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あなたを守る傘になると決めて…⑤評定(前編)

◇◇

 慶長11年(1606年)3月2日ーー


 京の学府にて初めての「幕僚会議」を終えた俺は、真田幸村、甲斐姫、桂広繁、明石全登とともに、大坂城に戻ることにした。


 その舟の上でのことである。


 甲斐姫が不思議そうに、俺に問いかけた。



「なあ、一つ聞きたいんだが、あれだけ色々な事を決めたのに、わらわたちに何も命じなかったのは、なぜだい?」


 そう、彼女の質問の通り、甲斐姫、幸村そして全登の三人には何も仕事を命じなかったのだ。それには列記とした理由があった。

 そしてその事を素直に話した。



「甲斐殿らには、大坂城にてやって欲しいことがあるのだ」


「なんだ…?それは?」



 そして俺は、大きなため息をついて答えた。



「はぁ…会議と説得じゃ…」


「なんだそれは?」


「まあ、行けば分かる」



 そう漏らすように話した俺は、なおもけげんな表情を浮かべる甲斐姫から目を離して、舟の進む方向へと視線を向けたのであった。



………

……

 慶長11年(1606年)3月3日ーー


 春の朝日がようやく空に顔を出した頃。俺は、この日も変わらず、朝の習慣である剣の素振りに勤しんでいた。

 一心不乱に木刀を振っていると、背後から鋭い声で話しかけられた。



「よう、随分と乱れているではないか?」


 

 ふと振り向くと、そこには甲斐姫の姿。

 俺は、一旦素振りを止め、軽く頭を下げた。



「おはようございます。甲斐殿」


「ああ、おはよう。しかし今の剣筋はなんだ?

その様子では、わらわの相手にもならんぞ」


「はは…これは手厳しい…」


「何か心配事でもあるなら申してみよ」



 と、甲斐姫は穏やかな口調で問いかけてくるが、俺は首を横に振って答えた。



「いえ…心配事という訳ではないのですが…」


「そうか…まあ、あまり色々と考え過ぎるでない。

何か困ったことがあれば、すぐに相談するのだぞ」


「ありがとうございます。そうさせてもらいます」



 と、俺が頭を下げると、どこか恥ずかしさを隠すように、甲斐姫はこの場を後にしたのであった。



「剣が乱れている…か…」



 俺は再び剣を握る。そしてまた素振りを始めた。

 これから立ち向かわねばならない「内」との戦いに、どうしても気が重くなる。それでも立ち止まっている暇などないのだ。


「ええいっ!!」


 と気合いを込めた一振り。


「よしっ!」


 ようやく何かを振り払うことが出来たような気がして、この一振りで朝の稽古を終えたのだった。


今日は大坂城での評定が開かれる予定だ。


それこそ「内」なる戦いの始まりであった。


………

……

 同日、昼過ぎ。大坂城の城主の間にて、評定が始まろうとしていた。


 城主の席にはもちろん俺、豊臣秀頼が座ると、その右隣には母である淀殿が座した。

 そして豊臣家の言わば「重臣」たちが並んでいた。

 上座から順に見てみる。

 最も上座に、淀殿の従兄、織田信雄。

 次に、淀殿の伯父、織田老犬斎。

 淀殿の叔父、織田有楽斎。

 淀殿の従弟、織田頼長。

 先代太閤秀吉からの豊臣家の重臣、片桐且元。

 淀殿の乳母である大蔵卿の息子、大野治長。

 その治長の弟、大野治房。

 彼らの母、大蔵卿。

 そして最後に俺の側近、真田幸村。


 こうして見てみると、母淀殿が俺の事を守ろうと、必死に人才を集めてきたのだろうということが、痛いほどによく分かる。そんな母の愛情には、頭が上がらない気持ちでいっぱいであった。

