あなたを守る傘になると決めて…⑥評定(後編)
◇◇
「この件、秀頼ちゃんはいかがお考えでしょうか?」
慶長11年(1606年)3月3日に行われている大坂城の評定では、俺、豊臣秀頼が「徳川家康の言いつけに従って二条城に行くのか」という点について話し合われていた。
この点については昨年からの議案であったが、家中が割れてなかなか決着しなかったわけだが、それすらももはや徳川家康の思い通りに進められていることが、今日の各重臣たちの様子を見てよく分かった。
そしてようやく重臣たちの意見がまとまり、「徳川家康の言いつけを守るべし」となったのだが、最後に俺が意見を述べることになったのだった。
母である淀殿から話しを振られた俺は、座ったままでその背筋を伸ばした。
しかし織田有楽斎や織田信雄などは、つまらないものを見るような蔑んだ目で俺を見ている。
大野治長、治房の兄弟は俺を見ることすらしておらず、彼らの母である大蔵卿の顔色をうかがっているようだ。その大蔵卿は相変わらずの能面で俺を見ているが、その瞳からは何の期待も感じられない。
それは織田老犬斎と織田頼長からも同じであった。
ーーどうせたいした事など言うわけがなかろう…
そう思っているのだろう。
同じように視線を集めることでも、昨日行われた「豊臣幕僚会議」とは全くその質は異なっている。
この腐った評定が…
大坂城と豊臣家を潰したのだ…
俺は腹の内から湧き上がってくる怒りに、思わず身震いした。
その様子を見た有楽斎は、俺が緊張のあまりに身震いしたのだと思ったのであろう。その口角を上げて、取って繕ったような優しい声で俺を気遣った。
「秀頼殿…ご無理はなされなくてよいのですぞ…
ここはわれらに全てをお任せいただければ、必ずや豊臣家の良きように計らいますゆえ…」
その言葉には全く温度など感じられない。
人を気遣う思いやりのかけらもない、むしろ下心しか感じられぬ卑しい言葉だ。
そして俺は…
口を開いた。
この腐った評定をぶち壊す為に…
「有楽斎よ。とんだ茶番ご苦労であった」
その言葉に有楽斎の顔色が、さっと青く変わる。
老犬斎や頼長の顔にも、突然のことに驚愕の色が浮かぶ。
俺は彼らの顔色など気にもとめずに続けた。
「徳川家康殿への返答の前に、まずは下しておかぬことがある」
今までのほほんとした顔でただひたすら傍観していた暗愚の当主が、突然人が変わったかのようにすらすらと言葉を発し始めたことに、有楽斎は度肝を抜かれて、口を開けないようだ。
すると大蔵卿が、その重い口を開いた。
「秀頼様。下しておかぬこととはなんでございましょう」
ビリビリとした大蔵卿の威圧感は、徳川家康のそれを感じさせるほどだ。この人がもし戦国武将であったら…と思うと背筋が凍る思いである。
その大蔵卿の威圧に対して、俺は気持ちをさらに強くして答えた。
「こたびの件について、お主らの協議をおよそ一年に渡って黙って見てきた。
しかし一つの事を決めるだけで、どれほど長い年月をかけているのか。
さらに、かようにもまとまりを欠いた状態で、いかに豊臣家を盛り上げていこうというのか。
もっと言えば、評定にただいるだけで、己の意見を持たぬ愚か者までいる始末。
こたびの件の意見を述べる前に、この大坂城における評定について、われは一つの判断を下すより他あるまい」
その俺の言葉に、信雄がだるそうに言った。
「余計なごたくはよい。口だけは、猿に似たようだな。
聞くのも面倒であるから、早く結論を言え」
「信雄殿。その物言いは無礼ですぞ」
慌てて老犬斎が口を挟むが、俺は手でそれを制した。
「よいのだ、老犬斎殿。
信雄殿の言うことは、もっともである。
では早速判断を下そう。幸村!あれを!」
と、俺は遠く末席に座っている真田幸村を呼んだ。
「はっ!」
と、大きな声で返事した幸村は、ひと抱えほどある木箱と白と黒の札を持って、俺の前にやってきた。
「なんですかな?それは?」
有楽斎が眉をしかめてたずねると、俺は淡々とした口調で答えた。
「これからは全て多数決にて決着させることとする」
この俺の提案に、人々の目が驚きで丸くなる。さすがの大蔵卿ですら口が半開きで、顔を青くしている。
そんな彼らを尻目に俺は続けた。
「本来であればわれが全ての決断をくださねばならぬところだが、われはまだ幼いゆえ、仮にわれが全てを決めたなら、家中で反発もあろう。
しかしこれ以上、豊臣家の政治を停滞させるわけにはいかぬ。
そこで決議は全て多数決とする。
