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2通目の書状

◇◇

少し時が戻って、慶長5年(1600年)8月25日――


その男は周防の国(今の山口県)の上関港という小さな港町で愕然としていた。

ひょろりとした背格好に、小さな目。一応甲冑姿に身を包んでいるが、全く似合わないといっても過言ではない程に不格好だ。


その男に、豊臣秀頼からの3通の書状のうちの1通が届けられていた。


昼からというのに大酒をあおっているその男の名は、大友義統(おおともよしむね)

九州にその名をとどろかせた大友宗麟(おおともそうりん)嫡男(ちゃくなん)であったが、その人物と実績は暗愚そのものであった。

亡き豊臣秀吉の逆鱗に触れて領土を没収された後は、様々な大名の厄介になっていたが、そのたびに彼らから追い出されてきた。

そして関ヶ原の戦いの始まる寸前は大坂城下に、「いつかは何かの役に立つかもしれない」という五奉行の配慮で、小さな屋敷を与えられてひっそりと暮らしていたのである。


そんな彼に転機を与えたのは、毛利輝元と石田三成であった。

暗愚な彼とは言え、「大友」という名は未だに九州の豊前(今の大分県)では一定の影響力を持つ。特に父である宗麟公に反発していた反キリシタンの浪人や一部の過激な農民たちにとって、大友義統は主人と仰ぐにふさわしい人物であったのだ。

その事を上手く利用しようと、彼らは義統に適当な路銀を与え、「豊前で反乱を起こせ」と指示する。無論九州には徳川にくみした加藤清正や黒田如水がいるのは輝元も三成も周知している。いかに大友氏が豊前に影響力を持とうとも、彼らの軍勢の前にはもろくも破れ去ることは火を見るよりも明らかである。

しかしその事でさえも輝元と三成にとっては大きな計画のうちの、ほんの小さなきっかけに過ぎなかった。すなわちそれは島津が立つ為の合図であったのである。

窮地の大友の救援の為に、九州最大勢力である島津が動けば、西軍が完全に九州を制圧することが出来る。

そんな壮大な計画を持ち合わせていた。

しかしそこには当主である島津義久の意向は全くくみとられていなかったが…


つまり大友義統は島津を引きだすための「餌」だったのだ。


しかし当の本人はそんな事など思いもせずに「とうとう俺にも運が回ってきた」と喜び勇んだ。

なぜなら彼は領土を没収されたその日から「お家復興」という大きな野望を抱いていたのである。それは彼の偉大な父親である大友宗麟への強烈な劣等感からきているものであったことは言うまでもない。父の代で大きくなったその勢力が、自分の代で(つい)えてしまう…そんな事実を彼は自分で許すわけにはいかなかった。

しかしそんな野望を抱きながらも何も出来ない自分がふがいなくも認めたくはなかった。

いつしか彼は酒におぼれるようになり、そのせいで大名たちにうとまれることになったのだ。

そんな彼の野望を叶える千載一遇の機会に彼は一も二もなく飛びつき、その命に従い、一路九州を目指していたのである。


途中、立花宗茂(たちばなむねしげ)に属していた元家臣の吉弘統幸(よしひろむねゆき)が、そんな義統をいさめにやってきた。なぜなら現在の大友の当主である彼の息子の大友義乗(おおともよしのり)は徳川方であり、毛利や石田といった者たちの口車に乗って、義に反する行動を慎むべきだと思っていたからだ。


しかしそんな忠臣の諫言にも、


「お前は何様だ?誰に口を聞いておる」


と、見下すように一蹴し、彼はその足を止めることなく西へと急いだのである。


「ああ…宗麟公がおられたら、なんとされたであろうか…」


吉弘統幸はそう嘆き、涙を流すと、その亡き大友宗麟の恩義に報いる為に悲壮な覚悟で大友義統の後を追ってきたのであった。



そんな吉弘統幸は、大友義統の手からこぼれた1通の書状を手にとると、その内容を声に出して読み始める。

その声色はみるみるうちに震えていった。

それは恐怖によるものなのか、感動によるものか、当の本人すら見分けはつかない、不思議な感覚だ。


――

私がそなたに与えた路銀を、そなたはよもや戦に使おうとしているのではあるまいな?