 しかし…

 今日はこの景色を一変させるつもりでいた。

 その理由は、これから始まる評定の様子を見れば一目瞭然だったのである。


 この日も、話題は「徳川家への対応」で始まった。


 なお、前年に徳川秀忠が征夷大将軍に任じられ、それに合わせるようにして俺は右大臣に就いたわけだが、俺の就任の祝いの使者として、徳川家康の息子である松平忠輝が大坂城を訪れた。

 それを受けて徳川家康は、その返礼および徳川秀忠の征夷大将軍就任の祝いとして、俺に対して京の二条城にて家康の元に訪れるように要求してきたのだ。

 これは「徳川の意向によって豊臣は動かされる」ということ、すなわち「豊臣は徳川に臣従している」という事実を作りたいから、という事に他ならない。


 このことについて、昨年来からこの大坂城での評定にて散々話し合われてきたのだが、全くまとまりを見せなかったのである。



「今まで何度も協議を重ねて参りましたが、もうそろそろご決断を下さねばなりますまい」



 と、話を切り出したのは織田有楽斎。彼は淀殿の叔父であり、かつては庇護者として、彼女から絶大なる信頼を得ている。

 彼は、ゆったりとした口調で、穏やかな性格をそのまま表したような優しい表情でそう言った。

 しかし…

 

――隠そうとも隠しきれぬ狡猾さよ…


 と、俺はその瞳の奥にある濁った光に対して、冷ややかな視線を向けたが、もちろん本人はそんな俺の視線のことなど気にも止めていない。と言うよりも、彼は俺に対して、全く興味がないのだ。

 それもそのはずであろう。なぜならこの場にいるほぼ全ての人が「豊臣秀頼殿は、この場にいるだけのお飾り当主」と思っているだろうからだ。

 そして俺はそんな彼らの「期待」に応えるべく、これまで「政治の事など何も分からぬ、物言わない当主」を演じ続けてきた。

 すなわち評定の場でどんな事が話し合われようとも、俺が何か発言することもなければ、興味すら示すようなこともない。

 その事が分かれば、俺の反応などに興味を示す者などいないのは当たり前の話である。

 

 しかしそれは、全て俺の目論み通りであった。

 

 織田一門が大坂城に頻繁に出入りするようになったのは、前年の五月以降、すなわち徳川秀忠が将軍となった以降だ。その頃から母淀殿は、徳川への警戒心を一層強めて、自分の頼みとする親族たちを招き入れたのだが、その者たちがまさかその徳川と通じていようとは、想像だにしていなかったであろう。

 淀殿は聡明で非常に賢い方だ。しかし俺の事となるとどうも盲目的になる節が否めない。

 織田一門を招き入れたのも、全て「息子を守る為」ということは明確であり、彼らのうち何名か…いや、もしかしたら全員が徳川の息がかかっているとは、露にも思っていないであろうと考えていた。

 

 すなわち俺は、「誰が味方で、誰が敵か」というのを見定める為、この一年間はひたすら傍観者として評定の様子を眺めていたのだ。

 

 

 さて、評定の方は有楽斎の一言で端を発すると、続いて有楽斎の兄で淀殿の伯父にあたる織田老犬斎が口を開いた。

 

 

「とにかく豊臣と徳川の間に亀裂が走ることがないように穏便に進めねばなりますまい。

さすれば、ここは秀頼殿の義理の祖父にもあたる、家康公の言いつけ通りに、二条城に出向かれるべきかと…」



 こちらも有楽斎と同様に、落ち着いた口調で説き伏せるように発言した。

 その様子に俺は、

 

――この方は本気で豊臣と徳川の関係強化を願っておられるようだ…しかし、どこかに恐れを隠せぬその色…やはり徳川の息はかかっているのであろう…


 と、彼の瞳をみつめながら思っていた。

 

 …と、そこに大きな怒声が響いた。

 

 

「俺は反対だ!!これは徳川からの宣戦布告とも言える言いつけだ!!断固拒否し、一戦交えて豊臣の力を示すべし!!」



 そう発言したのは、大野治房。俺の小姓である大野治徳の叔父にあたる人だ。治徳の危なっかしくも一直線な性格は、この叔父の影響が強いのかもしれない。

 