さすれば、その日に上がった議題については、その日の内に決着できるゆえ、迅速な判断を下せるようになるはずだ。
異論あれば、今すぐこの場で申せ」
この俺の言葉に全員が顔を見合わせて、何かをうかがっている。
この時俺は分かっていた。
この制度に対する異論など…
出るはずもないことを…
なぜなら、織田一門衆にしてみれば、今の時点で評定の参加者のおよそ半数は織田一門であり、多数決ともなれば、彼らの意見が有利となって評定を進めることが出来るようになるからだ。
大蔵卿にしても、これから出てくるであろう様々な事案に対して、織田の代表者とも言える有楽斎とさえ話しをつけてしまえば、議論が紛糾することなく済む。
もし織田一門との意見が割れれば、最悪片桐且元と真田幸村の双方を取り込めば、織田の意見が通らなくすることも出来るのだ。
となれば、この両者から異論が出るはずもないのである。
俺はしばらく黙って、織田有楽斎と大蔵卿の二人を交互に見る。有楽斎は余裕の笑みを浮かべ、大蔵卿は能面のような無表情を貫いていた。
もちろんその他の者からも何も意見など出てこなかった。
そして…
「よし。では異論なしということで、入札制度の導入を決定する。
次に人事についてである」
「なっ…!!」
と、その「人事」という単語が出てきた時点で、有楽斎の顔色が変わった。
その代わりに俺の顔が思わずにやける。
すると間髪いれずに、大蔵卿は大野治長の耳元で何やらささやいた。そして、青い顔をした治長が恐る恐る発言をしたのである。
「と、当主として、賞罰を明らかにされるのは当然のこと。
なれば人事について、秀頼殿にお任せするのは当たり前と言えましょう。
こ、これは大野修理(大野治長のこと)自らの意見にございます」
とあからさまに俺に媚びるように、同調してきた。
その治長の様子を冷ややかな目で見つめていた俺は、
「見え透いた媚びなど無用」
と、冷たく言い放った。
大蔵卿の鋭い視線が俺に向けられたが、俺は意に介する事もなく続けた。
「異論があれば申せ!なければ早速始めるが…」
「お待ちあれ!!」
「なんだ…?有楽斎殿…」
やはり有楽斎が止めにきた。これも想定通りだ。
そして次の言葉も…
「それはあまりな事にございます。
もしこの場の誰かが罰せられる者など出たら、それこそ家中の者は、秀頼殿に恐怖して誰も諫言などしなくなってしまうでしょう。
よって人事については皆で協議されるがよろしいかと…
しかし徳川殿の件も含めて、今の豊臣家には決めねばならぬ課題が山積みにございます。
さすれば、それらの課題を全て解決した後に人事をお決めになられるのが、よろしいかと…」
これも想定通り。
それはそうなるであろう。
下手な人事をされて、現在の評定の勢力図が変わるような事があれば、入札制度に賛成したのが仇になる。織田一門衆としては、現状維持が最善であるのは自明の理だ。
俺は冷笑を浮かべる。
この様子を見た面々は肝を冷やしているのが、その顔を見れば手に取るように分かった。
そして俺はその冷笑のままに、淡々と問いかけた。
「ほう…大野治長殿はわれの意見を重んじてくれたのだが、有楽斎殿はわれを軽んじる、そういうことですかな?」
この俺の脅しとも言える言葉に、有楽斎の顔が青くなると、その息子の頼長が逆に顔を赤くして大声をあげた。
「お待ちあれ!!秀頼殿!!父上に二心などございませんゆえ、その物言いには異論がございます!!」
これも俺の手の内…
ここまでの評定を観察してきて知っていたのだ。
織田頼長という男は、熱血漢で愚直、そして身内を何よりも大切にする男であるということを…
俺はそんな頼長に対して、驚いた表情を浮かべると、
「これは軽率であった。
よもや母上の叔父、すなわちわれにとっては大叔父を疑おうとは…
有楽斎殿、許しておくれ」
と頭を下げた。
この俺の変化に対して、有楽斎は元の優しい笑顔を見せている。恐らく頼長が大きな声をあげたことで、俺は恐れて首をひっこめたのだろうと、内心ほくそ笑んでいるに違いない。そして同時に、人事が先送りになったことに、安堵していることであろう。
このままで終わるはずもないのに…
そして有楽斎が言い始めた。
「では早速、徳川殿の件の多数決から…」
そう言いかけた瞬間であった。
俺が一層声を強くして言い放った。
「では、早速人事の件は、多数決によって決めることとする!!」
安堵感に包まれていた一同に、一気に緊張が走る。
誰か何か言い出す前に、俺は続けた。
「こたびの決議は、『われが人事を決める』という件についてである!