それは大きな思い違いである。

世の中の平和の為に使うべき亡き太閤の形見とも言える金品を、人を殺める為に使おうというなら、言語道断。

それが発覚すれば、私はそなたの首を刎ねねばならぬ。

このことゆめゆめ忘れぬように心掛けよ。


大友のその力、今世に見せる時ぞ。

加藤や黒田を助け、九州の平和に全力を注げば、そなたな希望はきっとかなうであろう

――


吉弘統幸は絶句した。

書状のその内容は大友義統の「九州で反乱を起こす」という士気を打ち崩すに十分な内容であった。


しかしそれだけではなく、しっかりと次なる目的を与え、その結果にまで言及している。


この書状を草案したのは一体誰なのか…この点に彼の考えは及ぶ。

小さな火だねに過ぎない大友義統の反乱を、あの少年の殿下がいさめるなどありえないからだ。

そうなると、彼の側にはよほど世を理解した者が側にいるに違いない。

しかしそれほどまでの人物など彼の知る限りでは思いつくことはかなわなかった。


そんな彼の逡巡などお構いなしに、主人である大友義統は真っ青な顔で、家臣の吉弘統幸に


「俺は…俺はどうしたらいいのだ…?」


と、弱々しく問いかけた。そう言いながらも、傍らにおいた酒をあおいでいる。

「ふう」と大きなため息をついた吉弘統幸は、その質問に対して、質問で返した。


「豊後様(大友義統のこと)は、その首を殿下にはねられたいのですか?」


その嫌味ともとれる質問に、真っ赤に充血した目で恨めしそうに睨んでくる大友義統。

彼は震える声で答えた。


「そんなの…嫌に決まっておろう…」


「…であれば、答えは出ているでしょう」


その問答に大友義統はガクッと肩を落とし、(こうべ)を垂れる。

それは彼の身勝手な野望が打ちひしがれた瞬間を意味していたのだ。


一方の吉弘統幸は、あれほど自分が説き伏せようとも聞く耳を持たなかった主人が、たった1通の書状によってその心さえも粉々に砕かれた事になんとも言えぬ感情を抱いていた。

豊臣秀頼という弱冠7歳の少年の影響力の大きさへの感服と、自分の無力さへの虚しさとが入り混じっていたのである。



どこまでも青い空には海鳥の声がこだましている。

主従の沈黙の時間はしばらく続いていた…



そんな中である。

一人の男が、大友義統を訪ねて主従のいる部屋の外にやってきた。

身なりはいかにも旅人といった風貌だが、腰に差した二本の刀が彼の身分を示していた。


「拙者は黒田如水様の使いの者でございます。大友豊後侍従(おおともぶんごじじゅう)殿にお取次願いたい」


明朗で快活なその声はその者の優秀さを物語っているようだ。

隠居の身でありながら、このような者を使いとして送る事が出来る黒田如水の強大さに、吉弘統幸は心が痛くなる思いを抱かざるを得なかった。

今は散り散りとなってしまった、かつての九州にその名をとどろかせた大友軍団を思ってのことである。

しかし彼は気を取り直し、その使いの青年に声をかける。


「お館さまはここにおる。用があるなら、入るがいい」


「はっ!ありがたき幸せ!」


するすると流れるように大友義統の前までやってきた青年は、一通の書状を差し出した。


「黒田如水様よりこれを預かってまいりました!」


未だに心ここにあらずといった大友義統には、それすら気付かないようにうつろな目を泳がせている。彼の代わりに隣にいた統幸がその書状を受け取った。


中身は見るまでもない。

主人である大友義統に、豊前入りを止めるように促したものであろう。

一応目を通したが、まさにその通りの内容であった。

彼は主人にその書状を渡すこともなく、使いの青年にはっきりとした口調で告げた。


「残念だが、この書状に従うわけにはいかぬ!」


想定通りの回答だったからであろうか、頭を低くした青年からは驚きも無念さも伝わってはこない。それを見た統幸は続けた。その声は「少しいじわるしたのにつまらないな」という残念なものを含んでいたが、概ね快活なものであった。


「しかし安心いたせ。ここにおられる大友豊後侍従様は毛利大納言殿や石田冶部とは縁を切った!

今後は黒田殿と加藤殿と連携し、九州の平和に尽くすつもりである!」


その言葉に即座に顔を上げた使いの青年。

予想だにしなかった回答内容に開いた口がふさがらない様子だ。

そして自分の傍らに座る大友義統その人も、観念したようにうなだれてはいるが、新たな使命に向けて、その瞳に輝きが戻ってきているのが分かった。


ああ、この瞬間を味わう為に俺は苦労してきたのだ。


辛酸をなめ続けてきた統幸は生まれて初めて味わう心地よい達成感に浸っていた。

それは誰にも見せたことのない笑顔となって弾けたのである。


「今宵は主人と美味しいお酒が飲めそうだ。ははは!」


と、統幸は心の底から笑い声を上げ続けていた。




次回は3通目の書状です。


もう誰宛てなのかは、何となく想像されてらっしゃる方が多いのではないでしょうか。

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