――いわゆる過激派か…自分が戦いたいだけなのか、豊臣のことを考えてのことなのか、今一つ分からん


 そう思っている間に、引き続き若々しい情熱に溢れた声が響いた。

 

 

「それがしも反対である!!豊臣に臣下の礼をとったのは徳川の方だ。それを今になって順逆を冒すなど、人の道に外れておろう!!」



 顔を赤くして拳を固めて発言したのは、織田頼長。有楽斎の息子にして、淀殿の従弟に当たる人だ。

 

――織田一門から反対意見を出し続けているのは彼だけ…しかし今日の彼の瞳には影が見られる…


 今までの頼長からは純粋に、徳川への反抗心がその瞳に表れていたのだが、今日はその様子が少し違っていた。

 俺はちらりと彼の父である有楽斎の方へと目をやると、有楽斎は息子をじっと見て口元をわずかに緩ませていた。

 

――なるほど…そういう事か…


 と、俺は頼長の瞳の影の原因が思い当たり、「はぁ…」と大きくため息をついた。

 そんな俺の様子など誰一人として見向きもせずに、今度は大蔵卿が息子の大野治長に耳打ちをして何かをささやいた。

 そしてその直後に治長は自信なさげに弱々しい声で発言した。

 

 

「それがしは、徳川殿に会いに秀頼様が二条城に行かれるのが筋かと思います」



 その治長の言葉に、弟の治房がぎろりと睨みつける。

 


「兄上、その『筋』とやらの意味を、この不肖の弟に教えてはくれまいか」



 その瞳を見て顔を青くした治長であったが、彼らの母である大蔵卿の方は、きりっと弟の治房を睨みつけると、兄の治長に対して再び耳打ちをした。

 そしてその直後に再び治長が、たどたどしい口調で言ったのだった。

 

 

「秀頼様が右大臣就任の際には、徳川家康の息子であり、秀頼様の叔父にも当たる松平忠輝殿が大坂城に来られたのですから、今度は秀頼様が二条城に向かわれるのは礼を重んじる豊臣家としては当然のこと。

臣従する云々などのたわ言に聞く耳を持つ必要などない。

祖父の言いつけを守らぬ孫など、わらわ…いや、それがしは聞いた事もない」



 そう言い終えると、治長は恐る恐る大蔵卿の表情を確認した。

 その大蔵卿はまるで能面のように、まったく表情を変えず澄まし顔でじっと前だけを見つめている。

 

――この親子…意外とめんどくさいのう…自分で言えばよいものを…


 兄治長は、母大蔵卿の傀儡、そして弟治房は反骨精神のかたまりのような過激派…

 しかしその瞳からは、織田家から感じるような濁りは感じられない。すなわち、彼らは徳川の息はまだかかっていないのであろう。

 

 だが、大蔵卿…

 

 この人からは何とも言い得ぬ独特な雰囲気を感じる。

 以前からこの人が評定で発言している様子を見た事がない。それでも城の侍女たちからは「大坂城一の鬼乳母」と恐れられていることから、普段は全くしゃべらないという事ではないのであろう。

 確かに勘気に触れたら、それこそ雷を落とすような顔をしている。簡単に言えば、怖い顔だ。

 

――大蔵卿の侍女など、恐ろしすぎて俺には絶対に勤まらないな…


 と、いらぬ事を俺は思っていた。

 

 とその時、有楽斎が舵を取るように口を開いた。

 

 

「ではこの他の方々の話も聞いてみましょうか。まずは片桐殿。片桐殿は、この件はいかがお考えであろう」



 急に話が振られたことに額に汗をかいた且元は、その汗をぬぐいながら緊張に震えた声で有楽斎に答えた。

 

 

「そ、それがしは、もう少しこの件は慎重に考えるべきかと…」


――当たり障りなく、問題を先延ばしか…衝突を好まぬ且元らしい考えじゃ



「なるほど…分かり申した。では、信雄殿にうかがいましょう」



 と、有楽斎は且元の意見など、最初から聞き入れるつもりもなかったかのように、彼の話を受け流して、織田家の中でも最も序列が高い織田信雄に話を振った。

 