当主であるわれの発案に反対する者は、挙手いたせ!
この場にいる全員が決議の対象である。
すなわちここにはわれを含めて十一人いるゆえ、六人以上の反対があれば、この人事の件はなかったこととする!
さあ、反対の者は挙手せよ!!」
この場には、織田一門衆は四人、大蔵卿母子は三人、それに俺、淀殿、真田幸村、片桐且元の四人の合計十一人がいる。
当然俺と淀殿、そして幸村の三人は挙手すること、すなわち『反対』することはない。そして、片桐且元も『反対』には回らないだろう。
そうなると、もし俺の意見を潰そうとするならば、残った織田一門衆と大蔵卿母子の合計七人のうち、六人が『反対』する必要が出てくる。
俺は既に確信していた。
彼らは挙手することは出来ない…すなわち『反対』することは出来ないだろうと…
なぜならもし『反対』して、この決議に敗れようものなら、「当主の意見に反対した」という事実だけが残り、その後の「人事」に影響が出ると考えるのが普通だからである。
つまり、『反対』して敗れれば、この後の「人事」で、重臣からの即解任、下手をすれば大坂城からの追放の危険性もあるわけだ。
これがもし、「人事」に関する決議ではなく、仮に『反対』して敗れようとも自身の地位が揺がされる危険性がないのであれば、織田一門衆などは、すぐにでも挙手していたことであろう。
そして織田一門衆と大蔵卿母子は、大坂城の主導権をどちらが握るのかということを争っている間柄、言わば「政敵」なのだ。
よって相手が下手を打てば、それに付け入ることを互いに考えているに違いない。
そして、もし自分たちが先に手を上げて、相手が乗ってこなければ、その主導権争いから落ちることにつながる。
そうなると答えは一つ…
ーー相手が先に手を上げるのを待つ…
それだけが、全く危険性のない手段なのだ。
そしてこの駆け引きに持ち込ませる為に、匿名となる「札」を使わずに、誰が反対したのかが明白となる「挙手」による決議としたのであった。
織田有楽斎は、既にその事に気付いたのだろう。
恨めしそうに俺の事を見ては、牽制するように大蔵卿の事を見ていた。
ジリジリとした沈黙が続く。
もちろん心の内では、有楽斎も大蔵卿も挙手をして『反対』したいのは山々なはずだ。
しかし、万が一相手が乗ってこなかった場合の危険性があまりにも大きすぎる。
大蔵卿は相変わらず能面のように、じっと有楽斎を見つめているが、有楽斎は悔しそうに唇を噛んで、この駆け引きに考えを巡らせているようであった。
…と、その時であった…
ここでも俺の手の内の事が起こったのである。
その瞬間、有楽斎の顔は驚愕に青から紫に色を変え、大蔵卿の口元がわずかに歪んだ。
そして…
俺はこの決議の結果が明白となり、思わず笑みがこぼれるのを抑えきれなかった…
その出来事とは…
「めんどくさいのう…とっとと皆で手を挙げよ…」
という一言というともに、織田信雄が挙手したのであった。
ーーあの、うつけめ!!
と、有楽斎の殺気のこもった視線が、信雄を突き刺すが、彼は全く意に介さずに、
「どうした?皆はなぜ手を上げぬのだ?」
と、不思議そうに周囲を見渡している。
この時…
織田一門衆が先に動いたこととなったーー
そして次の瞬間、大蔵卿が口を開いたのである。
「もう決着がつきましたのではないでしょうか。
本件は、反対一名、賛成が十名ということで、よろしいかと…」
その大蔵卿の言葉に、俺は有楽斎に対して、軽い口調で問いかけた。
「有楽斎殿もよろしいかな?」
「…よ、よろしいかと…」
有楽斎は絞り出すようにして答えると、がくりと肩を落としたのだあった。
その言葉を聞いてから、俺は高らかとその決議を終わらせた。
「よし!では、賛成多数で可決とする!!
