至るまで、なんと家中の者が集められるだけ集められて、所狭しと整列していたのである。
しかもその整列の仕方は、寸分の違いもなく綺麗に整っている上、一人一人の背筋がピンと伸びたその立ち姿から、引き締まった表情まで、全てが統一されていた。
そして…
「豊臣右大臣殿およびその一行に…一同!!礼っ!!!」
という雷のような大号令が部屋の中に響いた瞬間に、全員が俺たちに向かって頭を下げたのだった。
そしてそのお辞儀の角度まで、全員が揃っているのだから、この光景を見て度肝を抜かれない者などこの世にいないであろう…
そう…それは後世で言う「軍隊」そのもののようであったのだ…
そんな立ったままの敬礼が続く中、俺たちは当主の井伊直継に連れられて、その大広間の上座に通されると、俺と千姫はそこに着座した。
俺たちが座った瞬間に、再び雷のような号令がこだます。
「一同!!直れ!!」
その言葉にその場の全員が頭を上げると、元の直立不動な姿勢に戻った。
「各自の職務に戻れ!一同!!行け!!」
という号令がこだました瞬間に、一斉に襖が開けられると、整然と人々は部屋を退出していき、その場にはわずかな井伊家の重臣たちだけが残ったのであった。
そんな重臣たちも何かに恐れをなしているかのように、姿勢正しく硬い表情を浮かべている。
その中にあって、一人明らかに異なる雰囲気の青年が、俺と千姫の前まで来ると、その場で腰をおろして頭を下げた。
「お初にお目にかかります!!
井伊直孝と申します!!
どうぞよろしくお願い申し上げまする!!」
それは先ほどの号令と全く同じ音量。すなわち先ほど家中の者を厳しくまとめあげていたのが、井伊直継の弟である井伊直孝であった。弟と言っても、異母兄弟でありその生まれた年は同じ、すなわち兄と同じ二十六歳の青年である。
後世においては、近江彦根藩の藩主としても、三代目将軍徳川家光の執事である大政参与としても知られている人物だ。将来は江戸幕府の重鎮となる彼であったが、この時はまだ徳川秀忠の近習の一人として江戸城に勤めていた。
しかし、父の井伊直政が亡くなって以降、暇を見つけては近江国に入っているらしい。そんな彼は、前日からたまたま佐和山に滞在していたところに、豊臣秀頼一行が来訪するとの報せを受けて、俺たちを迎え入れてくれたとのことであった。
兄の直継とは正反対とも言えるほどに、若い活力に溢れた人で、よく外に出ている事が分かるように、春の強くなってきた陽射しにその肌はほんのり焼けている。
後世になって「井伊の赤牛」「夜叉掃部」と呼ばれる程に、勇猛で厳格な性格の持ち主だ。その一端が垣間見れるほどの圧巻の光景に、俺と千姫の二人は圧倒されてしまって、
「よろしくお願いいたす」
と言うのが精いっぱいであった。
………
……
俺たちが佐和山に到着したその日の夜、井伊家から俺たちへの歓待…いわゆる饗応が催されたのであったが、それは俺が想像していた饗応とは大きく異なっていた。
「あの…秀頼さま…歓迎の宴とは、かように静かなものなのでしょうか…」
と、思わず千姫が漏らしてしまうほどに、その場は静かなものであった。
決して誰もしゃべらない、という訳ではない。
現におしゃべり好きな板倉重昌などは、当主の井伊直継に対してぺらぺらと京での出来事を話しをしているし、井伊家の人々もまたそれぞれに食事を楽しんではいる。
しかし、誰も立ちあがって踊りだしたり、唄い出したりといった浮ついたことはない。
このように、言わば宴会のような雰囲気では全くないのだ。
それもそのはずで、井伊直孝が宴の開かれている広間の中をくまなく厳しい目を向けているのである。
宴に参加している井伊家の重臣たちに対してはもちろんのこと、配膳をする侍女や近習の者たちに対してまで、その一挙一動に鋭い視線を浴びせていたのだから、みな縮こまって「飲めや、唄えや」という空気にはならないのは、当たり前のことであった。