 その信雄は何を考えているのか分からないような、ぼけっとした表情を浮かべたまま答えた。

 

 

「色々と面倒な事を避ける為に、秀頼殿が徳川殿へ会いに行けばよかろう。何も難しい事ではない」



 その発言に一同が、しんと静まりかえった。

 それもそのはずだ。

 彼は、面倒を避ける為に豊臣が徳川に従えばよい、とあっさり言い放ったのである。

 

――なぜこの者を連れてきたのだ…あまりにも浅はかかつ愚かではないか…


 と、俺は率直にそう感じていた。

 

 そして有楽斎は、その場の末席にいる真田幸村などには一瞥もくれることなく、かたくなに反対意見を述べていた頼長に語りかけたのである。

 

 

「頼長よ。これまでも議論を重ねてきたではないか。ここは一つ、豊臣家の安泰を考えて、お主の意見を翻してはくれまいか」


「く…わ、分かりました…これも豊臣家の為となれば仕方ありませぬ…」


 と、有楽斎の説得に、頼長はうつむきながらその意見を翻した。

 

 しかし…

 

――ふん、白々しい。所詮はこの話しが出た頃から、織田家の中で一人反対するように有楽斎が息子をそそのかしたのであろう。

織田家が一丸となって『徳川に臣従すべし』となれば、内通を疑われるからな。

頃合いを見計らって、頼長が意見を翻せば、結果として織田家の意見は全員一致。そして後は…



 そんな俺の考えを、まるで見計らっていたかのように、大蔵卿が重い口を開いた。

 

 

「治房。分かりますね。これ以上お主が何か言えば、わらわが許しませぬ」



 そんな脅しとも取れる大蔵卿の圧迫に、先ほどまで噛みつかんばかりに牙をむいていた治房が、急に大人しくなって、借りてきた猫のように縮こまってしまった。

 

――恐るべし…大蔵卿…


 そう俺が肝を冷やしている間に、にこやかな表情を浮かべた有楽斎が、相変わらずゆっくりした口調で淀殿の方を向いた。

 

 

「淀殿。これでようやく一同の意見がそろいました。

いやあ、大事ゆえになかなか決まりませんでしたが、ようやく意見が一つにまとまって非常に喜ばしいですな。

では、『秀頼様が二条城にうかがい、家康殿にお会いになる』という事にいたしましょう。

ついては…」



 そう有楽斎が勝手に話しを進めようとしたところで、

 


「お待ちなさい、叔父上」



 と、淀殿がいつも通りの穏やかな表情のまま、有楽斎の言葉を制した。

 

 

「はて?何事にございましょう?もうこの件についてはこれ以上…」



「秀頼ちゃんの意見をうかがっておりません。当主の意見を聞かずして、お家の大事を決めてよいいわれはないでしょう」



 その淀殿の言葉に、有楽斎の顔が一瞬だけ、苦々しいものを浮かべた。しかしその次の瞬間には、再び優しい顔つきに変わっていた。

 

 

「やや、これは失礼いたしました。確かにそうですな」



 有楽斎にしてみれば、暗愚な俺に意見を求めても、何も出てこないと確信しているのであろう。

 いともあっさりと、淀殿の要求を飲んだ。

 


「ふふ、分かればよいのです。では、秀頼ちゃんにおうかがいいたしましょう。

この件、秀頼ちゃんはいかがお考えでしょうか?」



 そう俺に問いかけた淀殿が、微笑を浮かべながら俺の方へと視線を向けた。

 

 俺はその視線を受け止めると、力強くうなずいた。

 実はこの前振りは、昨晩淀殿との打ち合わせの通りだったのである。

 

 

 そして…

 

 いよいよ…

 

 時が来た。

 

 

 大坂城を滅亡へと導く、この腐った評定をぶち壊す時が!!

 

 

 



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