では明日、われより人事を発表いたすゆえ、今日のところはこれにて解散とする!
徳川殿の件は、片桐且元の意見を取り入れて、明日に持ち越し!
ただし、明日は必ず決議いたすゆえ、そのつもりでいるように!
では!解散!!」
………
……
翌日…すなわち、慶長11年(1606)3月4日。
城主の間にて、昨日の評定の続きが行われようとしていた。
その場には、昨日と同じ人々、つまり、織田一門衆の四人である、織田信雄、織田老犬斎、織田有楽斎、織田頼長、さらに大蔵卿母子の三人である、大蔵卿、大野治長、大野治房、そして、俺、淀殿、真田幸村、片桐且元の合計十一人がいる。
しかし、昨日と違うのはその他に四人が同席していたおり、それは、甲斐姫、明石全登、桂広繁、そして大坂城の総勘定奉行である津田宗凡であった。
「皆の者、お待たせいたした!」
俺がそう大きな声で言った後に、自分の席に着席すると、一斉に全員の目が俺に集まる。
その視線は、前日の冷ややかな物とは全く異なっており、特に織田有楽斎や大野治長などは媚びるような視線を向けていた。
ーー分かりやすい者たちだ…
そうどこか哀れに感じていると、有楽斎が絡みつくような甘ったるい声を俺に向けた。
「秀頼様におかれましては、今日も凛々しいお姿にございますな!
いやぁ、日に日に逞しくなられて…
この有楽斎、秀頼様とともに大坂城と豊臣家のお役に立てるだけで、光栄にございます!
どうぞこれからもよろしくお引き立てくださいませ!」
ここまで手のひらを返されると、かえって清々しいくらいだ。しかし、もちろんこの発言に耳を傾けることなく、俺は全員を見渡して通る声で始めた。
「では昨日の続きであるが、早速人事を発表する!!」
この言葉に全員が姿勢を正して、口を引き締める。それを見て、俺は続けた。
「まず明らかにしておくのは、こたびの人事において、評定に参加する家老は引き続き十一人とする。
しかし今までとは異なり、それぞれの家老に一つの政務を担ってもらうこととする。
そして、今からその政務と名前を呼び上げる!」
俺はここで一旦言葉を切る。
皆の緊張がこちらにも伝わってくるほどに、部屋は張り詰めた空気に包まれていた。
そして…俺は今回の人事が書かれた書状を取り出すと、一人ずつ名前を読み上げた。
「まずは、織田老犬斎!」
「はっ!」
老犬斎の顔が安堵に包まれる。そしてその声からは、どこか感謝すら感じさせるものであった。
俺は引き続き彼の政務を発表した。
「老犬斎には、外交を担当してもらう!
すなわち、各大名および朝廷に対して、この評定で決まった事を働きかけてもらう!よいな!?」
「ははーっ!!ありがたき幸せ!!」
このような調子で、俺は次々と新たな家老の名前と、担当する政務を発表していったのだった。
それは…
宗主補佐を、真田幸村。
小姓管理を、甲斐姫。
大坂城防衛を、桂広繁。
寺社外交を、片桐且元。
異国外交を、明石全登。
会計を、津田宗凡。
事務全般を、大野治長。
奥方管理を、大蔵卿。
先に読み上げた織田老犬斎と、宗主である俺自身を加えると、これで十人となった。
評定に参加を許される、すなわち議決権を持つ家老の席は、残り一つ…
そして名前を呼ばれていないのは、織田信雄、織田有楽斎、織田頼長、大野治房、そして…淀殿。
この時点で、織田有楽斎は、自分の名前は呼ばれることはないだろうと思っているのだろう、恨めしそうな視線を俺に向け続けて、悔しそうに震えている。
そして、織田信雄だけは、最後に名前を呼ばれるのは自分である事を「当然」と思っているのであろう。
相変わらず俺の事を下に見るような視線を送ってきている。
しかしこの時、その信雄以外の誰もが次に呼ばれる名前が誰であるかなど、容易に想像がついていたに違いない。
そう…それは、幼い豊臣秀頼の母であり、今まで執政として、政務と外交をその細腕に一手に担ってきたその人…
淀殿である…と…
そして、俺は最後の名前を呼び上げたのであった…