もちろん巷で流行りの女歌舞伎などの余興などもなく、淡々と時間が過ぎていく。
「なんだか『鬼』のような顔をしている男であるな…」
と、俺に近寄ってきた甲斐姫が、俺と千姫の二人に聞こえるようなささやき声で言った。
もちろん彼女が指しているのは、終始眉間にしわを寄せっぱなしの井伊直孝のことである。
「ええ…まるで稽古場での甲斐殿のようです…」
と、俺は考えなしに、ぽろりと漏らした。
その言葉に、ぴきっと青筋を額に浮かべた甲斐姫は、
「秀頼殿…大坂城に戻ったあかつきには、さらに厳しく鍛えてやろう…覚えておけ」
と、低いドスの利いた声でささやいたのであった…
そして…
全くと言っていいほどに盛りあがりもなく、さながら日常の夕げのような饗応は終了した…
井伊家の家中の人々が、規律正しく整然とその場を立ち去っていくと、その流れの中で、当主の井伊直継が
「では、今宵は旅の疲れもおありでしょうから、お早いとは思いますが、寝室までご案内させていただきます」
と、俺たちにも退出を促したので、日が暮れて間もない時刻ではあったが、異論を述べることもなく俺たちは寝室の方へと移っていくことにしたのである。
こうして「佐和山城がない!」という衝撃的な事実を知って愕然としたことから始まった井伊家で過ごした一日は、軍隊の様な家中の人々や全く盛り上がらない宴を体験するという、数々の不思議な現象ばかりを心に残して終わりを告げたのだった。
翌日――
いつもよりも早く眠りについたせいか夜が明けて間もない時間に俺は目を覚ますと、朝稽古の為に寝室から中庭へと下りることにした。
なお、素振りをする為の木刀はこの旅路でも携行しており、俺はそれを振り始めた。
わずかに顔をのぞかせた太陽に向かって、一心不乱に剣を振る。
爽やかな空気が気持ち良く、俺はいつにもまして充実した朝稽古の時間を送った。
昨日の宴において余計な飲み食いもせず、さらに夜ふかしもなかったせいなのか、やたらと体が軽く感じるのだから不思議なものだ。
俺はその宴の件も含めて昨日の事を振り返る。
「しかし…なんだか不思議なお家だな…」
俺は頭に浮かんだ言葉を、ぼそりとつぶやいた。
…と、その時であった。
「何かお気に召さない点などございましたかな?」
と、俺の背後から聞き覚えのある声がした。
俺は急いで振返ると、その声の持ち主の方へと視線を向ける。
そこには…
昨日、夜叉のような顔で厳しく家中の者たちを束ねていた井伊直孝の姿があった。
俺はさっと顔を青ざめて、
「ややっ!これは失礼いたした!
別に気に入らない事などはなかったゆえ、ご安心されよ!」
と、慌てて弁解した。
そんな俺に対して、昨日とは打って変わって穏やかな表情を浮かべた直孝は、その表情のまま優しい声で言った。
「それを聞いて、ほっといたしました」
昨日の様子からでは考えられないような、今の彼の雰囲気に、俺は「別人ではないのか!?」と疑って、思わず目をこする。そんな俺に、微笑みかけた直孝は、
「ははは!どうやらそれがしの様子を不審に思われているご様子ですな!」
と、俺の心の中をズバリ言い当てたのであった。
「いやはや…かたじけない。
昨日の直孝殿の様子がどうにも頭から離れずに…」
俺は、彼の笑顔でいくらか警戒心を解いて、素直に心境を吐露した。
そんな俺に対して直孝は、
「朝げまでは少し時間がございます。
ちょっとそこまで散歩にお付き合いいただけませんか?」
と、にこやかに問いかけた。
俺も笑顔になると、黙ってうなずいたのだった。
こうして俺たちの朝の散歩が始まった。
これが俺にとってまた一つ新たな喜びと発見をもたらすことになるのだが…




